久保田哲のレビュー一覧

  • 帝国議会―西洋の衝撃から誕生までの格闘

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    書いた人の苦労が偲ばれる一冊である。
    内容は近年の中公の維新ものと同様、幕末動向から明治のある一点までを追う記述で構成されるが、その他のものよりも議会・公議というテーマで貫徹して描けているという印象。そのため、筋が追いやすく、事実が把握しやすいため、率直に勉強になる。
    加えて、ところどころに、現代議会への警鐘を促す記述も行きすぎておらず、自省を嫌でも促される。

    最近、特に中公の維新ものを短期間のうちに複数読んでいる中で思っている(どうも同じ編集者の方のようだ)のが、やはり、この時期を明治という国家を作り出した人々の成長過程として見たときにそれらが魅力的であることだ。そして、その過程は、国家自

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    2021年09月27日
  • 明治十四年の政変(インターナショナル新書)

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    ネタバレ

    明治10年代の状況は刻々と変化する
    数多くの機構改革を繰り返し、多くの利益、不利益に一喜一憂する国民により、湧き上がる不穏な空気が醸成されている
    陰謀論が好きな作家であれば幾通りの物語をドラマチックに紡ぎだせる

    大久保・木戸亡き時代、政治決断力に欠ける政府は、民衆の憑きあげる不満に耐えかねる累卵の如き危うい状態

    (1)西南戦争軍費調達に不換紙幣を発給してインフレ禍に財政問題が発生する、大隈は積極財政で借財まみれの処、外債を募り切り抜けようとするが、明治天皇すらその手腕や発想に不安を覚えた(神州が外国に買われてしまうぞ)宮廷派は外債を拒む(歴史は松方デフレを用意しています)
    (2)有司専制に

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    2021年06月01日
  • 帝国議会―西洋の衝撃から誕生までの格闘

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     帝国議会そのものは日本史の中においてマイナーな部類に入ると思う。どうしても伊藤博文といった人物や事件に目を奪われる。しかし、その伊藤博文をはじめとした幕末・明治期の人々の求め続けたものこそが「公儀」であり、その結晶こそが「帝国議会」。
     幕府老中・阿部正弘が広く諸大名に意見を求めた事が源流の一つだが、遂に幕府では実現できなかった。帝国議会を設立できるか否かが、幕府と明治政府の明暗を分けたのだろう。そして曲がりなりにも西洋以外で議会を運営できた事によって、列強の一角に上り詰めたと言える。

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    2018年11月23日
  • 明治十四年の政変(インターナショナル新書)

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    明治十四年の政変。

    1881年に起きた、大隈重信を追放する一連の政変である。財務卿として、実力を保有した大隈が追放された政変にも関わらず、高校の日本史の教科書にはごく僅かな記載にとどまっている。

    この政変は実に奇妙で、難しい。

    明治六年の政変のような熱さがないからなのか。

    こういった不可思議な歴史の事象に対して、平易な文で記述された本書は、歴史学を学ぶ、学ぼうとしている人に読んでもらいたい。

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    2021年08月10日
  • 帝国議会―西洋の衝撃から誕生までの格闘

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    幕末維新期を席巻した「公議」という理念の延長線上にあるものとして帝国議会の開設史を描く。従来、在野の自由民権運動の側からの議会開設史が多かったが、本書の視点は、どちらかというと、明治政府の側である。公議所、集議院、左院、元老院といった「公議」を実現するための政府の模索を丁寧に振り返っている。
    ないものねだりではあるが、帝国議会が開設されてからの、帝国議会の有様ももっと知りたかった。

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    2019年01月11日
  • 明治十四年の政変(インターナショナル新書)

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    開拓使官有物払下げ事件から発した大隈重信の追放と明治政府の変革。数年の話ではあるが、激動の時代のそれぞれの人物の動きが詳細に記された約250頁。払い下げ自体の問題は大きくなかったはずだが、薩長と宮中、財政の方針、国会や憲法制定の是非や時期などの課題、新聞など世間の盛り上がりにより、せざるを得ない形で物事が動く。なかなか充実。

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    2025年07月25日
  • 明治十四年の政変(インターナショナル新書)

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    ネタバレ

    大隈重信が政府を去り,伊藤博文が地位を盤石なものとしたうえで初代総理に就任し,憲法の公布・議会の開設に中心的役割を果たすようになった過程を詳細に考察する.
    大隈はスケープゴートにされて政府を追われるのだが,結局その後に2度も総理大臣を務めることになったのは,また別の話.
    なお,わが国の私学蔑視もこの政変の余波という.

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    2021年07月01日
  • 帝国議会―西洋の衝撃から誕生までの格闘

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    「公儀公論」は、明治維新の理念の大きな柱の一つであり、また維新後の新政府においても五箇条の御誓文の第一条に「広く会議を興し、万機公論に決すべし」とある通り、議会開設は明治政府における一貫して推進すべき課題であった。
    しかし、実際に第一回帝国議会が召集されるには明治23年(1890年)まで待たねばならず、その間総論では議会開設が支持されながらも、様々な路線対立があり、また議会政治という未体験の制度設計を行うにあたり膨大な情報収集と研究・検討が行われた。
    本書は、新書一冊を費やして、その間の歴史を振り返るものである。

    路線対立とは、主に、急進的に民選議院設立をす主張する民権派と、まだ機が熟してい

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    2019年05月03日
  • 帝国議会―西洋の衝撃から誕生までの格闘

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    明治維新から20数年を経て、明治憲法発布、帝国議会誕生となるが、それまでの歴史は意外と知られていないように思う。ドイツ憲法を範にしたというが、伊藤博文たちがドイツに留学し、大家グナイストから講義を受けようとしたが、その無名の若手弟子モッセの講義を受け、伊藤はそれが不満だったという。そしてシュタインの講義。それらの成果と別途、山形有朋がモッセを日本に招いたことから、憲法の枠組みが出来ていった!その中での伊藤の果たした役割の大きさを今更ながら感じるし、それが明治天皇から大きく評価された様子。日本には天照大神以来独裁はなく、会議を決定してきた歴史があるとの説明は面白い。実は日本は議会がなじむ風土だっ

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    2018年07月27日