感情タグBEST3
Posted by ブクログ 2022年06月11日
間借り本屋トカクで取り扱っている本の紹介。
弱いロボットを初めて認識したのは確かインターネットの記事だったと思う
そこで紹介されていたのは 自分ではゴミを拾えないゴミ箱ロボットの話だった
ゴミを見つけるとオロオロオロオロとその 周辺を周り まるで困っているかのように見せる
そして通りがかりの...続きを読む人が拾って 自分の中にゴミを入れてくれたら まるでありがとうと言うように礼をするのだ
これめちゃくちゃ可愛いなと思ったのは 覚えている
この岡田先生の本に出てくるロボットは 一般的に想像されるような便利なロボットではない
愛玩のロボットに近いがそれに全て当てはまるというわけではない
難しい話はしないがきっと目の前にこれらのロボットがいたらめちゃくちゃ可愛いんだろうなと思う
可愛いと言うか愛おしいと言うか
想像するだけでキュンキュンしてくる
それは例えば 言葉の通じない生き物が2匹でじゃれあってるのを目の前で見るとか 何も言わずぎゅっと 袖を握ってくるそのいじましさとか そういうものだ
Posted by ブクログ 2021年01月07日
国語科の教科書に岡田さんの文章が載っているので,教材研究として読んだ。テクノロジーの進化は豊かな生活を生み出すけれど,その先には何があるのかという岡田さんからの問いかけ。人とロボット,そして人と人をつなぐきっかけとなるロボットの発明は今後必要だろうと感じた。
そして,弱さを見せ合い,それぞれの強み...続きを読むを出し合って支え合うことの大切さを改めて感じさせられた。
Posted by ブクログ 2021年11月16日
「弱さ」の価値を、ロボットとのコミュニケーションを通して考えた本。
「なんでもできるロボット」は、ひとつでもできないことがあると「何でできないのか」「こうしてほしいのになぜしないのか」と責められてしまう。反対に、「できないことの多いロボット」や「そもそも役に立っているのかよくわからないロボット」は、...続きを読む人を手伝ってあげたい気にさせたり、意外に役に立つものだと思わせたりしてしまうらしい。
なんか、これを子どもに当てはめると可哀想な気持ちが湧いてくる。「できる子」ほど出来ていないところを厳しく指摘されて出来るようになるまで追い立てられて、「できない子」はちょっと出来るようになっただけで褒められたり、存在価値を認められたり、という現実の姿に重なってしまう。
能力主義(メリトクラシー)の功罪が主に経済格差の観点から指摘されるようになっているけれど、こういうコミュニケーションの側面からも問題が指摘される必要があるなぁ、と思った。
Posted by ブクログ 2020年11月24日
お掃除ロボットの理想像は、人間が何もしなくても部屋を掃除してくれるというもの。現在、ルンバに代表されるお掃除ロボットは、椅子の下や物が置かれた場所は掃除できないため、人間がわざわざ椅子をずらしたり、床から物を排除したりしなければならない。そこにはロボットと人間の双方向のコミュニケーションがあるという...続きを読む。
確かに理想的なロボットでは、人間は読書や仕事など自分の興味に集中する傍らでロボットは掃除するという、ディスコミュニケーションが生まれる。しかしルンバの行く先を予測し、人間はその先にある障害物を取り除いてあげる、その結果ルンバは部屋をきれいにする。一見、面倒な作業が見方を変えるとロボットとコミュニケーションしているという発想が非常に面白かった。
その他、自分で拾わず人間にごみを拾ってもらい、お礼を言うゴミ箱ロボットや、雑談をするだけのロボットなど、いずれも不完全で人間がいないと能力を発揮できない代物が次から次へと本書には登場する。
ロボットにとってかわる未来に恐怖心が募るご時世だが、案外こうした"弱い"ロボットとの共生が理想的な社会なのかもしれない。
Posted by ブクログ 2019年04月17日
むちゃくちゃ面白かった。「弱い」ロボットとはどういうことか。市場のわがままに答えて「役に立つ優秀な人の代わりになる」ロボットを作ろうとすると、ロボットはどんどん効果になり、正確性を求めて融通が利かなくなり、人との関係性は固定化されたものになり、人とロボットとのコミュニケーションは薄れる。人はもっと完...続きを読む璧なものを、と傲慢になる。人と関係を結ぼうともじもじすることは内に向かっているようで外とつながりを求めていること。それを見て人はつい手を差し伸べたくなる。それが「人らしい」コミュニケーションの一面ではないか。人との意思疎通に悩む人、人の「気持ち」を理解するのが苦手だと思っている人におすすめ。
Posted by ブクログ 2022年08月06日
『弱いロボット』から約5年後に書かれた本書は、新書らしく、「弱いロボット」という概念の思想を体系的に述べており、合わせて読むとおもしろい。
圧力がある存在は抵抗があるが、一方で存在感がないと社会の一員になれない、その谷の乗り越え方は、単に「非力」「低能力」ということではない。「弱い」という語からはそ...続きを読むのような印象も受けるが、それでは社会に組み込まれない、お互いの不安定さを支え合う信頼性、という考察は興味深い。
・ロボットにお掃除してもらうのはうれしいけど、ほんの少し手助けになれているという感覚も捨てがたい。
・「とりあえず動いてみよう」→周囲のものや制約を生かしつつ、一つの物事を成し遂げる。
偶然の出会いを、一つの価値に変えている。
・行為は、状況の中に組み込まれている。
・わたしたちは目の前にあ...続きを読むる対象の振る舞いを引き起こした原因を探るとき、
その対象の内側で起こっていることに帰属させやすい。
・自分の立場から考えるとき、今度はその要因を、自分の外に求めている。
・自分の内側からは、その身体の一部や、自分の顔は見えない。
しかし、とりあえず動きだすことで、初めて自分の姿がそこに立ち現れる。
・クルマを動かすには、その景観の流れを動かし、クルマを止めるには、その流れを止める。
・クルマを運転するコツは、自分の力だけでクルマを操りたいというこだわりを捨てて、自分の行為をいったんは周囲に委ね、
結果として、その周囲からナビゲートしてもらうこと。
そこでのポイントは、周囲と一緒に「一つのシステム」を作りながら、クルマを操るというスタンスを取れるかどうかである。
・言葉を繰り出そうとするときというのは、自らクルマを操ろうとする場面によく似ている。
それを繰り出す瞬間において、その発話の意味や価値は、必ずしも完結したものではない。
そこで伝えたいことも漠然としている。
それでも、なにげなく言葉を繰り出す中で、その言葉の意味や役割がおぼろげに見えてくる。
漠然としたイメージを、とりあえず言葉にしては、自分で表現したかったこととの差異や、
相手の関心の具合を参照しながら、そこで足りないところを補足していく。
「言い直し」を繰り返すことで、次第に伝えたいことが精緻化されていく。
なにげない発話を繰り返すということが「思考の道具」となっている。
・なんでもできるロボット→まかせきり→どんどん高値に。融通利かなくなる→ディスコミュニケーション
・弱いロボット→共同作業→コミュニケーション
・文章を書くこととは、その文脈の中に、とりあえず言葉を流し込んでいくということ。
地面になにげなく一歩を踏み出すように、文の断片を一つ一つ文脈の中に流し込んでみる。
個々の表現で全てを伝えようとするのではなく、むしろ文脈の力を借りながら伝える。
Posted by ブクログ 2018年08月14日
この蟻の行動の軌跡の複雑さは、必ずしも蟻内部の複雑さを反映したものではない。むしろ、その多くは、その蟻を取り巻いている環境の複雑さを反映したもの
人の流れ、通りの看板、由緒ある石畳の路地、建物の装飾など、その町が私たちを歩かせてもいる
Posted by ブクログ 2018年03月06日
☆1つマイナスにしたのは思ったより専門的な言葉が多くて、とっつきにくい面があったから。ロボットや工学に興味のある人はいいんだろうけれど、文系の私には少し読みづらさがありました。
でも紹介されている〈弱いロボット〉たちは新鮮で、そこから導かれる支えあいの関係性も非常に納得がいくものでおもしろかったで...続きを読むす。
Posted by ブクログ 2017年08月04日
人の手が介在する余地を残していたり、不完全さ故に人が歩み寄りたくなるロボットの話。
週刊ロビでゴミ箱ロボットのことは知っていたが、そのコンセプトまではよくわからなかったので面白く読めた。技術屋の端くれとして、際限ない機能の向上や要求に対応するアプローチの一つとして覚えておきたい視点。
文章は読み易か...続きを読むったが、どういう意味合いで使っているかわかりにくいカタカナ語や用語がいくつかあったり、肝心のロボットの機能面の説明が少なく頭に描きにくいところがあったのはもう一つ。
Posted by ブクログ 2022年03月05日
石黒浩著「アンドロイドは人間になれるか」(文春新書)と同様。人間を外化、モデル化することでコミュニケーションとは何か探っている。頭のいい人の話が、心に響かないのは、ご説ごもっともで自己完結しているためのようだ。
以下、引用
● 部屋の壁や椅子を味方につけながら(そのことを意識しているかどうかはおい...続きを読むておくとして・・・)、結果として部屋のなかをまんべんなくお掃除してしまうロボット、それとプランをたてながらテキパキとお掃除をするちょっと進化したロボット。前者はちょっとゆきあたりばったりで、あまり深く考え込むことのない行動派タイプだろうか。後者はやや慎重に行動を選ぶけれど、なかなか臨機応変に振舞えない熟考派タイプ。さてどちらがスマートといえるのか。(中略)「行動派か熟考派か、あなたはどちらを選ぶのか」というのは好みの問題かもしれない。けれども、前者のゆきあたりばったりでの行動様式には学ぶところはありそうだ。その一つは「とりあえず動いてみよう」という姿勢だろう。いい加減にも思えるけれど、そのことで周りにあるモノや制約を生かしつつ、一つの物事を成し遂げてもいた。それと「偶然の出会いを一つの価値に変えている」というような側面もある。後者の熟考派タイプは、几帳面に淡々と物事をこなせるように見えるけれど、こうした意外性には欠けるようなのである。
●なぜ複雑な絵模様を描くのか。サイモン曰く、「この蟻の行動の軌跡の複雑さは、必ずしも蟻内部の複雑さを反映したものではないだろう。むしろ、その多くはその蟻を取り巻いている環境の複雑さを反映したものなのではないのか」
●わたしたちの身体というのは、自分の内側から眺めるとき、必ずしも完結したものになっていない。そうしたこともあり、それを取り囲んでいる周囲を味方につけながら、それらと一緒になって一つのシステムを作ろうとする。そのように外に開いた「オープンなシステム」としてとらえなおすことができるだろう。
●自分の内側からは自分の姿が見えないように、いま自分はどんな状態にあるのか、どこに進もうとしているのか、自分のなかからはじゅうぶんに把握できない。同様に、自分の行為の意味なのに、自分のなかに閉じていては知りえない。なんとも心もとないことなのだけれど、そうした制約というか、自らの<不完結さ>を、わたしたちを取り囲んでいる周囲を味方につけながら克服しているようなのだ。いわゆるクルマを運転するコツは、自分の力だけでクルマを操りたいというこだわり捨てて、自分の行為をいったん周囲に委ね、結果としてその周囲からナビゲートしてもらうという方略の転換にありそうだ。周囲と一緒に「一つのシステム」」を作りながらクルマを操るというスタンスを取れるかどうかだろう。
●言葉を繰り出そうとするときというのは、この自らクルマを操ろうとする場面によく似ている。それを繰り出す瞬間において、その発話の意味や価値は必ずしも完結したものではない。そこで伝えたいことも漠然としている。それでも、なにげなく言葉を繰り出すなかで、その意味や役割がおぼろげに見えてくるのだ。
●一つの製品の価値や役割を完結させ、それを確かなものとして届けるというのは、企業とユーザーのあいだの一つのコミュニケーションの姿にはちがいない。けれども、こうしてユーザーに半ば委ねながら、一緒になってオリジナルな価値や意味を生みだしていくというプロセスも、一つのコミュニケーションの姿ではないかと思う。ここでも「とりたてて役にたちそうもない」というロボットの<不完結さ>が以外にも肝になっているようだ。ユーザーに委ねつつ、その解釈や意味づけに参加する余地を与える。そのことで、モノの意味や価値を生みだす主役は、送り手である企業から、むしろ受け手側のユーザーに半ば移っている。あるいは、企業とユーザーとが一緒に新たな価値や意味を作り出すという共同の場を生みだしている。(中略)いまではオープンイノベーションという言葉がある。(中略)その意味で<AIBO>はそのはしりだったかもしれない。
●この「倒れそうになる動作をむしろ歩行に生かす・・・」とうスタンスは、この歩くという行為に限らず、」いろいろなところに見いだせるように思う。(中略)先に紹介した、「でー、柱、黒い、黒い柱が、おっきい太い黒い柱が、ぬっと出ている、なんていうかなあ・・・」という発話なども、ほんのすこし前のめりになって歩く感じがする。(中略)結果としては、多くのいい直しやいい淀みをともなう非流暢な発話になってしまうのだけれど、よそゆきで流暢な言葉よりも、むしろ「自分にすーっと近づいてくる」ような感じがする。こうした発話に対して聞き手として思わず耳を貸してあげてしまうのだ。なにげなく歩くときの地面との切り結びの様式に、あるいは重力に逆らいつつも、「おっとっと」と身体のバランスを維持しようとする姿に、ある種の同型性を感じてしまう。これは試行錯誤しながらの発話に対しても同様なのだ。
●先に述べたように、わたしたちの共同行為を生みだすためのポイントは、自らの状況を相手からも参照可能なように表示しておくことである。「いま、どんなことをしようとしているのか」「どんなことに困っているのか」、そうした<弱さ>を隠さず、ためらうことなく開示しておくことで、お掃除ロボットは周りの手助けを上手にひきだしているようなのである。もうひとつのポイントは、相手に対する<敬意>や<信頼>のようなものではないだろうか。お互いの<弱い>ところを開示しあい、そして補いあう。一方でその<強み>を称えあってもいる。(中略)人とロボットの共生という言葉があるけれど、自らをわきまえたお掃除ロボットは、わたしたちとのあいだで、持ちつ持たれつという共生をちゃっかり成功ささせているようなのである。