時岡敬子のレビュー一覧
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1870年代の明治維新が起こり、日本は西洋化を目指して劇的に変化してころ。
英国人女性の著者が横浜から北関東・東北地方を陸路で移動して北海道までを目指す旅を行うことを決意する。
当時、北日本を縦断する旅をする外国人は希少で、ましてや女性にとっては初めての試みであった。
周囲の友人から励ましと引き止めの両方を受けながらバードは1人の日本人青年を通訳として旅に出た。
本書は実の妹への手紙をまとめた形で発刊されている。
よって、中身は本音そのものでリップサービスはなく、良いものは称賛し、不快なものは厳しく批判している。
現代の日本人が読んでも、当時の地方の様子と現地住人が初めて外国人と邂逅した様 -
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ネタバレ『朝鮮紀行』という牧歌的なタイトルからは程遠い、激動の政治の中枢に触れる内容で、驚くほど面白かった。
イザベラ・バードは日本では1878年の東北・北海道の紀行で知られる旅行家/探検家/紀行作家/写真家である。
本書は1894年の日清戦争の直前からその後三年にわたる著者の見聞が綴られている。
「モンゴロイドの特性調査の一環として」行われた旅は、はからずも朝鮮が日清戦争と諸々の内紛・外圧によって変転する様子を克明に追うものとなっている。
辺境の風俗や生活を観察する過酷な調査研究の旅の一方、ジャーナリストのように政治と社会全般の事実を取材し評価する著者の態度と力量に感服した。
1831年生まれの著 -
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個人的な興味の有無も影響しているかと思いますが、蝦夷の話のあたりは上巻に比べて読みが進まなかった印象です。
京都や伊勢あたりからまた読みやすくなりました。
筆者はこの紀行文を通して、日本が西洋の文化を取り入れる時に、西洋文化の根っこにあるキリスト教を理解しないで取り入れようとする事や、逆に日本の文化を無視してまで西洋文化を取り入れる事に警鐘をならしていると思いました。
日本だけでなく当時の西洋に対して劣っているとされた文化が消えゆく定めであると言う事は、世界的な冒険家だった筆者には十分に理解できていたと思いますし、そう言った観点からもこの紀行文を残したのでしょうか?
日本人が明治維新を迎 -
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著者の視点を通して、古き日本を巡るタイムトリップができる。こんな貴重な資料が読めるなんて感激だ。また、小難しい単語も少なく読みやすい。イギリス人女性の日本一人旅(通訳の従者はいた)。
1878年、明治時代の日本の田舎と東京。人口は34,358,404人。東洋的壮麗さの枠から外れている。彩色や金箔は寺社でしか見られないし、宮殿も一般住宅も灰色の木材を使っている点で同じ。くすんだ青、茶色、灰色が通常用いられる衣服の色。何もかもが貧弱で迫力がなく、どの町も単調で地味。
飯が不味い。顔も不細工。男は褌だけ。外国人を見た事がないので見物に群がり遠慮がない。寝床には蚤、蚊も多くてやってられない。男尊女 -
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ずっと昔の日本の姿が、外国人旅行家の女性の目線で書き記されている。
当時の日本という国、そこに生きる人たちに会いにいけたように感じた。
イザベラ・バードが描写する美しい景色がどんなものであったのか、それを同じように見てみたくて、彼女が訪れた場所に行ってみたくなった。
もちろん当時と今では全然違った景色ではあろうけれど、当時から残る建造物や森や川、そういった場所に立ち彼女と同じものを見た時に、「歴史」というものを感じられるだろうと思う。
過去も今も未来も、不変ではないけれどずっと繋がっているんだと。
これを読んでいる間はなんだかタイムスリップしたような、不思議でワクワクした気分になれた。 -
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江戸から明治の近代に移り行く日本の様子が非常に細かく描写されていることも面白いが、作者なりの日本人観が面白い。
良いか悪いかは別にして、今の日本人にも当てはまる部分は多い。
・信条としての物質主義、宗教に対して無関心、それにも関わらず迷信は信じている。
・親切で勤勉だが誠実でも純粋でもない。
・日本全体の均質性。気候や植生や方言は違えど、建物や植物の栽培方法は変わらずまた社会を取りまとめている礼儀作法は都会も田舎も同じ。
・重大な事を話しているようでどうでも良いことを話しており、むしろ政治や宗教の話しはタブーで、芸術や文化は興味の対象ですらない。 -
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下巻の前半は蝦夷地だが、アイヌとの交流が中心となる。イザベラはアイヌの人々をいたく気に入っていることがわかる。そして、一旦横浜に戻り、京都や伊勢神宮、大津へ行く。日本語のできるギューリック夫人と2人で行く伊勢神宮。イザベラの楽しい気分が伝わってくる。しかし蝦夷地が一番楽しかったのではなかろうか。後半では日本にも慣れてきてどちらかと言うと、政治的、宗教的、国の発展に関する感想意見が増えてくる。蝦夷地に随行した伊藤がいなかったのも大きいか。そして紀行文のラストでイザベラが日本を離れる時の気持が少しわかる気がした。彼女が当時後ろ髪を引かれながら日本を発ったように、淋しさを感じながら本を閉じる。
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海外からの本帰国に伴う、2週間のホテル隔離中の読書4冊目。
上巻は東京を出て北上、青森までの道程。作者が可哀想だったのは、梅雨の時期でとにかく雨が多かったこと。その雨の中、馬で峠をこえ、川をわたり、時にはぬかるんだ道や増水した川に手を焼きながら進む。
一部翻訳のせいもあると思うが、作者のストレートな感想、批判が面白い。結構きつめのdisり笑。最先進国イギリスからやってきて、世界各地を旅してきた作者ならではか。今の日本人が発展途上のアジアの国を訪れたときに、同じような表現をしてしまうだろう、と思うと、腹も立たないし、こういうこと全てが旅の楽しさ。
作者が旅したのは1878年。今から150年くら -
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イザベラ・バード女史はスコットランド人であり、プロテスタントの信者であり、かつ19世紀の婦人である。
決して、現代の基準で判断してはいけない。
つまり、当時の白人女性の視点からすると、かなり公平に判断しようとしている事がうかがえる。
それでも、相当のフィルタが入っているわけですが……。
下巻は主に蝦夷地の冒険と、その後訪れた京都や奈良、伊勢大神宮について述べられている。
女史はかなりアイヌに関心を持っていたらしい。
日本人の開拓地より長い時間をアイヌの村で過ごしているように見える。
彼女がつぶさに、そして間近に見たアイヌの生活記録はとても貴重なものだと思う。
また、京都や奈良は、東北に比べ -
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本著は評価する類ではなく、もはや、歴史的な資料である。白人女性により記録された1800年代後半の朝鮮の姿。果たして、朝鮮にどのようなイメージを私は持っていただろうか。そのイメージは、既存のメディア、学校教育が齎したものだ。そのどれよりも、真実に近い。先ずは、自分の目で見ることなのだろう。
しかし、右翼というのは恐ろしい。私は、愛国を謳う著者は中道であり、左翼悪しきと思っていた。しかし、この信じていた中道の世界も、肩よっていた。本著は、この中道的な別の本で引用されており、そこで知った。内容は、朝鮮を極めて否定的に描くもの。確かに、本著にはその表現はあった。しかし、全般的に公平に、肯定的な部分も -
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ネタバレ明治維新からまもない1878年、英国人女性のイザベラ・バードによる東北地方と北海道の旅。行く先々で、外国人を一度も見たことがない人たちに囲まれ好奇心の目で監視されながら、当時の人びとの暮らしや習慣をかなり細かく克明に記している。「鋤ではなく絵筆で耕された」古き良き日本の美しい風景の描写が印象的。
日本人の特徴とも言える勤勉さ、慎み深さ、礼儀正しさ、もてなしの心、などは明治初期には既に一般的だったのに対して、清潔さがまったくなかった当時の日本の生活風景には驚き。どこへ行ってもノミやシラミのオンパレードで、夏はハエや蚊の大発生に悩まされていた様子。また、山村に入ると農民はほぼ裸に近い格好で暮らして -
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本書は、英国のイザベラバード女史が李朝末期の1890年代に数回に渡って朝鮮半島全域及び近隣地域(満州、沿海州ウラジオストク、長崎、等)を旅(半ば冒険)し、また朝鮮国王をはじめ多くの高位の方々との交流で、見聞き体験したあらゆる事実をその鋭い観察眼と筆致で記録したものです。
英国人全般がそうなのか、バード女史個人の個性なのかわかりませんが、時折皮肉の混じった表現があることが朝鮮紀行全般に渡って文章に妙味を加えています。
この朝鮮紀行が何よりも特筆に価する点としては以下の点が挙げられます。
① 1890年代当時の実体験を極端な脚色もなく即物的に描写していると感じる点(皮肉は面白いw)。