デーヴィッド・ケスラーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2025/09/26
p.170
あるていど自責の念をもつことは必要である。それがなければ、社会は秩序を失ってしまうだろう。ただ、罪悪感には「そこまで」という赤信号がないことが問題なだ。わたしたちは、走っている車は自分の車だけだとおもいこんで、罪悪感という道をどんどん突っ走ってしまうのだ。
2025/03/17
第一章 「ほんものの自己」のレッスン での、冒頭のエピソードの凄まじさに驚きました。
その後の一節にビビッときました。
「わたしたちはみなこころの憶測に、自分がそうなるはずだった何者かが住んでいることを知っている。そして、自分がそのような人間になるだろうということを、感じとることができる。逆のいいかたをしてもいい。なにかがおかしくなっているとき、そうなるはずだった自分とはちがう自分になっていることを、わたしたちは知っているのだ。」
そう、「人間は恐れや罪悪感と格闘している。意味を、愛を、力をもとめている。<中略>どうすれば真の幸福が手に入るかを模索している。」
暗中捜索始末人ですね。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ■自分を「明け渡す」って?■
医師であり、死に関する研究の第一人者であるロスさんの長年の臨床と研究、そして人生の集大成とも言えるのではないか。叡智と慈愛に溢れた内容だ。
他者を変えることはできない、自分を変えるしかない。人を裁いてはならない。コントロールできないことをコントロールしようとしてはならない…そういった理屈は頭ではわかっているつもりだ。
しかし実践となるとどうだろう?僕の感情は賢明な反応を示してくれるだろうか、思考を理屈どおりに動かせるだろうか…そんなに簡単に実践に移せるなら聖人だ。この世の人生は必要じゃないかもしれない。
著者は次のように述べる。人生において降りかかる苦悩や困難は僕たちに与えられた課題、レッスンであり、そこから何かを学ばなければならないと。
そう考えると、すべての不幸や苦悩、理不尽な状況が冷酷なだけのものではなく、あたたかい色彩を帯びてくる気がする。(あくまで客観的に見ることができる場合だが…)
“どんな時でも、人は自分を明け渡すことによって、限りない平和を見出すことができる”(第12章より)
「自分を明け渡す」というのは、決して人生を投げ出すというスタンスではなく、何でもコントロールしたいという執着を手放す、流れに身を委ねるといった意味だろう。
変えることのできない状況を変えようとすることは、嵐の海で荒波に逆らって小舟の舵取りをし、無駄に自分を消耗させているようなものだ。いずれにしろ漂流、転覆、座礁は避けられそうにない。なら無駄な抵抗はやめ、あるがままの現実を受け入れ、できることなら穏やかな心で流されるに任せる方が賢明ではないか。それが自分を明け渡すという態度ではないだろうか。
僕はある人との関係に苦しみ続けている。
つまり、今明け渡しのレッスンを受けているのだ。
否定でも拒絶でもなく、闘争でも逃亡でもなく、受容(=明け渡し)
長年かけて形成された川の流路のように、感情の反応や思考の癖は簡単に修正できるものではない。しかし、これがレッスンであるなら、いつまでもサボってるわけにもいかない。 -
Posted by ブクログ
一生の間に学ぶべきさまざまなレッスンがあり、とりわけ死に直面した人と共ににいる時それを実感するという。人生がわれわれに習得せよと要求するレッスンを「ほんものの自己」のレッスン、愛のレッスン、人間関係のレッスン、喪失のレッスンなど15にまとめている。
たとえば喪失のレッスン。死という絶対的な限界状況に直面してはじめて人は、余分なものを削りとって≪いのち≫として輝き出す。自己の内部に失われることのないなにものかを見出す。死を前に徹底的な喪失を味わい、すべてに「さようなら」をいうことで、それでもあせることのない何かをつかむ。人生に避けがたい喪失の体験によって我々は、かけがえのない学びを得る。
『余分なものを削りとる』作業によって誰であれ輝きを放つことができる。「あなたの本質はもっとも純粋な愛であり、壮大ともいえる完全性である。あなたは自己を癒し、自己がだれであるかをおもいだすために、地上にうまれてきた。おもいだすべきあなたの本質こそが、闇夜を行くときのみちびきの光である。」 -
購入済み
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この本を読めば
人生をつきつめて考えたときに
本当に大切なもの
優先すべきもの
自分の人生を生きるということ
のヒントが得られるかもしれない。
何もかも完璧にはできないけど
自分の人生を生きられたなら
それでなによりかもしれない。
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Posted by ブクログ
看護師の端くれであり、緩和ケアに携わった者としてエリザベス・キューブラー・ロスは読むべきだろうと思い手にした本。内容は終末期に関わらず、読んだ方がいい本でした。読みながら付箋をたくさん貼ったけど、おそらく読むたびに違う箇所に付箋を貼るのかもしれない。
まさに生きるためのレッスンが書かれており、時には痛いところを突かれる内容。明け渡すという発想、考え方にハッとさせられた。諦めるのではなく、明け渡す。コントロールできないものを諦めるのではなくて、明け渡す。読んでいても難しいと思うのだから、実際に明け渡すことは大変だし、そんなに簡単なことではないだろう。だからこそ、明け渡しのレッスンの前は忍耐のレッスン。そして、明け渡せたら、次は許しのレッスン。
より自分らしく幸福に生きるためのレッスンは簡単ではなく、平坦でもない。自分の内面と否が応でも向き合わなくてはならないし、傷を抱えていれば尚更それはしんどい作業となる。傷を抱えていない人などいないだろうから、これらはみんなにとってしんどく辛いレッスンになるのだろう。
読んでいて、苦しくなるかというとそうではなく、少しずつ励まされているように感じる。一回だけでは、理解には至らぬ本だと言えそう。 -
Posted by ブクログ
前厄の年なのですが、思いもよらぬ病気になったり、新年からロタウイルス、コロナウイルスと体調を崩してばかりの最近。ついてないな〜と思って読むとあら不思議、私ってめっちゃ幸せやがな、の気持ちがぽっとでてきました。そんな本。
この本を読み始めたきっかけは、推しがこの本を読み返しているという情報をいただいたから。推しサマサマでございます。
死の間際や闘病中は辛いことの方が多いけれど、それが不幸かと問われるとどうもそうではない気がする。苦しくても看病してくれる人がいる幸せを感じることもできる。
どんな状況下でも、人は幸せを感じることができるし、もしどうしても感じれないなら、明け渡したり、自分のおそれを見つけてみたり、不幸であり続ける必要はないんだ、と教えてくれる本でした。
これからの人生で悩んだ時に、良い指針になりそう。読めてよかった。どんな自分でも、ただ生かされてる、そう思って仕事はぼちぼちして遊んで暮らそうと思いましたん。 -
Posted by ブクログ
喪失のレッスン、幸福のレッスンにジーンと来た。
・喪失に関して確実に言えるのは、時間が全てを癒すということだけ。
そのとおりだ、自分は今、喪失の真っ只中にいて、時間が癒してくれるのを期待している。
・人は必ず癒える。必ず全体性に戻っていく。喪失を嘆いている相手が本当は自分のものではなかったことに気づく。自分が思っていたような意味での自分のものではないことに。それに気づいた時、失っていたと思っていたものが、それまでとは違った意味で、いつまでも自分のものであることを理解する。
難しくて理解できないが、いつかこのように気づきを得られるのだろうか。
・幸福とはある出来事に対する反応ではない。実際の幸福とは心の状態のことであり、周囲で起きることはほとんど関係ない。自分を幸福にするために必要なものは全て与えられている。使い方を知らないだけ。どんな人でも幸福を見つけることができる。