加藤康男のレビュー一覧
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「私生活」という割には、結局普段は具体的に何してたの??という疑問は残ったが、
滅びゆく清朝の最末期の皇帝の人生や人となりを垣間見ることができた。
知れば知るほど
「鶏カゴに入ったら鶏になれ、犬小屋に入ったら犬になれ」
という諺をそのまま恐ろしいほどに体現した人だったんだな、と思った。
哀れでもあり、同情すべきでもあり、
滑稽で嘲笑に値するものでもあり、
怒りや軽蔑の感情をもこちらに抱かせる人物だった。
非常に良くできているドキュメンタリーだが、この一冊だけで溥儀の人物像を固めたくないので、彼の英語教師だった人物が書いたとされる本も読んでみようと思う。
また、この本により、
溥儀の皇后・婉 -
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張作霖を運んだナゾの車
同乗した儀我少佐の談によれば、張作霖は生きていた。しかし、ナゾの車で運ばれ、その後、死に至るまでの経緯が全くの謎である。なぜ病院に行かなかったのか。どのように死んだのか。死因は何か。車が手配されたというが、誰の手配なのか。
事故直後の張作霖
そもそも、尾崎義春氏『陸軍を動かした人々』によれば、”爆破が不成功に終れば列車を転覆させるように仕掛けてあり、警急集合中の部隊を率いて襲撃する”予定だったようである。。儀我少佐の談に張作霖は、即死ではない。呼びかけにもこたえている。
使用された火薬は、日本製か?
渡辺昇一の本「決定版・日本史 (扶桑社BOOKS)」には、火 -
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歴史の真実を辿るのは時間の経過と共に難しくなる。当時の状況をその場で体験した人物が生きていれば、仮にその人物が嘘偽りなく全てを語ったのであれば、かなり真実に近づくこともできる。実際には思い込みや記憶違いもあるし、その人物自体が別の人物や組織に騙される様な立場にあれば、はなから記憶や認識に誤りがある事もあり得る。だから歴史を完全に正しいものとして振り返るのは絶対に無理と思えるような作業だ。だが人は歴史を振り返り、歴史から学ぶ。そしてそれを未来や生き方に活かそうとするから、歴史探究の旅は求める人類が存在する限りに於いては、永遠に続く作業でもある。
かつての大日本帝国が大陸中国に活路を見出し、中国と -
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えええええええええ!
がっくしです
ひまちゃんがっくし
ぜんぜん書いてない
”悲劇の天才将軍”と銘打ちながら、石原莞爾がどうして天才と呼ばれたのか、ぜんぜん書いてない
いやぜんぜんは言い過ぎかもしれんが、ほとんど書いてない
なんでやねん!
入門書的な位置付けなのかな、石原莞爾が生きた時代をなぞってはいるが、そこで石原莞爾がどういう役割に担ったかといったことをあまり深掘りしてない
よく言われる東條英機との確執もあまりにサラッと、サラサラヘアー(いらんねん)
一番の衝撃は、東京裁判に向かう石原莞爾が乗るリアカーを引いていたのが、大山倍達だったことかな〜 -
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何度となく読んで来た石原 莞爾(いしわら かんじ)に関する書籍であるが、終戦記念日も近づく夏になると、本屋の新刊コーナーには何年かごとに繰り返し、石原莞爾関連の書籍が並ぶ。彼に関する研究は多くの歴史家が行ってきたが、軍人というよりも思想家と読んだ方が相応しい。
石原莞爾は1889年(明治22年)に山形県西田川郡鶴岡城下日和町に生まれる。これは現在の鶴岡市である。最終階級は陸軍中将。幼くして成績優秀、将来は陸軍大将になることを夢見ていた少年だったという。陸軍中央幼年学校(本科)入校の頃、軍に従事するための基礎教育訓練を受ける傍ら、宗教家田中智學の『妙法蓮華経』に関する本を読み始めている。石原とい -
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日本が太平洋戦争に突入し、緒戦の勢いを失いかけていた頃、国内では密かに東條英機暗殺計画が計画されていた。その一端を担っていたのが皇族であったという衝撃的な内容である。時の首相東條英機と言えば、ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニと並び東洋の悪鬼として、第二次世界大戦全体での悪の代表格とされている。ヨーロッパでは既にドイツの敗北が濃厚視されていた頃、国内では内閣総理大臣だけでなく、陸軍大臣そして参謀総長までを兼任し、1人三役で昭和天皇に上奏するなど内政から戦争指導、作戦まで1人で権力を振りかざして決められる立ち位置にあった。確かに権力は集中し側から見れば「独裁者」としての東條が当時の日本を動