川村二郎のレビュー一覧
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司馬遼太郎さんの思い
「わかる」とは、ものごとの本質をつかむこと
人にわかりやすく説明する 簡潔な説明は分かっていないとできない
?やまと言葉をつかえ
?たとえの活用
井上ひさし「文章心得3ヵ条」
①むずかしいことをやさしく
②やさしいことわふかく
③ふかいことをおもしろく
1.思索の深さが大事
感じる 五感があれば出来る 脳みそを使わなくても良い
考える 感じるだけではダメ いろいろ考えるはず 考えれば自分なりの結論
思う 一つのイメージが出来上がっている 考えた末の結論
2.ノブレス・オブリージュ
開高健「位高ければ役多し」→「役重し」の方が正しい訳だった!面白い
3.漢字の多い文書を書くのは、無知・無教養なヒト 「やまと言葉」の価値
丸谷才一 井上ひさし 白洲正子
4.サプライズなき「成功確率」の重視 野村監督ID野球 プロフェッショナル
5.誇り高き 精神の貴族 高倉健vs号泣議員 -
Posted by ブクログ
とても面白かったです。
私は国語教育に関わる仕事をしています。
そのため大野さんのことくらい知っておこうと軽い気持ちで読み始めたのですが、大野さんの人柄や人生そのものが面白い。それに日本語がこれまでなかなかに危ない橋を渡ってきていたとは。知識で知っているのとは全く印象が違っていて驚きました。
国語教育の重要性についてもお話があり、大野さんが日本語には論理性があると断言しているのがとても嬉しかった。
過去に自分もほんの少し言語学を研究していましたが、大野さんの徹底した用例採取と古典知識から照らし合わせて現在の日本語を研究する姿勢には程遠い。
改めて文法や日本語学を学びなおしたいと、学問を極めることの楽しさを教えてもらえます。
タミル語に関してこれほどバッシングを食らっていたとは。こんなふうにハッキリ物が言えるのは、徹底して追究し、学問を極めようとしてきたからなのでしょうか。 -
Posted by ブクログ
「日本語練習帳」や「広辞苑」の基本語項目の執筆、「岩波古語辞典」の編集など、日本人が日本語について、ひとつまじめに訓練せむと思うときの入り口にいる国語学者、という趣きのある大野晋(1919-2008)の、没後すぐに書かれた伝記である。
同年代の、つまり戦中期に高等教育を受けた国語学者というと、つい金田一春彦や山田忠雄のような学者一家を想像してしまうが、大野晋の育った環境はまるで違う。生家は下町の砂糖問屋であり、趣味人だった父親の商才のなさが祟って、大野の自立を待つことなく店を手放すことになる。大野は単身住み込みの家庭教師として稼いでなんとか中学を修了する……といった境遇である。
勉強ができたからこそ、そういう境遇から抜け出る目もあるわけだが、進学によって富裕な知識階級の生活を垣間見るにつれ、大野は劣等感に苛まれるようになる。一高に(末席で)合格してからは、自信の源だった勉学でも、自分よりずっと秀でた者たちに囲まれることになる(学習機会の格差!)。いよいよ青年期の絶望が深まった頃、あるきっかけで万葉集(とくに柿本人麻呂)にのめり込み、文字通り命拾いした大野は、同輩たちと学問芸術についての議論を重ねる中で、日本とは何か、ヨーロッパとどうしてこうも違うのか、という問題にぶつかることになる。その答えには万葉集からアプローチするしかなさそうだ……。というところに、学者大野晋の出発点が置かれている。
これは明らかに、大野が晩年に取り組んだ日本語の起源説、「日本語クレオールタミル語説」をクライマックスに持ってくる工夫である。実際終盤ではドラマチックなまでに熱のこもったフィールドワークの様子が描かれていて、この本の読み応えを一段高くしている。一方で、この説に集まった多くの批判は、ほとんどが週刊誌の記事を取り上げるばかりで、そのいずれもを嫉妬に基づく粗雑な批判として描いている。ちょっとあんまりな気もするが、まあこの本の趣旨から言って自然なことではある。
比較言語学を知らない私は大野説の可否については判断材料をもたないのであるが、全く否定されているか、少なくとも通説にはなりえないというのが大勢のようである(池澤夏樹の「日本語のために」でも同情的に言及されていた)。一方、分子人類学の知見(Y染色体ハプロタイプ解析)からは、インド東部から東南アジアにかけて住むオーストロアジア語族を話す人々と日本人とがごく近いことは確かで、タミル語(オーストロアジア語族ムンダ語派)と日本語との共通祖語があったと考えるのは自然なことのように思える。分子遺伝学的な共通祖先は中国南部にいて、そこから南西に行った集団(オーストロアジア語族と重なる)と北東に行った集団(日本、朝鮮、満州に多い)に分かれたと考えられるそうだが、これは時間的にも空間的にも稲の栽培化・稲作の伝播と比較してみたいところだ……といった話は、この本に書かれていることではまったくない。分子人類学が質量ともに大きく進んだのは大野の没年以降のことである。今後大野説(やその他の日本語起源説)を検討するにあたっては避けて通れない規模にまで発展しているのは間違いないと思う。
というようなわけで、この本を読んで日本語クレオールタミル語説の詳細、ないし論争について改めてさらってみたいと思った。「サンガム」と呼ばれる57577の韻律を持つというタミル語の古典文学にも興味が湧くが、作中で触れられている情報が断片的なので探しあぐねている。 -
Posted by ブクログ
亡くなってもう、十年になる。
改めてすごい人だったんだと思う。
研究のしかたの徹底ぶり。
橋本新吉仕込みの、確証の持てないことは口にしないという姿勢。
教員としては、鬼教師。
学会とも、マスコミとも、意見が違えば闘う。
一方で、下町育ちの、歯切れよく話す、おしゃれなおじさん。
いろいろな面が丁寧に取り上げられていて、面白かった。
伊藤忠兵衛(伊藤忠商事の創業者)のような、懐の深い財界人も、昔はいたのね。
それから、やはりいつか岩波の古語辞典を手に入れねば、とも思う。
大野晋さんの本のお世話になるようになって、それほど久しくない。
日本語学のセンセが、「あの人も、タミル語とか言い出さなきゃ、すごい人なのに」なんて言っていたのを聞いたことがある。
それがその後、ずっと自分の中に残っていた。
タミル語と日本語の関係、その後どう考えられているのだろうか。