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私は宿命的に放浪者である――若き日の日記をもとに記された林芙美子(1903―51)の生涯の代表作.舞台は第一次大戦後の東京.地方出身者の「私」は,震災を経て変わりゆく都市の底辺で,貧窮にあえぎ,職を転々としながらも,逆境にめげることなくひたすらに文学に向かってまっすぐに生きる.全三部を収録.(解説=今川英子)
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Posted by ブクログ
去年の12月にラジオで偶然、作家の林芙美子さんの亡くなる4日前に放送された肉声を聴きました。 昭和26年に放送された若い女性からの様々な人生に関する質問に林さんが答えていく内容です。 車の運転中でしかも音質もそんなに良くなかったので内容はきちんと聞き取れていなかったのですが、その語り口はとても優しく...続きを読むかつとても力強いものでした。 聴いたラジオが非常に頭に残ったので、林さんの代表作「放浪記」を軽い気持ちで読み始めたのですが、、読むにはなかなかな覚悟の必要な内容でした汗 苦境から作家で成功するに至ったサクセスストーリー的な単純なものを想像していたのですが、一つ一つの文章表現を理解するのに時間はかかるし時系列も前後入れ替わっているなどしてなかなか読み進めるのに時間がかかりました苦笑 流石に読み終えるのに2ヶ月もかかると途中でしんどくなってくるのですが、何かこう、腕を鷲掴みされながら目を見開いて間近で訴えかけられてくるような凄みが全ての頁に溢れていました。 貧窮のどん底を這い回る日々の中、ある時はカフェのスタンドの陰で、ある時は台所のお櫃を机がわりに、ある時は下宿のささくれだった畳に腹ばいになりながら、書くことを決してやめなかったようです。その執念が随所から感じ取れます。 まだまだ飲み込みきれていない部分も多々ありますが、表現することについて強烈な気づきを得た一冊でした。
時系列が…とか人間関係が…など気にし出すと読めないと思うが、一気に読んでしまった。 NHKの番組がきっかけで手に取ったという経緯は恥ずかしいが林芙美子さんに出会えてよかった。 ジェンダー、経済格差、いじめや差別、政治不信などいろいろな課題があるのに放置されている今こそ読む価値があると思う。 ...続きを読む昔の絵画(風景画など)を見るとその当時の街の風景や人の息遣いなどを視覚的に感じられることが多いが、放浪記を読むと彼女が生きた時代の東京下町の景色、街並み、地図上の位置関係や風俗が甦るようで、生きていた人々の日々の暮らしやその息遣いまでが手に取るようにわかる。歴史書にはない楽しさがあった。 長編だが、改めて年数を数えると、ほんの数年間であることに驚きを隠せない。著者のことを悪くいう人もいるが、20才前後のわずか数年間の著者の生き様、どんなに貧しく辛くとも、古書を離さなかった(学び続けようとしていた)彼女の姿に感銘を受けざるを得なかった。
100分で名著でとりあげられた。分厚い本で今まで読んだことがなかった。作者の自伝で単にいろいろな生活をしていることをえがいているだけであるという紹介が多かったが、実際は小説や童話や詩を書いていて、なかなか採択されないという状態を描いたものであった。詩が書かれていることも放浪記の紹介にはなかったと思わ...続きを読むれる。 作家になるとはどのようなことなのかを知るにはいい本であると思われる。
男なんか二度と当てにするものか! ——誰か私を受け止めてくれる男はいないものか? 書きたいことがありすぎる! ——いくら書いたところで一銭にもならぬ。 もういっそのこと死んでしまいたい! ——冗談じゃない、生き抜いてやる! 作者 林芙美子自身でもあり、実像とは大きく乖離した幻影でもある「私」。お金...続きを読むは無い、書いたものは売れない、今日その日の飯にもありつけない彼女の日々を綴った本作は、絶望と希望・不幸と幸福・暗さと明るさとが綯い交ぜとなっている。未熟で乱暴にも感じる文章からは汗・体臭・痛み・日差しの暑さ・風の冷たさ・空腹・満腹・身体の疲れが感じられる(作者は稚拙さを恥じて何度も手直ししているらしいが)。 生きたいが死んでしまいたい、死ぬのは嫌だから生きていたい——気持ちも所番地も仕事もコロコロと変わる「私」は、まさに「宿命的に放浪者である」。先に成瀬巳喜男監督の映画版(1962)を観たせいか、主演の高峰秀子の声で文章が脳内に再生された。
★3.5 文章が素敵。生活が大変だった日々の記録なんだけれども、暗くなくてどこか明るいと感じるのは、作者の性格なのだろうか。
改造社版の放浪記のあと、全面改稿が行われた放浪記が第三部まで出されていて、本書はその全三部を収録。 だれもが言うとおり、こちらは落ち着きと丁寧さはあるものの、改造社版の原初の破壊力は薄められてしまった。 もちろん改造社版のほうが優れた作品だが、これはこれで。
林芙美子の出世作、なんども改稿し続けた1~3部を収録。 表紙には「逆境におしつぶされることなくひたすらに文学に向かってまっすぐに生きる」と書かれているけど、まったくそういう風には読めません。少しも埒の明かない暮らしに、しょっちゅう自棄っぱちになっては悪態を吐き、できもしないことを夢見たりして、それで...続きを読むも文学を捨てきれない人、というのが私の受けた印象でした。 なにしろ、貧乏でも芸術一筋を気どりつつ、生活の苦労は女に丸投げしてきた多くの男性作家とはわけが違うもの。女にとっては、貧しさと、男に依存する/利用されることとが不可分の関係なのだということが、この人の吐き出す思いを読むと、あらためて実感されて、ほんとうに今の時代の女の貧困と、本質的には変わっていないと、つくづく感じます。特に、彼女を愛しているという「松田さん」が、見返りを期待しないと言いながら金を貸してくれることが、むしろ重荷で嫌でたまらない気持ちは、とてもよくわかる。 いっそ誰かと結婚しようか、いっそ売春でもするか、と、本心とも思えない言葉を吐きつつ、それでも文学を手放さないでい続けたのは、「純粋な志」なんてきれいごとでは済まない、意地とか開き直りとか、複雑なものがあったんじゃないだろうか。林芙美子が、成功してからも、あれはプロレタリアート作家よりも落ちる「ルンペンプロレタリアート作家」だと中傷を投げつけられたように、性的にも、志においても、”純粋”でいるという贅沢が許されないのが、つまり貧困な女ということなのです。 もっとも、その日その日の気持ちが火花のように飛び散っていた第一部とくらべると、第三部はかなり整理されて、作家のサクセスストーリーの趣には近づいてくるのだけど。しかし第2部の最後に付記された、今は成功して自分の家も構えた作者がふと漏らす恐れや空しさにこそ、林芙美子の直の肉声がもっとも伝わってくる気がします。特に、苦しいなかで支えとなってきたことは間違いないけれど、重荷でもあり自分を縛る鎖であったことも間違いない家族というものを、ふと客観的に眺めてしまう心持ちを描いている部分が、強い印象を残す。家族への相反する気持ちも含め、彼女の率直な筆が時代を超えて共感を呼び続けていることに納得します。
貧困はこうも人を卑屈にするものかと思いました。また、作者自身の男性との関係のいつまでも未練たらしく優柔不断なところや職を転々とするところなども少しばかり腑に落ちませんでした。正直この作品が後々まで読み継がれていくほどの作品かなと思いました。
貧乏ってやつぁこういう事を言うのさね。どこまでもどこまでも追いかけてきて、いつの間にか自分に成り代わって、次の貧乏をうむのさね。自業自得とのたまう人の、なんたる無理解。金と親と別れた男についてのどこまでも続く愚痴。恋愛模様は演歌そのもの。さまようのは、住まいだけでは無いのです。 破滅型の生活、自己生...続きを読む産の貧乏と、持て余した若さと体力は過激思想とよくくっつく。理想の奥深くに昏く光る恨みを籠めて。当時、この書き方で口に出して歩いたら思想犯として逮捕される流れもよく分かった。 ただひたすらの困窮のサイクルの中でこの人はよくぞ文筆家になったものだ。詩に触れ続け、詩人に囲まれてきた方のようで、日記も非常に詩的だけど、啄木のように生活臭が強い。北原白秋が好きでロシア文学を良く読んだようで作品が頻出する。時代的には第一次大戦後、関東大震災の記述もある。だが世の中の出来事の記録よりも、20歳そこそこで、自分のもがき苦しむ精神を、ありのまま書き付けた胆力に恐れ入る。内容的には何の救いも無いのだが、好評を博したという事は、多くの人が共感したということか。 頭の中のBGMはずっと『からたちの花』でした。いや白秋じゃない、陽水のほう。
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