森山徹のレビュー一覧
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心の定義の提案から始まる本書。
「心という言葉」は抽象的だからこそ、捉えどころがない。
非日常の代表である科学の現場では、心という言葉によって把握されるのは、「脳の一機能」あるいは「脳の一部分」という概念。
一方で、心が「脳の特定部位」ならば、その機能を失った同僚に対して、科学者は、心を失った人と扱うことはないだろう。その同僚を前にして「彼には心がある」とその科学者が把握する概念が日常的な心の概念であり、それは、「私の内にあるもう一人の私」だとする。
そこから発展して、心の日常的な概念、内なるわたくしは、「隠れた活動部位」であり、普段は抑制されているものの未知の状況に遭遇すると発現してし -
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ダンゴムシに心があるかの研究。「石に心があるか」などの議論から敷衍的にダンゴムシの心を導くが、綱引きしたダンゴムシの馬乗り行動が見られるなど、興味深い論点もある。
読んで思ったのが、石にも心があるという議論をするならば、逆に「心のなさ」を導く議論をするのは難しいよね。ダンゴムシにもきっと心はあると私は思うけど、「サボテンに感情があるというが、あってどうするんだろう」という漫画の話と似ていて、ダンゴムシに心が「あってどうするんだろう」という議論になる気がする。そういう議論にも面白さはあるけど、ないことの証明があることの証明より難しいとはよく言ったもので、ない、無意味、という議論自体が閉じられて -
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PHPのサイエンスワールドというシリーズがあることを知らなかった。そしてダンゴムシに心があることも知らなかった。そんな知らないことだらけのダンゴムシの心を知ることができてほんとうに幸せだ。
そして日本語が美しい。うつろい、という言葉を使って心の動きを表現されるとはかなりセンスの良さを感じる。
一言でいうとダンゴムシを通じて知る自分の心という感じか。特に第1章の「どうしてこのような行動を発現させられたのか」という問いが伏線となって、第3章の『ダンゴムシ実験の動物行動学的意味』は本当に充実しているので自分自身をよく知ることができる。
3章の「自律」に関する説明は、交流分析の「今ここへの直接的 -
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震災の年に出版され、新聞でも紹介されていたので気になっていたが、そのままにしてしまっていた本である。科学にとって最も扱いにくい「心」を正面から扱った斬新な研究である。しかし、その実験は至って平凡なものであり、地道な観察を積み重ねたものである。
筆者のいう「心」とは、自分の中にある内なる自分であり、それがダンゴムシならば、表面的には見られない「内なるダンゴムシ」のことを言う。不断は隠れていて見えないが、いざという時にふと表面に出てくる。これを実験で浮き彫りにするために、通常では考えられない特殊な状況を作り出し、その時にどのような行動をするのかを丁寧に観察する。その状況が本能のルールでは対処で -
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ネタバレ内容情報
[日販MARCより]
心とは何か。庭先によくいる、小さくて丸くなるダンゴムシにも心はあるのか。大脳がないダンゴムシにも心があり、道具を使う知能もあることを示唆するユニークな実験の数々を紹介し、「心-脳」問題に一石を投ずる。
[BOOKデータベースより]
「ファーブル昆虫記」にも出てくる、庭先によくいる小さくて丸くなるダンゴムシ。このダンゴムシにも「心」があると考え、行動実験を試みた若い研究者がいた。迷路実験、行き止まり実験、水包囲実験など、未知の状況と課題を与え、ついにダンゴムシから「常識」では考えられない突飛な行動を引き出すことに成功した。大脳がないダンゴムシにも心があり、道具を使 -
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我が家でもダンゴムシはたくさん生息しており、過去どれぐらいのダンゴムシを殺してきたか判らない。
微々たるモノではあるやはり食害はあるので一応害虫の扱いを受ける虫なのである。青虫などに比べると可愛いモノであるがなんといっても徒党を組んで生息しているのがいけない。
本書はそのダンゴムシに心があるかどうかがテーマである、森山先生は長年ダンゴムシの研究をとおして認知科学という学問を追究されていらっしゃる。
心があるかどうかと言うことを研究する場合、当然に先ずは心とは何か、どういう状態があれば心があると言えるのかという事を検討する必要がある。と言う事で本書第1章は心とは何かと言うテーマが語られます。 -
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軽い科学読み物と思い手に取ったが、数ページ読んでは立ち止まり考えさせられることの繰り返しで、中々の読み応え。
一般に能動的だと考えられている「心」の働きを、いったん消極面に着目して抑制力とし、それをさらにひっくり返してまた能動的に捉える、と二重に反転させて記述しているために少々取っ掛かりのところで戸惑ってしまったが、それが理解できればあとは一気に読めた。
対象ととことん向き合うことで、未知の状況下での「予想外の行動」としての対象の「心」の働きが見えてくるという…たとえ対象がダンゴムシや石ころ(!)であっても。文章はドライだが、著者の対象に対するある種の愛情が至る所に感じられた。この境地に -
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先日、垂水の駅前の公園で、さあ、何歳くらいのお子さんでしょうね、下段を覗きこんで叫んでいらっしゃいました。
「あー、ここにもいる。ここにも。」
ママも、一緒にのぞき込んで、ときどき夢中になっていらっしゃるお子さんの写真を撮っていらっしゃるようで、下段の端に座り込んで、お茶など飲みながら一服をもくろんでいたゐた老人は、いつもは平気なのですが、さすがにタバコをくわえるわけにも行かず、だからといって、「あのね、ボク、ダンゴムシには心があるらしいよ。」ともいえないのですが、でも、「あのね、ダンゴムシの心を探した学者さんがいるんだよ。」とか、こころの中で、ちょっと声をかけたくなる体験でした。
ま -
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心について。
心の評価方法が興味深かった。
心=隠れた行動部位。
心を確認することは、未知なる環境に置かれたときに発現する『隠れた行動部位』を確認すること。
動物実験で、通常心によって抑圧されている行動を発現させるためには、骨の折れる作業が必要なんだろうなと感じた。
準備段階から対象動物に対する理解、付き合いを深めていかなければならない。
様々な角度から実験結果を提示されることで、ダンゴムシにも心があるのかもなぁと同意するようになった。タコやイトヨなども。
あるいは石にも?
生き物はもちろん、モノに対しても、丁寧に扱うように心がけようかと。。