近内悠太のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレすごくおもしろかった!!!
最近、「善」についてよく考えていて、まさかこんなところで探してる答えのヒントが見つかるとは!とうれしく思った。
消防士さんと保育園のサンクション、16時の徘徊、野球とファールの事例が印象的だった。
不安定つり合い点、アンサング・ヒーロー、偽善とは?の話もおもしろかった…。
よく仕事だったり自律神経だったりスピ的な文脈で、周りへの感謝を忘れずにと聞くけど、この本を読むことで無理なくそれが体現できるのかも。
また行きたくなるお店、にもいろんなジャンルがあると思うけど、行かなきゃ!と思えるお店はそう多くない。
そういったお店やオーナーさんに共通する、これだ!!!が分かって、カタルシスのようなものを強く感じた。気持ちよかったー!
いつかお店を始めるときに読み返したい。 -
Posted by ブクログ
◼️ Keywords
- 贈与=必要だがお金では買えないものおよびその移動
- 贈与は受け取ることなく開始することはできない
- 贈与には「信頼関係の構築」という正の側面と「返礼の強要(呪い)」という負の側面がある
→「これは贈与だ」と相手に伝わってしまうと「返礼不要(表面)&返礼しなければ(内心)」という呪いになる
- 贈与の受取人には知性(「あれは贈与だった」と気付ける)が、差出人には倫理(「贈与を繋げよう」と思える)が要求される
- アノマリー(不合理)の検出には「合理性」と「常識的知識」が必要
→ 明確に言語的されていない状態で「合理性」を感知するために「心的イメージ(スキーマ)」が必要なのでは?
- 贈与を受け取るためには「求心的思考(アノマリーを感知・説明する能力)」が必要
- 社会の秩序と安定を維持してくれている「見えない英雄(アンサング・ヒーロー(unsung hero))」がいる
- 世界の「壊れやすさ」「偶然性」を再認識するために歴史を学ぶ -
Posted by ブクログ
『誰にも迷惑をかけない社会とは、便宜上、自分の存在が誰からも必要とされない社会です』
お金で解決できること(交換)
お金では測れないこと(贈与)
資本主義は、物質的な豊かさを追求する。
そのための対価にあった物と物、あるいは時間を交換するために回る市場経済。
それに対して、関係性を繋ぐためにあるのが贈与。
副題の「資本主義の「すきま」を埋める倫理学」という言葉が著すように、資本主義だけでは今の時代はギスギスするものになってしまうので、贈与(ギフト)がその隙間を埋めていく。
ペイ・フォワード(Pay it forward)とは、自分が受けた善意を他の誰かに渡すこと。 -
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受け取ったことに気づいた時に初めて贈与が生まれる。贈与のスタートは気づきであり、気づくためには想像する必要がある。想像力は学びから得られるため、贈与を受け取るためには学ぶ必要がある。学ぶ意味に対する答えを知れた気がした。
贈与は交換ではない。お互いの誕生日に同じような金額を送りあうのは、やっぱり交換であって、プレゼントではないのだと思った。相手のために考えたことにこそ価値があると私は思う。だからプレゼントはそのものよりもストーリーの方がうれしい。けどあんまりみんなには共感してもらえない。
どんなことでも微力なだけで、無力ではない。きっと誰かに受け取られている。葬送のフリーレンの作者はこの本を読んだのか、同じ考えに行きついているのかとても気になった。
ぜひ読んでほしい一冊。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「贈与」とは
僕らが必要としているにもかかわらずお金で買うことのできないものおよびその移動
贈与とは、モノを「モノではないもの」へと変換させる創造的行為に他ならない
だから僕らは、他者から贈与されることでしか、本当に大切なものを手にすることができない
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こちらの好意や善意は、必ずしも相手に受け入れられるとは限らない。だから、プレゼントを受け取ってくれたり、こちらの祝福を受け入れてくれたりしたとき、僕らは嬉しくなる。
昔付き合ってた人の誕生日にプレゼントをあげたら、受け取ってもらえたものの別れようと言われたことを思い出した。だからこそ受け取ってもらえるだけで嬉しいんだよな。 -
Posted by ブクログ
哲学は正直苦手だけど、この本は説明が丁寧で分かりやすかった。
贈与とは、お金で買えないもの、およびその移動
見返りは求めない、見返りを求めるときそれは「交換」になる。
特に印象的だったのが、贈与のはじまりは「あげる相手がいること」という考え方。
「贈与の受取人は、その存在自体が差出人に生命力を与える」という。
そうだよな、あげたいと思える相手がいることって幸せだよな、ってしみじみ思った。
以下メモ
・贈与の原理
贈与の始まりは「受け取り」。受け取ることなく開始できない。
(受け取らずに始めるものは、自己犠牲)
贈与の差出人には相手に「届いてくれるといいな」という節度が要求される。
贈与の受取人には「想像力」が期待される。
・人間は大きな脳をもつため、早産で生まれる→子育てのために社会性が必要とされる=他者からの贈与を前提として生きる。
・哲学とは概念づくり。言葉や概念は幸せに生きるために必要なテクノロジー。
・私たちは「被贈与」に気付き、その負い目に動かされまた別の人へ返礼としての贈与をつなぐ。
・交換の論理では「信頼」が生まれない。
最近は、ボランティア意欲はあるのに献血には興味のない人達
→献血には直接的なレスポンスがない=贈与ではなく交換を求めている。
・贈与のつながりに疲れるとき
贈与が必ずと届くという信念、これが贈与だと宣言することは相手の思考のコントロールにつながる。親子の場合、子どもはいい子であろうとする。呪いとなる。
・アノマリー(変則性、変則事例)科学的常識に照らし合わせたときに、うまく説明のつかないもの。
科学はアノマリーに気が付くところから始まる。そのためには、科学者たちの常識の総体(パラダイム)が必要。
贈与も同様に、市場経済というパラダイムにおいて、贈与というアノマリーが見える。贈与は市場経済を否定するのではなく、むしろ必要とする。
・贈与に気が付くため(受け取りあうため)の勉強
過去の、今と違う言語ゲームを学ぶ。もし、そこに自分が生まれていたらと考える。この世界の壊れやすさ、偶然性に気が付く。 -
Posted by ブクログ
最近、お祝いで物を贈ったり、両親に贈り物をしたり、大人になって「贈与」を行う機会が増えた。
喜んでくれる相手を考えて渡すことの楽しさを最近になって感じるようになった。逆にプレゼントをもらう、たとえどんなものでも嬉しい気持ちになって、お返しなにを渡そうと考える。
贈与は受け取った側が「健全な負債感」という負い目を感じて、お返しをしないといけない気持ちになる。それによって贈与のサイクルはまわる。
物を送る差出人は宛先から生命力をうけとる。物を渡したい、プレゼントしたいその気持ちが幸福であるということである。
大人になって、親から受け取ったものは当たり前じゃなかったことに気づく。また最近はコテンラジオを聴いて、人権や平和も当たり前ではなく誰かの生命をかけた行動によって享受していることを知り、後世に繋がないといけないと思う。
そのどれもが贈与の理論で説明できてしまうのだと思うと、とても面白かった。
30代になったから響くものがあるそんな書籍だった
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Posted by ブクログ
「賦」という言葉が、贈与の原初的なかたちとして提示されているのが面白い。これは「贈る」という行為の前にある、世界から与えられているものへの気づき、あるいはそれを受け取ることそのものを指す。
「賦」はもともと「ふ」と読み、古代中国では「賦税」や「賦詩」などに使われた。「賦詩」は、自然や出来事に触れて、そこから湧き上がる感情や意味を言葉にする行為。つまり「賦」とは、世界から与えられたものに応答すること、そしてそれを言葉や行為に変換する創造的な応答でもある。
「賦」は「贈与の始まり」ではなく、「すでに贈与されているものへの気づき」として位置づけられる。
これは倫理的転回で述べられるresponsibility(応答性)とも深く響き合う気がする。氏はこれを「相手の言語ゲームに参加する」という言葉でつづる。ここに参加することを「共感」と呼び、真のそれは禅的な無意識との接近でなされる…この辺をつなげて考えるのがこれからの課題。
「粋」といい、「賦」といい、日本語には関係性精神分析を十分に語るだけのポテンシャルを秘めた用語がすでに用意されている。
アンサング・ヒーローは物語として語られない。しかし何とかそれを語りうる手段はないものか。語られないものに火を灯すのが、精神分析の役割の一つでもあるのだから。