あらすじ
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近くて遠い、私たちの「親友」――
「親友」とは何でも相談できる身近な存在か、それとも複雑で不安定な友人関係の中で理想化された幻想なのか。
新聞記事に表れた「親友」分析を通じて、「友人関係」に向けられた社会の目線を読み解く。
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Posted by ブクログ
友人、親友という概念の内容が時代とともに変遷しているという目から鱗の指摘から始まり引き込まれた。
本書は、研究レポート的な長期間の新聞内容推移分析やアンケート分析など中心であるが、その分析自体は、やや粗い分析になっているように感じた。一方で、分析との関係からは答えありきなのかもとも感じたが、考察にはなるほどと感じる点があった。
昭和においては、家族や会社などの中間的なコミュニティが強く、その中での役割を通した関係も友人であり親友であったが、その中間的なコミュニティの存在が弱まり個人化が進んだことで友人関係も変化したという。
現代においては、友人は選び選ばれる感情的な関係を中心となっていること。それが故に、友人関係を求める一方で、友人関係に疲弊するといった複雑な関係性になっていることなどが考察されている。
また、友人関係に幻想が持たれており、それが関係性に緊張感をうみ、友人疲れにつながっているのではないかということ。
人それぞれという考え方は、友人関係を構築するにあたり、優しくも感じるが、冷たい価値観だという。お互いに迷惑をかけない範囲での距離を測るという抑圧になっているという。・
現代の複雑化しつつ疲弊に繋がっている友人関係について、重要性や必要性がある友人関係にまつわる問題を解決するには、友人関係にまつわる幻想を乗り越え、ある程度傷つけあうことも許される継続的な関係性を作ることだという。
これは、宇野常寛などが指摘するSNSなどのタイムラインへの反応による承認欲求を満たすだけになっているという現代人への批判と同じ方向なんだろうと思った。