ニッコロ・マキアヴェッリのレビュー一覧
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君主のことを自分のことより優先する側近を置く
選ばれた者だけを情報源として信用する
自分の行動と能力を頼みとする
改革は強引に実行する
君主の鑑とは:敵から身を守り、味方をつくり、武力あるいは策略によって新たな領地を制圧し、国民に愛されると同時に怖れられ、兵士の信望と敬意を集め、自分にとって害となりうる者を滅ぼし、古い社会制度を改め、冷酷でありながらも愛され、寛大かつ鷹揚で、言うことをきかない軍隊をつぶして新しい軍隊をつくり、諸国の君主たちが快く協力する一方で、攻撃することを躊躇するような関係を築く者こそ、君主の鑑である。
災いは芽のうちに見つける
余計な技術を学ばない -
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狐のような狡猾さと獅子のような獰猛さを以て統治せよ、といったフレーズで議論を巻き起こしたと言われる本。まぁ一つのフレーズが一人歩きして印象を代表してしまうことはこの本に限らずいくつもあるだろうけど、ご多聞に漏れずこれも言うほど過激ではないと思う。表面上穏やかなだけな人を「優しい人」と呼ぶ種類の人間にとっては、過激と捉えられるだろうが。
全部で20数章にわたって著者が仕える君主に対して上梓する君主足るものこうすべき、といったことが書かれている。様々な事象を持ち出すのはよいことだが、それぞれのケースについて知らないとあまりピンと来ないどころか、どっちが味方だかわからないというようなことにもなって非常に読みづらい。それに、例外のケースも挙げるのはよいが「幸運だったから」と片付けられるのもなんだかなぁ。
ただ、それぞれの理論についてはなかなか面白かった。個人的にお気に入りなのは23章の良き君主でないと良き助言は得られない、というくだり。なんでも他人のせいにしちゃうような上司に言ってあげたい御言葉でございます。 -
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【文章】
とても読み易い
【ハマり】
★★★・・
【共感度】
★★★・・
【気付き】
★★★・・
・誠実で親切に見えるようにする
実情はどうであれ
・協力者の動機を考える
今後の振る舞いにあたりをつける
・叩くときは徹底的に叩きのめす
復讐の芽は残さず摘む
・運がくれるのは好機だけ
組織の長はメンバーから畏怖される存在になるべきである。
ただし、恨みや憎しみを買うような事をしてはいけない。恨みや憎しみは、組織内部に不満分子を生む原因になる。
組織をまとめるための一つの手段として、恐怖を利用する事は、所属する組織を自由に変える事ができる現代においては、あまり有効な策とは思えない。 -
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世界史をほとんど知らないので、今一つ具体的事例がピンと来なかったが、抽象度の高い記載は、君主をリーダーや経営者に置き換えて読むと、十分現代にも通じる。(当たり前だが。)
内容的には、韓非子に通じるように感じた。韓非子よりずっとコンパクトだけど。
「心の訓練についてみるに、君主は歴史を読み、その中で偉人達の行動を考察しなければならず、戦争において彼らがどのように行動したかを知り、勝因と敗因とを検討して後者を回避したり前者を模倣したりできなければならない。そしてこれら偉人達も彼ら以前に称賛と栄光を体現していた人物を模倣し、その者の立ち居振舞を座右の銘としたのであった。」
「恐れられるよりも愛される方がよいか、あるいは反対であるか、と。これに対して双方であることが望ましいと人は答えるであろうが、しかし両者を得ることは難しく、したがって両者のうちどちらかが欠けざるをえない場合には、愛されるよりも恐れられる方がはるかに安全である。それというのも人間に関しては一般的に次のように言いうるからである。人間は恩知らずで気が変わり易く、偽善的で自らを偽り、臆病で貪欲である。君主が彼らに対して恩恵を施している限り君主のものであり、生命、財産、血、子どもを君主に対して提供する。しかしこれはすでに述べたようにその必要が差し迫っていない場合のことであり、その必要が切迫すると彼らは裏切る。したがって彼らの言葉に全幅の信頼をおいている君主は他の準備を整えていないために滅亡する。」
「『この戦いに関与しないことが諸君の利益であるという見解ほど、間違った考えはない。中立によっては感謝もされず、尊厳も得られず、勝利者の餌食になるだけだからである。』
いつも起こることであるが、味方でない者は中立を要求し、味方である者は武器を執るように要求するものである。優柔不断な君主は、現前の危険を回避しようとして多くの場合中立政策をとり、多くの場合滅亡する。」
「…君主は諸々の事柄について下問し、彼らの意見を聴取し、その後一人で自分なりの判断を下すべきである。この場合これら助言者達および各々が、腹蔵なく意見を述べれば述べるだけますます受け容れられることを各人が知るようにしなければならない。またこれらの人々以外には耳をかさず、決断したことは実行し、決定は断固として守ることが必要である。もしこのように行動しないならば、追従者によって危険に陥れられるか、あるいは他人の意見が種々雑多であるのに応じてしばしば意見を変更することになり、君主の評判の低下を招く。」 -
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マキアヴェッリの『君主論』は「目的のためには手段を選ばず」というマキャベリズムを説いた書として長年批判されてきたものであるが、マキアヴェッリが本書を著した時代背景を踏まえると、大分異なる捉え方のできる著作である。
マキアヴェッリが活躍したルネサンス末期、16世紀初頭のイタリアは小国に分裂し、互いに領土を奪い合い、かつ大国フランスやスペインからも領地と財産を狙われる戦乱の時代で、マキアヴェッリは弱小国フィレンツェ共和国の官僚として外敵の脅威にさらされ続けた。
そして、他国の様々な権力者について見聞きしたことから学んだ君主のあるべき姿をまとめ、自国の君主メディチ家の小ロレンツォに献呈したものが『君主論』であるが、マキアヴェッリは、本書で、フランスのような安定した王政ではなく、新しく君主となって人民を支配し、権力を維持・発展するための方策を具体的に提言しているのである。
マキアヴェッリが理想とした同時代の権力者チェーザレ・ボルジアを取り上げ、「愛されるよりも恐れられる方がはるかに安全である」と言う第17章、「君主、特に新しい君主は、人間が良いと考える事柄に従ってすべて行動できるものではなく、権力を維持するためには信義にそむき、慈悲心に反し、人間性に逆らい、宗教に違反した行為をしばしばせざるを得ない、ということを知っておかなければならない」と述べる18章は、マキアヴェリズムの真髄を示すものとして物議を醸し、後代の批判の最大の的となったが、上記のような時代背景を無視しては、マキアヴェッリの真意を取り違えかねない。
また、マキアヴェッリは、ほぼ同じ時期に『リヴィウス論』という共和制ローマの歴史を踏まえた、本書と主張を異にする政治論を著しており、相互に補完する著作として読まれるべきであるとも言われる。
状況を踏まえて参考にしうるリーダー論の一つである。 -
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どのみち協働は避けられないのであれは、リーダ、フォロワのいずれの立場であったとしても統治の本質は理解すべきであり、本書はヨーロッパという様々な国を例に幾つかのパターンと比較によりその本質を暴く本である。
何らかのヒトのまとまりで協働する場合、その統治について過去の経験を得るための本である。現在や日本という土地にいると気づきにくい観点も含め広く論じられている。
統治される側からすれば、自らをより有利な環境に置きたくなるのは当然であり、その判定はかなり本能的になりがちである。その本人の資質も当然関与するだろうが、他者との関係性などの環境要因が大きいと改めて思った。
本書では、トルコ、フランスの統治が異なるため、仮に侵略があった場合に起こり得る状況を比較している。集団としての構成員はその環境下の損得と理念により判断をしているという前提に基づいている。
自分に振り返ると、自らの専門能力のスペックアップに注力し、環境を理解したり、環境を変えたりするなどの統治に関するスキルはあまり意識していなかった。当然、あまり上手くいかない訳であるが、その理由と今後の対策の一端に気づくことができた。
残念なのが、今の自分に活用するための読み替えに手間取る事である。その原因の一つは世界史の知識の無さである。学校の勉強から逃げてきたツケである。 -
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最近のマイテーマ「戦争・戦略論」の自主課題図書。
もーっとえげつない権謀術数論かと思いましたが、思ったより、普通。
暗黙の了解を敢えて文章にしました的な。
まあ、その時代にそれをしたことに意義があるのでしょうけれど。
さすがに今の時代にそぐわないと思われるありますが(1513年の作品ですから…約500年前?)むしろ今でも十分通用する指摘もいっぱい。
個人的に16章~19章、23章、25章はなるほどと思わされた。
あくまで「上に立つ者」として、だけど。
私には無理だ。
しかしこの本を書いたマキアヴェリ自身が当時の政治情勢・君主に翻弄される人生を送ったのは皮肉であること。