池田喬のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
めっちゃ面白かった。今年のクリティカルヒット本。
嘘をつくという人間の行為はどう定義できるかから始まり、なぜ嘘をつくことが悪いとされているのか、それでもなぜ人は嘘をつくのか、という3段構成。
人が嘘をつくとき、相手を騙そうと思って自発的につく嘘もあれば、自信の保身のためにつく嘘もあれば、外部から強制されて嘘をつかざるを得ないこともある。
つまり嘘の自発性にはグラデーションがあり、自発性が高いほど一般的に悪意が高いものである。
(この時点で目からウロコだった。そう考えたことがなかった)
嘘をつくことが相手に害を与えるから悪である、という考え方がある(嘘の害悪説)。
これに対して、嘘は相手を尊重していないから悪である、という考え方もある(嘘の尊重説)。
前者は比較的理解しやすい。
後者は例えば、嘘をついていることが相手に気づかれているのに、嘘をつき続けている状況でわかりやすく発生する。相手に害は与えていない。この場合、嘘をついていること自体が相手を侮っていることを意味するため、したがって嘘は悪だ、ということである。
相手を尊重していない、という意味で悪である嘘は他にもある。
本書の第2章でクローズアップされる、「善意の嘘」というものがある。
嘘には必ず他人を騙す意図が含まれているが、その嘘を後から明かすことを予定し、相手を喜ばせたり驚かせる場合に用いられる嘘が、善意の嘘の例。
サンタクロースの存在についての嘘や、サプライズのための嘘がそれである。
善意のための嘘ならついても良いのか?という疑問は誰しも考えたことがあるだろう。
善意の達成の手段として嘘が選ばれる場合、自分の善意が達成されることを相手に強要していないだろうか。そうなると、相手を尊重しているとはいい難い、とも言えるのではないだろうか。
この場合、「相手を尊重していないからその嘘は悪である」ということになる。
例えば自分の子どもの生みの親は実は別にいるという場合、子どもにこれを伝えないという「善意の嘘」は悪だろうか?
真実を伝えないことで子どもが苦しまずに済むだろう、子どもが小さいうちに伝えても混乱するだろう、などと通常は考える。
しかしこれは親のエゴかもしれない。善意でついた嘘が、自分の目的を満たすために用いられるなら、相手への尊重を欠いている、したがってその嘘は悪である、と言い得る。
子どもが一つの意思を持った存在であり、真実を知りたいと考えている可能性を無視して、親が自身の善意の達成を子どもに強要しているからである。
サプライズのための嘘も、相手が喜ぶことを強要してはいないだろうか。相手の意思を尊重せず、自分の目的達成のためだけに嘘がつかれるのであれば、善意の嘘は悪である。
善いことを達成することを目的として嘘が用いられることがあるのだが、その目的達成には本当に嘘という手段しか取り得ないのか?という問いが必要である。
嘘という手段を使うことは、本来は事実ではないことを事実であるとすることにより、お互いの本心からの対話を抑止してしまう、という効果があるのである。
また嘘をつくことは、それに整合するように後から辻褄合わせをし続けなければならない、という苦しさも生んでしまう。
慣習的に嘘をつかなければいけない場合や、嘘をつくことが半強要されるような場合もある。
例えば自分がセクシャルマイノリティであることについて、本当のことを他人に伝えるのは、今の社会では難しい。
この場合、苦しみがあろうと、嘘という手段を実質的に取らざるを得ないだろう。
しかし、嘘をつかなくても良い場面はたしかに我々にはある。
それでも人はなぜ嘘をつくのか。
嘘をつくことは内面を持つことの実践だからだ、と筆者は言う。
自分の内面を外部に表現するとき、内面を偽って周囲に伝えることは、相手を騙す意図を持っている嘘だと言える。
しかし、自分の内面をすべてさらけ出すことが、生活する上で正しいかというと、そうではない。
だから、人は嫌でも嘘をつく必要がある。
(「何でも許すことと寛容であることは異なるものである」という事実をここで自分は思い出した)
お腹が痛いときに、過度に痛がる演技をするのは、周囲に気を遣ってもらいたいからである。
実際よりも痛くない演技をするのは、周囲に心配をかけたくないからである。
そもそも痛さを正確に伝えることは根本的に不可能であり、そこにはなんらかの嘘が含まれる。
一方で正直でありたいと願う人も多い。
嘘は生きていく上で必要だが、嘘をつきたくなるときにぐっと思いとどまる意志、嘘をついてしまったときにも本当のことを話そうとする意志を失わないこと、これが正直であることである。
正直であることは、他人に対して嘘のない生き方であり、他人を傷つけたり他人の利害関心を決めつけたりすることへの抵抗があり、他人とオープンに対話することを求める生き方である。
内面を持つことがすなわち嘘を持って生きることそのものである。
だからこそ、正直に、誠実に生きることは難しく、人生の目標とされるほどの困難さを伴うのである。
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読んでみて。
嘘についてここまで深く考察したこともないし、整理できるとも考えていなかった。
自分も嘘をついたことはあるし、人から嘘をつかれたこともある。
なぜあのとき自分は・あの人は嘘をついたのだろうか?それは悪いことだったのだろうか?
この問題を考えるためのとても良い基準ができたと思う。
人間にとって、嘘をつくことは必要な行為である。
その嘘をどういう場面で使うのか。
騙すという意図や悪意の有無、自発的な嘘かどうか、様々な観点から、ひとつの嘘を分析できる。
嘘をつかざるを得ない生き物なのだとしたら、それでも誠実に生きたい、そう思えた。
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最後に、この本の文章の書かれ方について。
説明の折にでてくるいろいろな例え話しが極端だとかわかりにくいだとか結構言われているようだが、自分は全くそうは思わなかった。
全体を通してとてもわかり易く書かれていると思った。
「AはBといえるか?Bであるとするならばこういう反例があるということは、AはBであるとは言えない…」
みたいに、1つ1つ潰していって本質を明らかにしてくような論の進め方、倫理学の本ではよくある書き方で、とてもロジカルであり、気持ちよく読めた。 -
Posted by ブクログ
「嘘をついてはいけない」と言われるけれど、嘘をつくとは何をすることで、どう悪いのか。それでもなぜ嘘をついてしまうのか。
とてもよい新書でした。
高校生向けの哲学の題材として「嘘」を取り上げ、大人未満と大人が、自分と社会のあり方に向き合うような論が進む。
善意の嘘は本当に善意だけなのか?
善意の嘘という道に安易に逃げて、そのような嘘をつかなくてはいけない社会のあり方、普通という概念を変えようとしていないだけではないのか?
嘘をつかないとは自分自身に対する透徹さを貫いていく姿勢であることを改めて理解できることは、経営者にとっても、経営の透明性とは? フェアであることは何かの考えを深めてくれた。 -
Posted by ブクログ
『存在と時間』の解説。丹念な説明で入口に立たせてくれる。ギリギリ分かるレベルで攻めきっている。
第1部は、読み解くための視点がちりばめられている。
・なぜ存在の意義を問うのに、自分自身を問うのか
・直訳=翻訳によりエポケーし、理解にいたる
・世界内存在=住まう。主体を出さない=認識論に陥らない。
第2部は、その視点の卓越性、結論を示す。
・「世界は存在しない」
・「手」
・「世人」
第3部は、実践的な論。
・「死への先駆」
・『存在と時間』に倫理学はあるのか
・存在と時間が成し遂げたことは過不足なく、また誇張せず、到達点と貢献を述べている。 -
Posted by ブクログ
今この社会を生きていくうえで「差別」というテーマについて考えずにやっていくことはほぼ不可能(すさまじい特権を持っているなら別だが)だと思う。とはいえ、明らかに間違っていると思うことに声を上げようにもそれを上手く言語化できなかったり、詭弁でごまかされてしまったりすることは驚くほど多い。この本は、あらゆる差別に抵抗していきたいがそもそも「差別をなくすべき」という前提を共有していない人間に対して反論する言葉をまだ構築できていなかった私のような人間にはまさにぴったりの本だった。
差別という大きなテーマを「差別とはどういうものか」「差別はなぜ悪いのか」「差別はなぜなくならないのか」の3つのトピックに分けて、かなり易しく説明してくれている。特に、感情や善悪といった曖昧な基準でなく、事実やデータがすべてを決定する、それらが存在しているのだから差別が起きるのは仕方がない、といった姿勢が「知性主義」としてしっかり有徴化されていたのがよかった。
この本に書かれていることを思考の土台として活用することができれば、身近な差別にもっとうまく立ち向かっていけると思う。注釈で紹介されている本も今後の勉強で役に立ちそうで、まさしく道先案内という言葉がふさわしい。新年一発目にこの本を読めてよかったと思う。 -
Posted by ブクログ
あるところで著者の講演を聴く機会があり、手に取った。三章がそれぞれ、言葉をもつ、善悪の区別をつける、心をもつということに焦点をあてながら、嘘をつくという行為についての分析がされている。ウィトゲンシュタインと古田徹也を引用しつつ著者は、子どもが嘘をつくようになるのは、その子が自らの心(内面)をもつようになったことであると述べる(pp200-201)。そして、正直であることは、内面での葛藤があるうえで、他人に対して嘘のない生き方をしたいという選択であると同時に、己を大切にし、自分らしくありたいと切望する選択でもあるのだと述べられる(p209)。著者は第二章で遠藤まめたの著作を引用しているのだが(pp110-113)、最後まで読んでその真意がわかった。自身の性自認を葛藤しながら自身で認め、社会の中でその性自認に沿って生きる選択をしていく過程は、まさに正直に生きようとすることだ。
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Posted by ブクログ
子どもがナチュラルに嘘を言うようになり、もやもや。
で、手に取った
そもそも嘘をつくのは「何をすること」なのか、「どう悪いのか」なんて考えたこともなかったなぁ
嘘をつくとは
話し手が真だと信じていないことを、相手にはあたかも真であるかのように言う。これは、自分が信じていることを相手に隠すことができること。
内面を持つことによって嘘がつけるようになる。
子どもは成長するにつれて嘘をつくように(嘘がつけるように)なる。親は嘘はダメだよ、と教える。それでも嘘をつく子どもにがっかりしていた。
それについて特に印象的だったのでメモ
サンタクロースを信じていた子どもも、ある程度の年齢になると、嘘をついたりつかれたりする経験をし、相手の言っていることを疑ったりすることがあります。大人はその時、子どもが自分とは異なる独自の心を持った一人の人として見えてくるでしょう。まさにその時大人は子どもをもはや「ただの子ども」と見るのではなく、目の前の「人」と本当のことを話し合わなければならないと感じるのです。
お互いに嘘をつくことができる人たちの関係は、それぞれが独自の心を持って生きている人間同士の関係であり、だからこそきちんと包み隠さずに話し合うことが時として大事になるのです。
嘘をつけるようになったのね、と認め、話し合う関係に、、、かぁ
うーん、難しい、、、
以下メモ
・哲学において○○とは何か、の考え方
類似の考えを並べる、反対の概念を考える
嘘/冗談/騙す
・なぜ親は子どもに嘘をつくな、というのか
親としては子どもを把握、コントロール、支配したいから
子どもは自分を守るために嘘をつく
・嘘と冗談の違いは、その成功条件
何をしようとしていたのか明示できるのが冗談。隠し通すのが嘘
・自分に嘘がつけるのか
嘘をつくには、真だと偽る話し手と、真だと信じる聞き手が必要
・嘘はどう悪いのか
害説
嘘によって、お金、時間、心に害が生じるから悪
尊重説
嘘をつくことそのものに含まれる相手への尊重の欠如が悪
「善意の嘘」は、害説から見ると悪ではないが、尊重説から見ると悪
・嘘は自分を苦しめる
うそをつくのはやさしいが、一度だけ言うのは難しい
・嘘の動機はグラデーション
自発的⇔強制的
嘘は個人の問題だけではなく、社会の在り方にも関わってくる
・その行動が善意なのか、自己満足なのか
予定通りに相手が動かなかったとき、想定と異なる行為をしたとき、その本性が現れる
・プレゼントをもらったとき、本当は好みでないものだとしても、「うれしい」と嘘をつく
相手を喜ばそうとする意図と、騙そうとする意図は両立している
相手を喜ばそうとする目的のために、嘘をつく以外の方法はなかったか?
対等な関係として対話をすることはできるのでは
善意の嘘でも、嘘は相手への尊重を欠いている
・嘘をつかない生き方とは
裏表がないことではなく、嘘をつきたくなる時にぐっと思いとどまる意志
嘘をついてしまったときに本当のことを話そうとする意志を失わないこと -
Posted by ブクログ
『ハイデガー「存在と時間」を解き明かす』(池田隆著)を読み終えて、自分自身の捉え方が大きく変わったように感じている。
最も印象的だったのは、「存在」という概念を通じて自分を客観視できるようになったことだ。普段、私たちは自分を当たり前の前提として生きている。しかし「存在」という言葉を意識的に使うことで、自分という存在を一歩引いた視点から眺めることができるようになった。それは自分の立ち位置を知る手がかりとなった。
また、「時間」の捉え方も変化した。これまで時間とは時計の針が進むような、客観的で均質なものだと考えていた。しかし本書を通じて、「今現在」という視点から物事を見ることの意味を理解できた。時間は単に過ぎ去るものではなく、「今ここ」という自分の立ち位置から開かれていくものなのだ。
特に印象深かったのは、倫理学の観点から道徳性を考える部分だ。環境や時代のせいにすることは、自分自身の存在理由まで否定することになってしまうという指摘に、強く考えさせられた。
「時代が悪い」「運がなかった」という弁明は、確かに理解できる。しかし、それで行為が許されるわけではない。なぜなら、私があなたに成り代わることはできないからだ。あなたは他の誰でもない、あなた自身として生まれた。その「自分として生まれた」という事実こそが負い目となり、固有の立場から選択する責任は避けられない。
この考え方は、日常生活にも当てはまる。私は誰かを指摘する時、つい「私ならこうする」「私もそうなってしまうかも」と共感的に考えてしまう。しかし、この一文を読んで改めて考えさせられた。私がその人に成り代わることはできない以上、安易な共感や代弁では、その人固有の責任や選択を見失ってしまうのではないか。
この本を読んだことで、日常の見方が少し変わった気がする。
最後に、本書のまとめを読んでハイデガーとナチスの関係性を知ったことも付け加えておきたい。これまでまったく知らなかった事実であり、思想と思想家の生き方という問題について、改めて考えさせられた。この点についても今後調べてみたいと思う。 -
Posted by ブクログ
ハイデガーの『存在と時間』の入門的解説書です。
「本書は、『存在と時間』についてよく抱かれる疑問や、理解しがたい主張をハイデガーがしていると思われがちな点をピックアップし、その疑問に答えるという仕方で、結果的に、『存在と時間』の全体をだいたいカバーするという方法をとった」と著者は述べています。全体は10章で構成されており、各章は「なぜ存在の意味を問うのに自分自身を問わねばならないのか」「なぜ『存在と時間』の言葉遣いは普通の哲学書と違うのか」といった疑問文の形のタイトルになっており、それぞれの問いについて説明がなされています。
個人的に興味深く読んだのは、「『存在と時間』に倫理学はあるのか」というテーマをあつかった章でした。著者は「『存在と時間』は道徳哲学の前提にさかのぼり、道徳性というものが私たちに可能になるための条件を問うているのだ」と述べて、「責め」(Schuld)という概念にかんするハイデガーの議論を検討し、さらに「道徳的運」をめぐる問題に対してハイデガーの思想がどのような貢献をなしうるのかということにまで考察を進めています。 -
Posted by ブクログ
・嘘をつくことと、騙すこと、皮肉、冗談の違いは何か?サプライズの為の嘘、自分への嘘、騙す意図の要否等、状況によってその意味は変わるのか?
・嘘をつくことは悪いことか?どんな嘘が悪いのか?どんな嘘は悪くないと見做せるのか?
・何故嘘をついてしまうのか?どんな時に嘘をつくのか?嘘を認識するのか?正直さ、誠実さとは?
・この様な問いから、嘘について哲学的に掘り下げその本質的な意味を探ろうという試み
・嘘は「相手を騙そうと意図して、自分がそれを真であると信じていないことをあたかも真である様に平叙文で言う」という行為を示し、その動機には、利益の為に自発的につくものと、嘘をつかざるを得ない強制的なもののグラデーションがある
・悪い嘘は相手の尊厳を害するもの。相手を傷付けることを避ける為につく悪意の無い嘘もありえるが、であったとしても嘘は整合性破綻を回避する為に自分自身を制限するものとなり得、そうならない様に、嘘をつかず相手と誠実な対話を重ねる、という行動を取るというオプションもあるのではないか
(例えば、自分が望まないプレゼントを善意でくれた相手に対して「ありがとう。大事に使うよ」と言って嘘をつくのか、「ありがとう、実は・・・」と対話するのか、など)
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・この本を手に取った時は、哲学に加えて、心理学的な意味合いや言語学的アプローチ、嘘に纏わる歴史的な出来事などより広範なテーマを期待していたが、思いの他徹底して哲学だった(いくつかのアプローチがないと嘘で一冊書けないだろうと思っていたが、甘かった。。)
・冷静に考えれば、「正義」でも「謝罪」でも哲学的に切り取ればなんだって1冊本は書けるのだから嘘でも当然書ける
・嘘の分類や良し悪し、誠実さとの関係など、何となく考えていたことを平易な言葉で言語化してくれた感覚。ただいくつかの比喩は極端で納得はいかなかったし(例えば「殺されそうな友人を匿っている時に、友人が「いない」という嘘を付く以外に「黙っている」というオプションが現実的に成り立つのか?)、結局は対話が大事、という結論は、この本を読み進めた結果としてある程度の重みは感じるものの、そうもいかない複雑な現実に照らし合わせた時にこそ深みが出るものだろう(まあでも哲学ってこういうものですよね)
・身近なテーマはこうやって分解していくと思考が深まるのだな、とスルスルと思い出せる感覚が心地良くはあった/philosophy as mental weight liftingという恩師の言葉も思い出した
・ヴィトゲンシュタインの言語ゲームという言葉を久々に聞いて読み返したくなった