近内悠太のレビュー一覧

  • 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学

    Posted by ブクログ

    「賦」という言葉が、贈与の原初的なかたちとして提示されているのが面白い。これは「贈る」という行為の前にある、世界から与えられているものへの気づき、あるいはそれを受け取ることそのものを指す。
     「賦」はもともと「ふ」と読み、古代中国では「賦税」や「賦詩」などに使われた。「賦詩」は、自然や出来事に触れて、そこから湧き上がる感情や意味を言葉にする行為。つまり「賦」とは、世界から与えられたものに応答すること、そしてそれを言葉や行為に変換する創造的な応答でもある。
     「賦」は「贈与の始まり」ではなく、「すでに贈与されているものへの気づき」として位置づけられる。

    これは倫理的転回で述べられるrespon

    0
    2025年11月08日
  • 利他・ケア・傷の倫理学

    Posted by ブクログ

    会社員という言語ゲームをやめる決断をした私にとって、とても響く内容だった。
    売り上げを上げるため、時間の使い方や、自分が納得できない方法を強要、コントロールされるようにな心底疲れ果ててしまった。
    「したくないからしない」が倫理というのも目から鱗だった。

    終章の「祈り」はただただ感動。希望を感じた。
    生産性、有用性に回収されない劇、そんな劇で、踊るために私は生きるんだ。

    0
    2025年07月31日
  • 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学

    Posted by ブクログ

    結婚できない自分に対する負い目の感情はなんなのか、その答えがあって納得した本。
    ペイフォワードが見てみたいと思った。

    0
    2025年07月21日
  • 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学

    Posted by ブクログ

    非常に良い本でした。希望のある本です。
    贈与とはなにか。それは差出人と受取人との関係性の中に生まれる。しかし、それだけではない。
    資本主義や民主主義、貨幣経済、今ある衣食住や教育、現在進行形の常識があるからこそ、贈与は逸脱して現れる。
    ぼくらが思う創造は、天才的なアイデアからの発想だと思いがちだが、そうではない。常識を常識と捉え、しかしそれでは矛盾するその一点を付く。つまり、知識の上にある。
    だから、この今をしかと生きる。そして観る。ぼくらは与えられていることを想像し感じる。さすれば、差出人に気づいた受取人となり、また差出人になれる。
    そうしてまた、見返りを求めない贈与ができる。
    こうして世界

    0
    2025年05月25日
  • 利他・ケア・傷の倫理学

    Posted by ブクログ

    忘己利他・・初期研修の頃から何度も聞いた言葉。今でも、これは利他なのか独りよがりの押し付けなのか、悩みながら実践をしている。
    内容はなかなか何度か繰り返さないと理解しきれなさそうだ。併せて、贈与の本も読み直してみよう。
    近い世代の著者だけあって、例えが身近で(ONEPIECE や 松任谷由実など)親しみやすい。

    0
    2025年04月15日
  • 利他・ケア・傷の倫理学

    Posted by ブクログ

    目からウロコな考え方がてんこ盛り。脳が活性化されて行くのが分かった。曖昧に使っていた信頼という言葉や、ケア・利他の本質。腑に落ちるところもあれば、自分の読解不足で理解しきれているか自信の無い部分もあるので、何度も読み直し、体に染み込ませたい本

    0
    2025年03月03日
  • 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学

    Posted by ブクログ

    だいぶ前に読んだので少しうろ覚えだが交換でなく循環という気付きがあり、してもらった事を相手に返すだけでなく違う人に回していくそんな形もあるじゃないかと。見返りを求めているわけではなくともがそれが回っていくと思えばより幸せな気分になれる自分もそうしていこうと思えた一冊。

    0
    2025年03月02日
  • 利他・ケア・傷の倫理学

    Posted by ブクログ

    自由は利他から生まれるのでしょうか。
    本書は、利他の意味や概念を何度も見直します。
    その作業こそが、人と生きる事なのかなと思いました。いずれにせよ、何度も読み返す本になりそうです。

    0
    2025年02月23日
  • 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学

    Posted by ブクログ

    世界は贈与でできている。
    できていないと主張すると、本書でいう「逸脱的思考」が足りず、「世界と出会い直せて」おらず、「教養が足りない」ということになる。
    反証しがたい、強力な「贈与」という概念を構築した1冊。
    概念を構築することが哲学ならば、本書は根っからの哲学書だ。

    0
    2025年02月09日
  • 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学

    Posted by ブクログ

    資本主義の限界に関する本を読んでいたところ、市場経済に当てはまらない贈与という概念に興味があって読んだ。

    結論、めちゃくちゃ面白い。また著者は現代の資本主義経済が常識であるが故に、贈与というアノマリーが活きてくるとの主張がある。交換か贈与かという二者択一ではなく、共存の可能性を示唆しているのは今後参考になるかもしれない。

    特に印象深いのは、贈与と偽善の違いの箇所。これらの違いは、それ以前に贈与を受け取っていているか否かにある。贈与を受け取りその返礼は贈与であるものの、何かしらの見返りを求めるのは、交換の論理であり偽善である。

    全ての学問は、まさに人類が紡いできた贈与の連鎖なのではないかと

    0
    2025年01月30日
  • 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学

    Posted by ブクログ

    自分が不当に受け取ってしまっている贈与に気づくためには、常識はもちろんのこと、さまざまな歴史などの教養を身につけることが大事。
    それらを継続して学ぶと共に、自分としての使命を見つけていきたい。

    0
    2025年01月22日
  • 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学

    Posted by ブクログ

    なるほど素晴らしい愛を受け取るには経験や知性が必要!
    与える側の問題が大きいと思っていたが、それだけではなかった。

    話が噛み合わない人に会って自分の価値観がわからなくなった時に、勧められて読んだ本。

    贈与の概念は何となく頭にあったが、言語化されて私の中で実態になった。
    エゴでもなんでもない、気づかれた時点で呪いになる脆くて不思議な愛の形。
    生物として説明しづらい行動なのに、どこか本能めいているのも興味深い。使命とも言えるのかな。

    とてつもない規模のコミュニティで生きるヒトにもたらされた哲学と真理。深いよ。
    愛に気づく力、思いをはせる力を育みたい。

    0
    2025年01月01日
  • 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学

    Posted by ブクログ

    贈与に関わらず、人間社会で大切にしたいなと思うようなことが書かれていました。
    贈与でできているとまでは思わないけれど、そうあったらいいな、そうありたいなと思いました。
    気づくと傲慢になって贈与を交換に変えてしまう自分、それに苦しむ自分。
    だけど、贈与を受け取ったから、そこから歩んでいる今だなと改めて思う作品でした。
    また、言葉は何かわかんないものに形を与えていて、その行為は表裏一体であることも再認識させられて、読んで良かったなと思います。
    また時間を空けて忘れた頃に読みたいな。

    0
    2024年11月20日
  • 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学

    Posted by ブクログ

    この本を読んで、私が、血縁の祖先から脈々と繋がる命を受け取っていることに、改めて気付かされ、冒頭に感動してしまいました。

    市場経済があるからこそ、その間にこぼれ落ちるところに贈与が生まれ、知性と想像力を持つと初めて、自分が受け取っていることに気づける。

    受け取ったことにきづいた自分が、アンサングヒーローとなり、誰に受け取ってもらえるかわからないが、何かを贈与する。

    時空を超えた贈与の不思議と、贈与との邂逅の奇跡と感動。私が気づけていない贈り物が世界にはたくさんあるんだろうな、そんな希望と感謝を感じる本でした。

    0
    2024年10月28日
  • 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学

    Posted by ブクログ

    資本主義 ー交換の原則ー は、私たちを「自由」にした。
    いま、「自由」を謳歌できていることに、感謝しかない。

    同時に、世界は、まるで丘の上に偶然置かれたボールのように、贈与という外力に支えられて成り立っていて、そのことに気づける力が「教養」だと筆者は言う。
    世界を、くぼみに置かれたボールのようなものだと思う人は、「電車の遅れ」や「コンビニの欠品」、「同僚が風邪で休むこと」など、世界の安定を乱すものとしていちいちイラつくことになる。

    「教養」ある人に、私はなりたい。

    0
    2024年10月14日
  • 利他・ケア・傷の倫理学

    Posted by ブクログ

    ケアとは、利他とは、傷とは。
    善意がなぜ空回りをするのか。

    いろんな事例、小説や哲学の引用、思考ゲームを経て考える哲学。

    なぜタイトルが
    倫理学
    なのか、も読み進めるとわかってくる


    なんだか、NVCとも通ずるところがある感覚。

    0
    2024年09月02日
  • 利他・ケア・傷の倫理学

    Posted by ブクログ

    道徳はシステムを作り、こうしなけばと決まりごととなる
    一方で、システムの義務に抗い、自由に動くとき倫理が必要になる

    倫理には利他という「自分の大切にしているものよりも、その他者の大切にしているものの方を優先すること」が問われる

    その問いに答えがケアという行動で示される

    0
    2024年07月01日
  • 利他・ケア・傷の倫理学

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    他者の傷に呼応して私が動く(または動いてしまう)ことを、ケア、あるいは利他と言う。
    優しい人はたくさん傷付いてきた過去があると言われるゆえんは、呼応できる傷の多さがあるからなのかもしれない。

    あと、どれだけ辛いことがあっても、それは未来で回収される伏線なのかもしれないと思うことで、その時の傷を緩和できるのかなとも思った。

    0
    2024年06月30日
  • 利他・ケア・傷の倫理学

    Posted by ブクログ

    間違えて2冊買ってしまいました。最近のおすすめ何かありませんか、と聞いてくださる方がいたので、2冊目を差し上げました。ずっと手元に置いておきたい良い本です。

    0
    2024年06月11日
  • 利他・ケア・傷の倫理学

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    自己変容。
    すき。

    理論の進ませ方と具体性の行き来が
    シンプルにわかりやすい。読ませる。
    これはウィトゲンシュタインの解釈です。と言われても読もうと私は思わないが、これは1日で読んだ。

    1ケアとは、その他者の大切にしているものを共に大切にする営為全体

    われわらは、石器時代からの感情と、中世からの社会システムと、神のごときテクノロジーをもつ
    エドワードoウィルソン

    後悔には、規範性とともに可能性も内包される。
    後悔が私はあの時自由だったことを示す。

    2 1→あなたが大切にしているものは、私の大切にしているものと異なる。
    自分が嫌なことを人にするな、自分がいいことを人にしろ、は大きな物

    0
    2024年06月09日