岡田美智男のレビュー一覧

  • 〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション

    Posted by ブクログ

    とりたてて役には立たないのだけれど、そこに居ないとなんだか寂しい…
    ロボットを開発したり研究するなかで、そういった存在の大切さに気づく過程、と私は捉えた。

    0
    2026年01月12日
  • 〈弱いロボット〉から考える 人・社会・生きること

    Posted by ブクログ

     「弱いロボット」、コンセプトがとっても良いなと思い読むことにしました。

     完全無欠の独立機関ロボット、あるいはそのロボットを操作すること、そういう時代もあったとは思います。

     ですが、ここ20年くらいのロボット界隈?はちょっと状況が違っているようなのです。

     本書を読んでいると、画像とともに登場するロボット達はどれもこれも「不完全」です。

     例えば、「もこ」と言いながらヨタヨタと人に近づいて、結果として人にゴミを拾わせてしまうゴミ箱ロボットや、
    じ~~っとコチラを見つめておどおどしながらティッシュを配ったりアルコール消毒をしてくれる「アイ・ボーンズ」や、
    昔話を話す途中でもの忘れをしてしまい、人が教えてあげることで話が先に進む「トーキング・ボーンズ」などなど。

     こんなロボットがいてもいいの!?と一瞬なってしまう私は、一昔前の人種なのかもしれないです・・・。

     でも、それでもロボット達の「仕事」は成り立っているんだから、面白いです。

     こういった最近のロボット現象から、いろんな視点から社会や人間を考察することができるでしょうが、私はある意味、ロボットにも弱さがあることで社会が豊かになるのではないだろうか、と感じ取ったりしました。

     本書では、「自立」についての面白い視点も紹介されています。一言だけご紹介すると、「依存先を増やすこと」という逆説的な視点です。医師、科学者の熊谷晋一郎さんの視点です。

     ロボットですらこうなのだから、ヒトもそうあっていいのだろうと読んで思えました。

     もう少し社会が、一般的な自立が薄まって、本当の自立が濃くなるといいな、とも読後考えました。

    0
    2025年12月07日
  • 〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション

    Posted by ブクログ

    石黒浩著「アンドロイドは人間になれるか」(文春新書)と同様。人間を外化、モデル化することでコミュニケーションとは何か探っている。頭のいい人の話が、心に響かないのは、ご説ごもっともで自己完結しているためのようだ。

    以下、引用
    ● 部屋の壁や椅子を味方につけながら(そのことを意識しているかどうかはおいておくとして・・・)、結果として部屋のなかをまんべんなくお掃除してしまうロボット、それとプランをたてながらテキパキとお掃除をするちょっと進化したロボット。前者はちょっとゆきあたりばったりで、あまり深く考え込むことのない行動派タイプだろうか。後者はやや慎重に行動を選ぶけれど、なかなか臨機応変に振舞えない熟考派タイプ。さてどちらがスマートといえるのか。(中略)「行動派か熟考派か、あなたはどちらを選ぶのか」というのは好みの問題かもしれない。けれども、前者のゆきあたりばったりでの行動様式には学ぶところはありそうだ。その一つは「とりあえず動いてみよう」という姿勢だろう。いい加減にも思えるけれど、そのことで周りにあるモノや制約を生かしつつ、一つの物事を成し遂げてもいた。それと「偶然の出会いを一つの価値に変えている」というような側面もある。後者の熟考派タイプは、几帳面に淡々と物事をこなせるように見えるけれど、こうした意外性には欠けるようなのである。
    ●なぜ複雑な絵模様を描くのか。サイモン曰く、「この蟻の行動の軌跡の複雑さは、必ずしも蟻内部の複雑さを反映したものではないだろう。むしろ、その多くはその蟻を取り巻いている環境の複雑さを反映したものなのではないのか」
    ●わたしたちの身体というのは、自分の内側から眺めるとき、必ずしも完結したものになっていない。そうしたこともあり、それを取り囲んでいる周囲を味方につけながら、それらと一緒になって一つのシステムを作ろうとする。そのように外に開いた「オープンなシステム」としてとらえなおすことができるだろう。
    ●自分の内側からは自分の姿が見えないように、いま自分はどんな状態にあるのか、どこに進もうとしているのか、自分のなかからはじゅうぶんに把握できない。同様に、自分の行為の意味なのに、自分のなかに閉じていては知りえない。なんとも心もとないことなのだけれど、そうした制約というか、自らの<不完結さ>を、わたしたちを取り囲んでいる周囲を味方につけながら克服しているようなのだ。いわゆるクルマを運転するコツは、自分の力だけでクルマを操りたいというこだわり捨てて、自分の行為をいったん周囲に委ね、結果としてその周囲からナビゲートしてもらうという方略の転換にありそうだ。周囲と一緒に「一つのシステム」」を作りながらクルマを操るというスタンスを取れるかどうかだろう。
    ●言葉を繰り出そうとするときというのは、この自らクルマを操ろうとする場面によく似ている。それを繰り出す瞬間において、その発話の意味や価値は必ずしも完結したものではない。そこで伝えたいことも漠然としている。それでも、なにげなく言葉を繰り出すなかで、その意味や役割がおぼろげに見えてくるのだ。
    ●一つの製品の価値や役割を完結させ、それを確かなものとして届けるというのは、企業とユーザーのあいだの一つのコミュニケーションの姿にはちがいない。けれども、こうしてユーザーに半ば委ねながら、一緒になってオリジナルな価値や意味を生みだしていくというプロセスも、一つのコミュニケーションの姿ではないかと思う。ここでも「とりたてて役にたちそうもない」というロボットの<不完結さ>が以外にも肝になっているようだ。ユーザーに委ねつつ、その解釈や意味づけに参加する余地を与える。そのことで、モノの意味や価値を生みだす主役は、送り手である企業から、むしろ受け手側のユーザーに半ば移っている。あるいは、企業とユーザーとが一緒に新たな価値や意味を作り出すという共同の場を生みだしている。(中略)いまではオープンイノベーションという言葉がある。(中略)その意味で<AIBO>はそのはしりだったかもしれない。
    ●この「倒れそうになる動作をむしろ歩行に生かす・・・」とうスタンスは、この歩くという行為に限らず、」いろいろなところに見いだせるように思う。(中略)先に紹介した、「でー、柱、黒い、黒い柱が、おっきい太い黒い柱が、ぬっと出ている、なんていうかなあ・・・」という発話なども、ほんのすこし前のめりになって歩く感じがする。(中略)結果としては、多くのいい直しやいい淀みをともなう非流暢な発話になってしまうのだけれど、よそゆきで流暢な言葉よりも、むしろ「自分にすーっと近づいてくる」ような感じがする。こうした発話に対して聞き手として思わず耳を貸してあげてしまうのだ。なにげなく歩くときの地面との切り結びの様式に、あるいは重力に逆らいつつも、「おっとっと」と身体のバランスを維持しようとする姿に、ある種の同型性を感じてしまう。これは試行錯誤しながらの発話に対しても同様なのだ。
    ●先に述べたように、わたしたちの共同行為を生みだすためのポイントは、自らの状況を相手からも参照可能なように表示しておくことである。「いま、どんなことをしようとしているのか」「どんなことに困っているのか」、そうした<弱さ>を隠さず、ためらうことなく開示しておくことで、お掃除ロボットは周りの手助けを上手にひきだしているようなのである。もうひとつのポイントは、相手に対する<敬意>や<信頼>のようなものではないだろうか。お互いの<弱い>ところを開示しあい、そして補いあう。一方でその<強み>を称えあってもいる。(中略)人とロボットの共生という言葉があるけれど、自らをわきまえたお掃除ロボットは、わたしたちとのあいだで、持ちつ持たれつという共生をちゃっかり成功ささせているようなのである。

    0
    2022年03月05日