久保田哲のレビュー一覧
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書いた人の苦労が偲ばれる一冊である。
内容は近年の中公の維新ものと同様、幕末動向から明治のある一点までを追う記述で構成されるが、その他のものよりも議会・公議というテーマで貫徹して描けているという印象。そのため、筋が追いやすく、事実が把握しやすいため、率直に勉強になる。
加えて、ところどころに、現代議会への警鐘を促す記述も行きすぎておらず、自省を嫌でも促される。
最近、特に中公の維新ものを短期間のうちに複数読んでいる中で思っている(どうも同じ編集者の方のようだ)のが、やはり、この時期を明治という国家を作り出した人々の成長過程として見たときにそれらが魅力的であることだ。そして、その過程は、国家自 -
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ネタバレ明治10年代の状況は刻々と変化する
数多くの機構改革を繰り返し、多くの利益、不利益に一喜一憂する国民により、湧き上がる不穏な空気が醸成されている
陰謀論が好きな作家であれば幾通りの物語をドラマチックに紡ぎだせる
大久保・木戸亡き時代、政治決断力に欠ける政府は、民衆の憑きあげる不満に耐えかねる累卵の如き危うい状態
(1)西南戦争軍費調達に不換紙幣を発給してインフレ禍に財政問題が発生する、大隈は積極財政で借財まみれの処、外債を募り切り抜けようとするが、明治天皇すらその手腕や発想に不安を覚えた(神州が外国に買われてしまうぞ)宮廷派は外債を拒む(歴史は松方デフレを用意しています)
(2)有司専制に -
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「公儀公論」は、明治維新の理念の大きな柱の一つであり、また維新後の新政府においても五箇条の御誓文の第一条に「広く会議を興し、万機公論に決すべし」とある通り、議会開設は明治政府における一貫して推進すべき課題であった。
しかし、実際に第一回帝国議会が召集されるには明治23年(1890年)まで待たねばならず、その間総論では議会開設が支持されながらも、様々な路線対立があり、また議会政治という未体験の制度設計を行うにあたり膨大な情報収集と研究・検討が行われた。
本書は、新書一冊を費やして、その間の歴史を振り返るものである。
路線対立とは、主に、急進的に民選議院設立をす主張する民権派と、まだ機が熟してい -
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明治維新から20数年を経て、明治憲法発布、帝国議会誕生となるが、それまでの歴史は意外と知られていないように思う。ドイツ憲法を範にしたというが、伊藤博文たちがドイツに留学し、大家グナイストから講義を受けようとしたが、その無名の若手弟子モッセの講義を受け、伊藤はそれが不満だったという。そしてシュタインの講義。それらの成果と別途、山形有朋がモッセを日本に招いたことから、憲法の枠組みが出来ていった!その中での伊藤の果たした役割の大きさを今更ながら感じるし、それが明治天皇から大きく評価された様子。日本には天照大神以来独裁はなく、会議を決定してきた歴史があるとの説明は面白い。実は日本は議会がなじむ風土だっ