内田也哉子のレビュー一覧
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お客様にお勧めしていただいた本。とても面白かった。以下、心に残った言葉たち。
・アリー効果:生物の原則で、生き物が最も生き残りやすいのは①ぽつんと1人でいる②小さい集団でいる③大きい集団でいるの中で③。人間が同調圧力で人を叩いたりしてしまうのは生物的な原則に基づくとも考えられ、ある種生存本能として仕方ない行動。 生き延びるためには集団になることが1番の武器。だから自分の意思を優先するより、みんなと同じように考えましょうとなるように仕組まれている。
・相手が自分の何かに反応していると言うのはものすごい喜びで、ドーパミンの快感につながる。自己効力感と言って、自分が何かに対して影響及ぼすことができた時、ドーパミンの回路が活性化する
・ 光なのは相手が自分にリスペクトと好意を持ってくれていると信じられることだと思う。その人がどんなに大変な人であったとしても、それさえあれば。(関係は続いていく)
・脳は30歳位まで未完成なので、それまで的確な判断ができないし、人に共感もしにくい。 人間は体と脳の発達のバランスがあまり良くない。体が生殖に向いているのは20代かもしれないが、脳が子育てに適した状態になるのは40代位と言うことを示すデータがある
・現在、フランスの60%近くの子供たちが、婚外子。 -
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ネタバレ中野先生の本は相変わらず面白い。そして也哉子さんも幼少期から普通の家族って何なんだろうをかかえながら生きてきた人なのだろうということを伺わせる本だった。なぜ家族を続けるのかに対して明確な答えを提示しているわけではないが(それこそ~だからだ!という答えを提示したら、結局いわゆる家族像の押し付けにもなりかねないし)、こんな家族があってもいいんじゃない?とかこういう背景にはこういう理由があって、という知見を広げてくれる一冊ではあるように思う。
以下読書メモ
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・ただ、私たちは社会通念というものをそれなりの年月をかけて学んできてしまうので、マジョリティとされている考え方を「これが正しいんじゃないかな」と蓋然性を持って学習してしまうと、それに照らし合わせて、どれだけ外れているか・外れていないかで、「自分は間違っている気がする」という感覚を持ってしまう
・アホウドリのカップルは三分の一がレズビアン
・科学というのは、統計的な有意差でもって明らかにしていくものなので、それ以外の個性のようなものは、実はまだ科学では扱えていないことがあるんです。つまり、まだ、科学のほうが経験知より遅れているところもある。
・もう一つは「科学でわからないことは、まだわかっていないだけであって、あるともないともいえないですよね」という人。論理的には後者が正しい。私は後者の考え方をしたいと思っています。
・世の中というのは物理的にできてはいるけれども、その上に人間の認知が乗っかっている。つまり、みんながそういうふうに思っていれば、ほぼ存在するのと同じことだといってよいでしょう。人気とか景気とか、いわゆる「気」が付くものはだいたいそんな性質があります。みんなが存在すると思っているから存在する。
・接している時間、育ててもらったという経験によって、脳そのものが変化したわけです。別に遺伝だけですべて決まるわけじゃない。一緒に接している存在もとても大事ですよ、ということを示す実験です。
・知性を司る大脳新皮質、知性は母、内臓などの他の体の部分は父
・AVPR(アルギニン・バソプレッシン・レセプター)というホルモンの受容体に、俗に「不倫遺伝子」といわれるものがあるんですよ。たったひとつ、DNAレベルでいうとたった一文字違うだけで振る舞いが変わっちゃうという。
・ 実は、広く浅くタイプのAVPRは、男性が持っている場合は「離婚遺伝子」といわれ、女性が持っている場合は「不倫遺伝子」といわれます。何となく違いはわかります?男性の場合は浮気が露呈しちゃうとすぐ別れることになっちゃうけど、女性の場合はうまくやっていろいろと得をするということのよ
・ 貞淑になる遺伝子と、不倫を好む遺伝子がある。
しかし実は、貞淑型と不倫型の人数の割合はおおむね五対五と推測されています、ということは、もともと一夫一婦制の結婚には向いていないタイプが人口の半数ほどいるということなんですよ。
・これは母の教えというか、母を見て知ったことなんですけど、とにかく結婚したら相手に何一つ求めないということ。例えば家事でも何でも、「自分がしたいからすると思えば楽だよ」と母に言われました。というのも、父は稼ぎも家に入れないし、いわゆる父親の役割も果たしてなかったのですが、母はよくそれに耐えたなというより、「そもそも求めてないから平気なんだ」って言っていたんです。
・人間なんてその最たるもので、外側が柔らかいから他の動物に食べられやすいし、足も遅いし、筋肉もほ乳類の他種と比べると少ない。生き延びていくには集団になることがいちばんの武器だから、自分の意思を優先するよりみんなと同じように考えましょう、となるように仕組まれている。
・まず、私たちは大きな集団のほうが生き延びやすい。では大きな集団の中でみんな平等に生きているかというと、そんなことはなくてヒエラルキーが作られ、"オピニオンを出す側"と"それに従う側"ができる。だいたいは従ったほうが気分がよくなるように仕組まれている。
・脳も楽できるから心地よく感じるんだよね。でも、"オピニオンに従う側"は実入りが少なくなるということに気付くヤツがたまに現れる。そして裁量権がある側に行こうとする。その場合、その上昇志向のヤツは「みんなの意見に従いやがって、お前は汚い」みたいなことを声を大にして言うと、"オピニオンを出す側"に回れる。こういう共同体構造をつくる仕組みも、同時に私たちは持っているの。
・「人類は平和がいいとわかっているのに、どうしてその方向に進まないのか」ということを経済学分野の先生とディスカッションしたことがあるんだけれど、そのときに、平和な状態って文明の終わりじゃないのかって思った。戦争が多いときのほうが文明が発展したということ?賛否あるけれど、現実の歴史としては、軍事技術がそうよね。
・ 安定しているのに、わざわざ波風を立てるんですよね。そのほうが、生のやり取りをしている感じがする、というか⋯⋯。
→ドーパミンの快感が欲しいからじゃないかな。相手が自分の何かに反応しているというのは、すごい喜びなの。自己効力感といって、自分が何かに対して影響を及ぼすことができたとき、ドーパミンの回路が活性化するんだよね。それが「自分が存在する理由だ」と思い込んでしまうほどには、そうだと思う。安定して何もしない、何にもコミットできないというのは、実はストレスなの。
・ 私、惰性というのは大事だと思っているの。「惰性で続いている」というのは収まるべきかたちに収まった、という意味でしょう。水を流すと溜まるべきところに溜まるでしょ。そういう生き方を目指すべきなのではないか
・自分の意思で水を止めたり、無理のあるところに溜めようとしたりしても、あまりいいことが起きないような気がする。これがブラックホールの原因なんだと思う。押しとどめたいと思っても、押しとどめようと無理をした結果、ブラックホールができたり気づいたりしてしまうのなら、無理するのはやめようと思った。
・ 大切なのは、相手が自分にリスペクトと好意を持っていてくれると信じられることだと思う。その人がどんなに大変な人であったとしても、それさえあれば。
・例えば「私の夫はイケメンである」と言ったとしましょう。これは真か偽か。「写真を見せろ」とか、「会わせろ」とか、第三者から見てイケメンであるかどうかとか、判定できる何らかの材料をよこせということになりますよね。これが提供できて第三者から見てわかる材料がある状態を「反証可能性がある」という。つまり、反証というのは、「イケメンではないじゃないか」と反論できる材料。これがないと、「反証可能性がない」。で、自然科学である脳科学では、反証可能性がないといけない。
・ひとりの空間を確保したい。けれど、でも孤独は嫌だというダブルバインドは不安定な感じがして不快かもしれませんが、実はヒトの特徴でもあります。
・キレそうな自分を抑えるのに必要なのは「メタ認知」です。自分の思考や行動を俯瞰の目で眺めることです。メタ認知ができれば行動を制御できます。私はカーッとなりそうなとき、その「ロックですねえ」を思い出します。すると、ああ、切れてはいけない場面だ、とブレーキをかけられるようになりました。時々失敗しますが、ぜひ、カーッとなると思い出す何かを、感情に紐づけておくことをお勧めします。
・ また、脳の0FC(眼窩前頭皮質)という部分は「共感の領域」といわれ、相手の持っている感情に寄り添うところです。ここも同様に成長が遅いので、お母さんがこう思っているだろうな、こんなことをしたら嫌だろうなと察することは、子どもにとってはかなり困難です。
・ 何か嫌だなと思うことがあった日は、じくじく考えるのが嫌なのでデスノートにつけているんです。そこに書いてしまったら、もうそれきり考えない。そして後でお焚き上げをする
・人間は身体と脳の発達のバランスもあまりよくないですよね。身体が生殖に向いているのは二十代かもしれないけれど、脳が子育てに適した状態になるのは四十代ぐらいだということを示すデータがあります。
・いやいや。考え過ぎると子どもって作れないようになっているから。恋愛をするときは理性が働かなくなるでしよ。「この人好きだな。この人の子どもが欲しいな」と思うのは、理性と違うメカニズムが働くんですよ。人間は理性を働かなくさせるという有性生殖の仕組みを何万年も保っているのにもかかわらず、それでも理性も大事という。
・ ずっと先のことを考えられるのは人間だけの特徴なので、その理由での自殺というのは人間だけなのでしょう。
・ショックでした。死ぬ理由なんてどこにもない。何もかも順風満帆に見えたのに。今生きていらしたら、すごく活躍していたと思う。彼女の死を思いながら、私は死んではいけないと思った。生きていくのがしんどくて、今日生きているのもやっとだ、でも、取りあえず石にかじりついてでも生き延びて、やり過ごして、風がやんだらまた進もうと彼女のことを思ってがんばったことがあったんです。どんな人でも人間のつながりがあって生きている。人が命を絶つということは、想像を絶するダメージを周りにも与えているわけよね。どうしたらそういうことを止められるのだろう。あまりにももったいない。もったいないことをみすみす見過ごすのは本当に切ないです。
・ すごく真面目な人というのは、一増えるハッピーよりも一増える苦しさのほうをずっと大きく感じるの。九十九人が絶賛しても、一人が攻撃してきたとか、ちょっと皮肉を言ったとか、それだけですごく大きく感じてしまう。そういうこともあるんですよ。
・神田橋條治という精神科の先生が考えた、一回死んでみるという方法があるんです。自分の身体の緊張を解きほぐしていくために、「左手がだんだん重くなります。力が抜けてきました。左手が温かい」とかいって行う自律訓練法というのがあるの。その先生は、うつの人が死ぬことを決意するといったん元気になるという現象に着目したんですよ。
・死ぬことを決意している人がいたら、「じゃあ一回、一緒に死んでみようか」と横たわるのね。で、「あなたはもう死にました。今からあなたの肉体の肉がどんどん溶けていきます。腐って、溶けて、土に還っていきます。今、だんだんあなたの体は骨になってきました。骨になって、日光にさらされて、どんどん白くなっていきます。白くなって、残った肉もどんどん干からびて落ちていきます。体をゆすって残った肉を全部落としましょう。あなたはきれいに白い骨になりました。好きなだけ死んでいていいですよ」。そしてまた、「そろそろ生き返りたくなりましたか?」というところから始めて、「だんだん溶けた肉があなたの骨のところに集まってきます。肉がだんだんかたちになって、ほら、指が動くようになりました。気力がみなぎってきたのがわかるでしょう。さあ、起きてください。あなたは生まれ変わりました。」とやっていくんです。
・ 人間は生物の中で唯一、将来を憂えて命を絶つということがあるけれども、逆に想像力で死を体験することだってできる生き物な
わけじゃない?
・ 私たちは誰もが複数の側面を内包しながら、これらを使い分けて生きている。あなたが私だと思っているものは私ではない。一時的に、そういう側面を見ているだけ
・そのとおりで、私たちはいろんなペルソナをバラバラに持っていて、そのバラバラな自分がモザイクのように融合して一つの形になっている。ただ、そのペルソナは学習して獲得しているんだよね。例えば、「名誉男性」と呼ばれるのがしっくりくるような女性たちは、男性原理社会の中で認めてもらえるよう、成功した男性を見ながら、男性社会で生きるためのペルソナを必死に手に入れた
・ 視覚には説得力があるようで、実は上書きされやすく、すぐに忘れてしまう。だからテレビよりラジオのほうが人を説得できるという研究もあるんです。例えば流行りの歌のフレーズが何回も頭の中でループすることがあるでしよう。音は記憶の中刷り込まれやすいの。私たちの先祖は夜行性のほ乳類で、暗闇では聴覚が頼りだったことの名残なのかもしれない。
・例えば、脳は私たちの睡眠中、記憶を整理し、それを固定させたり消去したりしている。脳に蓄積したゴミのウォッシュアウトもしている。眠っている間も脳は働いているんです。
・ 人がなぜひとりぼっちだと心細く感じ、ほかの人と一緒にいるとなぜ安心なのか。人といると生存確率が上がるからなのね。敵が現れたらどちらかが戦えばいい。つまり二分の一の労力で済むわけ。一緒にいる時間が長くなればなるほど、それはその人と生き延びられたという実績になるので、もっと長くいさせようとする。そのために、脳ではオキシトシンが働いてその相手との間に「絆」を感じたさせ、できるだけその人と一緒にいて生存確率を高めようとする。場所についても同じことがいえるのであって、その場所に長くいたというととは、つまりそこで生き延びられたという実績として、いわば脳に刻まれるわけです。十六代といったら戦国時代から続くお家であるわけでしょう。
・ いろいろなパートナーを求めることは別に人間として不自然だとは思わないけれど、ルールがある以上、ルールを犯さないように振る舞うといらのも人間の知性だから、それはその人の裁量、ということになっちゃうよね。
・家族という機構はたしかに、ごく客観的に、機能面からだけで見ても、実に多くの役割を持っています。性、生殖、扶養、経済的生産、保護、教育、宗教、娯楽、社会的地位の付与等⋯⋯。けれど裏を返してみれば、こういった機能は社会の変化に沿って、大きく変容し続けていくものである、ということも言えるのです。家族のあり方というのは、一意に定まるようなものではなく、歴史的、民俗学的に見れば多彩な様式が存在しました。
・ 「一家の大黒柱」として収入を得て、その収入によって家族が運営され、妻は家庭内の切り盛りをし、分業的に子を養育していくという形です。その形をとると次世代を残すために効率的な分業が可能になるのと同時に、社会的にはもう一つのメリットもありました。何が便利だったかというと、会社組織ないしはコミュニティが、男性を働かせ続けるために妻子をいわば人質にとることができるわけです。人質というのは聞こえが悪いかもしれませんが、扶養家族を持っていることで、男は簡単に離職することができなくなるわけです。そこに、女が働くことはあまりよしとされないという通念も主として経営側の論理として生まれてきます。組織体にとって、婚姻関係によって妻子を持たせるというシステムは、労働力の確保という点では極めて理にかなった構造であったのです。 -
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ネタバレ印象に残ったフレーズ(引用)
難の多い人生は有難い
ダイバダッタは、むかしはおしゃかさんの従兄弟かなんかで、同じように手をあわせていたんだけど、おしゃかさんの方が先に悟りを開いたのを憎たらしいとおもって、邪魔ばかりしてた。ちょっとでかけてるあいだにお弟子さんをつれていっちゃったり、お釈迦さんの名声があがるごとに命を狙ったりね。
おしゃかさんはそのダイバダッタに対して、ダイバダッタは前世で自分の師匠だった、今世ではじぶんがさとりをえるために同じ場所にうまれてさまざまな難を与えてくれているのだ、と悟るわけです。
自分に対して災いを起こし、不本意なことをやってくれるにんげんを、逆に私にとっての「師」であるという気持ちで受け取るのだと。
誰かと自分を比べるような、はしたないことはダメといってました
はしたないと普通に言える昔の人の環境
お釈迦さんがね、人間として生まれてくることは極めてまれなことだって。だったらね生き続けなきゃもったいないじゃない。
誰かがなんか言ってもそれは違うわよっていうのはまずないです。まずは、あ、そうなのと受け入れる。
だから9月1日に「嫌だな」と思ったら、自殺するよりはもうちょっと待って、世の中をみててほしいのね。必要のない人なんていないんだから。
余談ですけどね、宗教とは関係なく、これからrの世の中は、目に見えるものしか信じないか、目に見えないもののも受け入れるかで、ずいぶん歩いていく道がちがってくると思うんですね。
自殺なんていうのは、いきようとする肉体の細胞を無理やりシャットアウトするわけだから、自分の肉体ではあるんだけど、細胞の気持ちと相反しているわけです。
死ぬ理由が、病気でもない、事故でもない。社会に、あるいは自分の中に、こうでなければならないというなにかがあるために、その葛藤の末に死を選んでしまっている子供がいる
不登校の子との対談
シューレ(不登校の子が集う場所)に行った初日、なまえとか、どいう言うところで育ったとか、どんな問題を抱えているのとか、ある意味「情報」がわきに置かれていて、魂同士で交流できていた。
何かを一緒にやっているうちにその人のいいところや考え方が見えてくる理想的な集交流だったという話
トンネルにいるときの時間を「発酵させる時間」と考える
親が感じる時間を取り戻すことが大事
30秒でもいいから自分が感じるための時間にして大切にする
「今日は満月できれいだな」とか
「なんで学校行かないの?」とそういう会話はせずに、まずは親が感じる時間を取り戻すことが大切
違ってもいい はずれてもいいという -
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希林さんと、裕也さんを両親を持つ、也哉子さんから見た親子の関係が垣間見えるエッセイ。也哉子さんは、パワフルで個性的な両親に比べて、思慮深く物静かに見えるが、確実にお二人の影響を受けて人生の気づきについて色々な対談者を通して、也哉子さんらしく丁寧に綴っている。その観察力や共感力が興味深く、今は亡き両親が、これからも歳を刻んでいく也哉子さんの中に生き続けるのだろうと感じた。このエッセイを通して、也哉子さん自身が両親と対話しているような、温かみも感じた。親子を超えた、一人の人としての存在感を包有している感覚は、人生のメンターのようで、偉大な存在なのだろう。
「人間は当たり前にみんな孤独」と母はよく言った。
親が一人、そして二人去っていった。家なんて一過性のものかもしれない。でも私たちはもう一息、その残像となるべく家族というものを描き続けよう。
マリさんは虚無感を覚えることはあるんですか?
もちろんありますよ!寂しさとは共生していくもの。だから避けないで受け入れる。
ありのままに生きていて充足している人は、等身大以上の自分になろうとしない。かくある自分で十分満ち足りているからだ。
人間は他の人も自分と同じだと思う悪い癖があるのよ。でも自分と同じ人なんていない。
愛が膨らむほど恐れが大きくなる。
谷川俊太郎、石内都、ヤマザキマリ、シャルロットゲンズブール、みんなそれぞれに迷いの時期を経て、独自の人生観を獲得し、軽やかに生きる術を持っている方ばかりで、勇気が湧く。 -
Posted by ブクログ
対話エッセイとあったので、全てが対話形式と思ったが、数名のインタビューしかなくて残念。
特に小泉今日子さんとの話が聞きたかった。
也哉子さん特有の表現は時に美しく時に遠く感じる為、読みやすい時と読み進めにくい時とあった。
ご両親を相次いで亡くされたことによる喪失と生、死とは。
また、独特なご両親を持つ子供としての立ち位置、育ち方などそれぞれにあって面白い。
母親とは母性を持って子供を育むものだと思うのは当たり前とは思ってはいけないもの。
母親にもそれぞれ個性があって、子供ともいろんな接し方があってしかるべし。しかし、個性的な親に育てられると言うことは、しっかりと子供にも繋がっていくものだと思う。
生きることは、千差万別。
しかし、難しいことは考えず、なんか生まれてきたから生きてていいんだ、で良いのかもしれない。