星亮一のレビュー一覧
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失敗の本質を読み、ミッドウェー海戦に興味を抱き、さらにその主要人物の事を深く知りたいと思い、山本五十六の次に山口多聞を選んだ。
今で言う超エリートと言うべきか、飛龍と共に沈んだのは本当に残念に思う。
しかし終戦まで生き延びても、山本五十六共々戦犯になっていたのだろうか。あれほど開戦に反対していたのにそれは居た堪れないと思う。
自分の役割に徹し、開戦となったら自ら訓練に臨んだり、目の前のことにまさに命懸けで臨むところは見習いたいと思う。
妻孝子への手紙も記載されており、ツンデレが垣間見えるところも温かい人となりがよくわかった。
以前、吉村昭の零式戦闘機を読んだことがあり、あの、牛で引かれていった零戦を漢口で心待ちにしている山口多聞がいて、零戦を多角的に読むことができたことも大変面白かった。 -
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親友の祖母が青森県佐井村の方で、会津藩士の末裔だと話してくれたことがあって、なんとなく斗南藩関係の新聞連載(東奥日報)を郵送してもらったり、八戸、田名部、横浜、むつ市、大間、佐井村に旅行がてら何度も親友と訪ねた
斗南藩資料館を訪ね、会津藩士末裔の館主の木村さんに話を伺ったのも10年ほど前だ
ボクは官軍方なので、大学までの勉強の中では、新選組や会津の連中は学問をしていないバカだ、論語や四書五経だけ学んで、それが悪いとは言わないが、徳川幕府がすべてと思い込んでる、世界を観ることができない狭ーい視野のバカだ、こんな奴らが天下国家を語るから幕末の日本が停滞したんだ、と思っていた
斗南藩など知らなかったのだ
いろいろ知っていくうちに、斗南の人たちの貧しさと苦労、その悲劇に吸い寄せられていった
親友が戸籍を壬申戸籍までとってさせてくれた、家系図っぽいものを作りたいらしい、なかなか楽しい
弘化四年生まれとか、なかなか感慨が深い
そんなことしているとつい斗南藩関係の本を読みたくなって読んだ
結果
会津の人たちの見方がまた修整された
大学までのボクが持っていた会津のイメージあながち間違いでもない
彼らと彼らに同情的な立場の人たち、この本の著者も、
会津可哀想
官軍は酷い
この方程式に疑問を持たない、一方向のものの考え方しかしていない
自省することがない人たちだ
攘夷倒幕活動をテロとしか捉えていない
相手の立場に立って考えることをせず、相手の言い分を聞く姿勢が一切見られない
会津攻撃の前に官軍な何度も何度も降伏を呼びかけ、鳥羽・伏見の戦いの首謀者を差し出して手打ちとしよう、と平和解決を提案していた
それを策謀によって長州藩士世良修蔵を悪人に仕立てて手紙を捏造し、寝込みを襲って斬首する、その他仙台藩や米沢藩の裏切りを官軍にバレないやうに偽装しながら長州藩士を暗殺し続けた、これはテロでないのか?
その結果の会津攻撃だ
会津藩仙台藩米沢藩のテロについては言及が無い
寝込みを襲ったり闇討ちしたり、亡骸を河に投げ捨てて放置するとか、会津のやり方はおよそ侍の行いではない
西南戦争で薩摩人を殺してバンザーイと言っている連中だ
恨みがあるとしたら長州藩士の方だと客観的には誰でも理解できることだ
安政の大獄以降とんでもない数の長州藩士や改革派が処刑された
天狗党の武田耕雲斎など一族郎党女も子供も乳飲み子もすべて斬首だ
徳川幕府はこんなことをやっていたのだ
それでも長州藩士の世良修蔵や官軍は平和解決のため会津藩に降伏を何度も交渉している
にも関わらず会津は世良修蔵が会津全滅を強硬に主張したとウソを捏造し降伏を拒否した
本書は会津人の本質を垣間見ることができる
逆恨みの塊
会津藩は身分差別が酷く、その恨みからか、会津戦争の混乱の中、農民一揆が起きて会津藩士を襲撃して苦しめた
藩主の危機に会津農民が追い討ちをかけたのだ
よほど為政者に対して農民は恨みを持っていたのだろう
庄内藩の三方国替の義民事件と真逆の事件だ
ロクな藩政を行っていなかったことが、家老達の言行にも見て取れる
梶原平馬は鶴ケ城籠城中に女子供を殺して逃げ延び再起を図ろうと言っている
西郷頼母の人徳のなさも、侍としての教養の無さもよくわかる内容だ、農民どころか下級武士でさえ人間扱いしていなかったようだ
会津を全否定するつもりはない
維新後全国どこでもかつての侍が教師や官吏軍人或いは財界人となって地域の発展のリーダーとなったように、
会津藩士の優れた人たちは青森県の発展に多大な貢献し、文化教養の担い手、経済産業の基礎をつくっていった
それが半端じゃない貧困の中から作り上げていったことにひたすら頭が下がる
会津側からの一方的な悲劇のヒロイン演劇だが、事細かく客観事実を書き連ねているようなので相当な参考資料となるだろう
倒幕新選組戊辰戦争、その原因の1つに会津藩の腐りきった仕組みが原因としてあったことは間違い無い、と読み取れる
徳川幕府を宗教的に信じた会津に非があるとしか言いようがない
会津方の一方的な主張であることを肝に銘じて本書は読まなければならない -
購入済み
幕末のゼレンスキーかもしれない
幕末の動乱の様子が、よく伝わってきた.
新政府軍と旧幕府軍のいのちの格差というのだろうか.
河井継之助の奮戦ぶりが痛快でたのもしかった.
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僕たちにはそれぞれに出自についての「歴史」があります。故郷や一族には過去にどのような出来事があったのだろうか。僕の場合、本当に知らなかったこと、理解しようと思わなかったことが山ほどあって、今でもすべてを把握しつくしているわけではない。少しでも出来事をつなぎ合わせたりして、僕につながり、連なることどもをくっきりと思い描いておきたい。会津を追われた人々が流されたのは、北東北の僻地、いまの青森県三戸から北の下北半島まで。土地は荒野そのもの、言葉も通じない、冷害で食べ物もないところだった。幼い命、老いた命、将来を嘱望された命は随分と失われた。生き残った人々はその無念を忘れてはいない。
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年末年始のBRUTUSの読書特集で取り上げられていて、気になっていた一冊。
鳥羽伏見の戦いと江戸無血開城くらいしか認識されていない戊辰戦争。会津が攻められたことは知っていたけど、その裏にあった「奥羽越列藩同盟」ってのは知らなかった。
ただの「反薩長」っていうだけではなく、それぞれの義を持って立ち上がった各藩。
司馬遼太郎の「峠」を読んだし、かつては新潟、福島、宮城、盛岡各県は営業担当地域だったし、っていうので、思いっきりシンパシーを抱いて読みました。
関ヶ原もそうだけど、どっちが勝ってもおかしくなかった状況だったけど、ちょっとした掛け違いの連続で結果が変わってしまったんだよね。急造寄せ集めの性と言えば、そうなんですが。 -
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自分は会津の家系なので薩長、特に長州憎しの感情の高ぶりのままレビューを書いている。なので長州の方が読むと気分を害されることをあらかじめお断りしておく。
この本は鶴ヶ城落城後に会津藩が舐めた辛酸を中心に綴り、いかに新政府軍が人にあるまじき残虐行為をしたかを明らかにしている。
城下の戦いでは略奪を欲しいままにし、婦女を暴行したあげく惨殺し、戦闘で死んだ者の埋葬を禁止し、腐敗するまま、カラスに啄ばまれるままにした。酷いの一言に尽きる。もともと士分ではないものが新政府軍には参戦しているから横暴に歯止めが効かなかったこともあろうが、それでも首脳陣がそれを許容したからこんな非道がまかり通ったのだ。
会津藩はその後、斗南の地へ流される。現在の青森県だが、当時はまったくの不毛の地で米もろくに採れず、病死者、餓死者が続出する。そのまま藩ごと消滅してしまえと考えていたとしか思えない。これを指示したのは長州の木戸孝允だ。
そもそも恭順を示していた会津に無理難題を押し付けたのも長州だ。孝明天皇の御所に発砲して朝敵と名指しされたのも長州。岩倉具視と謀って孝明天皇を毒殺したのも長州。倒幕の密勅を偽造したのも長州。やくざと同じ。いいがかりをつけ、意に添わなければ排除する。
いくら京都で攘夷派の志士を殺された恨み、禁門の変で敗北した恨みがあったとしても、それは自らが撒いた種だ。会津は勅命と幕命に従ったまでで、報復はお門違いだ。長州の悪行はけして許せるものではない。
会津は賊軍ではない。賊は長州だ。これだけははっきりしている。
会津藩主・松平容保が死ぬまで大事にした孝明天皇の御宸翰が厳然たる証拠だ。
これはぜひ教科書に載せたい。
またこの本では一橋慶喜という臆病で卑怯者を断罪している。
維新というが、別に長州と薩摩が主導でなく幕府主導でも、それなりの開国になったはずだといつも思う(でも廃藩置県と国民皆兵は長州じゃなきゃできなかったと認める)たまたま慶喜という暗愚な将軍が立ってしまったから、迷走したが、こんな小者でなければ、幕府が勝つことも十分あった。江戸も勝じゃなくて小栗に任せるべきだった。慶喜を英邁な君主とする説を唱える学者もいるが、何を曲解したらそんなことになるのか。ほんとに馬鹿じゃないだろうか。そんな説は抹殺したい。
牙を抜かれ冠も奪われた会津藩は、臥薪嘗胆の思いで武力以外のところで奮励努力し大成する人が多くなった。とくに教育界での大成が目立つ。
長州は「国」をつくったかもしれないが、会津も「人」をつくった。
会津は誇りを失わない。 -
Posted by ブクログ
2026年4月現在、NHK BSで再放送中の大河ドラマ『八重の桜』(山本むつみ, 2013)の鑑賞の参考にと。
急激な情勢変化と過ちと不運の連続! もはや宿命としか思えないほど何もかもが仇や枷となり、薩長や倒幕派の後手に回る会津藩。残された記録から読み解かれる実像が悲しすぎる(やや物語調が強すぎるきらいはあるが)。
下士ながら公用方として活躍した秋月悌次郎への冷遇が解せない。ドラマ内では池田屋事件の責任を問われ(新選組を止められなかったから?)て罷免・帰国させられていたが、史実では事件前に帰国させられていたらしい。最終的な決裁は藩主 松平容保にあったはずだが、京の事情に通じ薩摩藩とのパイプ役でもあった彼を外すなんて愚策でしかない。なぜ?