柳下毅一郎のレビュー一覧
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魔法や神のあり方を、この世ならざるものの論理(カバラ神秘学?)でロジカルに説明し、それが「芸術」や「創作」、さらには「想像力」の賛歌になっているという。なに、この離れ業。
意外なのは、「セックス、スター、スネイク」の章。邦訳があるアラン・ムーア作品でのセックスって、人の愚かしさの側面を描くことが多かったように思う(ウォッチメンの火星シーンは例外)。こんなストレートなセックス賛歌を書いているとは。プロメテアと「想像力」と「戦争」について語るシーンもすごい。
破天荒なストーリー、宗教的(?)な意匠で飾られた美麗なコマや絵、引用されている元ネタの多様さや密度、どれもすさまじい。「BOOK 1」なので、続きが出るんだよな。楽しみ! -
Posted by ブクログ
異形、というと高級感すらあるが、ゲテモノ、見世物芸人、不適応者、エグい、どうしょうもない、といった重層的意味を持たせているはずだ。
(オタク、マニア、といったニュアンスはまだなかったころの小説だ。)
「存在しているだけで稼げる」という素晴らしいアイデアから畸形を作り上げる、という奇矯な家族小説からスタート。
フツウを見下すという価値の顛倒。囲いの中でのマジョリティとマイノリティ。
やがて カリスマへの傾倒が始まる。
躰の歪みだけでなく、家族の兄に対する/フツウのフリークスに対する傾倒という精神の歪み(内面のフリークス)でもある。
ここにおいて話は家族を超えて集団心理を描き出す。
その反面、語り手オリーのうちでは、愛される、から、愛する、へ思考が変容していく。
彼女だけは家族小説を醸成し続けていたのだ。
訪れる悲劇。
時間を経て、移動し続ける生活から、定住生活へ。
最後には娘を思う母、兄を卑小に再現する女から娘を守りたい、という家族小説に、見事着地。
奇想と構成の奇跡的な融合が、この素晴らしい小説を成立させた。 -
Posted by ブクログ
ウィリアム・バロウズ『クィア』を読んだ。メキシコシティに暮らすヤク中でゲイの中年男性リーと、若く美しい恋人アラートンとの短い恋愛の話。
メキシコシティの社会情勢からくる荒廃した治安の悪さの描写と、そのなかに突然現れる美しいアラートン。男女の恋愛話なら、荒んだ日常にいきなり魅力的な人物が登場するのはよくあるフィクションの始まり方だと思う。
作中には、いわゆるゲイバー(文脈的にはハッテン場的な意味合いに近い)で性行為の相手を探す場面がたびたび出てくる。そして、リーがアラートンとの関係を切実なまでに保とうとするのは、当時の同性愛者を取り巻く社会的承認の欠如と出会いの困難さから来るのではないかと思った。
もともと『おかま』というタイトルで1985年に出版されたが、物語としては1953年の小説『ジャンキー』の続編であることを考えると当時としてはかなり先駆的な作品でもある。
リーはヤク中で情緒も不安定だし、かなり口汚くて卑俗な言葉をまくし立てたりもするのだけど、映画『クィア』ではあのダニエル・クレイグが演じるというのだから、どういうリーになるのか楽しみにしている。まだ居住地では公開されていないので、公開されたら絶対に観に行く。 -
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伝説の活字漫才コンビ、復活!
映画への愛ゆえに怒り、ツッコミ、笑い、時に対立も辞さず語りつくす。
『千と千尋の神隠し』のアンタッチャブルなテーマを喝破し、『スター・ウォーズ』を『巨人の星』に、『チャーリーズ・エンジェル』を「通いたい店」にたとえて止まらない、対話型暴走映画評論集。
映画秘宝の人気連載、映画欠席裁判の濃縮版。
漫才のスタイルの中に、膨大な情報量と的確な批評があって、面白いです。
「チャーリーズエンジェル」のように、観客を楽しませることしか考えていない映画を、「店」と呼んだり、観客を甘く見てセリフなどで説明過剰したりして作っている日本映画界に怒ったり、目から鱗が落ちます。
「アルマゲドン」などの底抜け映画に細かい突っ込みを入れまくる2人の漫才に爆笑すること、間違いなしです。
中でも面白かったのは、キネマ旬報と映画芸術のベスト10を、無難な芸術ぶった映画ばかりを選んでいると批判しているところです。
ベスト10の面白さは、自分自身の好みを表すところであり、評論家の仕事は作者の意図を作者の言葉や資料を通して確認すること、次に作者の意図を超えた論を展開すること、新しい才能を見つけることだと熱く語っているところは、町山智浩の真骨頂だと思いました。
字幕翻訳家の戸田奈津子のヒドい誤訳っぷりに最初にツッコミを入れたのは、この本です。