八幡和郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
本書では、切れ味の鋭い歴史論評で知られる著者が、あの世にいる坂本龍馬になりきって、その波乱万丈な生涯と、幕末というどろどろとした激動の時代を改めて振り返る。
[ 目次 ]
第1章 高知城下で富豪の次男坊として生まれる
第2章 学問は苦手なので江戸にスポーツ遊学
第3章 勝海舟先生の秘書から薩摩に移籍する
第4章 薩長同盟で私にしかできなかったことは何か
第5章 海援隊と『船中八策』についての真相は
第6章 龍馬が生きていたら歴史は変わったか
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
本書は、創価学会という存在について、一般の読者にも理解できるよう、可能な限り事実に基づき、ありのままに描こうとしたものである。これまで出版されてきた類書の中でも、もっとも創価学会の実像に迫った一冊だと言えるだろう。
ただし重要なのは、客観的かつ事実に即して記述されているものの、必ずしも中立的ではないという点である。筆者自身は創価学会員ではないが、明らかに学会寄りの視点や主張が随所に見られる。この客観的だが中立的ではないという、一見矛盾した構造が成り立つ理由について考察したい。
巷にあふれる創価学会についての文書は、概ね次の4群に分類できる。
1.虚偽を多く含むもの
2.事実や史実など、ファクトに即したもの
3.ファクトに加え、創価学会員の思考や内在的論理にも踏み込むもの
4.内側にいる創価学会員自身の立場から書かれたもの
本書はこのうち 第三群 に分類される。
世間には第一群の文書が圧倒的に多い。たとえば、言論出版妨害事件や日蓮正宗からの破門といった事実の一部だけを切り取って、それより遥かに多くの虚偽を混ぜ込み、創価学会を批判するために脚色したものが典型である。これは、「ソクラテスは死刑になった」という事実の一側面だけを取り上げ、虚偽を付け加えて「歴史上の大悪党だった」との結論に導いているようなものだ。読みやすさはあっても、虚偽が多い時点で読む価値はない。
第二群には、いわゆる「中立」を標榜する書籍が多い。これらは事実に基づくため理解の助けにはなる。しかし、中立性を意識するあまり、高度経済成長期のコミュニティ提供や公明党設立による福祉の拡充といった社会的な役割からの視点のみに偏っており、信仰や教義の是非にはほとんど踏み込めていない。宗教団体の論評において、宗教について触れずに、社会的役割についてだけ論じているのは、小論文なら0点である。
一方、第三群は、社会的側面にとどまらず、信仰対象やその歴史的妥当性まで含めて、創価学会員の内在論理を検証するものである。
ここで「創価学会がどんな団体か知りたい」と考えるとき、第四群を手に取る人はまずいない。むしろ第三群すら避け、第一群や第二群に頼りがちである。しかし、第一・第二群の文書が第三群より真実に迫ることは、性質上あり得ない。それはなぜか。
創価学会をウニに例えてみよう。ウニを好きな人が創価学会員で、ウニを食べたことがない人が一般の人々だ。彼らからは、「気持ち悪い」「生臭い」「トゲトゲしい」など様々な意見が出るだろう。一部では、「ウニは化学兵器だ!」と叫ぶ人もいる。これが第一群の著者だ。確かに、毒ウニが存在するのは事実だが、それを拡大解釈し、「ウニで死ぬ人が多数いる」といった虚偽も加えて、真実から大きく逸脱してしまっている。そんな論説に価値はない。
第二群は「ウニには栄養がある」といった無機質なデータを語る。しかし食物の本質である“味”に触れることはない。これではウニを知ったことにはなりえない。
第三群の著者は「独特の風味があり、苦味と甘味があるらしい」と、伝聞ではあるが、味わいについても理解しようとする。しかし、どれほど論理的に説明されても、実際に美味しいかどうかは食べた人にしか分からない。
同じように、信仰も“信仰しないと分からない”側面がある。もちろん、団体として適切な批判であれば受け入れる必要はある。「食べ過ぎは痛風リスクを高める」などは正当な指摘だ。しかし、世に蔓延る批判のほとんどが、「ウニは本当はマズい食べ物だが、ウニ好きな彼らは盲信しているのでその真実に気づいていない」といった、そもそも論理として成立していないものなのだ。例えいかなる宗教であっても、その宗教の本質について、信仰者以上に詳しい一般人など存在し得ないことは留意されるべきである。ごく稀に、質の悪いウニを食べただけ、あるいはぺろっと舐めただけでウニを酷評する人間がいるが、彼らも本質を理解したとは言い難い。
話を戻すが、このように、第四群を除けば第三群がもっとも真実に迫っていると言える。ここで不思議なことは、この群の書籍は本書を含めて、創価学会に対して肯定的な論調が多いということだ。
この理由を性悪説に基づき短絡的に考えるなら「学会から買収されている」「学会を持ち上げて利益を得たがっている」といった想像が浮かぶかもしれない。しかし、より踏み込んで考えれば、「創価学会の内実を知ると、結果として好意的に評価せざるを得ない。なぜなら、そこに一定の魅力や論理があるからだ。」という可能性が高いといえる。
そもそも、そんな回り道をせずとも、漠然とした悪印象を持つ国民が多数派である以上、批判的に書いたほうが支持を得やすく、利益にもつながりやすいはずだ。にもかかわらず、第三群の著者が肯定的になるのは、それだけ“内実に触れると印象が変わる”ということを示唆していると言えよう。
ゆえに本書は、客観的でありのままを描いているが中立ではない、という一見矛盾した構造が成り立つのである。
もし本書を読んで「こんなのは創価学会の真実ではない!好意的に捉えすぎだ!」と矛盾を感じたのならば、むしろ矛盾の所在地は読者自身にあり、“悪印象に基づく偏った見方”をしていた可能性を考えるべきだろう。
結論としては、美味しいウニが食べたい。 -
Posted by ブクログ
日本、アジア、ヨーロッパなど日本史・世界史で習ってきた歴史の記述に一つの考え方を投じる内容。一つと言うのは、歴史は常にそれまでの物質的な発見や他の事実との整合性で新しい説が生まれるものであり、一度誤りとして無くなった後も再び通説となって復活もする。考え方の一つとして一気に古代から現代まで復習出来るので、歴史に少しでも興味のある方なら嬉しい内容。と、言いたい所ではあるが、多少人並みに、寧ろ日本史も世界史もやや得意だと認識していた自分から見てもやや難しかった。勿論記憶がだいぶ薄れたという時間的な問題はあるだろうが、特に日本史は時代背景だけでなく詳細に天皇系譜を覚えてないと難しい。学生時代にボロボロになるまで朱書きを入れた山川の教科書や用語集を引っ張り出して読みたい気分だが、最近はWikipediaなる便利な物もあるので一緒に調べながら読み進めると分かり易い。
こう言った書籍に触れる度にもう一度学校に通いたい、勉強したい意欲に駆られる。一つの考え方として受け容れつつも、多方面から情報収集して自分なりの歴史観を作っていく事が本当の勉強だと、今一度気付ける。
また、こうした歴史を基に現在と未来の問題解決の糸口を探す事が、未来に向かって良い歴史を作り出す事にも繋がっていくのではないかと感じる。一つ気になるのは「謎はない」という断ずるあたりがやや私の思考とは合わないぐらいか。私は前述の通り、今後も新しい発見があれば変わる余地はあると思っている。