森山徹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
いきなりネタバレすると、ダンゴムシには心がある。石にも心がある。
こういう見方をすると万物に慈しみを持てる。
著者は生物の行動実験をする時には、生物ととことん付き合い、なるべく生物本来の行動ができるように、実験者が自然を提供しなければならないと言う。
著者の定義によると、心は隠れた活動部位だという。生物は自然界から受ける多くの刺激に対してさまざまな行動を発現する可能性があるが、その中から適切な一つの行動を選び取っている。著者の言う「内なるわたくし」=「心」が他の行動を抑制する事で、通常の行動が発現するのだそうだ。
人でも、心がまだ充分に育まれていない魔の二歳児は、"今やりたい衝動"を心が抑えられずに駄々をこねるのだそうだ。ある本によると、こどもは考えたことがそのまま行動や言葉に出てしまうとか、思春期に一人の時間を持つようになってようやく秘密を持てるようになるという事を読んだことがあるが、それに通じる。
ダンゴムシに心があるかどうかを調べるには、この隠された行動が発現されるような未知の状況を作れば良いという。未知の状況で通常とは異なる行動をとればそれが心の表出だという。
この定義に従い、とても丁寧な状況設定をして未知な状況を与えると、ダンゴムシは不可解な行動を示す。この一連の実験はとても面白い。発想が素晴らしい。しかし、この不可解な行動が心だと言われてもどうも釈然としない。
ダンゴムシの不可解な行動は、危機的状況を回避するための行動だった。だから、心の働きは「未知の状況における予想外の行動の発現能」なのだと著者は言う。
これが心だと言われて釈然としないのは、私が内に秘めている心を暴かれるかもしれないという危機的状況を突きつけられているからではないだろうか。私の考える心は、人が到達できない場所にあって、どんなに追い求めても解明できない部分を秘めているもので、釈然としないのはこの考えを守るための防衛反応なのかもしれない。
石にも心を見出せるというくだりは、心は受け取る側が見出すものなのかもしれないとも考えられる。
本題からすると元も子もないが、それが心かどうかという事に触れずに読むと、生物は「未知の状況における予想外の行動の発現能」を持ち合わせており、立ち止まらずあがくことで危機的状況を乗り越えようとする能力があることを教えてくれる。
ここに教訓がある。
危機的状況でも行動する事でなんとかなるという事だ。
そして、だれかが理解できない行動をとった時、その人にとっては危機的状況なのかもしれないという事だ。心で抑制していた行動の表れかもしれない。不可解な行動の中に本心が隠されているかもしれないと思う事だ。
何にせよ人には心がある。心は"うら"とも読み、裏と同義だそうだ。表だけでは計り知れない心がある事を忘れてはいけない。 -
Posted by ブクログ
京大の某教授が勧めていたので。
面白い試みだなー、と単純に思う。
しかしながら、
こういった研究をしていない平々凡々な一般読者の視点からすると、
手放しに面白いとは言いづらい。
ある研究者が面白いと言った=一般読者が楽しめるエンターテイメント性がある、
ではないと言う事。
という点さえ受け入れれば、
地味ながら興味深い研究だと一般読者にも感じられると思う。
生物的本能に従って単純な行動をしているだけに見えるダンゴムシにも、
突き詰めると個性が見え、我々人間はそこに心を見出してしまう。
その辺の地面に蠢いているダンゴムシの行動にも奥深さが見えるようになるのだ。
人間が自分が持っていると信じている「心」というものも、
実はこのダンゴムシの反応の延長上にあるものなのかもしれない。
と、思うと、自分の行動もある程度客観性を持って眺められるかもしれない。 -
Posted by ブクログ
大変興味深い題名の本である。本書の冒頭で著者はまず、「心」という言葉が使われる慣用表現や自身の体験をもとに、「心」とは何かを定義する。そしてその定義に基づいて、ダンゴムシを対象に様々な実験を行い、結論として、ダンゴムシ、或いは石のような無機物にすら「心」はあると主張する。
面白く読めはしたのだが、納得はできなかった。著者は心の実体を「隠れた活動部位」と考える。私たちはある行動をとるとき、同時にその妨げになる活動を抑制している。例えば、大切な誰かに贈り物を手渡すとき、たまたま背中がむず痒かったとしても、背中を掻くという行動は通常発現しない。贈り物を渡すという目的を損ないかねないため、意識的にしろ無意志的にしろ、抑えられるからである。しかし、背中の皮膚感覚を担う部位は、当然活動を続けている。これが「隠れた活動部位」である。この抑制された活動は目には見えないものの、発現する可能性がある気配として観察者に伝わる。この気配を観察者は「内なる何か」ととらえる。著者は、これを心の実体とする。
「隠れた活動部位」=「心」は、単に隠れているだけなので、未知の事態に出くわすと発現することがある。著者は4才のとき、晴れた空を描こうとしたのだが、青のクレヨンがなく、やむを得ず空を緑に塗って絵を提出したところ、先生にきれいな空だとほめられ、友だちからも拍手される。4才の著者は、初めは戸惑っていたものの、やがて、自分の中に緑の空はきれいだとという感覚が湧き上がるのに気付く。著者はこの経験を、心の発現と解釈する。つまり、隠れていた「緑の空はきれい」という感覚が、予想外にほめられるという未知の状況で現前したととらえ、それを心の存在の実証としたのである。
この経験をもとに著者は、ダンゴムシを、迷路や周囲を水で囲んだ場所など、ダンゴムシにとって未知の状況に置き、例えば障害物をよじ登る、嫌いなはずの水に入るなど、通常、ダンゴムシには見られない行動を取る個体を観察し、ダンゴムシの心の存在を主張する。
ダンゴムシ、タコ、蟹などの実験は大変興味深い。しかしそれをもって、こうした生物、果ては石などの無機物にも心があるとの結論には、私は頷けなかった。著者の結論は、心の実体は隠れた活動部位であるという前提に基づいているが、私にはそもそもこの前提が受け入れ難かった。私は「心」というものに、常識的に、或いは経験的に、どうしてももっと高度な精神作用を求めてしまう。何にでも隠れた活動部位があり、それが予期せぬ状況で顕在化することがある、私が同意できるのはここまでであり、それが即ちダンゴムシにも心があることの証明になるとは、私には思えなかった。「心」に対して持つイメージが、著者と私では異なるため、仕方ないのかもしれない。
しかしダンゴムシの実験は大変面白く読め、また、科学者としての著者の態度にも好感が持てる。一読の価値がある本だと思う。 -
Posted by ブクログ
比較認知科学、動物行動学の専門家が、大脳を持たない動物にも心はあるとの仮説のもと、ダンゴムシに対する様々な実験によりそれを検証したものである。
まず著者は、「心」という漠然としたものを「日常的な心の概念」と「非日常的な心の概念」の二つに分け、後者を、科学の現場で一般に説明される「人間の記憶・思考・判断といった認知的活動、及び喜怒哀楽といった感情を司る部位、すなわち脳の中のその部位」を指すとし、前者を、本書で対象とする「心」の概念としている。そして、それを以下のように説明している。
◆我々は、ある行動をとっているとき、その行動とは直接結びつかない様々な思考、感情等を同時に抱きつつも、それらの発現を抑制しているが、そのような抑制された部分、すなわち「内なる私」、「隠れた活動部位」が「心」の実体である。
◆観察者からは、発現された行動に隠れた「気配」だけが感じられ、そのために観察者は相手が「心」を持つように感じる。
◆しかし、未知の状況に出会うと、通常は抑制されている行動、すなわち予想外の行動を自発的に発現させる。
そして、上記の仮説を、ダンゴムシに対して、迷路実験、行き止まり実験、水包囲実験などにより、様々な形で特定の状況と未知の状況を与え、その観察の結果、未知の状況では予想外の行動をすることを実証し、ダンゴムシも「内なる私」、すなわち「心」を持っていると結論付けている。
更に、この実験の動物行動学的意味として、「動機づけ」が動物の定型的活動パターンを発現させるという動物行動学の示した理論に対して、そのためには、「動機づけ」が行われた際に、動物の「心」が余計な行動を抑制することが必要であると述べ、両者の接点を示している。
そして最後に、「心」の働きを「未知の状況における予想外の行動の発現能」とすれば、知能がその能力の自然な延長として現前されることになり、それは、既存の脳科学や知能科学へパラダイムシフトを迫るものであると結んでいる。
「心」と「脳」の問題に一石を投ずるユニークな考察である。
(2014年4月了) -
Posted by ブクログ
様々な行動実験を通して、ダンゴムシにも「心」があることを証明していく過程に、子供のようにドキドキワクワクしながら読みました。
心とは何か。ストンと腑に落ちた個所を紹介します。
「つまり、『未知の状況』における『予想外の行動の発現』こそが、隠れた活動部位としての『心の働きの現前』なのです」(P47)
これだけでは分かりにくいかもしれません。たとえば、街でばったり旧友と会って突然大泣きしてしまう。しかもなぜ大泣きしたのか原因が分からない。これは、普通はセーブされている行動が、未知の状況で抑制を解かれ、発現する機会を得たということ。つまり「心が現前」したということ。なるほどと膝を打ちました。