石田光規のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ自分で決められる⇔責任を負わされる
ひとりを尊重する⇔孤独・孤立に陥る
やりたいことをやる⇔思わぬ非難を受ける
自分で決めたはずなのに息が詰まるのはなぜか。
自分のことは、自分で決める――。
本来善しとされるはずなのに、どこか疲れるのはなぜ?
そもそも自分で決めるってそんなによいものなのか。
他人の決めたことにはどこまで踏み込んでよいのか。
「自己決定」をめぐるこの社会の自縄自縛をときほぐす。(紹介文より)
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第一章 自分で決めることに息苦しさを感じてしまう
・自己決定を可能にするには、物質的な条件と思想的な条件がある
・「自分のことを自分で決める」を「社会」が「個人」に強く求める個人化社会
選択をしない、決定をしないことも「自分でした決定」となる
・自分で決める行為は、一気に緊張感を持つ
・倫理的、理性的な自己を求められる。自由にしろというわりに、結果にはケチがつけられる
・自己決定の概念が、西洋で主流の自律した人を前提に考えられている。欲求や衝動に流されない高度な人物を設定しがち。
・自分で決めることと責任を負うことは密接な関わりがある。また環境や運が決定を左右する中で、今の社会は自己決定に重きを置きすぎ。
・自己決定がさまざまなものの影響を受けている場合、その責任はだれにある?責任は社会秩序を成り立たすために援用される虚構の物語
・意識は行動の原因というよりも、逆に行動を正当化する機能を担う。意識が行動を決めるのではなく、行動が意識を形作る。無意識で下した決断を合理化するために意識が働く
・自己決定と自己責任を結びつけて考える人は、比較的に恵まれた成果を手にした人が支持する場合が多い。悪い結果を手にした人を努力不足とみなしがち。
第二章 決定に対する責任の所在
・個々人の決定と集団が課す責任のせめぎあい
・日本はとりわけ集団の決定を重視しやすい社会で、かつ集団の決定が必ず正しいわけではないということ
・個人の決定と集団の決定を比べた場合、集団の決定の方が与える影響は大きいが責任はあいまいになりがち。関わっている人が多く責任が分散するから。
・責任の体系は、強いものがつくりがち(政府や男性など)
第三章 決定を回避する私たち
・豊かだからものが選べる、記号的消費の時代
・選んでも選ばなくても見定められると息苦しい
・私たちの決定は他人から承認を得ることで安心できる決定になる
・やりたいことより迷惑が気になる
・自然と、無駄なく効率的な、合理的な選択をするようになっていく
・コスパタイパの落とし穴は、自らもリスクとなること、チャンスが閉じられる可能性があること
第四章 自分で決めたことに追い詰められる私たち
・決めたことが重荷になる、趣味を純粋に楽しめない
・個性や自分らしさにとらわれると、それが檻となる。とらわれやすいのが進路選択。
・上位と下位を表したパイプライン、最近は下位への漏れが目立つ、から上位はしがみつく
・個々人の決定を尊重しすぎる社会は硬直化しやすい。自己決定を離脱しずらい。
第五章 決めたことへの介入は「大きなお世話?」
・「キャンセル界隈」はさまざまなライフスタイルがあるという現実感と安心感
・嫌なつながりから離脱しやすくなると、孤立孤独の不安は高まる。自己決定だからといって関わらないと、それは排除にもつながる
第六章 ゆるやかに決められる社会へ
・自己決定を尊重する社会は機能不全を起こす
・弱い個人が決定できる緩やかな自己決定社会 -
Posted by ブクログ
これから重要な決定をするか迷っており手に取った本。
タイトルから「個人」の意思決定に関する話かと思ったら、むしろ社会的なつながりの話だった。
私がネックに感じていた息苦しくなってしまうのではないか?挫折してしまうのではないか?という懸念についても触れられており、それを解消する方法や意思決定の仕方は本書には書かれていなかったが、その息苦しさや挫折を冷たく突き放す社会であるから、それが大きな懸念になってしまうということが理解できた。
社会全体でこれを無くしていくことは一朝一夕で出来ることではないが、個人的にはもう少し自分を責めすぎなくていいのかもしれない。また、他人を自己責任論で突き放しそうになった時、一歩立ち止まって思いを馳せてみてもいいのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
「人それぞれ」って言うと、多様性に理解のある寛容は人という感じがするけど、ばっさり切り捨てるような寂しさを感じることもある。
その寂しさの理由が「こういうことだったのか」とわかった気分。
一人でいるほうが気楽で、でも誰かと繋がっていないと不安で…という心理や、人それぞれと言いながらも自己主張はしづらいという現代の風潮。結局みんなどこか息苦しいのかなと思う。
人間なんて、プラスの面もマイナスの面も持ち合わせているのが当たり前で、コスパを考えることなく相手と向き合ってみることが大事だという考えには賛成。「人それぞれ」っという言葉はできるだけ使わず、面倒くさいことにも関わってみようかという気になった。 -
Posted by ブクログ
大学入試小論文の出典として名前を見て、この手のテーマが昨年の流行であったとのことで手に取った本。
プリマー新書ということで学生向けなので、文体も優しく、すぐ読めてしまうが、なかなか現代の「息苦しさ」を絶妙に言語化してくれているように思った。それゆえにプリマー新書であることが悔やまれる。あと2、3歩踏み込んだ内容を読みたいと思った。
人それぞれ、という一見個性を尊重する社会通念は、実は形を変えているだけで集団主義的な色を非常に強く残しているというのはその通りだ。
外のコミュニティに対して「迷惑センサー」と「特権センサー」が過敏に反応し、相手を再起不能になるまでボコボコにする想像力のなさや、付き合う相手を選べるようになったが故の「キャンセル思考」「コスパ思考」によって、踏み込んだ深い関係性を築けない寂しさはとても合点がいった。
ここから先は持論だが、全ての問題の根幹にあるのは、他者に対する想像力の欠如だと思う。ただ、その想像力は思いやりから生まれるものだ。これだけ個人主義が進んでいる昨今、他人を思いやる事の美しさを語ることが難しい。何でもかんでもコスパで考えることになった今では、他者への思いやりに必要性こそなければ、関わらない「緩やかな撤退」が戦略的に効果があるからだ。
どんな世界線に進んでいくとしても、目の前の人を大切にする自分でありたいと改めて思った。
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Posted by ブクログ
「まあ、人それぞれだからね」というのは一見寛容に見えるけれども非常に冷たい対応で、それによって生じる懸念などの解説をした本。新書だし薄くてわかりやすかった。
「人それぞれ」ってのはその人を尊重するように見えて、その人自身が抱える問題をこちらに持ち込まないでくれという一種の拒否反応でもあり思考をストップさせる言葉でもある的なことが書かれていて、いやーほんとそうですよね…と反省したというか、考えたくないことが出てきたときに使ってしまいがちが頻出フレーズよな…と思った。
「人それぞれ」なのはもう存在するものとして社会に共有されたほうがいいし、大事なのはその「人それぞれ」の中身に対してどうやって行動していくかよね。
このあたりを柔軟にしていけばもっと労働に参画しやすい人たちも出てくるよね -
Posted by ブクログ
みなさん、前回のレビューをご覧いただけただろうか。
(この切り口、気に入っている)
ご覧いただいていない方のために、再度振り返ってみよう(しつこい)。
naonaonao16g、様々な顔回りの異変から親知らず(下)があったことが判明しました。
無事手術(骨を削ったのでこの言い方を選んでいる)を終え、術後も良好とのこと。
しかしである。
また耳が痛みだしたのである。歯医者さんも耳鼻科も原因不明、ということで大病院で検査。結果、CT・MRIともに耳にも脳にも異常はなし(よかった!)。
とのことでいよいよ耳の痛みに関しては原因不明なのだけれども、フェスに参加して(いや、BUMPに会って、と言い換えてもいいだろう)以降痛みが引いてきた…(!)
この、時間が経ってよくなる感じはやはり親知らずが原因のようにも思えるし、フェスに行ってよくなったとするとストレスとも考えられる…
親知らず(下)を抜いたことのある方で、骨とか削ったことある方っていますか?
その場合、二週間以上経っても痛みが残ってて大丈夫なもんでしょうか?誰か教えてください(泣)
また自分の話が長くなってしまったけれど、ここからは作品のレビュー。
ずっと気になってた作品で、よほど気になってたのか、本棚に同じ作品が2冊。やっちまってる…
「人それぞれ」であるとか「一人を楽しむ」「一人旅」「おひとりさま」「孤独はいいこと」と言われるようになり、一人で生きていくことも多様な生き方の一つ、という現代社会。
著者の石田さんは、しかしそんな現代社会はP33「対立を回避するために、他者に対する批判や意見を憚り、気を遣い合うことに重きを置いている社会に見え」ると話す。ではなぜそんなことになってしまったのか。
それは、人や集団との関係を、自分で選べる社会になったからだ。その繋がりを「心地いい」と感じれば関係を継続するし、「居心地が悪い」と感じれば関係を切ればいい。人との繋がりが地縁ベースから感情ベースになったことで、繋がっていたい関係があった場合には「心地いい」を継続しなくちゃいけない。
でも、人と人とのコミュニケーションて常に「心地いい」わけじゃない。だからこそわたしたちは、相手に気を遣って、対立を避けて、言いたいことも言えずに、「人それぞれだしな」と、落とし込んでいる。ポイズンである。
この「人それぞれ」という言葉。P50「この言葉は、一度発せられると、互いに踏み込んでよい領域を区切ってしまいます。それに加え、それぞれが選択したことの結果を、自己責任に回収させる性質もあります」。
自己責任。この言葉は、「多様性」が産んだ負の遺産のように思う。
この言葉は「その道を選択せざるを得なかった人」にとっては呪いの言葉でしかない。でも難しいのは、ある場面においては、「自分で向き合わないといけないこと」もあるということだ。
ここで面白く且つ納得のいく調査結果を一つ。
P53「若い人たちは、『友達といるより一人が落ち着く』にも関わらず、『友達と連絡をとっていないと不安』と考えているわけです」。
若い子にとって、SNSが安心できる場所になるのも納得。繋がっている感じがするもんね。
P91「私たちは、『人それぞれ』と言いながらも、心のどこかで『望ましい結果』は共有しています。また、社会は序列に溢れており、人々の決定にはさまざまな要素が影響しています。このような社会で『人それぞれ』に選んだ結果は、けっして、平等にはなりません。にもかかわらず、私たちは、様々な決定に対して『人それぞれ』に選んだものと処理し、あまり関与しょうとしません」。
じゃあ一体どうすればいいんでしょう?
その答えが具体的に描かれているのかどうかはさておき、詳細は本作を読んでいただければ…
この作品、他にもハラスメントや迷惑だと感じる人へのセンサーの話にも触れていて、親しみやすく読みやすいものでした。
※この部分はまさに、「人それぞれ」なのにも関わらず、相手を攻撃してこき下ろそうとする「異質性の排除」が行われているので「人それぞれ」が成り立ってない部分に該当する※
わたしの職場は特に、いろんな子がいて、それをまさに「人それぞれ」で「それでいーじゃん✌」としているのだけれど、やはり「選択してここに来た子」と「ここに来ざるを得なかった子」がいるわけで。そこをきちんと事情も知らずに一緒くたにして「自分のことは自分でやりなさい」っていうのも変な話。「人それぞれ」「自己責任」って言葉は簡単にコミュニケーションを終わらせて、お互い納得できてしまう。だけど、それは対応する大人の怠慢だ。基本的には自分のことではあるんだけど、声かけとか以前より気を付けていかないとな、と思ったし、ちゃんと相手の話を聴いていくことは本当に大切なのだなと思った次第。
プライベートに置き換えると、わたしはちょっと違和感あることを人に言われるとすぐに関係を切っちゃうところがあるのだけれど、これで生きやすくなる半面、簡単に人との関係を切ってしまうことになる。でもこれって難しくて、誰かが発した言葉の意味合いと、それを言われた側の言葉の受け取り方って違うから、その「違和感」の程度にもよるんだよね。何気ない言葉が相手を傷つける。でも相手にとってそれは何気なくない。ここに修復の機会であるとか、相手を知る機会があるといい。だけど、ここで相手が関係を切ってきたらそこで終わってしまう。
最近、関係を切って楽になることも増えた。同時に、だから謝る機会も減った。個人的には、会って間もない関係だったり、深くない関係ならどんどん切っていいと思う。だけど、やっぱり大切にしたい関係だったら、言葉を選びながら、ちゃんと伝えた方がいいよね。でも、わたしが大切にしたい関係だからって思って言葉を発しても、向こうは切ってくるかもしれないし、傷つけてしまうかもしれない、修復できなくなるかもしれない。そんな風にぐるぐる考え出すと「人それぞれ」ってなってしまうのもわかるよ。わたしは、もう何年もしっかり関係を築いてきて、心から何でも話せる友人じゃない限り、突っ込んだことを言えない。だって怖いもん。
最近増えてきた「多様性」の裏の顔。そこに真っ先に目をつけたのは、やはり朝井リョウさんの『正欲』だと思ってる。 -
Posted by ブクログ
「人それぞれだからね」と話を結論づけることは思考停止に過ぎないと前から思っていて、「人それぞれ」は冷たく、突き放している言い方だよね。帯にもあるように「受け入れつつ突き放す人間関係」。なんとなくこの寂しさや息苦しさを感じている人は多いと思う。言語化されていて良かった。
「人それぞれ」の生き方がありながら、序列は存在するから息苦しいという点が腑に落ちた。格差、自己責任論と言われる今の社会で、それぞれに手は差し伸べるのではなく、手を引き合う、足を引っ掛け合うような場面が最近多いように感じる。
「みんなちがって、みんないい」には「みんな違うから、みんなそのままでいい」多様性と「みんな違って、みんな同じ扱いをうける」平等性の二面がある、という点も勉強になった。
「人それぞれ」は、各々を守る一方で自分もいつかは攻撃されうる不安があると思う。「人それぞれ」だからしょうがない?本当か? 点ではなく、面で捉えていく必要があるのではないか。
「人それぞれ」と糾弾する誰かに、自分もいつかはなるのかもしれない。その共感こそが社会をより円滑にする。著者の「異質な他者」との交流、対話にあたる部分。
しかし、最近は「異質な他者」を知る以前の問題というか、本当に自分でいっぱいいっぱい、ネットでいう「無敵の人」が増えてきた。健康的な社会であれば所得の再分配や最低限の生活保障のセーフティネットが働くんだろうけど、社会の余裕の無さ、貧困は全体に広まっていて、そのことがより「人それぞれ」の分断を生んでいるんだと思う。ぶっちゃけ、全員余裕がないよ。金銭的な余裕がないから、身体的に追い詰められて、精神的にもぎりぎりの状態になる。問題を面でどうしても捉えらなれない。主観的にしか考える余裕がない状況にいる人が多い。「人それぞれ」だからしょうがないじゃ済まないのに、「人それぞれ」だからこそ比べて蔑んだり嫉妬したりする。
「人それぞれ」が悪いことではなくて、「人それぞれに苦しいから助け合う」とか「人それぞれに頑張っているから尊重し合う」ような、肯定的な雰囲気になればいいのにな。
押し付ける思いやりよりも、一歩引いて慮る思いやりが必要だと思った。引く思いやり。過剰に反応するのではなくて、遠慮して包み込む思いやり。
格差是正については、色々と興味があるので、もう少し他の本も読みたい。
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Posted by ブクログ
タイトルから想像していたよりも、昨今の世相を反映していたような内容で、とても良かった。
「ま、それって人それぞれだよねー」
よく聞くセリフ。この「人それぞれ」を使うことで、それ以上、相手に立ち入らない(立ち入れない)ことに繋がっていると述べる。
社会がもたらした個人の生活の充実は、次に「尊重」の次元に突入している。
それぞれの考えを大切にすることは、相手を傷付けないことを意味し、やがて不用意な言葉に対する相互監視という、尊重なんだか攻撃なんだかよく分からない事態を招いている。
そんな中で意見を表明するには、結局、数の力がモノを言う。
同じ方向の意見をインターネット上で集めることによって、物事が動くという実例も出てきている。
筆者は、それぞれ人の意向に配慮することと、時に深く対話することの両立に懐疑的である。
深い対話には、つながりの頑健さがセットでないといけないと考えていて、つながりの頑健さを取り入れるならば、個人の自由はある程度制限されることはやむを得ない。
確かにそうで、個を尊重するというより、関係を尊重する個をいかに自立させていくかなのではないかと個人的には思うのだけど。
一見、美しく浸透しつつある多様性という言葉を、もう一度見直す切り込み方として、この一冊は面白いのではないかと思う。 -
Posted by ブクログ
「人それぞれ」って多様性が叫ばれる昨今、耳触りのいい表現に聞こえるけど、人それぞれだからって言われちゃうとそれ以上何も言えなくなっちゃう。私がずっと思ってたことはこれだ!って気づきました。
人それぞれだからってのは、多様性とか異質性を受け入れてるように感じるけど、実はそうじゃなくて、それ以上そのことに深入りしないってことなのよ。つまり議論の余地もないの。これって本質的には全然受け入れたことにならないし、そのことを理解しようとする人をばっさり切り捨てるってこと。
理解できなくても、受け入れられなくても、そのことについて議論したいと思ってるのに、人それぞれだからって考えようともしないで、多様性とか言ってるのはやっぱり違うと思う。
でもみんなめんどくさいんだよね。内面に踏み込もうとして痛い目にあうくらいならはじめから距離をとろうとするのもわかるけど、それってすごくさみしいなって思う。そういう人にとって私のような人はめんどくさいんだろうな。私って友達がいないなぁって思うのはそういうことなのかも。ケンカしてでもちゃんと議論してくれる友達がいないんだなきっと。