すぎたとおるのレビュー一覧
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ネタバレ幕末に日本史上最強の「剣客集団」として志士たちを震え上がらせた新撰組副長の土方歳三の伝記漫画。
明治を迎えて天寿を全うできなかった隊士の中で、土方は最後の最後まで戦い続けた点で、幹部の中でも特別ドラマ性の高い生涯であった。
近藤も土方も沖田も元々は武州・多摩の農民の出自である。
剣術が得意であったが、江戸幕府の身分制度の敷居は高く、武士には裏口を使ってもなかなかなれない。
本来ならば不満を抱えたまま一生を為す術なく終えるはずの身であった。
けれど黒船来航に始まる幕末の動乱が土方を歴史の表舞台へと登場させるに至る。
志士たちの暗躍する京都の治安を守るための浪士隊が結成され、近藤が隊長、土方が副長となった。
結成当時の新撰組は食い詰め浪人の集まりのようなもので、京都の人々にもその素行の悪さから「壬生狼(みぶろ)」などと蔑まれた。
そんな愚連隊のような集団を組織するには厳しい紀律が必要だった。
かくて「違反すれば切腹」という厳しい局中法度という鉄の掟が土方の主導の下に作られた。
この法度の違反で多くの隊士たちが敵との戦闘ではなく、切腹に追い込まれて命を落としていったのである。
そこには元々は士族の出身ではない土方の「より武士らしくあろうとした」羨望とも劣等感ともいえる感情が透けて見える。
確かに武力に優れた者たちを束ねるにはより厳しい力で押さえ付ける必要があった。
が、それが後年の新撰組内部粛清を誘発し、結成初期の同志たちの命さえ奪っていくことになるのである。
大政奉還後に近藤は斬首され、沖田は病死。土方はひとり各地を転戦する。
新撰組の生き残りとして、薩長が自身を許すなどとは考えられなかったのであろう。
土方自身に何らかの目的や思想があっての戦いというより、自らの死に場所を求めての流離に等しかった。
最後は五稜郭の戦いで戦死する。銃撃を受けての最後であったと伝わる。享年35歳。
「武士らしくあろうとした農民の戦いに明け暮れた生涯」であった。 -
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ネタバレ幕末の英雄の一人、長州の「吉田松陰」と「高杉晋作」の師弟関係を描いた伝記漫画。
前半は「吉田松陰」を中心に描いていき、長州藩の置かれた状況。
当時の外国船が頻繁に来航する中で、危機意識が高まる世相を描いていき、
その中にあって全国各地を飛び回り国を守るためにどうすればいいのかを探し回る松蔭を語る。
外国を倒すにはまず外国を知らねばならないと考えて
「ペリー艦隊に密航して、米国へ渡航しようとする」ほど直情的な松蔭は幕府から危険思想扱いされて投獄される。
自分の行動に何ら罪の意識を持っていない松蔭は、お調べの段階で老中暗殺を企んでいたことをベラベラと自ら話してしまい、処刑された。
跡を継ぐ形で、松蔭門下の弟子たちの活躍が始まる。晋作もその中の一人であった。
晋作もどちらかというと「直情型」の傾向が強く、長州の中では「過激派」と見なされて、「穏健派」の桂小五郎とは対極にあった。
けれど、無謀な事にはとことん反対する柔軟性も持ち合わせていたところから「単なる猪武者」ではない。
長州藩が御所の警備から追放されたことに怒って、京都へ攻め上ろうとしたときにも大反対。
後に初代内閣総理大臣になる伊藤博文は「高杉派」で、弟分のように付き従っていたらしい。
英国との戦いで長州藩が敗北した後の交渉の席で、領土である「彦島」を租借することが持ち出された際に、
晋作は「日本神話のイザナミノミコトの話」を持ち出して拒否。
日本の領土を掠め取られることを防いだ。後に通訳として同席した伊藤が苦笑してその際の事を話している。
土佐の坂本竜馬ともウマが合ったようで仲が良かった。けれど病魔が晋作の身体を蝕み、長州藩と幕府の戦いの最中、27歳の若さで病死する。
幕末の英雄は「戦死」「敗死」「自害」が圧倒的に多く、明治維新前の病死は「高杉晋作」くらいであろう。
維新を迎えてもこの男の奔放さである。
目次
第1章 寅次郎学ぶ
第2章 黒船来航
第3章 上海行
第4章 攘夷
第5章 おもしろきこともなき世をおもしろく… -
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ネタバレ武田信玄は跡目を弟と争ったうえ、父を追放して跡を継いでいる、
上杉謙信も、兄を追い出したうえで、跡をついでいる。
山国の甲斐国の国主となった信玄は隣国の信濃国を攻め、これを領土とすることで自国を富ませようとした。
関東には北条家が南の駿河には今川家がおり、南進は強敵と干戈を交えねばならないため苦肉の北進であっただろう。
問題は信濃国の村上義清・小笠原長時といった信玄に領土を奪われた旧領主たちが越後の上杉謙信を頼ったこと。
自らを毘沙門天の化身と信じる謙信に領土拡張の欲はなく、義のために関東管領職であった上杉家を継ぎ信玄・そして相模の北条氏康と干戈を交えた。
中国地方の毛利元就が一代で十か国を支配下に治めたのに比して、信玄は生涯を通しても甲斐・信濃・駿河の3国。
上杉・今川・北条という強国に挟まれた立地では、いずれかの国が勢力を衰えさせない限り、いずれは膠着状態の手詰まりになるのは時間の問題だった。
この辺りは大内氏・尼子氏の弱体化に上手く乗じた元就との差か。
謙信と空しい消耗戦を川中島に繰り返しているうちに尾張の織田信長が将軍・義昭を奉じて上洛を果たした。
その信長と義昭が不仲になると、信玄も謙信も反信長包囲網の中核と期待される。
駿河の今川家の弱体に乗じて南進が可能になり、ようやく上洛への道が開けたと思われた信玄も、
能登・越中の一向一揆に手を焼かされていた謙信も信長との決戦を前にして寿命が尽きてしまった。 -
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ネタバレ理想の世を目指し、鎌倉幕府
打倒に挑み続けた不屈の天皇!!
武士の世に即位した後醍醐天皇は、
天皇中心の政治体制を築こうと、
鎌倉幕府に戦いを挑む。
何度失敗してもあきらめず、
信念を貫いた後醍醐天皇の人生を描く!
南北朝の騒乱の大元になったともいえる人物「後醍醐天皇」の伝記漫画。
鎌倉時代末期。元寇以降幕府は弱体化し、世の中は乱れていた。
武士の世の中からかつてのような天皇親政の世の中にすることを願う後醍醐天皇は側近たちと謀議を重ねる。
けれど公家に武力はなく、また衰えたとはいえ未だ幕府の力は侮り難く討幕は容易ではなかった。
側近を各地に派遣して徐々に仲間を増やしていく天皇方だが・・その多くは「幕府に不満を持つ武士たち」である。
天皇親政の時代に戻すために武家政権を打倒そうとしているのに「同じ武士たちの力を借りる」。
ここにそもそもの矛盾があり、それが後々の建武親政の崩壊に繋がったのである。
討幕は叶ったものの、恩賞は公家や僧侶など何の手柄もないものたちに厚く、武家に薄かった。
これでは味方した武士たちの心が離れてしまうのも当然である。さらに御所造営費用などの名目で民の税金も上がった。
「天皇親政」は既に過去の時代の遺物と化しており、それを復活させるということは時代の流れに逆行する行為であった。
そこには「革新」はなく、旧例に復するのみであった。
尊氏たちによる武士政権の存続という折衷案を認められなかったことが、結局のところ「さらなる戦乱」を呼んでしまう。
「争い無き世を作る」ことが天皇親政の目的ではなかったのか?
それなら、既に目的は逸脱していた。天皇親政でなくとも「争い無き世は作れる」とは考えられなかったのか?
結局は天皇の我儘に過ぎず、その我儘のために天皇の子供や楠木正成・新田義貞等の多くの有能な武士たちが命を落とした。
「痛みを乗り越えてこそ新たな世が生まれる」と信じたであろう後醍醐天皇。
そこに「痛みを生まないようにするにはどうすればいいのか?」という視点は欠落していた。 -
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ネタバレ秀吉の縁戚であったことがまず彼の出世の階段を駆け上るための足掛かりになった。
農民上がりの秀吉には譜代の家臣がおらず、数少ない親戚関係の加藤清正や福島正則は頼りになる存在であった。
秀吉の正室のねねとは親子も同然の間柄。福島正則とは生涯を通じての親友であった。
豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人である。
各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国を与えられた。
秀吉没後は徳川氏の家臣となり、
関ヶ原の戦いの働きによって肥後国一国を与えられ、熊本藩主となった。
賤ヶ岳の七本槍の一人として歴史の表舞台に飛び出した清正であるが、
彼が戦場を思う存分駆け回れたのは朝鮮出兵の頃が最後。
秀吉の死後は落ち目の豊臣家と天下を手中にしようとする徳川家康との間を取り持つために奔走することになる。
天下分け目の関ヶ原の戦いにおいても九州にあった清正は、三成憎しの思いから東軍に加担。
戦後は肥後一国52万国の太守となったが、結果的に家康の天下取りに大きく貢献したことになってしまう。
虎退治、賤ヶ岳七本槍―――
忠義を貫いた豪傑の生き様
秀吉配下の豪の者、民を思うこと深き内政の巧者、
そして熊本城築城の英雄。
さまざまな側面をのぞかせる加藤清正の一生涯とは―――
○もくじ
第一章 少年夜叉若 ・・・・・・3
第二章 秀吉と虎之助 ・・・・・・25
第三章 賤ヶ岳七本槍 ・・・・・・45
第四章 太閤の意思を継いで ・・・・・・85
加藤清正をもっとよく知るための基礎知識
解説 ・・・・・・103
豆知識 ・・・・・・113
加藤清正関連年表 ・・・・・・116
監修者より ・・・・・・126 -
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ネタバレ伊達政宗の伝記マンガ。
幼い頃にかかった疱瘡(天然痘)のために右目を失った、戦国時代の奥州の武将、伊達政宗。
父から期待をかけられ 若くして家督を譲られるも、実母からは毒殺されかかったり、お家安泰のために弟を成敗したりと、苦悩もある。
豊臣秀吉が天下を治めた頃には、まだ血気盛んで、自らが天下をとりたかったとの野望があったため、秀吉からは目をつけられており、白装束や十字架を背負っての、歌舞いたアピールで伊達家を守ってきた。
なんだかんだで70才、徳川家光の世まで生き、伊達家は残ったのだから 力のある、魅力もある人物だったのだろう。 -
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ネタバレ人気の歴史人物シリーズ。
歴史で毛利元就、その名は知っていたけど、馴染みが薄かったので、登場人物や地名が 頭に入りにくいっ!(年か・・・)
すごい人だったのは わかった。
毛利氏は弱小地方豪族のだったため、元就の父が早くに隠居するのに付き添い、辛い幼少期をすごすも、知恵が闇を照らす明かりとなって、すすむべき道が見えてくると信じ、また、先祖が大江広元(源頼朝の下で守護地頭などの設置を実現させた人物)だという誇りをもって、孫子の兵法などを学んだ。
後に、権謀術数のかぎりをつくし、中国十カ国(九州の豊前までも)の太守として西国に覇をとなえるほどまでとなる・・・
有名な三本の矢のエピソードもですが、
家臣も含め、一族が一丸となって結束する力のすごさと、
その輪に入らなかったものへの 切り捨て・・・。
戦国の世だしね。
それでも、信長のように、全国統一とかを目標にしていたのではなく、だた、それは毛利家が存続するための闘いだったのだから すごいなあ〜 -
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ネタバレ人気の伝記シリーズ。
私が子どもの頃は、石田三成と言えば 頭はいいけど、ちょっとイヤミなかんじのイメージだった。それが近年、ドラマでイケメンが起用されたりと、ちょっと歴史的にも 昔とは違う立ち位置で語られるようになったりして・・・
もちろんこの本での三成は、頭が良いばかりでなく、豊臣秀吉に終生、忠義を尽くす姿が描かれている。頭が良く、秀吉に早く取り立てられたからこそ、嫉妬ややっかみも多かった、と。
秀吉が推し進めた朝鮮出兵を止められていたら、歴史は変わっていたんだろうな〜(そんなん、どの歴史でもIFはないのだけども)光成が、朝鮮出兵を辞めさせようと奔走した事をもっと知ってほしい。