林芙美子のレビュー一覧
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ネタバレ人生煮詰まると、フッと今いるところから飛び立ちたくなる。
でもおいそれと、そうも行かない。
そこをためらわず飛び立ってしまうのが林芙美子だ。
ただし、芙美子の時代は船旅。
日数がかかる分だけ出会いもあり、旅情もある。
この本は、芙美子の小説の中から、大陸に渡った人たちを描いた作品を選び出したもの。
芙美子は旅の途中にあっても次々と日本に紀行文を送り、日記を付け、旅の思い出もさまざまなエッセイに書き残しているが、そういうものは、言ってみればスケッチ。
臨場感と新鮮味が命だ。
そうやって書き留められたたくさんの素描をもとに、一幅の絵画として描き上げる・・・それが小説なのだろう。
登場する女たちは -
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林芙美子氏というと、森光子さんの放浪記の舞台のでんぐり返りというイメージしかなく、これまで避けてきた私が、この本で4冊目。良くも悪くも流行作家と呼ばれてきたであろう氏のことが少しずつ分かってきたような気がする。
この短編集では、主人公や彼女を取り巻く人々の生き様や生活状況(広くは社会の状況-貧困、女性の置かれていた立場など、いろいろな人権上の課題など)が知れ、読み進めるのが辛くなる時が何度かあったが、やめられない自分もあった。
社会が変容していく中で、未来も見えにくくなっている今。昔を知るべく、建物や風景さえもなくなり変化していく中で、文学として当時の有り様を残された氏の業績は大きいと感 -
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NHK百分で名著での紹介に触発され、放浪記を読み進めております(名前は良く知っていましたが、読んだことが無く)。炭鉱の多い西日本各地(門司、下関、戸畑、若松、佐世保、直方等)を転々とする小さな林芙美子(1903年生まれ)と松本清張(1909年生まれ)の小倉での苦しい暮らしが重なります。あの、海が見える、という尾道の記述には(芙美子が女学校を卒業した町でもあり)、小津監督の東京物語の冒頭の風景が重なります。大正時代に書かれた日記を基にした小説(1928年の出版)のようですが、今読んでも、新鮮でかつ様々な町の歴史等を立体的に味わえる本ですね。こんないい小説だったのね、と今更気づかされております、★
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これも、ヤマザキマリさんの本棚にあったので読みました。
明治36年に生まれ昭和26年まで生きた林芙美子の三部からなる日記と詩です。
(P530より)
死んじまいなよ。何で生きてるんだよ。
何年生きたって同じことだよ。お前はどうだ?
生きていたい。死にたくはござらぬぞ…。
少しは色気も吸いたいし、飯もぞんぶんに
食いたいのです。
十二、三歳のころから下女、女中、カフェーの女給として働き女学校には自分の稼ぎで通い、十七、八歳のころから、義父と母に仕送りをしなければならず、毎日の食べる者にも困窮する生活を送りながら詩と日記を書いています。
まだ、二十歳にしてはずいぶんと大人びていると思いま -
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林芙美子の短編小説と若干の詩を集めたアンソロジー。
「風琴と魚の町」と「清貧の書」は1931(昭和6)年、「晩菊」が1948(昭和23)年、「骨」「牛肉」「下町」は1949(昭和24)年の作。他の作品はデータが無く、分からない。
巻頭の「風琴と魚の町」は、確か『放浪記』(1930)の中でも言及のあった作品で、極貧で親の行商の旅に随行する少女時代を描いた自伝的小説。やはり、この辺りが良い。
ぎりぎりの、ひどい貧困生活を描きながらも不思議と林芙美子の筆致からは明るさが醸し出されており、人がいかに苦しみ悩んでいようともその頭上には抜けるように青い空が広がり陽光が全てを照らし尽くしている、という -
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林芙美子の一歳年上で貧困と不幸を絵に描いたような中で生き延び23歳で獄中自殺した金子文子「何が私をこうさせたか」とどうしても比較してしまう。林芙美子の貧乏は確かにそうなのだが、根底が明るい。夢を持てる適度な貧乏なのだろう。大正から昭和の初め、社会に貧富の差意識が生まれた時代。虐待や搾取を受け続けた金子と違い、林芙美子は友達や親切な人たちを引き寄せる星を持っていたということだろう。家を出て女中や女給の仕事をしながら文章を書きそこに熱意を持ち続ける。その健気な頑張りは好感が持てる。そして明るい希望を感じるラストは、現実には連載していた放浪記の好評が上機嫌にさせていたのかも知らないが、この後大成功す
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前半、貧しい暮らしぶりを読むにつれ、しみったれた話だなやだやだと思っていたが、次第に引き込まれる。
すさまじく金がなく寒いひもじいひもじいたべたい苦しい、という暮らしの中での、彼女の生きる力、伸びたい力の強さ、感性の鋭さとみずみずしさにおどろく。
作家になりたい、書きたくて書きたくてたまらない、という夢を静かに熱く追いつづける。トルストイを読み、心のままにシンプルに書け、という教えを実践して試行錯誤。でも金にならない、私なんて才能がない、だけど書きたい書きたいと渇望。
大正11年1922年(100年前!)から5年間の日記がベースとのこと。20歳前後。身なりは粗末であったかもしれないが、眼 -
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続けて読んだ林芙美子『放浪記』とリリー・フランキー『東京タワー』
書かれたのは1930年と2005年、時代は半世紀以上はなれているけれどもなんと似ていることだろう!醸すもの雰囲気のことであって個性はちがうのだけども。
作者の生い立ち、経験を文学に昇華している
日記風
尋常な家庭、両親ではない
そんななかで親思いの強さがすごい
芙美子は行商をして育ててくれた養父と実母に
雅也(リリー・フランキーのこと)は母と母と離婚はしていないが別居している父に
貧困なる家庭、しかしどん底ならざる文化がただよう
芙美子は女学校(昔はそんな家庭の子は行けなかったのに)
雅也は武蔵野美術大学 -
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故 森光子さんが2000回以上も公演を行った舞台の原作。たまたま実家の本棚で見つけ、読んでみたいと積読したまま約20年も経ってしまった。
一頁目「放浪記以前」という章。
「私は宿命的に放浪者である。私は古里というものを持たない。・・・故郷に入れられなかった両親を持つ私は、したがって旅が古里であった。それ故、宿命的に旅人である私は、この恋いしや古里の歌を、随分侘しい気持ちで習ったものであった。・・・今の私の父は養父である。・・・人生の半分は苦労で埋もれていた人だ。私は母の連れ子となって、この父と一緒になると、ほとんど住家というものを持たないで暮らして来た。どこへ行っても木賃宿ばかりの生活だ -
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ネタバレ大正時代、極貧状態にあった女性の日記。金、飯、男、家族、周囲の人間の話と、詩が主。半ば呪いめいた愚痴と、その日に何かあったかを書き連ねた内容。3つの本をまとめた内容になっているが、そのうち1巻目にあたる部分の内容は中々悲惨である。セルロイド工場で人形に永遠と色付けを行っている辺りは特に印象に残った。あまりに生々しかったためか、戦時中発禁処分になった様子。それも仕方ないように思う。金品の貸し借りや人間関係などは随分現代と違うように感じるので、その辺りは興味深かった。しかし、こんな状態でもどうにか暮らしている作者の方のバイタルは現代人には無いものだと思った。
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およそ、林芙美子の、前半生の自伝のようなものであるということ。
今回読んだものは、みすず書房の大人の本棚シリーズにまとめられたもの。
森まゆみが、解説を書いていて、そちらを読むと、より、理解しやすく感じられました。
少しは、創作部分もあるらしいのですが、およそ、彼女の日記に近いとのこと。
すごい生き方だなと、感心して読みました。
明治生まれの女性の持っている精神力というか、まっすぐな心は、今の私にはできません。
ある意味、無知なればこそということなのでしょうか。
この作品が、昭和の初め、雑誌とはいえ、掲載され、人気があったということは、その当時の日本には、かなり、前衛的で、自由 -
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「下駄で歩いた巴里」を読んだとき、林芙美子って貧乏の印象しかなかったけど流行作家になって旅行してるじゃん、と思ったんだけど、これを読んだら、ああやっぱりすごく貧乏ですごく苦労したんだね、と申しわけない気分になった。こんなふうにずっと食べるにもことかくほど貧乏で孤独でみじめな気持ちだったのかなと思うと胸が痛むくらい。
何月×日、って日記風になっているけれども、年度はわからないし、とびとびで何年もあいだがあいているようだったりするし、一部~三部とあっても時代順なわけではないし、いったいどういう状況なの?と思うこともあった。作家になったいきさつなどもまったくわからない。
で、巻末の解説を読んだり、 -
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ネタバレ主人公の夫婦がいた天神ノ森
しっとりと雨を含んだ木立ちの緑と、濡れた石畳、母親に手を引かれた幼女が歴史の散歩道の赤レンガを踏んで歩いていく。視界の奥に、カラフルなチンチン電車が横切った。
阿倍野神社の西人口から、天神の森の住宅街を見下ろしながら、東京から移ってきた三千代と初之輔が住んだ家はどのあたりだろうか――と私は思いをめぐらせていた。
「はじめは、東京風な、貧しい長屋の感じに受け取っていたが、来て見ると如何にも大阪らしい長屋建築である。どの家にも、ヒバの垣根があり、脊のひくい、石門がある」 神社の階段を降りると、すぐそこが、阪堺線の天神の森駅。北からカーブしてくる線路上に、うっ