無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
自分のことは、自分で決める――。本来善しとされるはずなのに、どこか疲れるのはなぜ? そもそも自分で決めるってそんなによいものなのか。他人の決めたことにはどこまで踏み込んでよいのか。「自己決定」をめぐるこの社会の自縄自縛をときほぐす。 【目次】第一章 自分で決めることに息苦しさを感じてしまう……個人化が進む一方で責任を求められる社会/第二章 決定に対する責任の所在……集団と個人の決定をめぐる責任の論理/第三章 決定を回避する私たち……選ばずに済ませるためのエビデンスと合理性/第四章 自分で決めたことに追いかけられる私たち……こうありたいと望んだ「自分らしさ」に囚われる/第五章 決めたことへの介入は「余計なお世話」?……一人になる決定を尊重するか、孤独・孤立を問題視するか/第六章 緩やかに決められる社会へ……決められない・誤ってしまう「弱さ」を受け入れるには
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
都会で外食するのが苦手だ。
ただでさえ「何食べたい?」と自分に問うのが苦手なのに。
田舎に住んでいるので、ふだんの生活では大きく困ることがない。
今のお腹具合、営業日と営業時間、懐事情、現在地からの距離、気分、などをもとに脳内で絞り込む作業にさして心的コストがかからないからだ。
都会で困るのはこの作業がほとんどできないことだ。
選択肢が多すぎる。
情報は少なすぎる。
いきおい、心ならずも某サイトや某マップに頼ってしまうことになる。
******
「自由には責任が伴う」みたいな手垢のついた言い回しは今でも飽きずに使われているが、特に若い人たちにはあまり鵜呑みにして欲しくないなと思う。
私たちが"自由"(だと思っているもの)を得たのは本当に、ごく最近の話だ。
ほんの少し前まではよほどの例外を除き、自分の人生を自分で選び取る、決める、なんてことはほぼできなかった、らしいのだし。
そもそも「自己」という概念が生まれてきたのだって人間の歴史からすればさほど古いものではないだろう。人はあくまで属する社会の一部であり、目の前にある選択肢は(あったとしても)ごく限られたものであったろう。そもそも社会自体がさして複雑ではなく、大多数の人にとってはあまり広いものでもなかったわけで。
「自己決定」はそんなに手放しでよいものなのか。
著者は問う。
自分のことを自分で決める。決めないという選択肢はなく、「何も選ばない」こと自体がひとつの選択であるとされる社会では、何がどうなっても、どこまで行ってもその結果がすべて「自己責任」とされる。
……本当に?
不可抗力も運も社会状況もあるこの世界で、結果が全て自己責任であるのなら、それは本当に良きことなのだろうか?そしてそれは本当に全て「自己責任」とされるべきものなのか?そもそも「責任」とは何か?
自由なのだから選びなさい。
選ばないことは許されない。
選べないのならそれもまたあなたの責任であり選択である。
これは本当に自由なのだろうか。
「自由」とは何なのだろうか。
私たちが今や「独立した個人」であり、意思も欲望も価値観もある一個の人格であること。
それはもちろん、誰にも隷従せず束縛されず制約を受けずにいられることであり、それ自体は素晴らしいかもしれない。
しかし、「いち個人であること」がともすると容易に「孤独」「孤立」に繋がってしまう現状で、それは単純にもろ手を挙げて賞賛されるだけのものだろうか?
すべてを「自己決定」「自己責任」で斬って捨てるのは思考停止であり社会的責任の放棄ではないのだろうか。事件も、犯罪も、自然災害も、貧困も、ブラック企業も、虐待も。
ひどいものでは、"子どもの貧困"問題に対する「そんな両親のもとに生まれてきたのは自己責任」などという言説さえ見たことがある。ここまで来ると醜悪でしかないが、社会的な問題について責任の一端が自分たちにもあることを直視したくないということなのだろうなあ、と思ったりもしてしまう。
本書では、自由であること、選べること、自分で決められること、すなわち「意志と行動の自由」の"光"と"影"について真摯に論じられる。
はっきりとした結論も解決もなじまず、結局は個々人がどう考えていくのか、どう判断していくのか、どうバランスを取っていくのか、を考える粘り腰を育むトレーニングのような一冊だ。
ちくまプリマー新書はいいぞ。
******
私は人と群れるのが苦手だ。
学校に行っていた頃から、集団行動が好きでなかった。
休み時間ごとに集まったり、一体感を求められたりすることが性に合わなかった。
"仲良しグループ"で仲良くあることが難しかった。
人と映画や旅行に行く機会は積極的には求めない。
一人は気楽で、行きたい時に行きたいところでしたいことをして食べたいものを食べるのがよいと思っていたし今も思っている。
けれど、少数ながら親しい友人たちとその時々に発生するゆるやかな繋がりが自分を「社会的孤立」から守ってくれていることを、仕事をしていることが社会の中に確かにある居場所を作ってくれていることを、折に触れて感じている。
友人たちは食事や遊びに誘ってくれたりする(私も誘うことがたまにはある)。
仕事中は時間も行動も制約があるけれど、その分休日に何をしようか楽しみにすることができる。
ほどほどの枠と、ほどほどの自由。
方角さえわからない荒野で私たちは安心してどちらへ進むか決めることなどできない。
無限の選択肢は怖いものなのだ。
ちょうど、東京や大阪で何を食べていいかわからなくなる時のように。
そんな時は仕方なく、「つまんねえなー」などと呟きながら、某マップを立ち上げて「レストラン」「カフェ」とか検索するのだ。
Posted by ブクログ
前半部分は日本のメリトクラシーを詳細に記述。自己決定の理論が強者の理論と言われる所以がよく分かった。行動に対する結果は運による要素が多大に影響するにも関わらず、行為の結果を個人の努力に帰結するという理論の暴力性を痛烈に批判する。しかしそういう側面があることもまた事実。胸に留めておかなければいけない。神の亡霊を読みたくなった。
63〜64ページの集団の決定は個人の決定より影響が大きいにも関わらず、関与する人数が多いために責任が分散しやすい。という記述は腑に落ちる。たしかに。政府の決定に対し、または会社大学のプロジェクトが失敗した際にその責任の所在をはっきりさせなければならない。責任が拡散するという表現良い。
中盤の記号化する消費に関しても言葉は聞いたことがあったが意味は分かっていなかった。服に気を使いたくなくても(気にしなくても)、周りから、その選択の責任(理由)を見定められる。なんで生きづらい世の中なのか。現代の息苦しさの一端がここに起因するのではないか。
偏差値の序列を過剰に気にする日本の大学受験。これは94ページの記述によればリスクを回避する行動なのだという。たしかに。
後半の孤独に関する記述も大変興味深かった。孤立している人に助言するべきか否か大変難しいところであるが、諦めたくない。
Posted by ブクログ
理性など西洋哲学に疑念を持っていることから、発売日すぐに手に取った。自分で決めるという自由は一見良さそうに感じるが、責任を負う・孤独に陥ることなどマイナス面も大きい。例えば、孤独は肥満・運動不足より死亡するリスクが高まることが研究で判明している。なぜこのようになったのか。読んでいて感じたことは、ムラ社会・空気など過去から研究されていた人間関係からの脱却。物・サービスが豊かになり「今・ここ」が即時的に楽しめるようになったことが影響しているのではないだろうか。コミュニケーションも体力と同様に鍛えないと衰える。どうすればつながりを保てるのか、関心のある人に読んで欲しい本。
Posted by ブクログ
人生の岐路にしても日常の買い物にしても、何かを決めることに対して時間とストレスと後悔が常につきまとっていた。その苦しみを解析して言語化してくれたのはたいへんにありがたい。
文章も平易で読みやすい。読みやすいからといって議論がスカスカなわけではなくしっかりと充実している。
しかしながら、理解促進のために提示された事例がいただけない。たとえばイラク人質事件を事例に取り上げているが、この事件の人質の行為については、その善し悪しの評価が人によって大きく分かれており、しかも思想と感情が強く入り込むため互いの意見は相容れにくい。それなのに作者が何か一つの正解と言える結論(決定)がある前提で議論を進めていることに強烈な違和感を覚えた。本論と関係ない話に対する作者の思想が見え隠れするところに気持ち悪さを感じる。
また、タワマン文学のある作品を登場人物のキャラやストーリーを含めかなりのページを割いて紹介しているが、しょせんはフィクションである。読者を刺激するために登場人物の感情を極端に描いていくものだ。実際のタワマン居住者にも勝ち組としての苦悩はそれなりにあるだろうけれど、大半は自分なりの生活スタイルを築いて折り合いをつけながら日々暮らしているのであって、そんなフィクション作品のように葛藤と苦悩の日々を送っているのが常識なわけない。こんなフィクションを根拠に持論を煽るやり方は好ましくはない。変にリアル時事ネタやフィクション小説なんかを引用せずに、作中に他にあったシゲル君やフミオさんみたいに全て作者の創作事例にすれば良かったのに。
もう一つ不満なのは、本書は自己決定についての話だったのに、結局はコミュニティ(つながり)の問題であると結論づけてしまったことである。そもそもあらゆる社会問題というのはコミュニティの問題に帰結されることを、作者は理解しているのだろうか。高齢化問題、イジメ問題、防災問題、格差問題・・・どれも突き詰めてしまえば「コミュニティ、つながりが大事なんです」と言ってしまえばそりゃそうだろう、で全て終わらせることができてしまう。そんな当たり前の結論に導いておきながら学者面されても、こちらは戸惑うしかない。学部生のレポートじゃないんだから。
かなり批判的ではありましたが、自己決定や自己責任の難しさと昨今の暴走状況については世の中にもっと知られてほしいから、甘めに☆4とします。
Posted by ブクログ
自己決定できる社会、一見良い社会に思えるけれど、そのデメリットについてまとめた本。
特に印象的だったのが以下
自己決定ができる社会は、個人化社会。一人でできる、一人で楽しめる。でも、それを続けていくと、人と一緒にいるための「筋肉」が衰えてしまう。
人と一緒にいるための「筋肉」の話、どこかでも読んだ(聞いた)気もするけれど、改めて身に染みる。特に最近はAIとの会話が楽で、その世界に閉じこもりたくなる。たまには筋トレ、しないとな。
以下メモ
・自己決定ができる条件
物理的な豊かさ、個人を尊重する思想
・「自分で決める」と「自分で決めることを半強制的に求められること」は別の話
そして、自分で決められる範囲は思ったほど広くない
自分で決めたことへの責任を求められる
(決めたことの結果には「運」の影響も多分にあるにも関わらず)
・自己決定と同時に、責任も負う
しかし、責任の体系が力を持っている側にあることも
例)女性が男性の自宅に一人で行かない方がいいよね、論
・自分が決めたことに、責任が生じ、結果逃げられない、楽しめない
・個人の決定を尊重する社会はある意味、硬直的
パイプラインの中を流れることを求められ、離脱は許されない
自己決定を尊重すると言いながら、社会の監視は強まる
リスク回避の名のもとに、社会の経路(パイプライン)が整備される
・個人化社会
嫌なつながりから離脱することができると同時に、孤独・孤立の不安を抱える
問題のある孤独、問題のない孤独は見分けられない。
「問題」」が発生したからこそ、識別できるようになる
孤立しているけど、孤独感を覚えない人とは。
相談する相手がいる人は相談に意義を感じ、相談する相手がいない人は、相談に意義を感じないという調査がある。
(孤立しているけど孤独感を覚えない人、それは本当に自分が選んだ孤立なのか——それとも、選んだと思い込まされているだけなのか)
・手間を省くモノやサービスは、「人とつながる必然性」をうばう
・ではどうすれば。どのような社会が望ましいのか
人間は「弱い主体」であるという認識を社会全体が持つ
そのうえで、ゆるやかな自己決定をする
人とのつながりを保つ
・弱い主体
自分で決められない
誤った決定をする
決めたことを成し遂げられない
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用