群像のオムニバスエッセイ
世の中には、食エッセイというジャンルがあるみたいですが、今作はその派生。
「おいしそうな文学」のタイトル通り、文学作品に出てくる「食」がメインのエッセイ集。
それぞれの作家さんが食に纏わる文学作品を紹介してくれます。
くどうれいんさん関連。
気づけば、今月7冊目でした笑
くどうれいん、野村由芽、穂村弘のが良かったです。
野村由芽さんの引用(ネタバレ)
武田の文章には「まずい」と書かれたものがよく出てくる。そのうえで、これは魔法としか思えないのだけれど、まずいと書いてあるのに、食べたくなるのだ。あまつさえ、食べるっていいな、生きてるっていいものだなぁ.....
と魂がぴかぴかに拭かれてく。
レビューサイトやSNSで、誰かの「おいしい」が数値化されたものを上から順に見ることを内面化している自分の目とはほど遠い、とため息をつく。言葉を尽くされる価値があるのは、一握りの「おいしい食べ物」であることにわたしはどこかで慣れてしまっていた。けれどその世界観に則るならば、言葉にされなかった、この世の無数の食べ物の味わいの記憶は、どこにいってしまうんだろう?と切なくなる。そんなとき、『日日雑記』をひらけば、おいしいものも、おいしくないものも、その間にあるものもよく見て、贔屓せずに書かれた武田の率直な言葉が並んでいる。すべてが等価に魅力的で打ちのめされる。この世界のすべての記憶を運ぼうとするような凄みのある目よ。
単行本未収録エッセイ集『あの頃』で、武田は自身の日記では「くわしく」書くことを心がけていると書いていた。食べたものをくわしく書いていけば、「おいしい」の周囲にある無数の風景の魅力が豊かにたちあがってくる。味覚的なおいしさだけでなく人の情けなさ、愛しさ、おかしみなどの複雑な味わいもこみあげてくる。生の営みの多面性が祝福され、そこにわたしは射抜かれる。
生活というのは、まちがうことの連続。なのに、きれいなところばかり見せたくなってしまう。けれど覆い隠すばかりだと、無数の気持ちを抱く自分がそこにいたことを、いつか忘れてしまいそうだ。「誰にも話せないようなことを自分が忘れてしまったら、そのときの自分がひとりぼっちになってしまう」とあるとき同居人が言っていたことが、胸に残っている。そういえば『日日雑記』の冒頭には、「ーーいなくなった人たちに」と書かれていた。武田は、いなくなっていくすべての人たち、すべての食べ物たちの、世間で「良い」「立派」とされているところだけではない部分もこの世界に「ありありと在ったのだ」という事実を、なくしたくなかったのではないか。日日の雑事こそ忘れないし、ひとりぼっちにはさせないというその意志が、結晶化したのが『日日雑記』ではないか。
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武田百合子さんに言及したエッセイが本書には、3作もある。読みたくなりました。
穂村弘さんの引用
「おいしそうな文学」と云われて、山下翔の本を思い出した。
中略(短歌と解説)
プラスチックのパックぱんぱんの焼きそばを
両手で持つて運ぶたのしさ
食べるおいしさの前に「運ぶたのしさ」がある。「プラスチック」「パック」「ぱんぱん」と鏡くパ行音の連鎖が、大きく膨らんだ「焼きそば」への期待と響き合う。「両手」で大事に持っているところもいい。
お替りのごはんの量は「たくさん」と答へたり
たくさんたくさん食べる
料理の質というか味を求める気持ちもわかるど、その一方で、この歌のおおらかさには、ほっとさせられる。「たくさんたくさん食べる」が予想を超えていて、その真っ直ぐさに感銘を受けた。
十二月三十一日の風ぬけてうどんがうまい、
いんげんがあまい
年越しの蕎麦ならぬ「うどん」の歌。「うどんがうまい、いんげんがあまい」の平仮名表記と韻の踏み方に本気感が宿っている。
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短歌も解説もわかりやすくて良い作品だと思いました。
すごく短いエッセイ集なのですが…
なんか頭に入ってこない作品もあり、全体的にはまぁまぁでした。