谷岡一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
競馬のボックス買い、本命ねらい、同じ金額を賭け続ける…これらは得な賭け方か、損な賭け方か?
本書では確率・統計理論にもとづき、「必勝法の迷信・誤解」「より早く確実に負けてしまう方法」などを説きながら、「ツキの正体」を明らかにしていく。
賭け方・勝敗の意外な関係と、賭けの真の醍醐味を教えてくれる「ギャンブルの科学」。
[ 目次 ]
第1章 ギャンブラーの迷信
第2章 必勝法の誤り
第3章 確実に負ける賭け方とは
第4章 破滅型ギャンブラーとゆとり型ギャンブラー
第5章 効率的な賭け方とツキ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
筆者にできるせめてものことは、情報量の浅いコミュニケーションを減らすことなのである。
まず時間にメリハリを持たせること。それが効率的に時間をコントロールする第一の方法である。
普段から疲れきった脳に最後の一仕事をさせる訓練を積んで置かなければならない
どうせ議論のかみあわない人はほっておく
とにかく「放っておいてはならないこと」を作送りしてはならない。たとえ今余分に時間を使うことになろうとも、ボトムラインの哲学を成し遂げることは、優先さなければならない。
まちがってもいいから決断すべし。リーダーを目指す者はすべからく、決断から逃げてはならないし、タイミングを逃してはならない。
教養とは、乱読と、考える力と、そして自分の意見を発信しようとする意志に良い養われるものである
ゴミの仕分けができないひと、捨てるべきものを捨てられない人の住環境はゴミだらけになる。かといって後で必要となるものを捨ててしまってからでは後悔しても遅い。重要なことは自分に価値のあるものを見極める能力と、不要なものを切り捨てる勇気のみであるが、正直言ってこれが難しい。
自分で考える時間を作るために、情報をカットする時間をあえて作る
祖母 失敗なんぞ、山ほどすりぁいい。そうすりゃ、少しはまともな顔になるでな -
Posted by ブクログ
ギャンブルについてのいたってマジメな考察。米国のカジノのものは95-99%戻るのに対し、日本のギャンブルは宝くじ46.4%、公営競技75%なので、やはり愚か者への第二の税金なのだろう。やらないにこしたことはないのだが、、、やるのであれば、大数の法則には勝てないことを念頭に、SDを大きくするかけ方をする。たとえば、競馬のようなものでは本命に賭け続けると分散が小さくなり、負けやすくなる。ブラックジャックなどでは3−3−3よりは1−1−7というかけ方のほうが分散が大きくなり、勝つ確率は高くなる。マネーマネージメントも重要。負けると額を増やすのは最悪だし、むしろ逆にすべき。一日の終わりに軍資金をすべて封筒に入れて送ってしまうなど、ある程度を常に残すようにする。ツキなんてない。単なる統計上のゆらぎにすぎない。--------------------Z=(r-1/2-np)/(npq)^1/2でZを求めると半分以上の回数において勝てる可能性が計算される。p:勝つ確率q:負ける確率n:試行回数r:勝つ回数たとえば、赤と黒にかけてルーレットをするばあいp=18/38、q=20/38。r=5000であるためには(5000-0.5-10000X0.4737)/(10000X0.4737X0.5263)^1/2=5.257...なので、Z分布表を見ると1%以下であることがわかる
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Posted by ブクログ
ずさんな調査を「ゴミ」と呼ぶ、なかなか威勢の良い本。
これからニュースなどの調査を見るときにはバイアスがないかどうか考えながら見たいと思ったり。
よく見る調査で、これまでうっかりしていたな、というのが以下。
コーヒーを一日三杯以上飲む人は、飲まない人に比べて、心臓病で死ぬ確率が三倍以上に上る。(カフェインの取りすぎによるものと思われる)
↓
この調査は砂糖についてもコントロールしたのか
(コントロールするとは、影響力を排除するという意味)
ひょっとしたら、カフェインよりも砂糖の方が心臓に悪い可能性だってある。糖分の取りすぎが、太りすぎその他の健康障害を引き起こすことは周知の通りである。
以下メモ
・相関関係:変数の一方(X)が変化するにつれ、他の変数Yが同時に変化する関係。
・因果関係:変数の一方(X)の変化が、他の変数(Y)の変化を引き起こす、原因と結果の関係。
相関関係があっただけでは、因果関係があるとは結論付けすることができない。
・情報機器やシステムの進んだ現代では、他人より、より多くの情報を集めることを競っても意味がない。情報など集めようと思えば、いくらでも集められるからである。むしろ、今後必要となるのは、あふれるデータの中から真に必要なものをかぎ分ける能力、いわゆるセレンディピティと呼ばれる能力であろう。
これを訓練するにあたって、まずゴミを仕分けることが効果的であろう。つまりデータを「どう捨てるか」である。 -
Posted by ブクログ
平面充填問題というらしいんだが。
ある特定のタイルで隙間なく平面を埋め尽くす。簡単やんと思うが、それが、同じパターンの並びを出さない非周期、それも、周期的にもできるけど非周期にもできるではなく、非周期しかできない「非周期タイル」となると俄然難しくなるらしい。
1964年に初めて発見された時は、2万種類以上のタイルが必要だった。
ロジャーペンローズが1974年に、これを二種類まで圧縮してから半世紀、とうとう一種類で非周期に平面を埋め尽くすタイルが発見された。
なんだかとってもすごいことなんだが、どうも数学家の、こういうことに興奮する感覚に寄り添うことができないことを再確認。数式、行列が出て来たところで心が遊離した。
デザインとしては素直に面白いと思うんで、なんも考えないで理論飛ばせるところは、気持ちよく読めた。 -
Posted by ブクログ
父の蔵書を速読。
統計学の考え方をベースに、以下にすれば確実に"負けられるか"を解説していて印象がよい。ギャンブルで稼ごうという観点は論外なので放っておくとして、楽しみとして不確実性に賭けるのは趣味としてあり得ると認識している。
(ただし胴元はそれを生業とするため、参加者の人生が破滅しようとも可能な限り長く・多く賭け続けてくれるようにあらゆる策を講じていることは忘れずに。)
競馬、ポーカー、宝くじなど様々なギャンブルにおける勝敗のメカニズムを解説しているので、ギャンブルをするのであれば読んでおいた方が良いだろう。とりわけ、新興宗教との類似点の説明は的を得ていると思う。
まぁ僕個人としてはギャンブルはしないので特に用はないのだが。 -
Posted by ブクログ
タイトル「悪魔の証明」はよく法廷ドラマなどでも聞くように、無かったことを無かったと証明することである。本書でそれを「ネガティヴプルーフ」と呼んでおり、その逆あったことをあったと証明することを「ポジティブプルーフ」と呼んで解説をしていく。あったことをあったと証明するのは、そもそも「あった」何らかの事実があってから議論が開始されるし、それを事実たる証拠や動機を並べていけば比較的立証するのは簡単だ。例えば、事件が起こった時に凶器の内部が見つかったとする。それ以前にまずは事件発覚に至るための死体や血痕がそこにある。さらに監視カメラの映像や足跡、犯人が残した髪の毛など、ありとあらゆるものがそこには「ある」。よって例えば狂気に残る指紋や、犯人が身につけていたと推測される黒い手袋と同じ繊維が残っているなど(勿論、捜査の過程で膨大な時間と手間をかける必要はあるが)、あったことを証明することができる。
その逆、無かったことを証明するのは難しい。そもそも無かったのだから、目に見えるような「無かった」証拠すらもない。例えるなら、そこに貴方は居ましたか?と聞かれ、「その時間は別の場所にいたため、私はそこには居ません(居たという事は無い)」というアリバイなどがそれに該当する。別の場所にいる=その場にいるはずがない、これを立証するためには、別の場所にいたことを立証する何か他の証拠が必要になってくるし、仮に誰かがそれを証明してくれたとしても、その誰かが嘘や便宜を図ってないと証明することが別に必要になってくる。無いことを無かったと証明するためには、そのように直接的な存在を証明する何かすら存在しないため、推測や合理的に類推可能な話を沢山並べて、「だから、あったと言う事は無い」と逆説的に説明していくしか無いのである。
本書ではそうした判りにくい内容をキリスト教の聖書の真実性や、政治の世界で繰り広げられる野党の批判内容や、統計学を用いながら解説していくので非常に飲み込みやすい。ただ若干キリスト教に文量が多く割かれているので、それに関する知識があった方が、なお読みやすく、理解も進めやすいだろう。
因みに筆者は無理な質問をする野党議員の質問の仕方の問題点や、新聞マスコミの意図的な情報操作にも怒りを覚えているようであるが、それに関しては私も共感できることが多かったため、読み進めるのが比較的楽であった。直接悪魔の証明とは話が離れていくものの、そもそも質問側が立証責任があるにも関わらず、回答者側に立証せよと迫る事例、公開討論を呼びかけて応じない姿勢などについて、報道を見るたびに大きな「違和感」を感じている。特にどこぞやの大学教授、テレビ局の社員のコメンテーター。昨日までは真逆の意見をいかにも真実であるのが間違いない、といった自信に溢れた口調で断言していた筈なのに、それを否定する証拠が出たり、世論がむしろ逆方向の賛同に傾いた瞬間、いかにも自分が以前からそうだったように態度を急変させる。そう言ったコメンテーターを抱える番組それ自体の知性も疑う。司会者もディレクターも誤りを認める態度は一切なく、検証しようという姿勢すら全く無い。総じて勢いと声の大きさ、威勢の良さ、断定的に喋る人は、大半は「ダメな人」に見えてしまう。
無かったことの証明ではないが、そういった誤った発言をする方は「居なかった事にしてしまう」傾向も見て取れる。枝野幸男氏しから、テレビ局を定年退職した社員コメンテーター然り、その様な恥辱の歴史を闇に葬りさろうとするのは日本人に共通する特徴として「ある」気がしてならない。