イリナ・グリゴレのレビュー一覧
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すごいものを読んだ!という感想。言葉よりも映像というタイプの人らしいですが、いえいえ…これだけ日本語で表現する力をお持ちなのに何をおっしゃるという感じ。
映画がいろいろ登場します。タルコフスキーなど芸術系な映画。そうね確かに文章が映像的というか感覚的というか、過去と未来、現実と夢?想像?の世界を行ったり来たり。
今まで読んだことのないタイプの作品で、本当に新鮮だった。ルーマニアの風習(ワインづくりやハーブの話)も興味深かった。
↓この文章にはハッとした。障害をもって生まれてきたすべての人の気持ちを代弁していると思った。イリナさんはチェルノブイリからほど近い森で育ち、放射能で汚染された水を飲み作物を食べた彼女の身体は病に侵され、大がかりな手術を受ける。
p110 CTスキャンで自分の身体の映像を見た時、自分の中に沼地の一部があることを確信した。この世界にある、何か黒い、悪い、恐ろしいものが「私」だけのものではなく、みんなにあると思った。私が病気なのではなく、世界が病気だ。私はただ、生まれた。生まれてきた命が謝る必要はない。生まれたらどんな状態でも、生きる。
以下の文章にも驚いた。外国語に出会い、これがわたしのしゃべりたい言葉だ!なんてこと、あるんだろうか。
p124 そのころ言葉に悩んでいた。私の考えをうまく周りに話せない、感じていること、やりたいことも表現の壁にぶつかり、うまくいかないと思っていた。音楽のように、通じる電波のようなイメージで直接、身体同士でコミュニケーションできる方法がないかと考えた時、映画と出会った。映画というか、正確には「シネマ」だ。『雪国』を読んだ時「これだ」と思った。私がしゃべりたい言葉はこれだ。何か、何千年も探していたものを見つけた気がする。自分の身体に合う言葉を。その時、すべてがつながった。映画監督になりたかった「田舎から出た普通の女の子」として受験に失敗し、秘密の言葉である日本語を思い出した。「映画」で表現できないなら、きっと新しい言葉を覚えたら身体が強くなる。日本語は、私の免疫を高めるための言語なのだ。 -
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まだ見ぬ世界。知らない場所。知らない環境。行けない時代。戻れない時間。知り得ぬ人々の日々の営みと、日々の地獄から逃げ出したいという想い。けれども逃げた先にあるまた違った地獄があるという現実。のびのびと自然と共に生きた小さき頃の鮮やかな思い出。青春期のセピア色のような、灰色のような時代。絶望を知り、希望を見つけた瞬間。生きていくこと。死んでいくこと。諦めたい気持ちで死を選ぶこと。けれども、死んでも何にも変わりはしないのならば。生きて世界を変えよう。ルーマニアには行ったこともルーツもない自分だが、この本を読んで私はタイムスリップして透明人間になってイリナさんの生きた時間を一緒になって駆け抜けたような気がした。
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こんなひとが近くにいたら、どんな手を使ってでも友だちになりたいと思った。みずみずしい感性が光る文章はもちろんのこと、挙げられているカルチャーがどれも好みすぎる。
アンドレア・アーノルドの映画、『Trance and Dance in Bali』、『世界の宗教大図鑑』、日本酒とよく合うアカシアの花の天ぷら、眠れない夜のLeo Welch。
温泉、ラジオ、踊ること。わたしも大好きだよ〜、気が合うなぁ…。
たんぽぽ綿を「かわい子ちゃん」と呼び、綿飴を食べさせようとする娘さん、ほんとうにかわいいし、ひいてはグリゴレ家全体のセンスを感じる。
終盤は、みえないものとしての女性の物語を、まさに口寄せするかのような臨場感があって、息を呑んだ。『優しい地獄』も読みます。 -
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“お喋りが得意な人と下手な人は生まれつき決まっていると思う。そして人が人を選ぶ。この場合、私は人間より機械のほうがいい。機械のほうが冷静だから。人が客観的になるのはただの妄想だから。”(p.124)
“ここ最近の私の疑問ーー生物の身体、物体の経験は普遍的ではないことが確かなのに、なぜ社会は普遍的にしようとしているのか。社会とは何? 誰?”(p.105)
“「私じゃない」、「私じゃない」と泣き始めた。この世を傷つけているものは私ではない。麻酔で動かせない顔の半分で泣く。だから戦争がまだあると思った。イライラしてクラクションを鳴らしたのは後続車の男だ。でも私が泣いたのは誤解を受けたからではない。女の子の眼を見て泣いたのだ。私たちはあの人と同じ世界で共存しないといけない。お互いのことを何も知らないまま。彼は知ろうとしない。雪の中を歩く白い犬が綺麗。あの犬になりたい。”(p.145) -
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『「私が死んでも何も変わらない」。死んでも何も変わらないのであれば、生きて世界を変えよう。』
ー「優しい地獄 下」より
こんなにも要約が書けない、こんなにも痛切で、一言で感想を表せない本はなかなか無い。
著者の紡ぐ言葉の一言一言を、全て余さず噛みしめたい。忘れたくない。この本を、著者を抱きしめたい。そう願わされる本。
でも悲しいかな一言一句逃さず覚えていることは困難で。それが心の底からもったいないと思う。
イリナさんの夢と現実と過去と現在を行き来する、目まぐるしいような夢の中を…それこそ生暖かい優しい地獄を彷徨いつづけているような心地で読む。
彼女の感受性の豊かさには驚くばかり。痛みも喜びも苦しみも優しさも、こちらが初めて出会うような表現で綴る。
イリナさんの文章を読んでいると、発見と感情の渦の中で、目の前がパチパチと光る。
今は無き、幸せの象徴のような幼少期を過ごした牧歌的な祖父母の家、儀式的行為、父母のこと、父のアルコール依存症とDVのこと、でも娘たちにとって良いお祖父ちゃんで居てくれることによって生まれる許しの感情、チャウシェスク政権、社会主義の国で生きるということ、チェルノブイリの子供であること、読書、映画、カメラ、ダンス、女の子であることの苦しみと無力感、孤独、ジプシーへの憧れ、世界の広さを感じた瞬間、川端康成の「雪国」や紫式部の「源氏物語」から受けた多大な影響と、「私の免疫を高めるための」日本語、彼女の娘たち……
全てが読みながら、体内に降り注いでいく。
読みやすい文章のはずなのに、消化に時間がかかってなかなか読み終わらなかった。
彼女の過去を読むと苦しくなる。
でもイリナさんの娘たちとのやり取りや、娘たちの発言や行動からイリナさんが得た気づきは、あたたかい。
イリナさんは高校生の時家出を考えた。でも何かを察したイリナさんの弟が、自身のクラスメイトが父親の暴力から逃れるため家を出たが、「結局のところ西ヨーロッパのどこかで売春ネットワークに捕まって身売りされ、そこからやっと逃げて恥を忍んで家に戻ったという」話を聞かせ、イリナさんは家出を諦めた。
大学の時ブカレストで、人身売買された若いルーマニア女性の写真展を見に行った。
イリナさんは「彼女らのイメージはどこかイコンのようだった」と思った。
そう感じたイリナさんの気持ちを、売買された彼女たちのことを思う。
「彼女らも十四歳の私のように、ただ逃げたかった。暴力から、貧困から、全てから。そして逃げた先には違う地獄が待っていた。」
どこまでも地獄が続く事実に頭がパンクしそうになる。この世が地獄という、どこかで聞いた言葉が頭の中でこだまする。
けれどイリナさんは写真に残された彼女たちを見ながら、自分は恵まれている方だとわかったと言い、
「だから私は博士課程まで上がりたいと決心した。そして世の中を変える。どんなに大変でも、どんなに苦しくても、単純なことだけどみんなやればいいだけの話、自分のできる範囲で。」
そう心に誓う。
何度もこの文章を目で追った。
みんなやればいいだけの話、自分のできる範囲で。
心の中で唱えてみる。
苦しい時に、理不尽に心を痛めどうすればいいか分からなくなった時に、きっと指針になってくれる、この言葉は。そう感じた。
他にも印象的なエピソードは、たくさん、たくさんあったけど、一番胸に迫った、一番イリナさんの力強さを感じたこのエピソードを紹介させていただいた。
私にとっても、とてもとても大事なことのような気がして。
世の中を変える、みんなやればいいだけの話、自分のできる範囲で。そう胸に刻む。
以下備忘録がてら目次を載せる。
サブタイトルも、どれも素敵だ。
目次
生き物としての本 上
生き物としての本 下
人間の尊厳
私の遺伝子の小さな物語 上
私の遺伝子の小さな物語 下
蛇苺
家
マザーツリー
無関心ではない身体
自転車に乗っていた女の子
天道虫の赤ちゃんは天道を見ることができなかった 上
天道虫の赤ちゃんは天道を見ることができなかった 下
なんで日本に来たの?
シーグラス
ちあう、ちあう
透明袋に入っていた金魚
社会主義に奪われた暮らし
トマトの汁が残した跡
冬至
リボンちゃんはじめて死んだ
毎日の魚
山菜の苦み
優しい地獄 上
優しい地獄 下
パジャマでしかピカソは描けない
紫式部
あとがき
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ルーマニアに生まれ、弘前に暮らし、書いて、研究する著者の過去と現在を行き来するエッセイ。26編が並ぶが、著者の感性を通した日々とその思いの描写が大きな一編の抒情詩のようでもあるし、また故郷の思い出や歴史、社会を克明に記した叙事詩のようでもある。
著者の見た夢の話が何度も出てくることもあり、夢と現実のあわいをたゆたうような浮遊感に身を任せていると、ところどころに散りばめられた力強い言葉に覚醒させられたりもする。要するに多面的な作品なのだ。
「自分がこうなったのは本当の自分を受け止めたからだ。もう、無理はしないと決めた。隠すのはもういやだ。今の自分がそのままの自分だ。」(p.189)
「どんな状況でも生き続けることを決心した。そしてたくさん笑うと決めた。最後の最後まで笑うと決めた。」(p.215)
「私は博士課程まで上がりたいと決心した。そして世の中の何かを変える。どんなに大変でも、どんなに苦しくても、単純なことだけどみんなやればいいだけの話。自分のできる範囲で。」(p.217)
著者の「決めた」事柄を私も声に出して読んでみる。著者が過酷だった半生から声を絞り出して言った言葉の重みを、私には出せるはずもないけれど、それなりにしんどかったこの人生をこれからも生きるため、背中を押してもらっているように感じる。 -
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この本を最初は翻訳エッセイだと思っていて、最初から日本語で書かれたエッセイだと知ったときには驚いた覚えがある。私も田舎の漁師町で生まれ育った身ではあるけど、そんな生い立ちとイリナさんのそれとでは凄まじく違いすぎる。こんな生き方、こんなものの感じ方があるのかと思った。スピリチュアルという言葉はもはやいろんなニュアンスを含むのであまり使いたくはないけれど、スピリチュアルとはもしかしたらこういうものかもしれない。人間も動物も草木も花も自然も全てが渾然一体となって、有機的にその人を作る。過去と現実を行ったりきたりしながら進むエッセイは、どこかさみしくて、そのさみしさが強烈に胸に残る。薔薇の赤、紫式部の紫、鮮やかな色が脳裏に焼き付く。青森で降り積もる真っ白な雪のイメージとそれらの色とが私の中で混じりあっていった。
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ネタバレ生き物としての本 上
p6
ジプシーの乳を飲んだせいで、あなたはずっとその日から自由を探している、と。
p8
祖母の焼いたパンと郷土料理は、今はもうことの世にはなき味だ。
人間の尊厳
p31
もう一度いうが、社会主義とは、宗教とアートと尊厳を社会から抜き取ったとき、人間の身体がどうやって生きていくのか、という実験だったとしか思えない。
p32
ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』を最後まで書き切れなかったことが残念だ。社会主義でもなく、資本主義でもない世界があるとすれば、そこはどんな世界だろう。人の身体が商品にならない日がきっとやってくる。
無関心ではない身体
p84
ベッドに入った娘は、「産んでくれてありがとう、大きくなったら私も自分のお腹から血を流してママを産むから大丈夫」と寝つきながら言った。
天道虫の赤ちゃんは天道を見ることができなかった 上
p108
ひどく傷んでいる二人の身体は、私たちがチェルノブイリの子供だったからだ。
社会主義に奪われた暮らし
p153
森は誰でも入るところではなかった。森をよく知っている人しか入っていけない。それはジプシーたちだった。
優しい地獄 下
p209
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」。平家物語とレッド・ツェッペリン、仏教とキリスト教、人類の歴史と未来、全てはこの溶ける雪の結晶の美しさにあると思った。
死んでも何も変わらないのであれば、生きて世界を変えよう。
パジャマでしかピカソは描けない
p229
鶏以外、肉はあまり食べなかった。特にウサギと子牛を食べることはなかなかできなかった。仲間だったから。
思わず教養!と叫んでしまうくらい面白くて最高。
そもそもルーマニア人が日本語で書いたエッセイというだけで稀有(でもこれからもっと増えると思うし、増えた方が面白い)な存在。最初はジュンパラヒリみのある文章だなと思いながら読んでいくと、徐々に作者のバックグラウンド、宗教観、家族との話が出てきて興味深い。スピってる、と言うと揶揄しているように聞こえるかもだけど、夢の話しかり、そういった迷信深さは日本人とも親和性が高いのかも、と思った次第です。
シネマの存在。でも映画産業自体はかなりの資本主義体制(でも今映画館で観たい映画がないという言及は笑うし、青森ではミニシアターも多くはないのでしょう)なので、そこと線引きするための表現のようにも。