阿部真大のレビュー一覧
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「地方都市はほどほどパラダイス」と
書かれた帯に目を惹かれ、手にした一冊。
かつての地方都市には商店街があり、若者の生活の一部として存在したが、現在の若者が地元のことを語る時には、「商店街」という言葉は無いという。
「つまり、商店街とは、若者にとって、地域社会における人間関係を学ぶ場所であるとともに、『よく分からない人』に出会わないと生活必需品を手に入れることができない『ノイズ』だらけの場所でもあった。(中略)モータライゼーションとは、そうしたノイズに満ち溢れた人間関係からの解放でもあったのである。」(p.52)
モータライゼーションとは、簡単に言うと、自動車の移動を前提とした街の作り方である。
地域社会との関係が無くても、今は良いのかもしれないが、今後はわからない。
自動車と街作り、そして地域社会との関係について、今後考えて行く必要があると思う。 -
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若者による"地方観"の変遷を、若者にウケているJ-POPの変遷から見ていくという着想自体はたいへん面白い。
だが、BOØWY('80s)→B'z('90s前半)→Mr.Children('90s後半)といった、それぞれの時代を彩ったロックバンドの歌詞を分析していったのちに、00年代を紐解く題材にヒップホップグループであるKICK THE CAN CREWが登場する唐突なチョイス(この時代にヒップホップが一世を風靡していれば話は別だが)には、やや疑問を呈さざるをえない。
また、10年代の分析として『おしゃかしゃま』が挙げられているRADWIMPSについても、「試行錯誤する自分らしさ」というよりは、90年代後半のミスチル的な「関係性によって作られる自分らしさ」を標榜した曲が多いイメージがあるのだが…。
このように、J-POPの歌詞分析にあたっては、多少の作為的な意図が透いて見える点は否めない。
とはいえ、岡山県でのフィールドワーク調査からの丁寧な分析は見事であり、地方都市の"ほどほど"さに魅力を感じている若者像を的確に捉えている。岡山市出身である私にとっても頷ける内容の多い、圧巻の鮮やかさであった。
過剰にも見えるイオンモールの位置づけだが、岡山県のイオンモール依存は本当に根深く、大型ショッピングモールという"ほどほどパラダイス"は、モーターライゼーションの進んだ地方にこもる人々にとっては、絶好の「樹液のなる幹」なのである。
各章で新鮮な知見の提供が為されている一方で、その繋がりをやや薄く感じてしまわざるを得ない点が、やや残念に思う部分。
しかしながら、各章の内容を繋ぐ明瞭な共通項を見出すことができれば、より興味深さを増した、ポップで新鮮な若者論となるであろうことは間違いない。
筆者には、引き続きの細やかな分析を期待したい。 -
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ネタバレ日本でもっとも幸福なのは、郊外に住む若者なのかもしれない。刺激は強いがストレスも多い大都市、自然は豊かだけどしがらみもキツい田舎、そんな二項対立の構図のちょうど間にスポット的に登場したのが郊外なのである。
仕事は低賃金だけれどもそこそこに、夜や週末は気の合う仲間とモールやファミレスで過ごし、家族とも仲良く同居しているのだけど車で移動するので地域コミュニティとの関係性は薄い。そんな郊外の若者像を切り取り、ほどほどにパラダイスな状況を解説している。
新書なので軽く読める感じであり、またアンケート自体を個人的に馴染みのある岡山県内で行なっているせいか、いろいろ具体的な人たちの顔を思い浮かべながら頷ける部分も多々あった内容だった。一方で面白おかしくするためにJPOPなどの時代背景を引っ張り出してくるのは良いアイディアだと思う。
■80年代 BOØWY(反発の時代)
氷室京介、布袋寅泰たちは地元を中心に、管理したがる大人社会への反発がテーマとなっていた。若者たちはいつも何かから逃げて解放されていた。漫画で言えば『シティーハンター』『北斗の拳』のように絶対的な悪と戦うことでカタルシスを感じさせるものが多い。
■90年代 B'z(努力の時代)
稲葉浩志、松本孝弘たちはとにかく自分が高みに登っていくことで自由になることを説く。若者は何もない地元を捨て、マゾヒスティックに戦い続けることで自分らしさを獲得する。漫画で言えば『ドラゴンボール』『スラムダンク』のように、自分を高めることでより強い相手と戦うことになる。
■00年代 Mr.Children(関係性の時代)
桜井和寿の詩はギラギラした反発や努力とは決別し、周囲に感謝することを説く。男女同権となって母性は弱くなり、女性は癒すものでも守るものでもなくなり、不安定な時代に対してともに歩いていくパートナーとなっていく。漫画で言えば『るろうに剣心』『ワンピース』のように、仲間を守り協力していくことで強敵に立ち向かっていく。
■10年代 KICK THE CAN CREW(地元の時代)
KREVAは仲間へのリスペクト、地元への愛情を恥ずかしげもなく歌う。都会に出ていくことはほとんどなくなり、むしろ地元を守りながら仲間と夢を叶えていくことで、自らのアイデンティティを獲得していく。漫画で言えば『NARUTO』『進撃の巨人』のように、自分たちのテリトリーを脅かす相手を仲間と協働しながら守っていく。
80~90年代に地元から逃げ、故郷を捨てていった若者たちは、再び地元に戻り始めている。しかしそれは必ずしも旧来の地域コミュニティと密接に関わっているということではなく、むしろ自分と同年代の気の置けない仲間たちのみで集まり、ちょっと離れたショッピングモールに出かけるといったライフスタイルが主流となっている。
そんな郊外で外の世界と隔絶した暮らしを送る地元志向の若者たちが、ホントの意味での地元振興に目覚める日は来るのであろうか。そのタイミングとなるのが子育てであり、スクールカーストのようにギャルが最上位になっている時代において、女性から地域コミュニティと繋がりはじめるのではないかという予測は至言である。 -
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ネタバレ【内容】 都会と田舎の間に出現した、魅力的な地方都市。若者が地方での生活に感じる幸せと不安とは―?気鋭の社会学者が岡山での社会調査を元に描き出す、リアルな地方社会の現実と新しい日本の姿。 (「BOOK」データベースより)
【感想】 地方にこもる若者の傾向を、調査から読み解く「現在編」。①地方都市の「ちょうどよい感じ」はが理想的な生活の場である。②家族と同世代の仲間で構成され、地域社会における煩わしい人間関係を排除したノイズレスな関係がある。③仕事への満足度を、やりがい(精神面)と親の支援(金銭面)によってカバーしている。といった地方都市に生きるものとして共感できるものがある。
Jポップの歌詞から若者の変容読み解く「歴史編」。80年代のBOOWY(反発の時代)→90年代のB'z(努力の時代)→90年代 のMr. Children(関係性の時代)→キック・ザ・カン・クルー(地元の時代)→ワンオクロック(ポスト地元の時代)という整理(P170)は、うまくまとまりすぎているが、何だか納得してしまう。人気の歌は、その時代の若者の思想・様相をうまく語っているのであろう。特に、Mr. Childrenの「関係性」の中に自分らしさを見出してきたというのは、そのとおりなのかもしれない。
これらの若者の傾向・変容の流れのなかで、これから地方都市でこもりながら「新しい公共」が育っていく可能性を筆者は提示する。このあたりは、さらなる調査・研究により深まればと思う。かつての安定した社会・公共性が崩れていくなかで、これからどのように私たちは、社会を生きるべきかを考える必要がある。そのきっかけは地方にあるのだろう。 -
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ネタバレ[ 内容 ]
私たちが求めるのは「理想の相手」か?
それとも「運命の物語」か?
「合コンは、誰もが参加できる平等な競争の場である」----広く共有されたこの前提は、実は幻想にすぎない。
男女は、まったくランダムに、真空状態のなかで出逢うのではない。
そこには社会の階層性が色濃く反映され、職業や年齢や容姿を軸にした序列がはっきりある。
私たちは、合コンを通して恋愛すべき相手と恋愛し、結婚すべき相手と結婚することで、社会構造の維持に貢献することになる。
合コンは、現代の私たちが出逢うために創りだした、そして今や私たちを取りこもうとする、まごうことなき「制度」である。
[ 目次 ]
第一章 出逢いはもはや突然ではない―合コンの社会学・序
第二章 運命を演出するために―相互行為儀礼としての合コン
第三章 運命の出逢いは訪れない―合コンの矛盾
第四章 運命の相手を射止めるために―女の戦術、男の戦略
第五章 運命の出逢いを弄ぶ―自己目的化する遊び
第六章 それでも運命は訪れる―合コン時代の恋愛と結婚
第七章 偶然でなくても、突然でなくても―合コンの社会学・結び
補論 合コン世代の仕事と恋愛―自由と安定のはざまで
おわりに
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
「社会学」という語に対するある種の胡散臭さと、「合コン」という語に対するうわついたイメージが、購買欲を刺激した。
昔はこういう「社会の風潮」を捉えた文章は大好きだった。そういうのがお得意な「AERA」なんかの週刊誌をよく買っていた時期もあった(特に高校生の頃ね)。
しかし今年ゼミに入って、それこそ毎週のようにレポートを書いては書き直して・・・の日々を送っていくうちに、こういう文章を読むと、「それホントかな?」というやや穿った見方を(今まで以上に)するようになってしまった。
「で、何が言いたいの?」という高慢な語が脳の中で跋扈し、反復される。
環境とは恐ろしいものである。
しかし「一般書」をそのような見方でこき下ろすのは、ある意味でルール違反なので、そういうのは一切捨象して感じたままに述べる(前置きが長い上にエラソーですみません)。
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・本書の最大の新しさは、阿部さんが言うように、「人は合コンでの出逢いに、唯一性を求めているのではないか(運命の出逢い)」という一仮説にあると思う。
阿部さんがさらに補足しているが、社会や対人関係が不安定なものになりつつあるからこそ、その安定を求めて「唯一性」を図るというのである。
確かに「運命の出逢い」(という思い込み)ほど、対人関係において強固な楔は他にないと思う。そりゃ相手が「運命のヒト」であれば、どんなつらいことだって乗り越えられるよね(なんか俺冷め切ってるな・・)。
ここらへんの論理展開が本書で一番興奮しました(つまり、阿部さんの書いた「補論」が一番楽しかったです)。
・北村さんが初めに言っていたように、確かに「合コン」というものをミクロにマクロに捉えているが、さらに要望するなら、学生がかつて行っていたという「合ハイ(合同ハイキング)」から「合コン」に移るプロセス、あるいは結婚が「お見合い」や「職場」という社会装置から「合コン」というそれに徐々にシフトしていくプロセスなど、言うなれば「縦の流れ」をもっとつぶさに分析して欲しかった。
・北村さんはジェンダーや経済的階層、文化的階層などが歴然として存在することを、あまりにも自明の理として語りすぎている気がする。経済的階層はともかくとしても、ジェンダーや文化的階層は受動側の認識によるところが大きいと個人的には思います(特に文化的階層について言わせてもらえば、「真に」文化的な人間など世界でもほんの一握りしかいないかと)。
・「おわりに」にて、一歩引いた視点で社会学について言及しているあたりは、とても好感が持てました。
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しかしこんな真面目にレビューするから変な風に思われるんだろうなあと思いつつ、レビューは一つの趣味なので、なかなかやめられません。
(2007年12月28日) -
Posted by ブクログ
最近の新書らしくさっと読める内容だった。著者たちはまさにこの本に書かれている世代であり、まさに自分たちのこととして書いているようだ。
31人のインタビューから導くというのはやや強引なようだが、読んでいて、それは確かによく聞く話であり、そうずれていないように思う。
面白いのは合コンで起きている様々な行為を社会学の視線で見てみるとどうなるか、という点だ。この本はそこは見事に書いていると思う。確かに合コンには作戦ありかけひきあり、共闘あり、絡まった欲望と抑制が複雑な場を作り上げている。その中での自分の振舞を考えないといけない訳だ。そこを解きほぐす。
結果、哀しい物語ができあがる。8人で進める囚人のジレンマみたいだ。
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Posted by ブクログ
コンという切り口をどこまで学術的に切り取れるのか、と興味本位で手に取ってみました。
結果、結構共感できるし、あたりまえのことをあたりまえに書くということがこのテーマに関しては結構面白いんだなぁというのが全体を通じた感想。テーマチョイス勝ち!みたいな。
偶然な出会いを生み出す行為としての合コンの抱える様々な矛盾を指摘していきます。
偶然を装った作為的な出会いであり。
協同でありかつ競争であったり。
公平であるはずが最初からフィルタリングされていたり。
出会いの手段の合コンが目的化してしまっていたり。
等々。
個別の論点はなかなか楽しめます。
抜粋
合コン時代の私たちは、運命の物語を阻む要素を排斥しつくそうとしてきた。しかし今、本当に出逢うために必要なのは、恋愛や結婚のなまなましい現実に対する耐性だろう。相手の年収や容姿に惹かれてしまう自分がいるということ、自分の年収や容姿が相手にとって重要だということ、結婚に際しては社会的経済的なバランスを考えずにはいられないということ、そうした事実に目を背けるのではなく、この手にとって確かめてみる。そのうえで、「運命」をつくっていけばいい。私たちはかつてない数のプロットが利用可能で、さらに新しい物語をつくるための資源もたくさんあるのだから。