竹内洋のレビュー一覧
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ネタバレ竹内洋の『教養主義の没落』は、明治から戦後にかけての人文的読書による人格完成を目指した教養主義の変遷を描く名著だ。
本書を通じ、日本の教養主義が伝統的身分文化ではなく、「学校的教養」たる西欧文化の習得だったと知った。これは刻苦勉励を重んじる地方出身の青年のエートス(性格)と親和性があった。同様にブルジョワを嫌うマルクス主義が農村出身者の教養主義と強い親和性を持っていたことを説いている。マルクス主義というもう一つの西欧文化が、ブルジョア文化を貶めることでブルジョワの上位に立つことができたからだ。現代の高齢層の一部がなぜマルクス主義に熱狂し続けているのか少し理解できた気がする。
また、大学進学率が15%を超えてマス化すると、大卒者は大衆サラリーマン化し、思想インテリより実務インテリが好まれるようになった。2003年刊行の本書だが、現在の「文系不要論」の背景が鮮明に理解できる。
著者は教養主義の没落を、日本社会における都市と農村の格差の消滅に起因すると分析する。海外の教養主義のあり方にも関心が広がった。
社会の構造変化と知の変容を見事にあぶり出した、実に見事な傑作である。 -
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面白いが、日本思想史を理解すればもっと面白いと思う。
己の出自と思想の連続性を考えさせられた。自身の努力(受験、スポーツ)で成り上がったと感じるからこそ、都市型ブルジョワに近い考えを持っているのだろう。
・「その人らしさ」とは『ハピトゥス』であり、出自や社会的地位、青年期の経験にて形成される。『ハピトゥス』が社会的思想に影響を与える(当たり前と言えば当たり前ですが、エリート集団の中にも多様なハピトゥスを持つ人々がいる)。
・ヒエラルキー制度の崩壊により、上中下の階級に実線が引かれなくなる。凡俗な人間ー大衆平均人(サラリーマン)の文化が強く一般化することにより、教養を持つ「変人」「おたく」であることが望ましくない現状になっている。
・『教養』の真の意義はそれを培う場としての対面的人格形成の過程にあるのではないだろうか。教養が実用性を持ち、エリートが傲慢さに溺れず、人間の矜持と高貴さを養うために、新しい時代の教養はどうあるべきなのかを考えていきたい。
5章「文化戦略と覇権」と終章「アンティ・クライマックス」は正直流し読みになっているので、近代日本思想史を浚ってからまた改めてインプットしなおしたい。 -
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ネタバレ本書は、戦後日本社会の知識人や大学生を支えた「教養主義」という独特の文化と精神構造が、いかに形成され、そして崩壊していったのかを、社会学・教育史の視点から丹念に描き出した著作である。
竹内は、日本の教養主義を単なる「偉い本の読書」ではなく、「立身出世を志向するエリートが、人格陶冶を通じて、特権的な知的・精神的地位を獲得しようとする規範システム」として捉える。この教養主義は、旧制高校や帝国大学といったエリート教育の場で、「リベラルアーツ」の読破と、それに伴う「精神的な高潔さ」の涵養を求め、若者に強烈な価値観を提供した。
しかし、このシステムは、戦後の民主化と高等教育の大衆化、そして何よりも「経済的な成功」を至上とする価値観の台頭によって、その力を失っていく。教養が「実利」に結びつかないと見なされ、専門知識や資格が優先されるようになると、教養主義は権威主義的で非実用的なものとして批判され、「没落」へと至る。
竹内は、この没落を単に嘆くのではなく、教養主義の持つ功罪を冷静に分析する。それは、近代日本における知識人の理想主義的な倫理観を形成した一方で、権威主義やエリート意識を生み出す温床でもあったという両面性を示している。
現代社会における知のあり方、教育の目的、そして我々が何を「教養」と見なすべきかという根源的な問いを突きつけ、戦後日本の精神史を理解する上で大変勉強になった。 -
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本書は三宅香帆が、推している本なので、読んでみた。とにかく、米津玄師が、「べらぼうに面白い」と2020年に雑誌『SWITCH』に掲載された小特集で言ったことで、話題になった本なのだ。
竹内洋は京都大学の先生だった。私より上の世代である。教養がなぜ必要なのか?ということと、教養主義は、教養と密接に関連しながら、異なる概念だ。そして、教養主義が没落しているという指摘は、時代によって教養主義も変遷する。
本書は、「教養」という言葉に対する一般的な説教じみたイメージを超えた、社会史としての興味深い分析を展開している。従って、単なる主観的な意見や感情に訴えるものではなく、歴史的および社会学的な視点から、「教養」という概念がどのように成立し、誰によって担われてきたのか、またなぜその価値や存在意義が衰退していったのかを詳細に解明している。具体的には、旧制高校時代のエリート学生文化、マルクス主義の台頭、さらには大学の大衆化に伴う教養主義の消退に至るまでを、時系列に沿って描くのではなく、多角的な視点から体系的に解説しいる。
本書は、石原慎太郎、岩波茂雄、ビートたけしを教養主義の視点から分析していることで、彼らの時代における役割が明らかになる。また、教養主義が、「役にたつこと」の重視する風潮から没落し、結局、公務員試験などに残存する遺物にもなりかけているという、絶滅する寸前なのだ。
教養とは、個人が社会と関わる過程で経験を積み、体系的な知識や知恵を獲得することによって身につける、ものの見方や考え方、価値観の総体を指す。単に知識を蓄積するだけでなく、それらを統合し、批判的に思考する力や倫理観、感性、主体的に行動する力など、人格的側面も含むものである。
教養主義とは、近代日本において、特定の読書や経験を通じて教養を身につけることを規範とし、それを人格形成や社会的エリートとしての地位確立のための通過儀礼とみなす文化や思想を指す。ドイツの「ビルドゥング(教養)」の理念に強く影響を受けており、内面的な修養を重視した。多くの場合、旧制高校や帝国大学といった限定されたエリート層の学生文化の中から生まれ、特定の読書リストや外国語の学習などを通じて、知性や人格を序列化する側面を持っていた。
本書によれば、日本における教養主義は、時代とともに変化を続けてきた。
明治・大正期には、西洋の近代思想や文学を取り入れ、自律した個人としての「人格」形成が重視された。夏目漱石や阿部次郎などがその代表である。
昭和初期には、マルクス主義の台頭に伴い、教養主義とマルクス主義が対立しつつも、相互影響を及ぼす「マルクス主義的教養主義」が形成された。そして、1936(昭和11)年に、『思想犯保護観察法』が制定され、『治安維持法』によってマルクス主義が思想的に排除された時代があった。
戦後においては、旧制高校の廃止とともに一時衰退したが、新制大学においてマルクス主義を引き継ぎながら再び復活した。しかし、大学進学率の上昇と大学の大衆化が進むにつれ、エリートとしての特権的な地位は失われ、教養主義は次第にその規範としての力を弱めていった。そして、1970年代頃まで続いた大学の規範文化としての教養主義も、社会の複雑化や価値観の多様化にさらされた。
専門分化と実利主義の台頭が始まる。大学が専門知識を身につけて職業に役立てる場へと変化した。これにより、人格形成という漠然とした目的よりも、専門分野での成果や社会的成功が重視されるようになった。大衆が豊かになり、多様なエンターテインメントが普及する中で、「俗」を軽蔑する教養主義の価値観は時代の流れに合わなった。
本書で、教養主義に登場する人物の評価がおもしろい。石原慎太郎は戦後の教養主義に対する強烈なアンチテーゼ(対立概念)を体現した人物として高く評価されている。
まず、石原慎太郎の若者文化における寵児として登場する。戦後、旧制高等学校出身者が象徴していた「古めかしい」教養主義が次第に権威を失う中で、石原は『太陽の季節』(1955年)を通じて、従来の価値観を打ち砕き、新しい若者像を提示した。これは、既存の教養主義が軽蔑した「俗な欲望」や「肉体の欲望」「生々しい現実」肯定し、古い価値観を相対化して、その支配力から解放する力を持ったと評価される。そのエネルギーを文学のテーマとした。これにより、没落しつつあった教養主義の権威を決定的に揺るがした人物として位置づけられる。
竹内洋は、石原慎太郎が古い教養主義を超えることができなかったという。「俗」からの脱却に関して、彼は既存の教養主義を破壊したように見えたものの、作品には依然として教養主義的な価値観、特に「エリート意識」や「権力への志向」が色濃く残っていた。彼は、真に俗人になりきることができず、むしろ教養主義的なエリート意識の裏返しとして行動していたと考えられる。そして反知性主義との親和性である。石原の活動は、古い教養主義への批判から、次第に知的権威全般を否定する「反知性主義」的側面を強めていったが、これはあくまで教養主義の超克ではなく、その反作用として生まれたものであり、新たな知的創造や文化の創出には至らなかった。
石原慎太郎の父親の潔は、旧制中学校中退で、山下汽船には、店童という丁稚身分で入社。母親は神戸市第2高等女学校を卒業。ただ、石原慎太郎が物心がついた時点で、父親は小樽出張所主任管理職であり、戦後は山下汽船の子会社の常務まで登り詰めていた。成り上がりホワイトカラーとなっていた。上昇ブルジョア層だった。著者の表現も、昭和的価値観で述べられているのが面白い。
教養主義の旗振り役になった岩波茂雄は、1881(明治14)年、長野県諏訪郡中洲村の農家の長男に生まれた。岩波茂雄は、東京府立第1中学校を中退し、国粋主義を掲げた独特の校風を持つ日本中学校に編入する。そして一高に入る。そこで付き合った人が豊富で、阿部次郎や夏目漱石となる。
古本屋岩波書店を1909年に開業し、そして夏目漱石の『こころ』を1914年、自費出版することで、出版業をスタートさせ、『硝子戸の中』『道草』『明暗』を出版して地位を固めた。1915年に『認識論』を皮切りに全12冊の哲学業書を刊行し、「哲学書の岩波書店」というブランドを確立。『善の研究』『出家とその弟子』『古都巡礼』が発刊された。そして1938年に岩波新書が刊行された。そのことで、岩波書店は教養主義の文化エージェントとして確立した。それが文化史観を確立し、文化財としての価値を生み出した。
竹内洋は、永井荷風の教養は、西洋の文学や哲学に深く傾倒しつつも、日本の伝統的な遊里文化や江戸の風俗に対しても愛着を持っていた。荷風の教養は、「俗世間から距離を置き、自らの美意識や趣味を徹底的に磨き上げる、個人的で耽美主義的な態度」である。荷風は明治以降の近代化や欧米化を批判し、江戸の伝統や風俗、遊里文化に美を見出した。荷風は、世間一般の価値観や社会規範に縛られることを嫌い、自らの「好き」を追求する「好事家」としての生き方を貫いた。社会の規範やエリートとしての地位を確立するためのものではなく、むしろ社会から距離を置き、自らの美意識を追求するためのものであった。これは、当時の教養主義が目指した「人格の完成」とは異なり、個人的かつ耽美的な教養観といえる。
竹内洋は、ビートたけしを、従来の教養主義的な知識人とは異なる、新たなタイプの知的存在として評価している。たけしは、エリートとは対極に位置する「不良」や「庶民」の視点から、既存の権威や教養主義的な価値観を徹底的に笑いものとした。たけしの笑いは、教養主義が前提としていた「高尚な文化」や「人格形成」といった価値を相対化し、大衆に対して「本を読んで社会のことを考えても意味がない」といったムードをもたらした。著者は、たけしこそが、戦後日本のキャンパスから教養主義を駆逐した動きを最終的に完成させた人物であると論じている。
竹内洋の面白い分析は、団塊の世代が大学生になることで、本を読まなくなったということだ。竹内は戦後の大学進学率の急激な上昇が、旧制高校時代に存在した教養主義的な学生文化を崩壊させたと指摘している。大学生が、漫画を読むことが日常となり、『世界』『中央公論』を読まなくなり、『少年マガジン』『少年ジャンプ』が愛読書になり、教養主義らしきかけらとしての『朝日ジャーナル』があった。大学生の増加に伴い、従来「読書」が担っていたエリート文化の役割が失われつつあり、多様な価値観の中で読書はもはや「必須の行為」ではなくなったことが、学生の読書離れの主要な要因の一つであると指摘している。
この本の世代と近い存在である私は、この本の難解さに驚きつつ、話題の取り上げ方のうまさと先進性に驚くのだ。そして、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という時代となるのだ。 -
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教育社会学者・竹内洋による、近代日本の「受験生の素顔」と「受験制度の実相」を剔抉した快作。文庫本なので読み易さが売りなのだが、内容は硬派でアカデミック、加えて作中の指摘は芯をついたものばかり。
竹内氏の著作や論考は、大きく分けて三種類ある。①出身地、階層、学歴そして文化資本(byブルデュー)から見た人物プロファイリング②明治から昭和前期における立身出世を目指すロマン溢れる受験物語の素描③左翼・右翼の政治闘争とその人物像の紹介
①に関しては、どの著作で読んだのかは失念したが、「丸山眞男(山の手・正統エリート)vs吉本隆明(下町・傍流エリート)」や「姜尚中(九州のバンカラ高校・左寄りvs鈴木邦男(東北のミッション高校・右寄り」といった人物像の対比図式を大変鮮やかに整理し直していて、すごく興味深かった覚えがある。人物のチョイスも上手い。
そして、忘れてはならない本作は当然、②の範疇に入る。特に個人的に感銘を受けたのは、大正期前後にピークを迎える「通信教材(講座)」が実は、苦学生にとっては最後まで修了するのが極めて難しく、実質これらは立身出世を目指す野心溢れる彼らへの「クーリング装置」として機能していたのではないかという指摘だ。確かに、勉学や入学試験は一見、「平等」な競争システムに見えるが、本当のところ、経済的にも学歴的にも豊かな家庭で生まれ育った受験生の方が有利だろうし、それに――不都合な真実だから、あまり誰も声を大にして言わないが――生まれながらの能力で成否が決まる部分も大きい。だから、当時の通信講座は、そんな「夢見る熱い受験生」の頭を冷やす、巧妙だが現実的な装置として働いていたと、竹内氏は看破する。
さて、③にあてはまる著作といえば、具体的な書名は挙げないが、「丸山真男」・「清水幾太郎」・「蓑田胸喜」らを扱った一連の伝記ものや論考がある。これらは単に人物批評だけでなく、彼らを取り巻く時代背景なんかにも目敏く焦点を当てていて、人と時代を丹念に読み解く労作揃い。
それにしても今、竹内氏の著作群を大雑把に3種類に分類したが、自分が最も気に入ってるはずの彼の『教養主義の没落』(中公新書)が、その3つのうちどれにもあてはまらないことに気づいてしまった!往々にして、レッテル貼りやカテゴリー分けというのは、上手くいかないものである(というより、範疇や枠組みから逸脱するものは必ず存在するものだし、そういうものにこそ意外と光る何かがあったりするから、この世界は面白い)。 -
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本書のいうとおり、戦後左翼にとって幻滅しつつあった共産主義に代わる器が丸山眞男だったとすれば、ものすごい影響力を持つ人物だったのだと思う。いま丸山眞男の評論を読んでも深く感じるところがないので、かつての時代の雰囲気を逆に強烈に感じる。
本書では現代からの視点で丸山眞男に対する違和感が数多く語られる。戦争に反対する社会的クラスと積極的に賛成するクラスを、画一的に論拠なく断定したこと。社会運動を煽るものの、サルトルなどとは異なり自身はそれらに参加しないこと。そして学生運動で自身の研究室が破壊され、学生をナチス以下呼ばわりしたこと。荻生徂徠を近代政治のきざしであるかのように牽強付会に論じたこと。日本の敗戦までのみちのりを西洋近代の理想からの落ちこぼれとみなしたこと、などなど。
丸山眞男は心のどこかで大衆社会を信用していない。にもかかわらず大衆社会を自身の理論と実践に最大限利用しようとする。それは30年代における大衆社会化の逆利用のようだ。だから戦後にファシズムや軍国主義が忌諱されたように、ひとたび大衆を裏切ったかように見られれば、丸山眞男も手のひらを返して糾弾されるのだ。よくも都合よく私たち大衆を利用したなと。戦争終結時の丸山眞男の有名な言葉、「どうも悲しい顔をしなければならないのは…」。ここからすでに大衆の心もちと掛け離れていたのであれば、はじめから運命は決まっていたのかもしれない。
当初は簑田胸喜との対比で丸山眞男が描かれる予定であり、簑田に触れる部分がずいぶん多い。 -
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戦後の進歩的文化人の代表として、またE.Hカーの「歴史とは何か」の訳者として有名な清水幾太郎。清水の戦時中の評論の本音と建て前の分析や、著者が得意とする所謂文化人の大衆観の解説に読みごたえを感じた。
清水が著名な割に現在ではあまりピックアップされない理由がわかる。戦後思想界をリードする進歩的文化人の顔や、80年代に入って核武装の可能性を説くタカ派の顔など多彩な顔を持っていた。著者は清水をただの変節漢としてみていない。山の手に屈性した感情を持つ下町出身者として。東大教授の道を中途で断たれた挫折者として。それゆえに、大衆との距離感に執着する芸人として自らの立ち位置を規定せざるをえなかった。芸人の行動原理は主張の一貫性ではない。何を発言すれば大衆に迎合することができ、また何を発言すれば大衆の耳目を集めるかという問いを持つ者である。
戦前に大学の職を失ったため、多かれ少なかれ時局に迎合する論評を文芸誌に書くことで生活しなくてはならなかった。言論の必要から逃れることのできた職業大学教授に対して、世に発言し続けざるを得なかった立場である。戦後はそれまでの言論が批判にされされ、鬱屈するものがあったであろうことを思えば、清水への同情を禁じ得ない。
本書は清水の原像に、今に通じるテレビのコメンテーターと似たものを見る。そうか、彼らも亜流。そうであればこそ、あれほど声高に感情を表出して雄弁に語るのか。テレビ前の聴衆と超えられないインテリを意識しながら。 -
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ネタバレ著者は、ウィスコンシン大学ミルウォーキー校で犯罪学を講じる准教授で、竹内洋教授(教育社会学)の長女。竹内教授は、第6章「アメリカを『鏡』に日本の大学を考える」を執筆している。
日本の大学行政においては、英米(特に米)の大学制度が普遍的で優れていると妄信する傾向がある。しかし、日本の大学には日本の社会・文化に基づく制度が、歴史的背景の中で不完全ながらも構築されてきており、単純に米国の教育制度の「形」を採り入れれば良いというものではない。アメリカの大学の制度から学ぶ場合でも、その長年の経験と精神と現状(裏側)を学ばなければならない。取り分け、日本では欧米と異なり、企業と大学との連携・信頼の欠如が大学改革を阻害する要因となっていることは「重要な相違」である。
本書は、「大学改革の時代はますます大学経営陣の才覚が問われる時代」にあって、アメリカの大学事情を知る第一歩として、貴重な情報を与えてくれる。
特に印象に残った点を以下に列挙する。
〇大学ランキングの攻略事例
ノースイースタン大学(ボストン,MA)の事例を紹介。教員数の増加、志願者数を増やすための簡素なネット出願の導入、新入生の「歩留率」を上げるための新寮の建設、大学のイメージアップを図るため、他大学学長との接触などを積極的に進めた。
〇カーネギー分類と大学評価
2014年以降、インディアナ大学教育学部の管理下にある。博士号授与大学(Doctoral Universities)約300校の中で、R1(約100校)に認定されることは、大きな名誉となる。
〇テニュア制度
本来は、政府や世論からの圧力による解雇をなくし、アカデミックフリーダム(学問の自由)を保障することが目的(1994年に定年制が年齢差別撤廃を理由に廃止されたからは終身身分保障の意味合いが強くなった)。テニュアを持つのは、アソシエイト・プロフェッサーとプロフェッサーのみ。テニュア・トラック(テニュア取得審査対象のアシスタント・プロフェッサー)に乗ってからの審査内容・プロセスが紹介されている。テニュア取得後に「枯れ木教授」にならないための「テニュア・レビュー」を設ける大学も増え、胡坐をかいていられない(世論もテニュア制度に対して厳しい)。テニュアを持つ教員の割合は減少。一方で、非常勤講師の割合が増えており、この傾向は特に州立大学で顕著である。
〇授業料高騰の要因
州立大学では、州からの財政支援金が削減されている(大学は授業料収入が得られるので、州も財政支援を減らしやすい)。公私立大学に共通する原因として、大学運営に係る管理職(高給)の増加、専門職(ITサポート、心理カウンセラー、進路相談員、法務関係など)の増加が大きい。厳しい財政事情の中で、収入確保策として力を入れているのが留学生受入れである。
〇学生ローン地獄
およそ2/3のの学生が、卒業時にローンを抱えている。2000年と比較して、学生ローンの借入総額は4倍以上に。この背景には、学費の高騰だけでなく、「高等教育法」によって、大学就学費用は政府が補助すべきもので、家庭の責任ではないという考え方が浸透していることもある。
一方で、アイビーリーグのようなトップレベルの私立大学では事情が異なる。例えばハーバード大学では基金が約4兆円もあり、アメリカの平均世帯所得(5万ドル前後)よりも多い6万5千ドルを低所得者と見做して授業料を免除するなど、授業料減免・奨学金制度が非常に充実している。
〇ホリスティック(総合評価)入学者選抜
歴史的には、アイビーリーグなどにおいてWASPなどのエスタブリッシュメントが自集団の身分防衛として他の階級や身分集団(従来はユダヤ人。最近はアジア人)を排除するように機能してきた。エリート大学に限定すると、この選抜方法で優遇されるのは、スポーツ選手が多く、続いてマイノリティー人種(大学によってはアジア系は対象外)、レガシー(当該大学の卒業生・教職員の子弟。巨額の寄付金が条件であることも)、早期決断に出願した学生、ファースト・ジェネレーション(初めて大学進学者を送り出す家庭の出身者。但し3年以内に1/3近くが退学する)である。
スポーツ選手が多いのは、大学スポーツが卒業生を含めた大学ブランドに求心力を持たせ、寄附金や志願者増に繋がり大学の収益源になるという発想による。しかし財政面でみると、高給の監督コーチ採用、遠征費、施設の維持費(大学が競技場の建設に力をれ始めたのは1920年代以降)、「タイトルナイン」という男女平等の条例のため、マイナースポーツの女子選手も確保する必要があり、「金食い虫」となっていることが多い。 -
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京都大学名誉教授(教育社会学)の竹内洋(1942-)による近代日本における社会装置としての旧制高校論。初出は中央公論社「日本の近代」シリーズの第12巻の同名書(1999年4月)であり、今回はその初の文庫化である。
【構成】
プロローグ 学歴貴族になりそこねた永井荷風
第1章旧制高等学校の誕生
第2章受験の時代と三五校の群像
第3章誰が学歴貴族になったか
第4章学歴貴族文化のせめぎあい
第5章教養の輝きと憂鬱
第6章解体と終焉
エピローグ 延命された大学と教養主義
「吁、宮(みい)さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。
お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。
一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。
来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか!
再来年の今月今夜……
十年後の今月今夜……
一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!
可いか、宮さん、一月の十七日だ。
来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、
月が……月が……月が……曇つたらば、
宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、
今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ(以下略)」
(尾崎紅葉『金色夜叉』(青空文庫版)より、改行は引用者)
尾崎紅葉の『金色夜叉』の有名な熱海の場面が、初出の単行本、文庫化された本書通じての表紙となっている。宮を足蹴にする貫一のいでたちは、学生服にマント、そして学生帽には白線が入っている。貫一こそ、本書で言及される学歴エリートの頂点に登らんとする、第一高等学校の生徒であった。
明治10年にできた東京大学は明治19年に帝国大学と名前を変えた。しかし、変わったのは名前ばかりではない。
東京大学時代は、工部省、農商務省など現業系官庁が抱えた専門学校に比して、官界への就職という点で特に優遇をされたわけではなかった。
しかし、帝国大学へ改組されるのと時を同じくして公布された官試験試補及見習規則においては、帝国大学の法科・文科については、短期間の見習いを経て高級官僚たる奏任官へ無試験で選考を進められるようになった。帝国大学令公布以後、続々とナンバースクールが整備され、帝国大学とあわせて国家の教育予算の過半を注ぎ込まれるに至り、ナンバースクールから帝国大学へ至る学歴貴族ヒエラルキーが成立したと本書はいう。
大日本帝国の官僚機構への人材輩出機関としての、東京大学→帝国大学→東京帝国大学については様々な文献で言及されているが、本書の特色はその帝国大学へ進学する本流であった旧制高校、中でも明治期に官立として設立されたナンバースクールとはいかなる学校であったかを明らかにする。
旧制高校の成立史、旧制中学から旧制高校へどのような階層的・地理的広がりをもった生徒が入学してきたか、そして寄宿舎での独特な生活に代表される旧制高校文化について、統計資料、手記・回想などを適宜引用しながら展開していく。
その中でも特徴的な文化である「教養主義」については本書でも第5章・6章で取り上げられるが、本書初出の4年後に上梓された『教養主義の没落』(中公新書)で著者が真正面で取り上げ、掘り下げるテーマとなる。(よってここでは取り上げない)筒井清忠『日本型「教養」の運命』と併読すると立体感が生まれなお面白いだろう。
旧制高校出身者という近代日本におけるインテリ・学歴エリートが、高いプライドを持ちながら常に何を煩悶し続けていたのか、その一端が垣間見られる一冊である。 -
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ちくま新書の『○○学の名著30』シリーズの社会学担当は、現関西大学文学部教授、京都大学名誉教授の竹内洋。
【構成】
Ⅰ 社会学は面白い…?
1 バーガー『社会学への招待』-人生は一場の戯れにしても
2 コリンズ『脱常識の社会学』-社会学という透視術
3 デュルケーム『自殺論』-社会の発見あるいは社会学の発見
4 ジンメル『社会学』-社会の幾何学
Ⅱ 近代への道筋
5 マルクス/エンゲルス『共産党宣言』-闘争モデルの原型
6 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』-近代資本主義と宗教
7 エリアス『文明化の過程』-痰壺が消えた
8 ハーバーマス『公共性の構造転換』-コーヒーハウスからインターネットへ
9 フーコー『監獄の誕生』
Ⅲ 大衆社会・消費社会・メディア社会
10 オルテガ『大衆の反逆』-専門家こそ大衆
11 リースマン『孤独な群衆』-羅針盤とレーダー
12 マクルーハン『メディア論』-メディアはメッセージである
13 ボードリヤール『消費社会の神話と構造』-どこまでも透明なネオ・リアリティ
Ⅳ イデオロギー・文化・社会意識
14 マンハイム『保守主義的志向』-保守主義は新思想
15 アンダーソン『想像の共同体』-ナショナリズムの誕生と伝播
16 ブルデュー『ディスタンクシオン』-中間階級文化の哀しさ
17 作田『価値の社会学』-「はにかみ」という美しい文化
18 姫岡『家族社会学論集』-義理と人情の相克
Ⅴ 行為と意味
19 ゴッフマン『行為と演技』-うけを狙う
20 ガーフィンケル『エスノメソドロジー』-日常知のほうへ
21 バーガー/ルックマン『日常世界の構成』-機能ではなく意味
22 ウィリス『ハマータウンの野郎ども』-反抗が荷担に、服従が拒否に
Ⅵ 現代社会との格闘
23 イリッチ『脱学校の社会』-想像力の学校化
24 上野『家父長制と資本制』-二重の女性支配
25 ギデンズ『近代とはいかなる時代か?』-巨大かつ複雑なシステムの疾走
26 ホックシールド『管理される心』-われらみな感情労働者
27 パットナム『孤独なボウリング』-情けは人の為ならず
28 ベック『危険社会』-グローバル・クライシス
Ⅶ 学問の社会学
29 中山『歴史としての学問』-学問・大学・文明
30 ブルデュー/ヴァカン『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待』-学者的誤謬推論を撃て
どの解説も非常に簡明であり、難解でとっつきにくそうな社会学のイメージを和らげてくれる。ウェーバー、オルテガ、マンハイム、ブルデューあたりは機会があれば挑戦していみたいと思わせられるほどであり、質の高いガイドブックだと思う。