あらすじ
昭和三年六月四日早朝、満州を支配していた奉天派の大元帥・張作霖は、北京から奉天への帰路途上、乗車していた列車が爆破炎上して暗殺された。満州事変のきっかけとなったこの事件は、戦後、本人の自白をもとに関東軍の高級参謀河本大作による犯行との説が定着していたが、近年この定説が覆されようとしている。証拠、証言が多数あった河本犯行説はなぜ破綻したのか? 暗躍するソ連特務機関の影。長男・張学良周辺の不穏な動き。発掘された新資料の数々――真犯人はいったい誰なのか? 昭和史の大きな謎に迫る。[第1章]「河本大作首謀説」をめぐって――爆殺計画/現場検証/昭和天皇と田中義一首相 [第2章]「コミンテルン説」「張学良説」の根拠――クレムリンの極秘ファイル/張学良の謀略 [第3章]謎の解明・「河本首謀説」の絶対矛盾――関東軍爆破の疑問/昭和史の闇に決着
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Posted by ブクログ
張作霖を運んだナゾの車
同乗した儀我少佐の談によれば、張作霖は生きていた。しかし、ナゾの車で運ばれ、その後、死に至るまでの経緯が全くの謎である。なぜ病院に行かなかったのか。どのように死んだのか。死因は何か。車が手配されたというが、誰の手配なのか。
事故直後の張作霖
そもそも、尾崎義春氏『陸軍を動かした人々』によれば、”爆破が不成功に終れば列車を転覆させるように仕掛けてあり、警急集合中の部隊を率いて襲撃する”予定だったようである。。儀我少佐の談に張作霖は、即死ではない。呼びかけにもこたえている。
使用された火薬は、日本製か?
渡辺昇一の本「決定版・日本史 (扶桑社BOOKS)」には、火薬が”ソ連製”だったという英国諜報部の電報があるとのことだが、本書では議論されていない。
英国がどのような過程で、”ソ連製”だと断定したかわからないが、その根拠は確かめるのは容易ではないと思う。どうやって確かめたか。日本軍の統制下にある鉄道で、爆薬を仕掛けるのも確かめるのも容易なことではない。
また、関東軍がわざと”ソ連製の火薬”を使ったという可能性もある。
東京裁判のナゾ
河本大佐が東京裁判で、なぜ裁かれなかったのか。
もし、河本大佐が首謀者ならば戦争責任者として、裁かれるべきであった。しかし、東京裁判に出廷していない。この理由は何なのか? 背景にどのような事情があるのか。