エリザベスムーンのレビュー一覧
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自閉症が胎児または幼少期のうちに治療が可能となった近未来、主人公ルウの世代はその端境期で、ルウ世代より若い自閉症患者は存在しない。特異な計算能力を活かして製薬会社の自閉症患者だけのセクションに務め、趣味のフェンシングに精を出し、両思いではないものの淡い恋愛を楽しむルウ。ある日彼の会社が成人の自閉症患者の治療方が見つかったから受けて欲しいと彼らに頼む、というか脅す。そこから彼らは変わる。手術のメリットうんぬんというよりかは自分とは何かという問い。同一性、感覚の統合、「こだわり」の正常な範囲とは?手術を選ぶ前から彼らは変化してしまう。それは会社からの圧力とかそういう問題ではない。何かを知るというの
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「あなたはほんとうに癒されたいのか」
自閉症をもつ主人公は、自分の特性を活かした仕事に就き、趣味を持ち、日常生活に苦労しながらも自分なりに楽しく生活している。
そんな時「自閉症を治す」治療法が開発されて…
印象深かったのが、
礼拝にて司祭が話す、ヨハネ書、癒しを求めてベテスタ池のほとりに横たわる男の話。
ベテスタ池には天使がやってきて水をかき回す。その間に池に入ることで癒されるという伝説がある。
そこに現れたイエスが、男に「あなたはほんとうに癒されたいのか」と尋ねる。
一見愚問にも見えるこの問いは、
「元気になりたいと望んでいるのか」
「水に身を浸すという特別な体験を望んでいるのか」
よく -
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自閉症者のルウ・アレンデイルは、パターン認識能力の高さを買われ、製薬会社の研究部門にある発達障害者を中心としたチームで成果を上げている。私生活ではフェンシングのサークルに加入し、健常者であるサークルメンバーとも仲が良く、ほのかな恋心を抱く女性もいるが、一部の健常者はルウの存在を快く思わず、障がい者の中にもルウを攻撃する者がいる。それでも公私共にまずまずの日々を送っていたルウだったが、所属先の上役から、自閉症を「治療」するための施術を受けることを要求される。日常に充実感を覚えているルウにとって、施術を受けることは「今の自分」を否定することでもあった。悩むルウの前に、あからさまな敵意と思われる事件
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自閉症者の一人称で始まるSF小説。
自閉症者の一人称小説というのがキャッチー。主人公は文中で平坦に物事を受け止め自分の決めたパターンに則って行動する。自閉症者に特有のこだわりや特別な感覚も表現されている。
ただ作者自体が自閉症者でないので書かれている内容がどの程度自閉症者の思考に近いのか疑問が生じた。他の書評によると自閉症というより自己愛性パーソナリティ障害の患者の思考に近いというが、その場合自閉症の視点から考える思考SFという前提は成り立つのか?
あと、著者は「くらやみの速さ」にこだわりすぎな気がした。知と無知になぞらえるのもしっくり来なかった。正直いらない要素では。フレーズとして気に -
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自閉症の治療が可能になった近未来。幼児期に行えば完全に、青年期であれば軽度(アスペルガーに近い)に抑えられる。
主人公ルゥは軽度の自閉症ながら、その特徴である高度なパターン認識能力を活かした適職に就いている。そこへ、青年でも自閉症を完全治療できる新たな治療法のニュースが入り、勤める会社から被験者になるよう命じられる。
ルゥは葛藤する。「健常者」になりたい。しかし、そうすればアイデンティティを失ってしまうのでは……。自閉症者でも、好きな仕事、趣味、異性と充実した日々を送ることはできる。「健常者」になるのは、それほど望ましいことなのか……。治療をめぐる、周囲との交流や衝突を経て、ルゥの下した決 -
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去年、最も印象深った一冊『くらやみの速さはどれくらい』のエリザベス・ムーンの作品。
他の作品はどんなものなのかと、新刊買い。
優秀な士官候補生カイ・ヴァッタ。
しかし、親切心から下級生の悩みを解決しようとしたがために大騒動になり、退学処分。
実家は宇宙でも名高いヴァッタ航宙。
父はカイを廃棄処分の船の船長に命じ、スクラップにするために運ばせる。
途中、一儲けしようと、農業機械の買い付けに向かうが、そこで戦争に巻き込まれてしまう。
傭兵会社から民間人を預かってくれと頼まれ、引き受けるが……
〈若き女船長カイの挑戦〉シリーズの第1巻。
『くらやみの速さはどれくらい』をイメージしてると全く違う。
あ