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何も閃かない、ネタ切れ、考えが浮かばない、アタマが硬い、センスに自信がない……。悩んでいてもいいアイデアは湧いてこない。それはふいに降りてくるものだ。従来の科学モデルでは説明できない想定外で不気味なものを思いつき、作り出そうとする、計算不可能な人間の創造力。それはどこからやってくるのだろうか。生命科学、哲学、文学から芸術理論までを自在に横断し、著者みずからも制作を実践することでみえてきた、想像もつかない世界の〈外部〉を召喚するための方法。
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Posted by ブクログ
筆者は外部から想定もしない何ものかを受け入れる知の在り方を「天然知能」と呼ぶ。 それは得られた知識やデータの範囲で考える「人工」的な知のありかたと対置される。 からっぽの「わたし」の中に、外から霊感がもたらされる。 「天然表現」は、その外部に接続するための装置であり、その接続が作品化したものとされる...続きを読む。 「外部」の一つの例として挙げられるのは死だ。 たしかに存在するけれど、生きている誰にも知覚できないもの。 「わたし」の内側にある価値は、この外部と接触することにより無際限化し、質的に変化する。 これが創造であるという。 こういう考え方は、なんとなくなじみがある気がしてしまうのは気のせいだろうか? デリダとか思い出してしまう。 死に近づくような体験により、人はトラウマを心に抱える。 生と死、内部と外部などの二項対立の構造がもつれ、入れ子構造となり、共立する矛盾状態(肯定的矛盾)を経て、意味は不確定なものになり、無際限に広がるものとなる、という。 この両立しえない二つのものが存在する矛盾の中で、二つの存在の意味が脱色される。 (筆者はこの辺りを、ラーメンかそばか迷った末に、どちらも食べずに帰ってしまう、といった例でも説明している。) この意味が脱色された状態とは、対立する二項の二つともがないという状態(否定的矛盾)となる。 そして、肯定的矛盾と否定的矛盾が共立する状況を、「トラウマ構造」と名付ける。 この構造の中に「わたし」があるとき、トラウマ構造が「わたし」に外部にふれさせ、創造につながる、と述べている。 ここまでいくと、なかなか腹落ち感がない…。 もはや読書が修行に近くなる。 が、他の部分は、こういった構想によりながら、筆者の「天然表現」創作の様子が説明されている。 段ボールを水に浸した後、べりべりと破って丸め、巨大な蚕のような形のものが無数に床に落ちている、といったものである。 創作も写真で紹介されているが、なかなか面白いというか、風変りというか、なんというか。 こういったものと併せて何度も例のトラウマ構造の話が繰り返されていくので、なんとなくわかったような、洗脳されたような気がしてくるのが不思議。
新書らしからぬ本だったが、すべて読むと、筆者の言わんとする意図的に、そうなるのもそうのような気がする。創造性が肯定的矛盾と否定的矛盾の淡いから立ち上がってくることを能動的に迎え入れる、こう振り返ってみると祭祀的な天然表現の世界を彼の実践を通して知ることになるのだが、面白かった。私にとって同じかは分か...続きを読むらないが。ちくま新書だと思って読み始めるとやや期待からずれる。
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創造性はどこからやってくるか ――天然表現の世界
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郡司ペギオ-幸夫
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