高橋透のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
2017年の書籍なので最新の部分は入っていない可能性もあるが、十分に楽しめた。
前半はAIについての現状や概要が整理されてあるので、ざっとつかみたいときに役立ちそう。
後半は著者の専門である哲学の立場からテクノロジーについて考察されている。
AIの進化とともに語られる人間のサイボーグ化の必要性が著者のAI時代の人間論である点が面白かった。
来るべきサイボーグ・エコノミーにおける、脳内快楽物質の数値の等価交換という新しいマネーの形態はとても面白かった。私達の日常も、少し前まではそんな未来は想像だにしなかった状態であることを思えば、きっといつの間にか現実になっていくのだろう。
文系、特に哲学分野にとってAIについての議論は今後必須だと思うが、その中での著者の立ち位置を俯瞰的に見ながら読んだ方が面白いと思うので、そういう意味ではタイトルの「文系のための」というのはちょっと異なるという印象も受けた。著者のサイボーグ論をタイトルの全面に押し出しても良かったのでは。 -
Posted by ブクログ
AI、人工知能、それらがもたらす社会への影響。
哲学を専攻する大学教授の本というだけあって、AIそのものというよりは、AI社会に生きる“人間”を主体に論が進む。工学的なことはとんとわからないが、それでも十分に楽しめた。
AIの進歩によって職を奪われることをいたずらに恐れる社会の傾向があるが、彼らは一様に「人間も同時に変化していく」ことを見落としているように思う。ヒトという生物はヒトなりに技術を我が身に取り込み、変貌する社会の中で歩んでいくのだ。
言ってしまえば当然のようにも思えるが、なぜだか思いつかないその未来を「文系のため」に説明していく本書は、題の通り新しいAI論だろう。
作者は学生に向けて筆を執った様で、そこまで複雑な内容でもないのが、さらりと読むにはちょうどいい。気軽に触れられるAI論として、オススメの一冊。 -
Posted by ブクログ
ネタバレタイトルに惹かれて購入。著者は高橋透氏、株式会社ニューチャーネットワークスの代表。失礼ながら知らない会社だ。
感想。すごいノウハウが詰まっている気がするのだが、うまく消化できていない。既存の分析手法に慣れてしまっているせいか、そもそも三階層の繋がりすら未だによくわからない。総論を単純化して冒頭で示して欲しかった。結果として、備忘録も細かいノウハウだらけとなった。
備忘録
・シナリオはいわば補助線。補助線をあらかじめ描いておけば、そこからのズレを認識できる。
・視点を内部ばかりに向けず、競合他社も調査する。但し、調査の目的は明確にしておくこと。完全情報を100とした場合、25程度の情報量で十分。
・エコシステムビジネスモデル。顧客も含めた共生関係を構築すること。この概念がうまく説明できない(=理解不足)。
・バリューチェーン。エコシステムビジネスの下の階層
・製品、サービスの階層。バリューチェーンの下の階層。
・具体的なミーティングのスケジュールや式次第の例について記載あり。
・グローバルネットワーク社会では、どのようなネットワークに所属しているかぎ重要。
・分析力とは、ある専門的な視点で、混沌とした情報を整理し、分類し、分析結果の本質を単純化し、思考しやすいようにすること。
・決断力とは、完全ではない情報の中で意思決定をすること。 -
Posted by ブクログ
「AIの本質」とは、どの年代で切り取ったとしても「その内容」だけを探っている限り本質に辿り着けない。
結局、AIの本質を知ることは「AIの未来がどうなるのか?」を探すことに尽きると思うのだ。
当面というか数十年単位のレベルで「完全に完成されたAI」が実現することはないだろう。
そもそも「AIに完成はあるのか?」という疑問が残るし、永遠に進歩し続けるとしたら、その進歩に終着点はないことになる。
しかしながら「何年後には、これぐらい進歩しているだろう」という予測は常にある訳で、それはつまり、「今どの時点なのか?」「今後(数年間)どうなりそうか?」を勘案しながら、予測を立てるということになる。
もしくは「何年後には、これぐらい進歩していたい」という単純な研究者側の願望だったりするもするかもしれない。
いずれにしても、未来を予測するためには、過去から学ぶしかなさそうである。
馬車の時代に、自動車が発明された。
その時点で、自動車が街中を走り回る未来を当時の人々は予測できたのだろうか?
結局「AIの未来がどうなるのか?」を突き詰めても、それによって「我々の生活にどう影響するのか?」を正確に予測することは、実際は相当難しいのではないだろうか?
馬車から自動車に置き換わった過去の事例は確かに参考になると思うが、果たしてその置き換えがAIについても全く同じに当てはまるのかは、今の段階では何とも言えない。
やはり、AIに関する様々な情報を広く集め、その情報を多面的に検証していくしかないのだ。
AIの進歩により「自分の職は果たしてAIに奪われるのか?」が一番の関心ごとであるのは間違いないが、話はそんなに単純な事ではないだろう。
一側面で捉えずに、多面的に考えるためにも、「AIとは何なのか?」というシンプルな問いを様々な角度で検証していく必要性があるのだ。
著者も語っているが「AIが何か?」を探ることは、実際「人間の脳とは何か?」を探ることと等しい。
それは、AIが目指す一つの目標が「人類の脳を模倣する」であることからも想像できる。
これは非常に分かりやすい。
「結局、我々は何者なのか?」「我々の意識とは、結局何なのか?」
こういう人間の思考を知ることが、つまり「脳」を知ることであり、自分自身を知ることにも通じる。
それはつまり「哲学の探求」そのものなのである。
とは言え、普段の生活の中で、一般の人々が哲学者のような探求心を持ち「人間とは何か?」を考えることはほとんどないだろう。
結局、我々のような一般人に関心があることは「自分の職はAIに奪われないだろうか?」なので、自身の生活に直結する話なのかどうかが重要となってしまう。
結局AIは、人間(つまり自分)にとって脅威なのか?味方なのか?について考えることとなる。
本書の中で、古代ギリシャのソクラテスやプラトンなどの哲学者についても触れていた。
当時、ようやく「文字」の発明がされた時代。
そしてその「文字」は、当時の最先端テクノロジーだったというのだ。
「情報を紙に文字で書き残す」ということは、記憶デバイスに知識を保存しておくことと同じこと。
これはものすごく画期的な技術革新だったということである。
しかし、当時の人々の反応は二分したという。
知識を保存し、さらに他人とも共有ができるという便利な部分がある一方、その副反応として「人間は考えなくなるのではないか?」と真剣に検討されたらしい。
今でも「スマホで何でも調べられるのに、学校の知識詰め込み型の勉強法に意味があるのか?」と議論されているが、それと内容が似ている。
自動車に乗ってばかりいて歩かなくなると、足腰が弱まるという考え方も同じだ。
ではAIは?
AIは今後益々便利になって、人間の生活の中心になっていくだろう。
そうなればなるほど、人間の能力は本当に退化してしまうのだろうか?
こういう部分も含めて、一部の天才だけにAIを語らせず、もっと一般の人もAIに関して議論した方がよいのではないかと思ってしまう。
過去の歴史を振り返ってみれば、自動車の発明によって、人間の足腰が弱くなったかもしれないが、それでは自動車は悪だったのだろうか?
悪の発明が、現在こんなに我々に便益をもたらす訳がない。
結局は副反応の部分を正しく認識しつつ、便利な新技術を使いこなす方が得策なのだ。
きっとAIという新技術だって同じことが言える
だったら我々が行うことは、AIというものをまず正しく認識することが重要となる。
AIは何が得意で、何が苦手なのか?
AIが人間に及ぼす副反応とは、どんなことが起こり得るだろうか?
やはり、新技術をきちんと勉強し理解し、未知の部分を皆で議論し、単純否定するのではなく、使用方法の最適解を見つけていく。
この姿勢が大事だし、文系だからと言ってAIから距離を置くのではなく、積極的に学ぶ姿勢が必要だということだ。
そういう意味でも、AIに対する心構えや向き合い方について、初心者向けで分かりやすい書籍であったと言える。
未知なものに対し、無知のままでいることは罪である。
自分の身を守るためにも、勉強し続けろということなのだ。
(2023/7/29土) -
Posted by ブクログ
①VR、ユビキタス、BMI/BCI、ナノテク、細胞を創る技術など、先端テクノロジーを貫く発想の原理には「ビット化」がある。「ビット化」によって、対象の無再現の変形可能性が生まれる。
②脳は環境が変わればそれに柔軟に対応する「可塑性」を持っている。
人間は、その脳の可塑性に基づいて、環境に適応するとともに、環境を改変せざるをえない。
③先端テクノロジーが環境を改変すれば、私たちもそれに呼応して変容せざるをえない。従って人間(脳)のサイボーグ化は不可避の過程である
④脳は自己完結した機構ではなく、身体を通して環境とたえず相互作用のループを描いている。こうした自然状態の<脳・身体・環境>の相互関係は、テクノロジーを通じて拡大・拡張され、ひいては個体性を超えるまでに変容されうる。
⑤テクノロジーを通じて人間は物質と接近・融合化(サイボーグ化)していくことで、人間と物との境界を曖昧化する存在、人間と物のあいだを浮遊し漂う存在へ変容していく。
⑥サイボーグの心とは、個体という枠組みが絶対的なものではなくなったところに成立するでろう、自分と対象(他者や物)、自分と環境のあいだの浮遊である。
⑦パターン化の能力をもつものとしての人間・最終的に宇宙で魂を満たす人間は、人間であるかもしれないが、つねに人間以外の者へと変質していかざるを得なくなる。
ところどころぶっ飛んだ論理展開にも思えたが(カーツワイルとチオンピの説を用いた終盤など)、そもそも筆者は現実がSFのような世界に近づいていることを前提としているので、これもこれで一つの仮説として受け入れるべきなのか。
それとは別に、3つの『攻殻』作品を次のように分析しているのは興味深い。
①士郎版は、サイボーグ草薙素子の自己への回帰、
(荒巻素子といった草薙素子の亜種・同位体たちは、相互の差異はありつつも、究極的には、機械との融合体である草薙素子へと回収されていった)
②押井版は、素子の他者への素子の変容、
(素子は人形遣いと融合することで、人間以外の他者になることを望み、イノセンスでは少女や鳥、ハダリとして存在することができる異化作用を可能にした)
③神山版は、自己と他者の混交的・融合的な媒介を描いている
(自己は「消滅する媒介者」として消滅・変形することで、新たなるものを産み出し、変容し続ける。自己は変形されることで他者との混合体となる。自己と他者は混交し、互いを関係付け合い、互いに媒介し合う。)