あらすじ
人づきあいをしなくても回る社会ができあがっていった中で、不安定なつながりを維持するべく変化したコミュニケーション、それでも「人それぞれ」では片付けられない問題、引き起こされる分断と対立を見ていくとともに、「人それぞれ」のその先を模索する。
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Posted by ブクログ
現代は『人それぞれ』の多様性が認められはじめて、ずいぶんと昔よりは生きやすくなっていると思う反面、他人とクイックに繋がれる希薄な人間関係にうっすらとした寂しさを感じてこの本を読みました。
・異質な他者を取り込むには深い対話が必要
・最適化願望をいったん脇におき、つながりへの期待値を下げ、人にはプラスの面もマイナスの面もあるというごく当たり前の事実に立ち返る必要がある
・人付き合いの基本と本質は、期待通りにいくこと、期待にそぐわないことも含めて共に過ごしていくこと
人間関係を築く際に自分に足りてないことや、これからの人付き合いに意識していきたいことが明確になった気がします。
Posted by ブクログ
超良かった。ぜひ「昔は良かったなぁ」と思っている人には読んでほしい
個人主義の弊害について書かれているが、
ネットでの過剰な「叩き」、「親ガチャ」にまで言及されており、とても読み応えがあった
気づき
・集団から離れた「人それぞれ」社会は、「つながりは自分で調達する」ことを意味する。それは「相手からも魅力的である」必要があるため、人間関係がコスパ重視になる。
・人間関係のコスパ主義は、人間関係を狭める。
「人にはプラス、マイナスどちらもある」ということを今一度思い出すべき
・現代の「叩き」に共通するのは「異質な他者の不在」である。異質な他者をも取り込む必要性
Posted by ブクログ
この著者さんの言っていることが、自分に当てはまっていた。一人でいるのが気楽で落ち着くし、人との関係は疲れるし面倒くさい。何より自分と合わない人との関係なんて、もっといやだ。だけどこの本を読んで、少し価値観を変えてもらえた。
Posted by ブクログ
誰しもが口にしたことのある、「人それぞれ」という言葉。
多様性の受け皿として、便利に使われているものの、それは対立を避けるためのものであり、極端に言えば、それは無関心なのです。
この本では、集団から個人への転換と共に訪れた、個人主義と多様性の間でどう生きるべきかを事例を用いて解説しています。
「人それぞれ」を枕詞にし、個人主義とは言いながらも、他人をまるで腫物扱いにして、無関心を正当化するのは、やはりどこか歪んでいると思います。
そして、大きな問題は、個人レベルで行われるそれらのことが、社会全体に浸透して、自己責任論が蔓延っていることだと思います。
サンデル教授が述べていた、能力主義の裏側にある自己責任論に、こうした背景もあるのではないかと、思わずにいられませんでした。
社会的な問題に対して、個人レベルでどう解決していくか、それは非常に難しいことだと思います。
しかし、だからと言って動かないのではなく、また、自分と異なる意見にフィルターをかけるのではなく、まずは興味を持つことが、あるべき多様性なのかな、と読み終えてから感じました。
「受け皿を広げよう。」
Posted by ブクログ
多様化が進む現代社会において、「人それぞれ」という言葉に違和感はない。しかし、自由を尊重した結果、孤独を深めている現実がある。寛容に見えて他者と一線引く都合の良い言葉でもあったからだった。
確かに、めんどくさくなって「人それぞれでいいんじゃない?」と話を終わらしたことがある...。新たな視点を与えてくれて、興味深く面白かったです!
新書は難しそうというイメージがありますが、読みやすくて良かった。
Posted by ブクログ
「人それぞれ」って言うと、多様性に理解のある寛容は人という感じがするけど、ばっさり切り捨てるような寂しさを感じることもある。
その寂しさの理由が「こういうことだったのか」とわかった気分。
一人でいるほうが気楽で、でも誰かと繋がっていないと不安で…という心理や、人それぞれと言いながらも自己主張はしづらいという現代の風潮。結局みんなどこか息苦しいのかなと思う。
人間なんて、プラスの面もマイナスの面も持ち合わせているのが当たり前で、コスパを考えることなく相手と向き合ってみることが大事だという考えには賛成。「人それぞれ」っという言葉はできるだけ使わず、面倒くさいことにも関わってみようかという気になった。
Posted by ブクログ
大学入試小論文の出典として名前を見て、この手のテーマが昨年の流行であったとのことで手に取った本。
プリマー新書ということで学生向けなので、文体も優しく、すぐ読めてしまうが、なかなか現代の「息苦しさ」を絶妙に言語化してくれているように思った。それゆえにプリマー新書であることが悔やまれる。あと2、3歩踏み込んだ内容を読みたいと思った。
人それぞれ、という一見個性を尊重する社会通念は、実は形を変えているだけで集団主義的な色を非常に強く残しているというのはその通りだ。
外のコミュニティに対して「迷惑センサー」と「特権センサー」が過敏に反応し、相手を再起不能になるまでボコボコにする想像力のなさや、付き合う相手を選べるようになったが故の「キャンセル思考」「コスパ思考」によって、踏み込んだ深い関係性を築けない寂しさはとても合点がいった。
ここから先は持論だが、全ての問題の根幹にあるのは、他者に対する想像力の欠如だと思う。ただ、その想像力は思いやりから生まれるものだ。これだけ個人主義が進んでいる昨今、他人を思いやる事の美しさを語ることが難しい。何でもかんでもコスパで考えることになった今では、他者への思いやりに必要性こそなければ、関わらない「緩やかな撤退」が戦略的に効果があるからだ。
どんな世界線に進んでいくとしても、目の前の人を大切にする自分でありたいと改めて思った。
Posted by ブクログ
「まあ、人それぞれだからね」というのは一見寛容に見えるけれども非常に冷たい対応で、それによって生じる懸念などの解説をした本。新書だし薄くてわかりやすかった。
「人それぞれ」ってのはその人を尊重するように見えて、その人自身が抱える問題をこちらに持ち込まないでくれという一種の拒否反応でもあり思考をストップさせる言葉でもある的なことが書かれていて、いやーほんとそうですよね…と反省したというか、考えたくないことが出てきたときに使ってしまいがちが頻出フレーズよな…と思った。
「人それぞれ」なのはもう存在するものとして社会に共有されたほうがいいし、大事なのはその「人それぞれ」の中身に対してどうやって行動していくかよね。
このあたりを柔軟にしていけばもっと労働に参画しやすい人たちも出てくるよね
Posted by ブクログ
若者あるいは中学生向けの新書である。したがって、難しくはなく、語りかけるような書き方である。
何か人付き合い、あるいは炎上してしまった人が読むと癒されるであろう。短時間で読めるので大学生にもおすすめである。
Posted by ブクログ
みなさん、前回のレビューをご覧いただけただろうか。
(この切り口、気に入っている)
ご覧いただいていない方のために、再度振り返ってみよう(しつこい)。
naonaonao16g、様々な顔回りの異変から親知らず(下)があったことが判明しました。
無事手術(骨を削ったのでこの言い方を選んでいる)を終え、術後も良好とのこと。
しかしである。
また耳が痛みだしたのである。歯医者さんも耳鼻科も原因不明、ということで大病院で検査。結果、CT・MRIともに耳にも脳にも異常はなし(よかった!)。
とのことでいよいよ耳の痛みに関しては原因不明なのだけれども、フェスに参加して(いや、BUMPに会って、と言い換えてもいいだろう)以降痛みが引いてきた…(!)
この、時間が経ってよくなる感じはやはり親知らずが原因のようにも思えるし、フェスに行ってよくなったとするとストレスとも考えられる…
親知らず(下)を抜いたことのある方で、骨とか削ったことある方っていますか?
その場合、二週間以上経っても痛みが残ってて大丈夫なもんでしょうか?誰か教えてください(泣)
また自分の話が長くなってしまったけれど、ここからは作品のレビュー。
ずっと気になってた作品で、よほど気になってたのか、本棚に同じ作品が2冊。やっちまってる…
「人それぞれ」であるとか「一人を楽しむ」「一人旅」「おひとりさま」「孤独はいいこと」と言われるようになり、一人で生きていくことも多様な生き方の一つ、という現代社会。
著者の石田さんは、しかしそんな現代社会はP33「対立を回避するために、他者に対する批判や意見を憚り、気を遣い合うことに重きを置いている社会に見え」ると話す。ではなぜそんなことになってしまったのか。
それは、人や集団との関係を、自分で選べる社会になったからだ。その繋がりを「心地いい」と感じれば関係を継続するし、「居心地が悪い」と感じれば関係を切ればいい。人との繋がりが地縁ベースから感情ベースになったことで、繋がっていたい関係があった場合には「心地いい」を継続しなくちゃいけない。
でも、人と人とのコミュニケーションて常に「心地いい」わけじゃない。だからこそわたしたちは、相手に気を遣って、対立を避けて、言いたいことも言えずに、「人それぞれだしな」と、落とし込んでいる。ポイズンである。
この「人それぞれ」という言葉。P50「この言葉は、一度発せられると、互いに踏み込んでよい領域を区切ってしまいます。それに加え、それぞれが選択したことの結果を、自己責任に回収させる性質もあります」。
自己責任。この言葉は、「多様性」が産んだ負の遺産のように思う。
この言葉は「その道を選択せざるを得なかった人」にとっては呪いの言葉でしかない。でも難しいのは、ある場面においては、「自分で向き合わないといけないこと」もあるということだ。
ここで面白く且つ納得のいく調査結果を一つ。
P53「若い人たちは、『友達といるより一人が落ち着く』にも関わらず、『友達と連絡をとっていないと不安』と考えているわけです」。
若い子にとって、SNSが安心できる場所になるのも納得。繋がっている感じがするもんね。
P91「私たちは、『人それぞれ』と言いながらも、心のどこかで『望ましい結果』は共有しています。また、社会は序列に溢れており、人々の決定にはさまざまな要素が影響しています。このような社会で『人それぞれ』に選んだ結果は、けっして、平等にはなりません。にもかかわらず、私たちは、様々な決定に対して『人それぞれ』に選んだものと処理し、あまり関与しょうとしません」。
じゃあ一体どうすればいいんでしょう?
その答えが具体的に描かれているのかどうかはさておき、詳細は本作を読んでいただければ…
この作品、他にもハラスメントや迷惑だと感じる人へのセンサーの話にも触れていて、親しみやすく読みやすいものでした。
※この部分はまさに、「人それぞれ」なのにも関わらず、相手を攻撃してこき下ろそうとする「異質性の排除」が行われているので「人それぞれ」が成り立ってない部分に該当する※
わたしの職場は特に、いろんな子がいて、それをまさに「人それぞれ」で「それでいーじゃん✌」としているのだけれど、やはり「選択してここに来た子」と「ここに来ざるを得なかった子」がいるわけで。そこをきちんと事情も知らずに一緒くたにして「自分のことは自分でやりなさい」っていうのも変な話。「人それぞれ」「自己責任」って言葉は簡単にコミュニケーションを終わらせて、お互い納得できてしまう。だけど、それは対応する大人の怠慢だ。基本的には自分のことではあるんだけど、声かけとか以前より気を付けていかないとな、と思ったし、ちゃんと相手の話を聴いていくことは本当に大切なのだなと思った次第。
プライベートに置き換えると、わたしはちょっと違和感あることを人に言われるとすぐに関係を切っちゃうところがあるのだけれど、これで生きやすくなる半面、簡単に人との関係を切ってしまうことになる。でもこれって難しくて、誰かが発した言葉の意味合いと、それを言われた側の言葉の受け取り方って違うから、その「違和感」の程度にもよるんだよね。何気ない言葉が相手を傷つける。でも相手にとってそれは何気なくない。ここに修復の機会であるとか、相手を知る機会があるといい。だけど、ここで相手が関係を切ってきたらそこで終わってしまう。
最近、関係を切って楽になることも増えた。同時に、だから謝る機会も減った。個人的には、会って間もない関係だったり、深くない関係ならどんどん切っていいと思う。だけど、やっぱり大切にしたい関係だったら、言葉を選びながら、ちゃんと伝えた方がいいよね。でも、わたしが大切にしたい関係だからって思って言葉を発しても、向こうは切ってくるかもしれないし、傷つけてしまうかもしれない、修復できなくなるかもしれない。そんな風にぐるぐる考え出すと「人それぞれ」ってなってしまうのもわかるよ。わたしは、もう何年もしっかり関係を築いてきて、心から何でも話せる友人じゃない限り、突っ込んだことを言えない。だって怖いもん。
最近増えてきた「多様性」の裏の顔。そこに真っ先に目をつけたのは、やはり朝井リョウさんの『正欲』だと思ってる。
Posted by ブクログ
人それぞれ、という言葉は、多様性を受け入れるように見えて、他者への介入を阻害する。リベラリズムに裏打ちされた個を尊重する社会は、誰と付き合うかを選べる社会。絶対にその人と付き合わなければならないという強い土台がないからこそ、人はコミュニケーションに最新の注意を払う。
1000人に1人のマイノリティの意見も、インターネットを使えばすぐに10万人の同調者を募れる。意見の合う人だけが集まる社会で対話する力が失われ、他者に冷たい分断社会が生まれていく過程が多角的に語られていた。
Posted by ブクログ
「人それぞれ」というフレーズの様々な意味を追求しているが、柔軟な思考方法でわかりやすい解説だと感じた."迷惑センサー"や"特権センサー"の議論が楽しめた.
Posted by ブクログ
さっくり読めて概観がわかる。
日本社会に権威が残らなすぎて、剥き出しの好き嫌いでしか人とつながれなくなりみんな臆病になった、という話だと理解した。
Posted by ブクログ
「人それぞれだからね」と話を結論づけることは思考停止に過ぎないと前から思っていて、「人それぞれ」は冷たく、突き放している言い方だよね。帯にもあるように「受け入れつつ突き放す人間関係」。なんとなくこの寂しさや息苦しさを感じている人は多いと思う。言語化されていて良かった。
「人それぞれ」の生き方がありながら、序列は存在するから息苦しいという点が腑に落ちた。格差、自己責任論と言われる今の社会で、それぞれに手は差し伸べるのではなく、手を引き合う、足を引っ掛け合うような場面が最近多いように感じる。
「みんなちがって、みんないい」には「みんな違うから、みんなそのままでいい」多様性と「みんな違って、みんな同じ扱いをうける」平等性の二面がある、という点も勉強になった。
「人それぞれ」は、各々を守る一方で自分もいつかは攻撃されうる不安があると思う。「人それぞれ」だからしょうがない?本当か? 点ではなく、面で捉えていく必要があるのではないか。
「人それぞれ」と糾弾する誰かに、自分もいつかはなるのかもしれない。その共感こそが社会をより円滑にする。著者の「異質な他者」との交流、対話にあたる部分。
しかし、最近は「異質な他者」を知る以前の問題というか、本当に自分でいっぱいいっぱい、ネットでいう「無敵の人」が増えてきた。健康的な社会であれば所得の再分配や最低限の生活保障のセーフティネットが働くんだろうけど、社会の余裕の無さ、貧困は全体に広まっていて、そのことがより「人それぞれ」の分断を生んでいるんだと思う。ぶっちゃけ、全員余裕がないよ。金銭的な余裕がないから、身体的に追い詰められて、精神的にもぎりぎりの状態になる。問題を面でどうしても捉えらなれない。主観的にしか考える余裕がない状況にいる人が多い。「人それぞれ」だからしょうがないじゃ済まないのに、「人それぞれ」だからこそ比べて蔑んだり嫉妬したりする。
「人それぞれ」が悪いことではなくて、「人それぞれに苦しいから助け合う」とか「人それぞれに頑張っているから尊重し合う」ような、肯定的な雰囲気になればいいのにな。
押し付ける思いやりよりも、一歩引いて慮る思いやりが必要だと思った。引く思いやり。過剰に反応するのではなくて、遠慮して包み込む思いやり。
格差是正については、色々と興味があるので、もう少し他の本も読みたい。
Posted by ブクログ
「人それぞれ」って多様性が叫ばれる昨今、耳触りのいい表現に聞こえるけど、人それぞれだからって言われちゃうとそれ以上何も言えなくなっちゃう。私がずっと思ってたことはこれだ!って気づきました。
人それぞれだからってのは、多様性とか異質性を受け入れてるように感じるけど、実はそうじゃなくて、それ以上そのことに深入りしないってことなのよ。つまり議論の余地もないの。これって本質的には全然受け入れたことにならないし、そのことを理解しようとする人をばっさり切り捨てるってこと。
理解できなくても、受け入れられなくても、そのことについて議論したいと思ってるのに、人それぞれだからって考えようともしないで、多様性とか言ってるのはやっぱり違うと思う。
でもみんなめんどくさいんだよね。内面に踏み込もうとして痛い目にあうくらいならはじめから距離をとろうとするのもわかるけど、それってすごくさみしいなって思う。そういう人にとって私のような人はめんどくさいんだろうな。私って友達がいないなぁって思うのはそういうことなのかも。ケンカしてでもちゃんと議論してくれる友達がいないんだなきっと。
Posted by ブクログ
本当に考えさせられた。「多様性」も「人それぞれ」も悪い言葉ではないが好きになれない。なぜそう感じるのか。この本を読んで納得。私は個々人の事情が違うことを受け入れるのは賛成だし、正直面倒で何ら介入せず放置することもあるが、それを一言で正当化する姿勢は味気なく虚しい。世の中には身近な人づきあいを「コスパ」で選ぶ人もいるらしいが、どこからを受け入れがたい迷惑と捉えるのか。考え出したら迷路にはまり込む。
Posted by ブクログ
「人それぞれ」というのは多様性を認める言葉である反面、対立を避けるあまり他人に対して無関心になったり無難な関係しか築けなくなってしまうことにも繋がる。
ほんとにその通り。
じゃあ深い対話を通じて自分と違う意見の人とも分かり合うためにはどうしたらいいかというと、そもそも人とのつながりに対する期待値を下げる必要があるとのこと。
ちょっと消極的なような印象もあるけど、確かに私も自分にとってプラスだと感じる人間関係だけを求め過ぎているのかもなぁと感じた。
もっと気の合う友達が欲しい、とはいえそんなに気の合う人なんてなかなか出会えない、出会えたとしても深い話ができるような関係性を築くのには時間がかかるし億劫だなぁ...。
これって裏を返せば、「信頼できる友達を時間もコストもかけずに見つけたい」ということになる。
うん、我ながらこんな考えの人とは友達になりたくないかも笑
人間関係っていうのは良い出会いもあれば嫌な思いをすることもある。
「SNSで気の合う人に出会えないかな~」なんて面倒くさがってないで、もっと足掻くべきなんだろうなぁ。
Posted by ブクログ
結論、対話が大事。それはわかるけど、どうやってしっかり対話していくので。社会学?の本でよくある、結局それでどう実践するのだというところが疑問すぎる。異質なものとの対話が大切なのはデータがなくとも真摯に生きているとわかる部分も大きい。知りたかったのはその先。まだまだ発展途上かと思う。
匿名
読み始めた動機は、ずっと独身でいる自分は「人それぞれ」と尊重される体で周りからスルーされているのではという思いから。その問題に対する答えはここにはなかった。
しかし、家庭や学校や職場でそりの合わない人と毎日付き合わされて、「いつかこんなとこ抜け出してやる」と思っている人には、考えを改める良書となるのでは。また現在の環境に満足している人も、対人関係を考える参考となる。
Posted by ブクログ
私たちは長い年月をかけてやっとひとりになることができた。私たちが深い対話を取り戻すためには、最適化願望をいったん脇におき、つながりへの期待値を切り下げ、ただつきあうことをもっと意識した方がいい。多様性というワードの本質の誤解と似ていると思った。
Posted by ブクログ
「人それぞれ」という言葉に込められている、一見多様性を重んじているようで実は思っていることを飲み込み、大きな波を起こさないように過ごす考え方、今の社会で多くの人が知らないうちに実践している考え方や行動をわかりやすく解説してくれている。実は私も大いに思い当たるところがある。一つはこの20年ほど友人ができないこと、大学生の頃の友人とは離れていても会えばすぐに戻る感覚で今も繋がっているが、働き出してから本当の苦しみを吐露できるような友人と巡り会えない。これは青年期を過ぎた大人では仕方ないのかなと思っていたが、恐らく本書で書かれていることが本当の原因だったと思う。私も相手を尊重するという考え方のもと、自分の意見を声高に言うこともなかったし喧嘩になることもなかった。信を置く付き合いというのは互いに良いところ、悪いところを認め合って成立するものだと思うので、それをしなければ生まれない。また今の世の中、君子危うきに近寄らずでなるべく自分にとってマイナスになることは避ける傾向にある。そうなると、コスパで友人や結婚相手を選ぶと言うと露骨過ぎるが、そういうことなんだと思った。でも、本書を読んだ後、これに気づき周りの人と積極的に話すようになった。被害がない人間関係も良いものだが、やはり寂しかったのだ。