近内悠太のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
難しくて理解できないところもあったけど、概ね楽しく読めました♪
贈与は市場経済を否定しているのではなく、市場経済がベースであるからこそ、贈与が特別なものになりうる。
贈与は受け取ったと気づいた時に初めて成立する。
送る人は、将来誰かに届くといいなと思って何かを送るけど、届くかどうかはわからない。
受け取る人は、気づかないうちに受け取っていて、あとから「自分は受け取っていたのか」と気付く。
テルマエロマエのルシウスが、現代日本の文化に驚くのは、古代ローマにはそれがないからで、
私たちは、受け取っていると意識してないものなんだよね。
牛乳瓶とか、洗面器とか、シャワーとか…
第7章で、小松左京さんのSF小説を題材に、
私たちが当たり前だと思ってる日常は、実は誰かの努力によって支えられてるって話。
病気や怪我を病院で診てもらえたり、
水道もガスも電気も使えて、
衣食住も満たされて、
命が守られている
でもSFの中ではこの当たり前だと思ってることが崩れていく。
私はあんまり怖い話は好きじゃないけど、SFってそういう気づきもあるんだね。
例えば今私が当たり前みたいに使ってる水道が使えなくなるだけで、生きていくのはだいぶ大変になるし、死にやすくなるだろうな…
この本に出てきた話じゃないんだけど、寝る前に今日あった良かったことを3つ書き出すと幸福度が上がったり不安が減ったりするそうなのだけど(ペンシルベニア大学のセリグマン教授の提唱した3 good things)、これをやると贈与に気づきやすくなるのでは…と思ったりした。
本書の最後の言葉
ーこの地道な作業を通して、僕らは健全な資本主義、手触りの温かい資本主義を生きることができるのです。ー
うむー…私は今の資本主義には全く馴染めないし、この生きづらさの根源は資本主義(の末期症状)だと思ってるので、
資本主義と共存したいとは全く思ってなくて、
むしろ、資本主義を超えた何かを探し求めてる。
そういう意味では、私が求めてた本ではなかったんだよね。(もっと、pha さんとか大原扁理さんの本とかが好き)
でもおもしろかったからOKかな。
●心に残った言葉●
ある主張が仮にどれほど正しく、合理的で知性的な判断だとしても、それを大声で叫べば相手を納得させられるかというとそうではありません。というよりも、たとえどれほど正しかったとしても、大声で叫べば叫ぶほど、聴衆に対して「これが分かっていないお前は間違っている」というメッセージを送ってしまいます。
(和歌などで美しい風景を描写することについて)
そのように文学的に美しく歌い上げるという賦によって、病気を治すことさえ可能だったといいいます。
(クルミドコーヒーの話)
(無料の)クルミの減るペースが、店の仕事ぶりを測るバロメーターとなるからです。
店の仕事ぶりがお客の消費者的な人格(できるだけ少ないコストで、できるだけ多くのものを手に入れようとする)を刺激しているようならば、「少しでも多く元を取ろう」とするお客が増え、クルミが減るペースが上がる。逆に客の受贈的な人格(金額以上のものを受け取ってしまったという感覚)を刺激できているなら、負債感から一定の歯止めがそこにかかる
-
Posted by ブクログ
『世界は贈与でできている』の近内さんの二作目。前作も気になりつつ未読なんですが、「利他」「ケア」「傷」と関心のど真ん中にいるキーワードがこれだけ並ぶとどうしても気になってしまって先にこちらを。
利他とは、自分の大切にしているものよりも、他者の大切にしているものの方を優先すること。
傷とは、大切にしているものを大切にされなかったときに起こる心の動きおよびその記憶。そして大切にしているものを大切にできなかったときに起こる心の動きおよびその記憶。
ケアとは、他者の大切にしているものを共に大切にする営為全体のこと。
3つのキーワードを他者との関係において定義しながら、そのの考察をウィトゲンシュタインの言語ゲームを軸に進めていくという構成。
言語ゲームは続けることそのものに意味があり、他者との関係を断つというのはその他者との言語ゲームから降りてしまうということ。
ウィトゲンシュタインはこれまであまり触れてこなかったので、利他・ケア・傷についてこれまで考えてきたことと重なりつつも異なる角度から考えられたのは良かった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ利他とは、自分の大切にしているものよりも、その他者の大切にしているものの方を優先すること。
傷とは、大切にしているものを大切にされなかった時に起こる心の動きおよびその記憶。そして大切にしているものを大切にできなかった時に起こる心の動きおよびその記憶。
ケアとは、その他者の大切にしているものを共に大切にする営為全体のことである。
ホモサピエンスとしての性質。バンプの歌詞。ガイモンの宝箱を横取りするルフィ。沈黙のロドリゴの嘘。本当の利他とはなにか。あらゆる方面から考え、論理が展開される。
相手のことを考えているようで自分のことしか考えていない。自分を捨てて相手のことだけを考える。利他が利他として成立するとはどういうことなのか。
自分はちょうど脱毛症になり、数日間悩み、泣いたあと開き直って、坊主にしたということがあった。その過程がまさに、だったことになるというものだった。後に載せる辰平のケア。まさに自分のそれだと思った。そして、頭を丸める決意のきっかけは妻の言葉。
「辛いって言えて偉いぞ」
嫌われる勇気でも述べられていたが、自分と他人の課題を分けるということ。その中で他者に、社会に貢献する意識を持つこと。
この本と自分の人生のエピソードが絡まり合って、利他を超えて生きるということについて考えることができて、もやが少し晴れた感覚。
人のために生きるのではなく、自分のためな部分もあっていいけど、周りにどう思われるかはあまり意味がなくて、自分なりに自分らしく自分ができることをやろうと思えた。
利他は愚行でなければならない。
誰に向けられた利他なのか?
未来の自分、未来を生きている辰平自身です。振り返らず、掟通りに山を降り、おりんに最後の別れをしなかったことになるであろう未来の自分の傷をケアしたと言えないでしょうか。
ある言語ゲームの中にいる、現在の自分よりも、傷を負うことになる未来の自分という他者のために、規則を破るという愚行を為す。
セルフケアとは、未来の自分という他者を救うことである。
-
Posted by ブクログ
他者から一般的に良いと言われる行いをされたときに、自分はそれをどのよに偽善と心からの善意に振り分けているのか気になっていた。
断片的に見れば同じような状況でも、その文脈を俯瞰してみれば、それに対応するケアの方法は千差万別だ。
それを、大雑把に切り出して、マニュアル通りの対応をされることに自分はうんざりしていたのだと思う。
この本ではマニュアル化できるくらい、確立された善悪の基準を道徳と呼び
困っている他者に対応して私個人が導き出した善き行いを倫理と定義している。
ケアとは困っている他者が先にあり、それに引っ張られて起こす行為、という構図で発生する。
決して他者にいいことをしたい自分が先にあるわけではない。
ケアをするためには相手を知ることが第一で、そこで他者が大切にしているものがわかれば、自分もそれを同じように大切にする。
ケアは社会通念上の妥当性から逸脱する愚行にもなりうるからこそ、教科書通りの対応では不十分だし、うさんくさくなる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ前作との対として、「与える」ことに焦点を当てた1冊。哲学的な内容であり、完全に咀嚼し切れていない箇所も多々あるだろうが、現時点での認識を記しておく。
先ず興味を惹かれたのは、道徳と倫理の違いについて。端的に、道徳は規範やシステムにより強制されるものであり、一方倫理は「嫌だからしない」等、自由度を持つものだとのこと。この記述を通じて、道徳と異なり倫理は「実体感」を必要とするのではと感じた。仮に上記の定義が正しい場合、道徳を身に着けるために必要なことは規範やシステムを理解することであり、これは知性を有する人であればそう難しくないことと思う。一方、倫理には分かりやすい答えがなく、どうすれば倫理観を獲得できるのか疑問が残る。これに対する現時点の仮説が「実体感」であり、自らの過ちや他者からのFB等を得て内省し、血肉化する中で各人の倫理観というのは形成されていくのではと考える。だから何だ、という話かもしれないが、自身と倫理観が似通っていると感じる人との類似性(例:内省の深度、経験の種類等)を観察/解釈することにより、「どういう人であれば、倫理観を共有できるのか」をもう一段深く理解できそうに感じた。
次に、逸脱した行為が後から遡及的・事後的に「正解だったことになる」という考え方。似通った考え方として、「自分で決めた道を正解にしていく!」みたいな筋肉質な思想もあるが、これとは少し異なると想定。ポイントは、自己変容の有無。後者はあくまでも自分を主体/不動としながら突き進む考え方であるが、一方前者は自らも柔軟に変容しつつ、「結果として」過去の出来事を正解と捉えられるようになる、ということかなと考える。よく「学歴社会の言語ゲームを社会人になっても継続している人」を見かけるが、同時に、受験等の一時のプロセスが思い通りにいかなかったとしても、自己変容を繰り返す中で柔軟に暮らしている人も見かける(後者の方に魅力を感じるのは個人的主観)。良し悪しではないが、これまでの言語ゲームに囚われることなく、行動を変えることで過去も変えられるというポジティブな姿勢のもと、常に未来に開かれた可能性を希求していきたいと感じた。
特に印象に残った箇所は以下の通り
・「後悔が、あのとき私は自由だった、ということを示してくれる」(p.47)
・「利他とは、自分の大切にしているものよりも、その他者の大切にしているものの方を優先すること、である」(p.57)
・「道徳と倫理との違いとは、単純明快、強制と自由との違いである。「してはいけないからしない」、これは道徳であり、「嫌だからしない」、これが倫理である」(p.79)
・「言語ゲームの内部にいる者たちは、この硬化した規範、ルールを用いて、逸脱者への「退場勧告」が可能となる。そして、言語ゲームは<システム>へと変わる。かくして、道徳が誕生する。村上春樹が述べたように、<システム>はときに僕らの魂を深く傷つけます。既存の就活の仕組みも気がつけばあたかもシステムという実体としてそこにあるかのように思えてくるからこそ、一問一答集が作られるのです」(p.202)
・「よく、「社会に出ると正解のない問題に取り組まなければならない」という言い方がされますが、これは不正確ですし、不誠実です。正解はあるのです。それは権威者が事前に用意した、確固たる模範解答ではありません。そうではなく、私の行為が「正解だったことになる」という形の、遡及的・事後的な正解はちゃんとあり得るのです。正解を制作する。生きるとは、そんな創造的行為の積み重ねのことです」(p.217~218)
・「誰かのために大切な何かを手放すことで私が変わる。そうあるべきと命じられたものを破り、自らが言語ゲームを選び直すこと。利他とはそのように構造化されている。それは決して自己犠牲ではありません。なぜなら、それまでであれば単なる犠牲として捉えていた「私」自身が変容してしまうのだから。もはやそれを自己犠牲と規定できる私はいない。自己犠牲とは、私が変わらないままで何かを手放すことです。それは確かに損失と言えます」(p.240)
・「では「自分の大切にしているもの」とは何かというと、それは掟すなわち現行の言語ゲームに従おうとしている自分自身です。ある言語ゲームの中にいる、現在の自分よりも、傷を負うことになる未来の自分という他者のために、規則を破るという愚行を為す。セルフケアとは、未来の自分という他者を救うことである」(p.279) -
Posted by ブクログ
前書「世界は贈与でできている」が「受け取る」の本であれば、この本は「与える」を考えた本である、と著者は言う。ケアや利他という言葉は聞き慣れてはいるが、深く考えたことはない。倫理的に考え、行動するとは何か?、この本を通して自身の中で構造化でき、アプローチしやすくなったと思う。
ケアは相手の大切なものを大切にすることで、利他は自分の大切なものよりも相手の大切を優先する。このように定義することで、言葉のしっぽを掴めるようなイメージがある。
個人的に腹落ちした部分が、「利他には葛藤がある」である。社会で決められた規範に対し、我々は道徳心でそれを維持しようとする。しかしながら、その規範に苦しむ人もいる。その苦しみを救うには逸脱しなければならない。この葛藤は日頃経験する。
大切にする対象は何か?どのように生きていけば良いのか?この本はきっと真っ直ぐに示してくれるだろう。 -
Posted by ブクログ
なかなか理解が入ってこなかった。一作目「贈与」が易しく優しかったんで期待してたが。
利他とケア
ケアは自己愛が残った状態。
自己の利益を考慮したら利他でない。
利他は自分が変わることから。(叱るは、相手に変わってほしいから、利他でない)。
何かを失って悲しいのでなく、それを大切にしてあげられなかった事を悔いているのでは?そのために嘘をついて悲しんでいる人の痛みを和らげる事は、決まり事/常識から倫理へと変わる。(人形を無くした女児)というのは、父を亡くした時身をもって感じたなあ。こういう感情を多くの人が経験し、他人に思いを寄せる事で平和な社会ができると思う。xx first というスローガンが至る所で叫ばれて久しいけど、それ言い始めた奴は罪深い、と著者は言うだろうか。 -
Posted by ブクログ
難しい!著者にずっと1人がたりされている感じも否めないけど、たまにはこういう本もいい。
全体的に他の作品を例にしながら話が展開されるのは読むきっかけになりそう。「暗殺教室」「沈黙」「星の王子様」「有頂天ホテル」「ONE PIECE」などなど。
文量が多いけど、引用文もとても多いので、とりあえず見出しと最後数行をちまちま読むのがちょうど良かった。
印象に残ったのは
> 個性とは、「大切にしているものたち」の多様性のことだとするならば、それは「傷」の多様性とも言えます。
個性とは大切にしているもののコレクション。その数だけ傷もある。たしかに。
> セルフケアとは、未来の自分という他者を救うこと
未来の自分は他人。わかる。
> 間違いって、その場にいる人が受け入れてしまえば、間違いじゃなくなるんだ
それまで僕は、間違いとは、指摘して正すのが当たり前だと思っていました。でも、そうじゃない。その場にいる全員が間違いを受け入れてしまえば、間違いというものはなくなるんだ。
確かになぁ。
> 利他とは、相手を変えようとするのではなく、自分が変わること
ここ、そうなんだーくらいにしか思っていないけど、どういうことなのかあんまり分からなかった。
もう少し歳を重ねて読むとまた違うのかもしれない。たまには普段読まないテイストの本として味変的に読むのがちょうどよいかも。 -
Posted by ブクログ
与えること、受け取ること。その営みの中に、人間関係の本質がある。
お金で買えないもの、等価交換では説明できない「贈与」という行為に着目し、資本主義の「すきま」を埋める人間関係の倫理を哲学的に解き明かす一冊。ウィトゲンシュタインやモースの贈与論、映画『ペイ・フォワード』などを引きながら、贈与の本質を多角的に論じています。
一作前に読んだ『元彼の遺言状』に贈与論の話が出てきて気になっていました。いきなりモースの『贈与論』を読むのはハードルが高いと感じ、贈与に関する本で人気のある本書を手に取りました。内容的には少々難しいと感じる部分もありましたが、与えるという行為と受け取るという行為が人間関係の在り方を大きく左右するものであると、改めて感じることができます。現在ではお金のやり取りでサービスや物を受け取る経済が成り立っていますが、人間は昔から与えたり与えられたりしながら関係性を築き、ここまで文明を発達させてきたのだと思います。人間の原点に立ち返って、いろいろな物事を知りたいと思わせてくれる一冊でした。