栗城史多のレビュー一覧
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ネタバレ▼学び
★周り関係なく【「今、やりたい」自分を信じ】て、【夢をとにかく口に出し続ける】こと!★
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・周りの複数人に無理だと言われても一歩踏み出す勇気の鍵は【「今、やりたい」という自分の気持ちを信じる」】こと!
・夢を叶えるためには、【とにかく口に出し続ける】こと!それが共感や時に手を貸してくれる仲間を生み、何より自分がどんどんやるんだと当たり前に信じられてくる!
▼印象に残った言葉
・全員に無理だと言われて不可能の壁を作っていないか。→★一歩踏み出す勇気は「今、やりたい」という自分の気持ちを信じることから生まれる。
・終わりがわかっていても、心を折らずに、弱音を吐かずに生きている人たちがいる。→母のように、自分も一生懸命生きなければと思った。★最期に「ありがとう」と言ってこの世を去れる人間になりたい。
・少し大きな目標と、少し大きな壁。壁を少しずつ大きくしていくことで、もう低い壁では満足できない自分が現れるだろう。→★より大きな壁へ。壁を超える楽しみを覚えよう。
・何かやりたい。でも何をしたらいいかわからない。そんな時は何もしないこと。何も考えなくていい。部屋からも出ない。できることなら1週間くらい引きこもってみよう。人間何もしなければ、何かしたくなってくるものだ。→★何もしないことは充電であり、充電したらあとは動き出すだけ。
・夢は思っていても叶わない。夢は口に出すことで、必ず共感してくれる人が現れる。夢を語り続ければ、誰かが手を貸してくれることがあるし、何より、自分で自分の夢を信じられるようになる。→★夢を叶えるためには、自分のやりたいことを言葉にして伝え、語り続けること。そして、あきらめないこと。
・数々の山に登頂してそのときは感動しても、時間がたてばもう次のことを考えている。しかし山を登って帰ってくるといつも思うことがある。それは地上の温かさだ。仲間がいて、温かいご飯が食べられて、そしてまた明日が迎えられる。→★その温かさのありがたみを再認識するために、僕は山に登っているのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
栗城史多(1982~2018年)氏は、北海道生まれ。2002~09年に、6大陸の最高峰(北米・マッキンリー、南米・アコンカグア、ヨーロッパ・エルブルース、アフリカ・キリマンジャロ、オセアニア・カルステンツピラミッド、南極・ビンソンマシフ)、世界6位の高峰チョ・オユー(8,201m)、7位の高峰ダウラギリ(8,167m)に登頂し、その後、2009~17年にエベレストに7度挑む(様々なルートで)も敗退、2018年に8度目の挑戦に失敗した下山中に滑落死した。35歳没。「単独無酸素」を謳うとともに、自らの登山の様子をインターネットで生中継することを掲げ、また、「冒険の共有」をテーマに幅広く講演活動等も行った。
本書は、栗城氏が2009年9月にエベレストに最初に挑んで敗退した直後に出版された。(2009年12月出版、2013年文庫化)
目次は次の通りで、実際の登山の様子・記録については、2004年のマッキンリー登頂、2009年のダウラギリ登頂、同年のエベレスト敗退のときのものが、挿入されている。
第1章:「自分の限界」という壁をなくす 第2章:なぜ僕は山を登るのか 第3章:世界の屋根と日本の空をつなぐ 第4章:見えない山を登る 第5章:空のように青く、宇宙のような無限の心を描く 第6章:エベレスト単独・無酸素登頂へ
私は、栗城氏について、高所登山をインターネット中継する新世代の登山家で、エベレスト登頂を果たせずに遭難死したこと、また、新しいタイプであるが故に、生前から様々な称賛と批判を受けていたこと、そして、河野啓氏が2020年に発表したノンフィクション『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』が賛否両論を巻き起こしたことは認識していたが、つい先日、その『デス・ゾーン』を読んで、栗城氏本人が書いたものも読んでみたいと思い、本書を手に取った。
読み終えて、まず、本書を読む意味はあったと思った。というのは、『デス・ゾーン』に書かれていなかったことがわかったということではなく、自分なりに栗城氏(の一面)が理解できたからである。
栗城氏は、本書の中で、驚くほどポジティブである。自己啓発・人生論の本として読むとすれば、とても刺激的で、こうした内容を語るのであれば、様々な講演に呼ばれたことも、大いに納得できる。ただ、一点気になるのは、これが書かれたのが、栗城氏のキャリアのピークの時点だった(直前の1度目のエベレスト挑戦は敗退したものの、本書の最後でも、翌年にリベンジを果たすと高らかに宣言している)ということだろう。
『デス・ゾーン』では、本書の内容を引用して、栗城氏のポジティブな面に触れつつも、寧ろ、本書からは読み取れない栗城氏の別の一面と、この時点以降の(エベレスト挑戦に敗退し続ける)栗城氏の苦悩とが、主題として描かれている。そして、それ故に、「この本は、ディス(る)・ゾーンだ」、「死んだ人に人権はないの!!!!」等という激しい批判も受けたという。
私は本書を書いた栗城氏が虚像だとは思わないし、『デス・ゾーン』に書かれたことが栗城氏を著しく貶めるとも思わない。人は、場面や相手によって違う姿を見せることもあるし、ましてや、時が経てば本質的な部分さえ変わり得るだろう。
私が2冊の本から学んだことがあるとすれば、人間とは本来そのようなものなのかも知れないということで、そういう意味では、栗城氏はとても人間らしく生きて、去って行ったと言えるのかも知れない。
(2024年5月了) -
Posted by ブクログ
名言集の本である。
"足りない"のは、エネルギーだ。
酸素は少ない時は、吐けばいい。
吐けば、入ってくる。
自分から出そうとしないと入ってこない。
欲しい、欲しいってやっていると入ってこない。
何か欲しいときは、自分から吐くこと。
そして与えること。
自分が吐き、与えることによって酸素も喜びも入ってくる。
できるか、できないかではなく、
やりたいか、やりたくないか。
不可能は自分が作った錯覚にしかすぎない。
絶対に成功すると思い続けた者だけが成功するし、思い続けられれば、それだけで成功者だ。
一番好きな桜
終わりがあるからこそ、"今"があることに感謝し、命を燃やして生きようと思える。
何かをやりたい。
でも何をしたらいいかわからない。
そんな時は何もしないこと。
何も考えなくていい。
できることなら1週間くらい引きこもってみよう。
スマホも何も全て電源オフ。
人間は不思議なもので、堕ちるところまで堕ちると自然に這いあがろうとする力が湧いてくる。
医者は"少食の人の方が、長生きする"と言った。
いつも満腹の人は、お腹が空いている人より、病気になりやすいらしい。
成功するために挑戦するのではなく、挑戦するから成功がある。
どうしたら人間は幸せになれるか。
それは"足りぬを知る"だという話をある医者から聞いた。
足りないということは、人間の生命力を上げてくれるのかもしれない。
8000メートルの世界では、食べるものもなく、寒く、苦しい。
だがあの瞬間には全ての細胞が目を覚ましているかのような感覚があった。
不便で苦しい環境だが、生きているということを実感していた。
"満たされない"、"不便"ということは、もしかしたら贅沢なことなのかもしれない。
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Posted by ブクログ
ネタバレ『僕は大きなことよりも、小さなことでも喜べる人間になりたい。人は満たされないことを知ることによって、逆に心が満たされていく』
・心も体もすべてを迎える状態にしなければいけない
・生と死の分岐点
・不可能は自分が作り出しているもの、可能性は自分の考え方次第で、無限に広がっていくんだということに気づいた
・力んでも力はでない。山と対峙してはいけない。苦しみも不安もすべては自然の一部。僕らもその自然の中のごく一部。苦しみを受け入れ、苦しみに感謝する。苦しければ苦しいほど、喜びもまた大きい
・すべての苦しみは、受け入れることからはじまる
・本当の冒険は、否定されることからはじまる
・あきらめずに知恵を絞り続けていれば、いつの間にか人と出会う機会が増えていく
・大切なのはいま、どう生きるかだ
・未来は『選択と小さな行動』によってつくられている
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Posted by ブクログ
はじめは、ただ山に登りたかっただけなのに、
「おれ、のぼってきたよー」って騒いでたのに。
ある頃から、夢とか、否定をなくすとか、スローガンとともに登山家として伝えるようになっていった。いや、もしかしたら、山好きの彼女からの否定への抗議だったのかもしれない。
あえて、自分の弱さをさらけ出すことで、支え合う社会の実現を目指した勇気。
史多、糸井重里さんの言葉を贈るね。
「ひとりぼっちだなあ」という感覚は
きりきりっと寒い冬の夜の、
北極星の光のようなものじゃないかな。
そのほのかな光が見つけられないと、
じぶんがどこにいるのかわからなくなっちゃう
「ひとり」が、まずすべてのはじまりです。 -
Posted by ブクログ
栗城史多著「一歩を超える勇気」サンマーク出版(2009)
*一日に十回誰かに自分の夢や目標を語ってみよう。十回口にする事によって、漢字の成り立ちのように願いは「叶う」。
*もし自分の友人や子供が自分のやりたいこをや夢を語り始めたら絶対に否定せず信じてあげてほしい。
*苦しい事も、不安なことpも、すべてあるがままに受け入れる事。それに向かって強くなるとか、自分にウソをついてまで苦しい事を谷私意を思う必要もない。
*山はこうしてほしい、ああしてほしい、というお願いや良くではなくて、今、生きている事や自然に生かされている事に気づいてほしいと願っているのではないかと思う。