緒方剛志のレビュー一覧
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昔のnhkラジオより。
これは最初、ラジオドラマとして聞いた。
時間帯は23時前の15分間で、その前の枠はクラシック。
静謐で湿った管弦楽により冷やかさを増した深夜のひとりぼっちの部屋で、ノイズの多かった古いステレオから流れるはホラードラマ。
一人部屋の、背中の後ろが、それを聴いている間妙に気になったのを思い出す。
内容としては、ミステリ・ロジック専のわたしとしては到底受け入れられない(もとよりこういう作品です。というのは承知の上で言いますが…)
ただし、水と異形はえらく相性がいい。物語のすじそのものというより、文章からにじみ出るおどろおどろしさに引き込まれてしまった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレえー。
世界の危機ってのは実のところ、世界のそこかしこに転がっている。
それは時に核ミサイルのスイッチだったり、絶望衝動だったり、
様々な形をしているわけだが。
しかし、それがなんで顕在化しないかっていうと、人々がそれを
隠しているからである。
隠している原因は明白で、それを明確にしてしまうと、それこそ世界が
終わってしまうからである。
世界の終わりを意識するということは、即ち、世界の終わりを見てしまう
ということで、それは世界の終わりと同義なのである。
ゆえに人々は世界の終わりというのを意識しないし、顕在化しない。
だから世界は終わらないわけであるが。
ところでこの世界の終わりっていうのはたびたび取り沙汰される。
それはどこか世界の終わりというのを望んでいるかのようにすら思える。
世界の終わり。それは実のところとても甘美なものなのではないだろうか。
世界が終わることで自分を取り巻いているゴチャゴチャしたものから
解放されるみたいな。自分が背負っている使命みたいなものを、
放棄させてくれる理由となるのではないかみたいな。
しかしそれは本当なのだろうか。世界というものが終わったところで、
結局、その後には新しい世界が生まれるだけで、世界が終わったところで
使命からは解放されず、何もかも変わらず続いていくみたいなことに
なるのではないだろうか。
だとするのなら世界が終わってしまうような危機と対峙した時、
人はどのようにするべきなのだろうか。
甘美な誘惑を持つ世界の終わりに対して、自動的であるから関係がない
と言い訳したり、強い使命なんだと思い込むことで自我を保つことも
できるだろうが、本当に必要のなのは現象に対して、ありのままを
受け入れ、新しく世界が生まれ変わったとするのなら、その中で
自分はどう生きるべきなのか、ということを模索するべきなんだと思う。
それこそが、プーム・プームという使命に囚われず、
死神という影に怯えずに生きる方法なのではないだろうか、とか何とか。
まぁ、実際問題、あれだよ、そうやって生きて行かないと、
自分の心の中にあるレモン・クラッシュを失ってしまうよみたいな話。
しっかし、最近感動してねぇなぁ、俺のレモン・クラッシュは
もう取り出されてしまって、残っているのはバットダンスだけ
なんでしょうか、とか。
以上。 -
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ネタバレえー
人ってのは多面的である。
様々な面を持ち、時には「二重人格なんじゃないの?」とまで言われたりする。
だが、それはある意味で正しいとも言える。
人というのは自分の中に複雑な面を持ち合わせているからこそ、社会生活を過ごせるのだ。
というか、他者と付き合う上で、常に同じであってはどうにもならなくなってしまう。何故なら、相手もまた多面的だからだ。多面的に対して一面的であってはどうにもならない。
それこそ、炎と氷のように相反するしかないのだろう。
ところで、『正しい』とは何だろうか。
正しい、という言葉はそこかしこで耳にすることができるが結局のところ、本当に『正しい』ものが何かというのはいまいち判然としなくて、それこそ人の数だけ正しいがあるような気がする。
これと同じように悪というのも多面的なものだ。
様々な人々がこれは正義だのこれは悪などと言ったりする。
しかし、『本当の』正義とか悪とかが何なのかは分かっていない。
この世には『善に対する正義の優位性』なんて言葉があるくらいなのだが、それにしたって個人の主張と社会の主張が食い違うがゆえに生まれるものだったりする。
結局のところ、正義とか悪なんていうものは人それぞれな部分が大きい。
これは人間そのものが多面的であるがゆえに生じるものなのだ。そして「人間が二人いれば戦争が起きる」という言葉通り、多面的で二元的な正義と悪は対決するしかないのだ。
その時に必要なのは正義におもねることなく悪に屈しない精神なんじゃないかな、とか言ってみたりして。
そんな感じ。 -
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ネタバレえー
人生ってやつは基本的に決断の連続である。あらゆる場面で決断を求められると言っても良い。
仕事の八割は決断と言われたりもするぐらいなので人生と決断は切り離せないものである。
しかし、決断とはその文字の通り、何か断つことを決めることなのだが、人間というものは何を持って決断しているのだろうか。
動物の場合は生死が基準となるかもしれないが、人間の場合は多くの選択肢に恵まれている。
多くの選択肢の中から一つを選び、未来を掴みとっていくわけだが、その未来を掴みとるという過程は本当に自分の意志で決定したものだろうか?
自分の決断を他人に支配されると言うのも不思議な話だが、実際のところそういうことが多いように思える。自分で決めたように見えて実は全体の総意を代表しただけとか。
そういった場合、人間はどこに自分の意志を見出しているのだろうか。
ぶっちゃけた話、自分の意志なんてものはなく、単に自分よりも上位な存在に決定づけられているだけも知れないが、そんな中でも自己の意志を見つけ出す方法があるとしたら、それはもう最初から決断しておくしかないんじゃないだろうか。
何かの意志が入り込む前に決断しておき、それを決して曲げないようにすることで、自らの意志というものを見出す。それは困難な話かもしれないが、善とか悪とかに挟まれた時にどちらか一方に偏るのではなく、自らをしっかりと持って決断していくという意志。それこそが自分の意志であり、善や悪を撥ね退けて自分の道を自分で決断していくというのが大切なことなのかもしれない。
まぁ、それによって大火傷するかどうかは炎の魔女にも分からないっていうことで。
しかし、この話、どう考えてもヴァルプルギスの部屋だよなー。徹子の部屋みたいに。 -
Posted by ブクログ
あ…あっぶな~
物語中盤でやっとおぼろげに物語の全容を掴みました。
登場人物がどこの誰かなんて瞬時に出てこないし前巻までの展開なんてハッキリとは覚えてないよ。
ブギーポップを読み始めてもう九年…長いなぁorz
たくさん登場人物が出てくるからどこの誰かまですぐには出てこない。
いい加減読み返さないとヤバいなぁ~
『ハートレス・レッド』辺りから読み返さないと。
ビートのディシプリンでは凪が出てこなくて寂しかったけど、こっちではフォルテッシモが出てこなくて寂しい(泣)
ブギーポップも出てこないしね。
このシリーズは『レイン・オン・フライディ』こと九連内さんが出てくるから嬉しいww
九連内さんの名前を『ハートレス・レッド』と間違えてる自分がいるけど。それは本の題名…
さて、炎の魔女が氷の魔女になってしまいました。
正樹と綺は幸せになれのかなぁ?
綺はまだリキ・ティキの力あるのかなぁ。
正樹はビートと合流してちょっと凪と対立しそうだし。
羽原くんは炎の魔女陣営だしなぁ。
なんか『奇跡使い』って出てきたけど、これって上遠野さんが講談社ノベルスで書いてるシリーズの人たちかなぁとか思ったり。
繋がってたら凄いぞ。
さてFile4が出たころに僕はまだ話について行けるかしら?
そこがもっそい不安です。