近内悠太のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
最近、お祝いで物を贈ったり、両親に贈り物をしたり、大人になって「贈与」を行う機会が増えた。
喜んでくれる相手を考えて渡すことの楽しさを最近になって感じるようになった。逆にプレゼントをもらう、たとえどんなものでも嬉しい気持ちになって、お返しなにを渡そうと考える。
贈与は受け取った側が「健全な負債感」という負い目を感じて、お返しをしないといけない気持ちになる。それによって贈与のサイクルはまわる。
物を送る差出人は宛先から生命力をうけとる。物を渡したい、プレゼントしたいその気持ちが幸福であるということである。
大人になって、親から受け取ったものは当たり前じゃなかったことに気づく。また最近はコテン -
Posted by ブクログ
「賦」という言葉が、贈与の原初的なかたちとして提示されているのが面白い。これは「贈る」という行為の前にある、世界から与えられているものへの気づき、あるいはそれを受け取ることそのものを指す。
「賦」はもともと「ふ」と読み、古代中国では「賦税」や「賦詩」などに使われた。「賦詩」は、自然や出来事に触れて、そこから湧き上がる感情や意味を言葉にする行為。つまり「賦」とは、世界から与えられたものに応答すること、そしてそれを言葉や行為に変換する創造的な応答でもある。
「賦」は「贈与の始まり」ではなく、「すでに贈与されているものへの気づき」として位置づけられる。
これは倫理的転回で述べられるrespon -
Posted by ブクログ
非常に良い本でした。希望のある本です。
贈与とはなにか。それは差出人と受取人との関係性の中に生まれる。しかし、それだけではない。
資本主義や民主主義、貨幣経済、今ある衣食住や教育、現在進行形の常識があるからこそ、贈与は逸脱して現れる。
ぼくらが思う創造は、天才的なアイデアからの発想だと思いがちだが、そうではない。常識を常識と捉え、しかしそれでは矛盾するその一点を付く。つまり、知識の上にある。
だから、この今をしかと生きる。そして観る。ぼくらは与えられていることを想像し感じる。さすれば、差出人に気づいた受取人となり、また差出人になれる。
そうしてまた、見返りを求めない贈与ができる。
こうして世界 -
Posted by ブクログ
資本主義の限界に関する本を読んでいたところ、市場経済に当てはまらない贈与という概念に興味があって読んだ。
結論、めちゃくちゃ面白い。また著者は現代の資本主義経済が常識であるが故に、贈与というアノマリーが活きてくるとの主張がある。交換か贈与かという二者択一ではなく、共存の可能性を示唆しているのは今後参考になるかもしれない。
特に印象深いのは、贈与と偽善の違いの箇所。これらの違いは、それ以前に贈与を受け取っていているか否かにある。贈与を受け取りその返礼は贈与であるものの、何かしらの見返りを求めるのは、交換の論理であり偽善である。
全ての学問は、まさに人類が紡いできた贈与の連鎖なのではないかと -
Posted by ブクログ
なるほど素晴らしい愛を受け取るには経験や知性が必要!
与える側の問題が大きいと思っていたが、それだけではなかった。
話が噛み合わない人に会って自分の価値観がわからなくなった時に、勧められて読んだ本。
贈与の概念は何となく頭にあったが、言語化されて私の中で実態になった。
エゴでもなんでもない、気づかれた時点で呪いになる脆くて不思議な愛の形。
生物として説明しづらい行動なのに、どこか本能めいているのも興味深い。使命とも言えるのかな。
とてつもない規模のコミュニティで生きるヒトにもたらされた哲学と真理。深いよ。
愛に気づく力、思いをはせる力を育みたい。