郡司ペギオ-幸夫のレビュー一覧
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人工知能は、何ができるのかを考えていたら、この本に出会った。郡司ぺギオ幸夫は、人工知能、自然知能、天然知能があるという。人工知能の対義語は、自然知能であるが、著者は天然知能を人間が本来持つものであるとする。人工知能は、「自分にとって有益か有害かでわけ、自分に意味のあるもものだけを認識する。邪魔のものは、目にも入らない。知覚しない。知覚できたデータだけを問題として、まずデータを見せてくれという。経験によって鍛えられた一元的価値観。つまり、一人称的知性。」自然知能は、「自然科学が規定する知能。世界を理解する思考様式は、自然科学的思考。世界にとっての知識世界を構築する対処。問題や謎として知覚されたも
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AIとか大嫌いです。正確にはAIって良くわからないのに勉強もしていないのに言葉の印象だけでいろいろ言う人が多いので大嫌いです。本業のBIMについても同じです。AIとかBIMとか今日の明日でなにか凄いことできるわけないじゃないですか。なんでもコツコツやることとふとした思いつきと、とりあえずやってみっかのトライアルアンドエラー(これが一番大事だとおもうんです)の繰り返しなんですよほんとに。個人的にはAIやBIMの0.1パーセントくらいしか使いこなせてないと思っててまだまだ先は長いぜと溜息ついているとこです。
そんな中、またしてもペギオです。「天然知能」。人工知能でもなく自然知能でもなく「天然知能 -
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[ 内容 ]
生物と生命、脳と意識……生命理解に近づく第三の思考形態へ。
養老孟司氏推薦「彼の話はむずかしい。でも、その本気の思考が、じつに魅力的なのだ」
ロボットの痛み、手触りのあるプログラム、日本一のラーメン屋、就職できない若者、「アペオス」のコマーシャル――多彩なメタファーを縦横に駆使して、生命・脳と意識・進化の核心を解き明かす。
あの郡司理論が画期的にわかる、待望の1冊!
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後 -
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筆者は外部から想定もしない何ものかを受け入れる知の在り方を「天然知能」と呼ぶ。
それは得られた知識やデータの範囲で考える「人工」的な知のありかたと対置される。
からっぽの「わたし」の中に、外から霊感がもたらされる。
「天然表現」は、その外部に接続するための装置であり、その接続が作品化したものとされる。
「外部」の一つの例として挙げられるのは死だ。
たしかに存在するけれど、生きている誰にも知覚できないもの。
「わたし」の内側にある価値は、この外部と接触することにより無際限化し、質的に変化する。
これが創造であるという。
こういう考え方は、なんとなくなじみがある気がしてしまうのは気のせいだろう -
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モノ(個体)とコト(群れ)と解釈することによって、どのように生物が集団での動きを統制しているのか、というのが素人なりにもそれなりに理解できた一冊。あと生き物にとっての「我慢」とはなにか? というあたりもおもしろい。
あとこの我慢についての解説で、受動・能動の関係を統合したものを「受動的能動性」として、ダチョウ倶楽部の熱湯風呂コントの「どうぞどうぞ」で説明しているのだけど、ここがちょっとわかりにくかった。
受動・能動を区別しないという考えはわかるのだけど、そもそも生物における受動がこれまでどのように定義されてきたのかというのが、自分はよくわかっていないからかもしれない。
「受動的能動性」をバー -
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相変わらず意味があるのかないのかわからないことを、
意味があるのか無いのかわからないストーリーで展開する本。
科学書でなく、SFとして面白い。
今回の本は、群司さんの本にしては珍しくわかりやすく、面白い。
例によってよくわからない考えを述べた後、
だからこうなるはずだ、とかいって実際に実験orシミュレーションしたら、
ほら確かにこうなったでしょ、という郡司さんの手法は
いっそ謎のカタルシスがあって、この本は特にそれが濃い。
余談:
帯に書かれた池谷先生の推薦文は、推薦文のように見えるけど、
「そういうことがわかる読者は幸せだね」と言っているだけで、
うまいこと推薦文ではない推薦文を書いてい -
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毎日新聞の養老孟司書評によると「わかりにくい本を書く著者だったが、今回の著作はみごとにわかりやすくなっている。」とのコトだが、これまでの著作はホントに難しかったのだろうな。
群れがまるでひとつの生き物みたいに動くメカニズムを、実際の動物の群れを観察したり、コンピューター上でシミュレーションしたりして研究するわけだが、そんな研究をする問題意識の根底では「個体-群れ」の関係を「脳細胞-意識」になぞらえている。
群れをシミュレートしてみたモデルとして、バード・アンドロイドをもじった「ボイド」というやつがある。各個体は、周囲の個体の動きを観察して?衝突回避?速度(方向含む)平均化?群れ誘引といった -
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集団行動についての本かと思ったら、哲学、生物学、数学、ロボット情報学からダチョウ倶楽部までを縦横無人に駆け巡って、「ヤドカリは痛みを我慢する」など一部の内容以外は、ほとんど理解できないほど難解。少なくとも普通の新書レベルではない。
結論であるはずの、「意識は判定されるモノではなく、経験されるモノ・コトスペクトラムである。群れが意識を持つか、という問いは、群れが『経験される現象』であることを通して、逆に『経験されるしかない意識」というものを再認識させる問いであるといえるだろう』という本文最後の一文すら意味が分からない。
要は、群れと個体は、区別できない、という主旨でよいのか? -
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相当読むのが難しいですが大変示唆に富む新書です。しかも著者の名前がいい。武道において、自分と相手が一緒になってしまうみたいな話がありますが、それを、この本では「予期」と称して、この「予期」の相互作用によって、群れが形成されるとの仮説を展開していきます。正直なところ、非同期であるという点が「モノ」と「コト」のハイブリッド性に近づくあたりの記述は理解しきれていませんが、自己言及、差異、シニフィアンとシニフィエ、禅みたいなところを論ずる時に、群れという仕組みから出発するというのはアプローチとして有効であろうと感じるところです。しかし下北沢のB&B、うっかりこんな本が平積みされててやはり油断な