ジェンダーとか、閉鎖的な国について書かれたものは、どこからその人たちを見ているのか、が結構重要になると感じている今日この頃。
私たち(いわゆる自由が比較的ある環境に住む人)の視点から、厳しい男尊女卑が続いている国に住む人たちを描いたり、言論の自由がかなり制限されている国に住む人たちを描いたりすると、かわいそうな人々とひとくくりにしてしまう傾向があると思うのです。
(偏見かもしれませんが)
日本から遠く離れた、文化も宗教も考え方も全く違う場所で生きてきた生の声(一次情報)は、かなり稀な存在だと思います。
この本の著者、イリナ・グレゴリはルーマニアで育ち日本に留学し、一時帰国したりもしたけれど、今は日本に住んで東京大学大学院博士課程で研究を続けています。
彼女は過去を振り返るエピソードがいくつか盛り込まれていますが、かなり窮屈な環境で生まれ育ったことが想像できます。
それらはドラマチックに書こうと思えば書ける(いわゆる盛るってやつね)と思うのですが、まるで日記を書くように淡々と書かれています。
私たちが想像するよりもかなり辛く厳しい経験をいくつも乗り越えてきたのだと思うのです。でも、実際に経験している人は、それが当たり前の環境なんですよね。
外の世界を知らない(閉鎖的故に)、知ることができないからこそ、それが当たり前と思える。
文章からそんな様子がうかがえました。
そんな彼女が川端康成の「雪国」を読んだことをきっかけに、日本に興味を持って、留学するわけですが、女性が勉強することが当たり前でない世界で、よく両親が協力したな、と。
両親の協力を得られなければ、イリナが日本に来ることはなかったでしょう。
この本では、ルーマニアに住んでいたときの思い出と、日本で夫と娘二人と生活している現在と時間を行ったり来たりします。
不自由に生きてきた経験があるから、本当の自由が何なのかわかっている気がします。
”社会主義とは、宗教とアートと尊厳を社会から抜きとったとき、人間の身体がどうやって生きていくのか、という実験だったとしか思えない。”
社会主義と民主主義の両方を経験したからこそ、わかる言葉だと思いました。
日本での生活で心が満たされていると、嫌で仕方なくって、でも、どこにも行き場がなくて、耐えていた日々が、遠い過去になり許せるようになる。
そして、自分を痛めつけていた大人たちの気持ちに寄り添えるようになる。
自分の気持ちに折り合いをつけて、前を向いて進んでいくって、こういう事なのかもしれない。
自分も子どもがいるせいか、イリナとお子さんの会話が微笑ましかったです。子どもの考えている事って、時にハッとさせられて、新たな気づきをもたらしてくれますよね。
上手くまとまらないほど、いろいろな思いが湧いてきた作品でした。