阿部大樹のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ外傷を受けた人は些細な事に驚き、挑発に怒り、睡眠の質が下がる。悪夢もそのせい。
闘争か逃走かしか考えられなくなる。
助けられなかった大切な人の命、その情景は強い重荷になって非常にPTSDを起こしやすいらしい。
当たり前だ。なんでこんな他人事だったんだ?
普通の犯罪は被害者に周りの人が寄り添ってくれるが、性的暴力と家庭内暴力については被害者は守られることが少ない。加害者が権力的に上のことが多いから、みんな加害者の味方をする。
おじちゃんのちょっと反抗期だっただけだろ発言がまさにそれである。
一般人を無垢で汚れていないと同時に現実を知らない無知な人達だと、自分を汚れているけれど優位にあると思うようになる。
そこまでのことはしてないけど、加害者は犯人と呼ばれていた。いつ眠るかを管理される。
「私を壁に叩きつけた。」危ない本だ、何度もトラウマを思い起こさせる。
「家に帰るのが怖くていつも怯えました。」家に帰ったら自分の時間がないのわかってたから美術部の活動だって適当に言ってテスト勉強はフードコートでしてた。
食事管理、耐えられないほどの暑さ寒さの中に置かれるなどと並べて睡眠の管理が語られる。
姉が夜の仕事をしていた時、深夜に帰ってきてもう寝たのか、何先に寝てるんだと寝たフリをしても脅され時には起こされ仕事の愚痴を聞かせられた。
すぐに寝てしまうのは病気のせいだったって今ならわかる、と言ってたけどこのことは覚えてないのだろうか。深夜に起こされて眠い中、眠いと顔に出してはいけず最低でも一時間は話を聞いて、そのあとも寝つきが悪いからすぐには寝られない。これで寝不足になって起きられないのは当たり前じゃないか。
遁走は七、八歳のころにはじまる。
殴られる時、頭を守ると怒られた。受け入れないといけなかった。
解離が出来なくなったとき、子供は虐待を正当化しようとして自分は悪い子だから親はいい人だと思い込もうとする。
私は実はそうでもない。たまに自分が悪かったかなあと思うことはあったけど、理不尽な暴力であることがわかってた。それでも反抗せずに受け入れてたのは、やっぱり状態がおかしい姉を自分が責めると姉は自分を傷つけはじめるって一番最初の記憶があったから。虐待自体より、ここがほんとうに一番大きい。
内的邪悪性。罪なしとされるのを拒否する。
慢性的な睡眠障害。人が近くに来ると起きてしまう。(知人の家に泊まった時の夜勤帰りで絶対起きちゃう、稽古場など人がいる前で寝られない)
双極性の抑うつで朝起きられなかったんじゃない。
お前の虐待が抑うつを引き起こしていた。
不眠は双極性の症状だけどそれだけじゃない。だから眠れなくなった。起きられなくなった。
「今なら病気で起きられなかったんだってわかる」と言ったあいつの認識は間違っている。
発作的な自傷行為は激しい興奮と怒りを抑えるためのもの。虐待児によくみられる。殴られたあとトイレで自分の頭を殴るとすごくスッキリした。「最後に穏やかでほっと救われた感じが強く起こる」。
今ではもう無くなったけど、劇団に入った頃は全然あったな。
反復は被虐待児の語らざる言語である。被虐待児の創作物は同じパターンを描くという話。
『心的外傷と回復』より。私は過酷な状況(とくに兄弟姉妹間)で精神的障害を患った子供の話。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ被害者の視点から被害者の回復のために、社会は何ができるかを書いた本。ここ最近で一番納得する内容が多く、一気に読み進められた。最近、性被害のニュースが多く流れるようになってから、性加害者には厳罰化したほうがよい、という意見をXでよく見かけるようになった。もちろん、憤りがあることはもっともで、でも、そこには被害者の視点が入っていないような気がして、ずっと違和感があった。ハーマンも、被害者よりも周囲の人間のほうが、厳罰化を求めると書いていて、こういうことかと。でも被害者が何を求めるかを聞き取って、それを実践していくことが被害者の方の回復に役立つのだ。それが場合によっては厳罰なのかもしれないし、修復的司法なのかもしれない。ただ、一番中心に置くべき、被害者の方の声を皆がもっと真摯に聞いて社会が何ができるのかを考え、実践することが大事だと思う。皆の思うような怒りを勝手に被害者も感じていると誤解してはならない。もっと事態は複雑だ。だって、多くの加害者は被害者と顔見知りで同じコミュニティに属していることが多いのだから。被害者が加害者に怒りだけではない、いろいろな感情を感じて当然だし、周囲の人が傍観したり、加害者よりになることへの憤りもきちんと考えてほしい。
加害者をただ糾弾したり閉じ込めておくだけでは、見ないことにしているのと同じで、社会は何も変わらない。状況に怒って、すっきりしたことにしていないか。組織や周囲がもっと変わる必要がある。読みながらそんなことを思ったのと、ハーマンのずっと被害者の方への優しいまなざしがある著作で、それが胸に来た。2023年の著作をすぐさま翻訳してくださったことにも感謝。 -
Posted by ブクログ
ルーズ・ベネディクトと言われると、『菊と刀』が思い浮かぶ。
だが、この『レイシズム』も、古典でありながらも、現代に通じる、というよりも、現代で改めて考え直さなければならない一冊だった。
人種差別はよくない、ということは誰でも知っている。しかし、なぜよくないかを、「人種」で説明しようとする。例えば、肌の色だとかわかりやすい外見を使って。
しかし、目を向けるべきなのは、「人種」でなく、「差別」の方であり、人種差別とは、「外見の特徴」という、「わかりやすい基準」に目を向けた、差別なのだ。
読みながら思ったのは、こうした、差別がなぜ起こっているのか、ということをこれほどまでに詳しく、網羅的に書かれている本が、第二次世界大戦の時代に書かれていたにもかかわらず、現代でも解決されていないのはなぜかということ。
それどころか、より複雑さを増してきているようにも思える。
今まで見えてこなかった、隠されてきたものが顕在化されたり、意識化されたりしたから、かもしれないが、解決策が示されているのにも関わらず、根強く残り続けているのには、「わかりやすさ」があるように思える。
『私たちはそういうシンボリックなものに心を奪われてしまいますから、私たちが具体的な対人関係を軽視して、抽象的なことばかり考え詰めてしまうパターンはこれからも続くでしょう。でもだからこそ確固としたもの、事実といえるところにまで立ち返って、そこから話を始める必要があるのではないでしょうか。『レイシズム』は、その拠り所となる本だと思います。』(訳者あとがきより)
複雑性に耐えられなくなったとき、例えば、自分にとってわからない知識が目の前に出てきたら、「検索する」ように、「解決策を探す」のではなく、じっくりと腰を据えて考えてみる。回答を思いついても、それを保留にしておく。
「答えを出すこと」に急ぎすぎてしまった自分にとって、「寝かせる」という発想は『ネガティブ・ケイパビリティ』に通じていくような気がします。 -
Posted by ブクログ
『菊と刀』の著者が第二次世界大戦のさなか執筆したもの。国家や言語、遺伝、文化に対して優劣があると喧伝するレイシストを糾弾している。俯瞰的に考えれば、純粋な人種や民族などというものは存在しないことはわかりきっており、特にヨーロッパは長い歴史の中で混血が繰り返されている。
その中でレイシズムに陥るのは自分の立場が不安定になったときだ。
「自暴自棄になったとき、私たちは誰かを攻撃することによって自分を慰める」という表現は実に的を射ていると思う。当時は政治がその心理を利用し、レイシズムを推し進めることになった。結局は差別を原動力とした国々は自壊したものの。
現代ではオリンピックなどにより、国家、民族の意識が大きくなっている。その意識が暴走した時、第二次世界大戦ほどではないがレイシズムが席巻するのではとの危惧がある。さらに、未来永劫レイシズムは根絶されないと思う。社会システムに不公正が存在する限り、敵愾心はなくならないからだ。
-
Posted by ブクログ
タイトルに興味を持って手に取ってみた。
1920年代〜1930年代に活躍したアメリカの精神医学者の講義ノート。
1冊を通して個性について論ずる本ではなく、いくつかの講義や考察が収録されている。
精神医学の道に進む学生たちに向けた講義ということで、以下の点が印象に残った。
〇「個性が幻想である」と考えることで、実際の対人関係に手を入れることをずっと簡単にしてくれる
そもそも、ヒトを人間たらしめているのは、生まれつきの個性でなく、積み重なった文化である。文化に満たされることによってヒトが人間になり、社会化されるのである。
精神医学おいては「昇華」という言葉が使われる。「ある人物がある動機を持っていて、もしその動機を認めることが社会における彼の地位を危うくするもので、もし別の価値あるとされた行動によってその動機が部分的に解消され、もし彼が気づくことなくその行動をとっているなら、彼は動機を昇華する。」つまり、社会的に受け入れられない動機や欲求を、本人も意識しない形で別の行動へ転換すること、自分の社会の間の「落としどころ」を探ることである。社会のなかで「昇華」を繰り返す。そしてヒトは人間になる。
だからこそ、個性は幻想である、ヒトは社会・文化を通じて形成されるといえる。そして、精神医学は、その中で生きることの困難を解決するために、患者の「個性」を前に途方に暮れるのでなく、人間同士の相互作用を探索すべきと論じている。
筆者が生きた時代は、黒人差別や性的少数者に対する差別、戦地に向かう兵士の精神的ケア、こうした精神的病理が蔓延っていた。そうした状況の中で、精神科医は社会と、患者どう向き合うべきかを考えていたのだろう。
また筆者は、国防の観点からも精神医学を重要視していたことも印象に残った。精神的な問題を抱えた兵士の選別を行うことは、国防の観点からも有益であると論じており、現代とは異なる時代の空気を感じさせる内容だった。
〇プロパガンダ
まず、教育とプロパガンダの違いだが、教育は既存の価値観に対象者を合流させようとする営みである一方、プロパガンダは一部少数者によって大衆の価値観をコントロールしようとする営みである。
一般的にいって、恥ずかしいこと、難しいこと、望みえないものを私たちは成長するにしたがって無視するようになっていく。新聞を読んだりラジオを聞いたりするのは情報を得るためではなく、むしろ安心するため、暇を潰すためである。
したがって、どのようなプロパガンダであっても、それを受けた人間の全部を変えてしまうことはできない。宣伝工作をうまく効かせるためには、「客観的かつ現実的な判断をする賢明な自分」という自己像を揺らさないように、そっと優しく振りかける必要がある。このためにはプロパガンダを神話とか寓話のパターンに似せてしまうことが手っ取り早い。
こうした、「自分で選び取っている」という感覚を抱かせることで人々の価値観をコントロールする手法は、現代の陰謀論と通ずるものがある。
全体的に、時代背景も今生きている時代と異なり、言い回しも分かりにくかった。正直全て読み切れたと自信を持って言えないが、上記2点は、現代に通ずる観点として印象に残った。 -
Posted by ブクログ
中井久夫を通して間接的にしか知らなかったサリヴァン自身の著作を初めて読んだ。なのに中井久夫訳ではなく阿部大樹さんの訳でなのだが。中井の訳本や原著はいずれ手に取りたい。
本書は阿部さんによる日本オリジナルの論集。サリヴァンが臨床から離れて以降の論文が収録されている。戦争や従軍する人々の士気、国民の戦意について触れられているのが時代を感じさせ、そこには正直あんまり気持ちがのれないのだが、最後の方にまとめられているので、サリヴァンの基本的な考え方を踏まえながら読むと、そういう論考を書かざるを得なかった事情や、その原稿の裏側で実際にサリヴァンが見据えていた未来も見えてくる気がする。「すなわち精神科医が第一に取り組むべきは、人間に備わった可能性が濫費されている現状に対して、そのような問題が二度と生じないように社会体制を変更することである」(p57)。サリヴァンの眼は徹頭徹尾、個人ではなく、社会・世界を捉えようとしている。遺された論考は、差別と自国民ファーストが横行する現代に活動する我々医療職にとっても参考になる。 -
Posted by ブクログ
アメリカで1940年代末まで活躍した精神科医、ハリー・スタック・サリヴァンの講演や論考をまとめたもの。
サリヴァンは、臨床の方面では統合失調症患者の寛解率7割という数字を残しました。他方、社会的分野や政治的分野では、まず徴兵検査の整備があげられます。精神面の検査を通った者でも、軍に従事していると必ず精神に失調をきたす者がいることをマクロにもミクロにもとらえていますし、かたや徴兵検査で合格しなかった者に対しても、そういった人たちへの大衆の偏見を正すためにどうするかを考えました。次に、現在の精神科医療の診断・統計マニュアルとして用いられるDSM(たびたび更新されて、現在はDSM-5にバージョンがアップされています)の原型となる「徴兵選抜局医事通信1号」を作り、DSM的なものの必要性を訴えました。
他、秘書に語った話として、サリヴァン自身が以前統合失調症を発症していて寛解した身であるというものもあります。また、別の本でちらっと読んだ逸話としては、患者への共感力がずばぬけていて、動物とも共感できるといった伝説的なものがあります。
そんなサリヴァンの常套句として伝わるのが「私たちは誰でも、まずシンプルに人間であって、それ以外のものではない」。どことなく相田みつをの「人間だもの」を想い起こさせます。
サリヴァンが考えたのは、人間の精神を形づくるのは「場」だということでした。そして、「場」とは「対人の場」であり、人間同士の相互関係によって、人間の精神、いわば個性は作られていくとしました。なので、個性というものは、個それのみで培われていくものではないとする。だから、本書のタイトルになっている「個性という幻想」という見抜きにたどり着くのでした。そして、幻想とは、役に立たないものであるでしょう。
サリヴァンが言うに、不安という概念は、あらゆる物事を知るため決定的に重要です、だそうです。不安は間違いを正す機会から目を背けさせるものです(p101)、とも言っています。
不安はいつも必ず、(人生早期の)多数の不承認に晒された体験に根ざしています(p101)、と。ここでいう不承認とは、これはだめだ等と叱られる否定の体験のことです。ここから考えたのですが、他者に高い要求を設定して、あれはだめこれもだめと怒ってばかりの人は、おそらく幼児期に自分が体験したことを他者に経験させたいのでしょう。
__________
不安はむしろ、選択的不注意となることの方がずっと多いようです。これ(=選択的不注意)は私の造語ですけれども。気づいても当然良さそうでありながら、特に自分に羞恥心を催させるようなものだけがすっぽりと見過ごされれている状態を指します。現状に頑なに留まるために生じるものですが、そうなると有能な精神科医も、聖職者も、あるいはその他の専門家もお手上げになってしまいます。(p102)
_________
→この選択的不注意は、僕の身近な人によく生じています。なんで、そんなことに気付かないの、気づかないフリをしているの? と疑問に思っていたことですが、こういったメカニズムがあったのだなあ、と勉強になりました。たしかに、不安が強い。不安障害と言われてますし。
そして、不安が怒りをもたらすことも解説されています。不安を感じたときに、それに怒りを持つことは想像に難くありませんが、怒りは「自分から見た自分」を「他人から見た自分」に強く結びつけるもので、不安に比べればずっと御しやすいそうです。不安は自分の権力を否定し脅威感を植え付けてくるのですから、とさらに解説がなされ、怒りの感情は周りの人々を怯えさせ、私たちが自尊感情にダメージを受けたことを束の間、覆い隠します、と結ばれていました(p103あたり)
とまれ、そういう人たちが自分と同じような問題を抱えた人たち(次世代)を再生産してしまう。そして、それゆえにみんな、母性を渇望するわけです。自分を治したいっていう無意識の欲求みたいなものがありますから、じゃあ自分には何が必要なのかと求めたくなるものが、母性ではないでしょうか。
話は変わりますが、「それは言うべきでない」みたいな社会規範的というか道徳的というか、不文律の禁忌ってありますよね。そういった「禁忌を破るなよ」っていう圧力って、これまで同調圧力に似ているなあと思っていました。でも、こういうのは「モーレス」っていうようです。ちゃんと名付けられていました。(p150あたり)
話題はまた次に移ります。サリヴァンによれば、「幼少期に取り残した体験、その残渣が現在に霞をかけて、観察を曇らせる」(p153)のだと。これはあれですね、洞察力の強弱って人によりけりだけれど、その秘密について述べていると思うんです。つまり、内省が深くて広い人ほど、洞察力を発揮できるのではないか、と(でも、ここでいう「観察」はその人からの「観察」なのか、その人への「観察」なのかを考えないといけないなあとあとで気づきました。精神科医の言葉だけに)。
次は「昇華」について学べる箇所を。連続引用していきます。
__________
さて、この昇華なる概念がが化学から精神医学へと借入されて、人間の低次の同期が魔術のごとく高次のものへと持ち上がる現象を指すために使われるようになりました。(p92)
昇華というのはよくできたもので、もとの動機があまりに激烈でさえなければ、大抵うまくいきます。私たちは知らないままに社会に受け入れられるように成形されていくものですが、文化の丸暗記がその最も一般的な方策であって、精神医学に見られる昇華はその一特殊例に過ぎません。丸暗記することで、この手元にあるものを満足させ、それでいながら社会に認められたパターンに従うようになるのです(p93)
もし「どうやって昇華するか」を誰かに教えたとすると、その人物は昇華ができなくなるものです。(p94)
(かつて論じた通り、シンタクシス的な経験である「意思決定」や「意識される思考」は昇華と異なる。)
(中略)
その定義からして、二歳児に起こるのであろうと五二歳の男性に起きるのであろうと、昇華とはやはり非作為である。昇華は他人にコミュニケートできるような思考の産物ではなく、むしろ(不安を解消するために)パラタクシス的な状態で参照プロセスが起動されたことの結果である。(p250)
どのような社会体制のなか生きていようとも一定の昇華をすることは必要で、またそのためには十分な休息ないし睡眠が求められる。(p264)
__________
→昇華することとは、うちに溜まったものがすごく意味のあるものへと変化して救われるという体験とも言えるでしょう。そしてそれは、人からやり方を教えてもらうと、とたんにそのやり方ではできなくなるものだと述べられていますね。これは、このあいだ『ほぼ日』で読んだ糸井重里さんと東浩紀さんの対談のなかで語られていた「ジャンル自体が生まれたばかりのときはすごく名作が出るけど、産業として大きくなると駄作ばかりになる」に対応する概念ではないでしょうか。誰かが独力でやり遂げた昇華(作品)は、作為的じゃなかったからこそ傑作だったのであって、その方法論が記述され、それをもとに計算して作られるとそれは昇華まではいかない、ということになります。そして、昇華のためには休息と睡眠が必要だとあります。たとえばクリエイターはフリーランスの人が多いでしょうし、フリーランスゆえ報酬が買い叩かれてしまうために睡眠時間や休息時間を削ってまで創作するという悪習があるように思いますが、それだと傑作は生まれにくいということです。これは体制側の問題であって、クリエイターは被害を受けていると言えるんじゃないですか。
というところですが、以下からは気になった箇所の引用に僕のコメントを加えて書いていきます。
__________
周りを見下げることで得られる一過性の安全保障感を決して見くびってはいけませんよ。そこに浸っていると自分が立ち往生していることに気付けなくなります。(p43)
__________
→これ、個人としてもそうですが、人からも言われることってありますよね、「○○さんたちに比べたらまだあなたはいいほうだよ」というように。これが一過性の安全保障感を与えられた状況であって、それを真に受けているとそこで思考停止して立ち止まってしまいます。また、だから「我慢しなさい」と他者から我慢を強いられることでもありませんし。
__________
さて、文化に満たされることによってヒトが人間になると言いました。社会化されることによって、と言い換えても構いません。気を付けていただきたいのですが、ヒトに文化がピン付けされれば人間になる、などと考えないでください。文化とはどこかに貼りつけておけるようなものではなく、一度文化が備わったなら、それまでにあった性質は消えてなくなります。「社会化された人格」が動物に着せかけられるのではなく、その内側から成長していくものがあって、人間となるのです。(p94)
__________
→前に考えたことがあるんですが、それが次のようなものでした。「1800年くらい前には、占いで政治を行っていた。卑弥呼の時代。たとえば、その頃生まれた赤ちゃんを現代に連れてくることが出来たら、彼なり彼女なりは立派に現代人に成長するんでしょう。逆に、現代に生まれた赤ちゃんを卑弥呼の時代に連れて行けば、それはもう立派な古代人に成長することでしょう。人間は歴史を重ねて、「現代」という波を作ってきて、それに乗っかって生きている。人間もすごいけど、人間をどう作り上げてしまうかは波にかかっているんじゃないか」。なんだか近いなあ、似ているなあと思って読んでいました。
__________
すなわち、生化学的世界があらゆる生物にとって必須であるように、文化、社会体制、あるいは言語や定式化された概念などが含まれる環境が人間にとっては必要不可欠なのです。そうであるからこそ、孤立しているとか、空想してばかりで実のある交流を失っていると、それまで高度に社会的だった人物であったとしても堕落してしまいます。(p94)
__________
→「貧すれば鈍する」という言葉があります。これって上記引用のことを言っているのかもしれないですね。
__________
自分ではどうにもできない、前進できる可能性が一切ない局面に置かれると、人間は虚脱します。他者からの敵意が原因と分かれば虚脱はさらに深刻になります。自分を嫌悪している集団がいる、どうなっても構わないと思われている、そういう人たちに命運を握られている――そんな状況です。(p202)
さてここからは逆のパターンを考えてみます。普通であれば虚脱に陥るような環境にもかかわらず、なぜだか元気にやれているというケースです。(中略)一般に、状況について自覚的であるか否かに違いがあるようです。自覚的であるなら、先に述べたような相互作用に足を引っ張られることがあったとしても、自分に何ができるかを確認することが可能で、つまり落ち着きを取り戻すことができます。(p203)
__________
→たとえば五月病なんかもそうなのではないかと思いますし、会社を3か月とか半年で辞めた人たちの内面で生じていることにはこういうことがあるのかもしれません。僕も最初の会社勤めのとき、入社段階からまったく仕事を与えられず、というハラスメントを経験しました。何もするな、と言われて、事務職なのに電話もとってはいけない。虚脱へとおいやる方法です。そうではなかったとしても、どうやったら前進できるのかわからず、自分でもどうしていいかわからなくなると、その人は虚脱するということでしょう。そして、それを防ぐには、状況や環境がどういうものかを言葉で把握すること、つまり自覚です。でも、状況や環境の複雑なところまで見えてしまうと、それを言葉にするのもアップアップになって、最後にはキャパオーバーとなってリタイアしてしまうことも考えられます。僕は先ほど挙げた会社勤めでは、こういったケースに陥ってリタイアしました。まあ、僕個人の内部の話であって、外側の動きや思惑やこちらをどう思っていたかのほんとうのところはわかりませんが。
__________
個別具体的な出来事を扱わないままに生まれついた幻想などばかり論じることは、人類を分断し、むしろ国家間の緊張を大きくするだけである。(p253)
__________
→アーリア人至上主義だとか優性思想だとかについて言っているわけです。サリヴァンは精神科医として人間をみながら、対人関係にこそ精神医学で考えるものがあるとしてそこに社会との相互関係もみています。ですから、精神疾患の苦しみを減らしていくには、国のあり方、社会のあり方を大きく変えていかねばならない、と考えました。時代的にいって、相当ラディカルだと思います。でも、そこに人間社会を向上させたいというような強い気概が見受けられます。人間の精神や発達は生まれつきよりも、出生後の相互関係から生まれるとここでもこの引用部分のあとに述べていました。 -
Posted by ブクログ
結構テキトーに買ったのに思いのほか良かった
前半レイシズム、後半レイシズムと歴史。
知能など能力は遺伝よりも環境に左右されることを論証。
・ダーウィンの自然淘汰理論が発表されてからレイシストはそれを振りかざすようになったが、他の動物のように人間は自らの体を変化させることなく発明の才能を発揮することで環境に適応しているので他の動物と同列に語るのは的外れ(というかそもそもレイシズムに妥当性は無い)。
・人種ごとにことなる身体的特徴は17世代間で純血を保ち続ければ環境適応という形で生じる。
・キリスト教による単一起源論に支配されてた中世。レイシズムは政治的目的に使われてきた、大衆の不満を政治から逸らすため、白人のみの利益を罪悪感なしに行うため。
・人は群生生物であるから文化の理想とする所が大多数の性質となる。 -
Posted by ブクログ
文化人類学者であるルース・ベネディクトが著した菊と刀に並ぶ代表作。
その表題の通り、人種差別に対して社会人類学者として確固たる証拠を突きつけながら明確なNOを突きつけている。
著作が書かれたのは1942年のナチスドイツが勢力拡大している最中であり、ナチスドイツが掲げる人種差別政策への批判を念頭に書かれたように見える。
ただ、話題はナチスドイツだけにとどまらず、白人の有色人種に対する差別にも踏み込み、こちらにもNOを突きつけている。
中には社会に阿るために差別を助長する学者もいる中で、白人である彼女が既得権益を捨ててNOというのはとても勇気ある行動だし、人として素晴らしい人物だったのだろうと思う。
以下はいいなと思ったところ
・レイシストに特徴的なのは、自分たちの主張を根拠づけるために絶えず歴史を書き換えるところである。
・子供が大人を手本として一から学び取っていくものだけを文化という
・歴史の教える通り、条件さえそろえばどんな民族であっても時には冒険者、時には侵略者となりうる
・衣食住が満たされれば、人間は自分が所属する社会が推奨している形で尊敬を獲得しようとする。
・本質においてレイシズムは「ぼく」が最優秀民族の一員であると主張する大言壮語である。
・私たちが傲慢無知であったり、恐怖に煽られて平常心を失う時、わかりやすくて耳に心地よい物語がそっと忍び寄る