池上嘉彦のレビュー一覧
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池上嘉彦
1934年京都生まれ。東京大学文学部人文科学研究科(英語英文学専攻)修了。フルブライト留学生として、イエール大学で言語学博士号取得。フンボルト財団研究員としてハンブルク大学、Longman Research Scholarとしてロンドン大学で研究。現在、昭和女子大学大学院文学研究科教授、東京大学名誉教授。ミュンヘン、インディアナ、ロンドン、チュービンゲンの各大学、北京日本学研究センターなどで教授経験。Longman英英辞典、英和辞典の編集に校閲者として参与。著書に『意味論』『「する」と「なる」の言語学』(大修館書店)、『記号論への招待』(岩波書店)など。
しかし、いずれにせよ、一つの言語を習得して身につけるということは、その言語圏の文化の価値体系を身につけ、何をどのように捉えるかに関して一つの枠組みを与えられるということである。(その意味で、一つの言語を習得するということは一つの「イデオロギー」を身につけることなのである。)そこで身につけられる価値体系やものの捉え方の枠組みは、決してそこから抜け出せないといった性格のものではない。しかし、われわれがとりわけ日常的なレベルでそれらを「自然」なものとして受け入れている限りにおいて、自らの身につけている言語によって、ある一つの方向づけをされているのではないか。しかも、われわれ自身はそれに必ずしも気づいていないのではないか。もしそうだとすると、この点における言語の働きは、人間という存在にとって「無意識」の働きにもある程度類比できるのではないか。いや、むしろ、「無意識」の方がいろいろな意味でその働きを言語に負っているのではないか。こういった反省にまで進んでいくことになるのである。
「中世の西欧を含め、過去の多くの文明においては、音楽は神の啓示の ことば として崇められた。」(オーラヴ「音楽の記号論へ向けて」一九八一)
「建築は何らかの意味の生産に関わる働きを持っていることから、言語のようなものとして捉えられ、 建築言語 の概念が用いられる。ここでは、多様な記号現象を生み出す建築を、記号体系として把握し、それを 建築言語 と呼ぶ。」(門内輝行「建築における表現行為」一九八二)
読み取られる意味は、別に未来に関係することに限られない。一人の女性の着ている明るい色のドレスに、その女性のはなやいだ気持を読みとったりするのもそうであるし、脱ぎすてられた一足の履物からも、起こったことについていろいろと思いをめぐらすことができる。もちろん、鳥のさえずりに昨晩の自分の成功に対する讃歌を聞きとることもできようし、また捨てられた一枚の下駄に自らの将来を読みとることも可能である。このような場合にはすべて、当事者である人間の判断に基づいて、何かが何かを意味するということ――つまり、「記号現象」――が生じているわけである。
「迷信」と呼ばれるものも、すぐ分かる通り、ことわざと似た「コード」的な性格を持っている。「四つ葉のクローバーを見つけると幸福になる」とか、「ごはんを食べてすぐ寝ころがると牛になる」、「三人並んで写真を撮ると真ん中の人が死ぬ」などといったたぐいのものである。
「桃色」は、本来は桃の花のような色合いを「表示義」とした語であるが、そのような色合いを踏まえて性的な連想が「共示義」として生じ、その意味での使用が多くなったために「表示義」で用いても「共示義」の連想が伴うという状況になっている。本来の「表示義」の地位が「共示義」によって脅かされているわけである。外来語の「ピンク」も同じような経過をたどっている。
写真や絵画の場合は、言語に見られたような「線条性」ということは妥当しなくなり、テクストとしての写真なり絵画が全体として一挙に提示されるという形をとる。しかし、実際には、見る人間の視線は写真なり絵画のいくつかの部分をつぎつぎに走査していくわけであり、その際も、例えば人間と木が写っている場合はまず人間の方に視線が向けられるとか、いろいろな色合いがある場合は例えば赤がまず注視されやすいとか、ある程度の傾向があることも知られている。しかし、写真や絵画の場合は、こういった部分の走査のあとで必ず(物理的に可能な大きさである限り)全体として見てみるということが欠かされることはないであろう。このように全体として提示するという写真や絵画に見られる性質は「現示性」と呼ばれ、言語に見られるような「線条性」と対比されることがある。
例えば〈黒猫〉に対して迷信的な畏敬の念が抱かれる文化圏があれば、そこでは〈黒猫〉にだけ適用されるようなことばが多くあっても不思議ではない。 しかし、これはあくまで特別な価値づけによって支えられて初めて成り立つことである。例えば〈黒猫〉ばかりでなく、〈白猫〉、〈虎猫〉、〈三毛猫〉等々について、同じ仕草がすべてそれぞれ別のことばで表わされるなどということは、普通の状況では人間の言語がとりそうもないコード化の方向である。
「機能」を記号内容と見なすということによって、多くの文化的対象を「記号」として扱うことが可能になる。例えば「建築」が記号論の対象として取りあげられる時は、多くはそのような視点からである。「柱」は屋根や上の床を支えるという「機能」を記号内容とする記号であり、「ドア」は異なる建築内空間(部屋)どうし、または建築内空間と外空間の間の通行を許すという「機能」を記号内容として持つ記号である。まったく異質な文化圏の建築物に接すれば、われわれはそのような建築を構成する対象の「意味」を改めて認識させられる機会を持つであろう。 -
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ネタバレこの本も論文を書き始めた頃に読んで参考にした本です。詩の言葉をどのように考えたらよいか、その基本原則を教えてくれます。
内容(「BOOK」データベースより)
いま広範な学問・芸術領域から熱い視線を浴びている「記号論」。それは言語や文化の理解にどのような変革を迫っているのか―。ことわざや広告、ナンセンス詩など身近な日本語の表現を引きながらコミュニケーションのしくみに新しい光をあて、記号論の基本的な考え方を述べる。分かりやすくしかも知的興奮に満ちた、万人のための入門書。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
池上 嘉彦
1934年京都市に生まれる。1961年東京大学大学院博士課程修了。専攻は言語学、英語学。現在、東京大学名誉教授、昭和女子大学教授 -
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自明なことをクドクドしく書いているだけという印象であり理解は比較的容易で読んでいて意味がわからない部分はなかった。記号とそれが示す内容(記号内容)を取り巻くいろいろな抽象概念に名前をつけ分析していく。それらを組み合わせて記号の扱い範囲を広げて応用していく。この一連流れで最後に文化記号論につながっていく。このあたり面白い。
記号の本なのだが記号である括弧の使い方が統一されておらず、記号論の用語・強調したい語句・引用などが全部角括弧で表されている。山括弧〈も使われているが使いわけには足りない。せめて記号論特有の用語を表す際には違う記号を使ってほしかった。 -
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ある本で紹介されていたこともあり、読んでみました。
「記号」とは何かを示すために、主に「言語」の「記号」性を明らかにしていくことで、説明が進んでいきます。
抽象的な部分が多く、理解が難しい部分も多いと感じましたが、具体例を交えることで、理解しやすくしてくれている部分もあります。
おそらく、著者が最も言いたいのは、最終章の「記号論の拡がり」の部分。
それまでの章は、最終章に向けてのおぜん立てのようにも見えます。
最終章は、若干「記号論」から離れているようにも思えましたが、読み応えがある内容でした。
「記号」については、当然のことながら、人間にとっての「記号」を中心に説明しているのですが、実は、動植物も「記号」を利用していることに、気づかされました。
もちろん、動植物が利用する「記号」は、人間が利用する記号とは異なり、もっとシンプルなものではありますが。
この本によれば、人間の営みは、ある意味、すべて「記号」である、と言えると思います。
また、そのような視点を持つことは、物事を捉える上での客観性の確保に、かなり役立つように思います。 -
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記号論についての基礎的概念を紹介している本
記号論的なものの見方を久しぶりに確認したが、とてもよくわかるようになっていた。
先に読んだ「言語学講義」の方には、ソシュールが創始した重要概念が記載されている。
・ラング、ランガージュ、パロール
・(言語記号の)恣意性、線条性、能記と所記、範列関係と統辞関係、通時態と共時態
本書では、それを補っていくためのキーワードがさらに様々説明されている。
・記号表現(シニフィアン)=知覚可能と記号内容(シニフィエ)=知覚不能:相互依存と非対称性
・センス sense 感覚であり意味である
・分節と等質性と差異作用。これを規定するのがコード。コードがどのような視点から分節を行うかの動機付けがはっきりしているかどうか二次的。本来、分節は恣意的
・イーミック(コード想定あり)=構造相的=音韻論的 phonemic とエティック(コード想定なし)=非構造相的 音声学的phonetic
-音素を中心に組み立てる音韻論:異なる音がその問題となる言語で「同じ」価値をもつかどうかという視点
-言語音の調音的、音響的特徴そのものを考える音声学
・記号表現:
ー実現された段階では、受信者によってそれと感知されるようなものであることが必要
ー受信者が人間であれば、典型的には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、熱感覚、触覚、などといった感覚に訴えるもの
―受信者が機械であれば、可能な記号表現の様態は広くなる。知覚可能な範囲外の光線、音波、電流、ある種の化学物質から磁力まで
・二重分節:文と語、語と音。一般的には、記号と記号素
・記号内容:
ー指示物か意味か。例:金星と「明けの明星」「宵いの明星」
ー記号表現と指示物:有契・無契(動機付けがあるかないか)。有契の場合の、イコン(類像)、インデックス(指標)、無契の場合の、シンボル(象徴)
・示差的特徴、対立(共通性を踏まえての差異)と中和(予想されている対立が停止している状態)
・有徴・無徴(対立が中和された項と予想される対立を保持した項の2項):man woman のうち、man が無徴、woman が有徴
・表示義(デノテーション)rose ばら・共通義(コノテーション)rose 愛
・統辞論:記号がどのような形で配列されてよいか
・意味論:個々の記号において成立する意味作用
・基底部規則:基本的な文型を作り出す一連の統辞規則
・変形規則:さらにさまざまな文型を派生する一連の統辞規則
・記号体系が「固有」の統辞規則を持っているということは、それにしたがって記号が配列されることにより、「外界」とは自立した「嘘の世界」を作りだすことができる。
―〈モノ〉的レベル
―〈モノ〉的なものによって構成される〈コト〉的なもの、〈コト〉的なものによって構成されるもっと複合的な〈コト〉的なレベル
―〈モノ〉的レベル
・統辞は時間の流れに沿う(線条性):言語、音楽、
・空間的な配置による統辞:地図、写真、絵画
・コード:辞書と文法
・範列的(パラグマティック)JOHN SEE DOG と統辞的(シンタグマティック)JOHN BILL MARY、SEE HEAR TOUCH、 DOG CAT RAT
・文法と辞書の関係:意味的選択制限、イディオム
・統辞的単位とテクスト
・ミクロ的整合性
ー相前後する統辞的単位の間のつながりとは、「部分的に同一の情報の反復」:
ーテクスト統辞的役割:接続詞、時制(過去、現在、未来)、法(現実と非現実)、相(開始、進行中、終了)
・マクロ的整合性
ーテクスト生産者の主体的判断に任せる
ートピック+展開+結論
ー叙述+矛盾的叙
ー「悪事+計略+処罰
ー起承転結
ー序破急
・主体によるテクストの補完:コンテクスト
・フレームとスキーマ
ーフレーム:関係する人々が平均的に有していると思われる知識を総覧的に示したもの。スロットとフィラー
―スキーマ:時間的ないし因果的な関係に基づいて継起する出来事からなるまとまりを表すのに用いられる
ということで、記号論のとらえかただが、
もっとも重要なのは、コミュニケーションモデルを組み立てるための道具として記号論を活用することではないかと考える。
ある伝達内容があるとして、発信者は、コードを参照しながら伝達内容を「記号化」してメッセージをつくる。メッセージは何らかの「経路」を通って受信者に届く。受信者、受け取ったメッセージを、コードを参照しながら「解読」して、伝達内容をメッセージとして再構成する。コードは、伝達において用いられる記号とその意味(辞書)、および記号の結合の仕方いついての規定(文法)である。
これが記号論的コミュニケーションのモデルだが、これを起点に様々コミュニケーションモデルを考えるというのが、自分の関心事といってよいので、ここからモデルをいかに発展させていくかが、自分なりの理論および教育サービスを提供していくかにつながるなら、それが最も重要な成果といえるだろう。 -
Posted by ブクログ
記号論とは何?といったところから、入門として読んでみた。
コミュニケーションしくみとして「記号」が生まれ、現在の「記号」の扱いや進化を巡って面白く読めた。
意味あり、と人が判断したものすべてが「記号」となり、命名することによって「意味づけ」して、ものに価値を与える。
で、この記号は伝達手段(コミュニケーション)として活用される。その記号をどう捉えるのか?背景を読み取る力がその言語を使っている人々の文化を象徴する(文化の象徴としての言語)
それ以外に、手段ではなくて表現。日常の世界を超えた新しい世界の創造として表現される。(美的機能への注目)
音として表現されたり、普段使っている言葉が全く新しいものに見えたりするような造形的な使われ方。
今の時代だったら、ラップ?現代詩?言葉遊びの文化がこれにあたる。
面白いなと思ったのは、「記号」としての言語が生まれたから「精神」も生まれたという考え。思考や思想は言葉がなければ進化しなかった。「記号」により、目に見えない感情やしきたりや文化が伝達可能になり、さらに精神を豊かにしていった
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「イコン」「インデックス」「シンボル」
「記号」ときいて、シンボルマークやアイコンを思い描いてしまうのはデザインという仕事柄なのかもしれない。
「イコン(類像)」
たとえば、赤いボールを表現するものとして 赤い丸はイコン。
「インデックス(指標)」
たとえば、出口を表す矢印、王様を表す王冠。直接何かを表現しているわけではないが、王冠そのもののイコンを表現したうえでその背景にある全体の意味を含む(王様がかぶる王冠=王を表す指標)
「シンボル(象徴)」
無契的な記号。イコンもインデックスもシンボル的な意味を含んでいる。
このあたりの解説が面白くて、普段使っているアイコンやシンボルという言葉を改めて捉え直せたなと思う。
デザインはコミュニケーションの手段であって
さらにグラフィックデザインなんかは「記号」の連続・集合。
どのように伝達できるだろう?どのように受けり側は判断するだろう?といった部分を、この本では細かく分解して伝えてくれている。
記号論を知ることは、文化的テクストを解釈し、文化のコードを理解し、それはつまり大きくは「人間の理解」ってゆう、ちてに大きな目的につながる。
人間の精神の働きの仕組みそのもの、を身近に感じることができるんだろうな -
Posted by ブクログ
もう一年ちょっと前くらいのことだったと記憶していますが、ツイッターで、
「言葉というのは頭の中で考えている言外のモヤモヤしたものを
整理したり伝達したりするために便宜的にそのモヤモヤを翻訳するツールなんじゃないか」
というようなことを書いたのです。
それで、「その言葉というものは不完全なもので、頭の中の言葉以前のモヤモヤした考え事や、
自然の風景でもそうですけれど、表現するときにはそのまんまの意味では、
つまり等価値ではできないで、言葉にすることで、その対象の考え事の本当のところから
こぼれおちるものがある」と、僕は考えていたんです。
だからこそ、表現のための語彙を増やし表現力を磨いて、本当の考え方にできるだけ近く、
言葉で表現・伝達できたらきっと今よりも面白くなるだろうとも単純に考えました。
さらに言えば、そうやって語彙や表現力が増したときには、今度はまた元に戻って、
頭の中のモヤモヤとした言外の考え事の濃度といいますか、
そういうものが逆に大事になってくると思えるのです。
言外の考え方の濃度を高めるには、感性を磨くことだと考えています。
いろいろと感じるセンサーが鋭ければ、それだけ、外の世界から拾ってくる
情報の量と言うものが増えますし、質も高まりますから。
ですが、感性だけを磨いても、語彙や表現力が拙かったら、表現ができなくて、きっと、
心の中に鬱積するものがあり、病んでしまうことも考えられます。
なので、結論として、感性を磨くのも、表現力を磨くのもどちらも、
ポジティブに生きていこうとするならば大切な要素なんじゃないかということになります。
…とまぁ、そこまで考えても、やっぱり完全に言葉で表現することは無理なんですが。
という僕の考えに対して、ツイッター上で某氏が「記号論」を薦めてくれたのです。
記号論というものを僕は知らなくて、その記号論という名前そして薦めて頂いた意図から推測するに、
どうやら言葉を記号として学問するものらしいという考えが頭に浮かびました。
それで、本書を購入したのです。
記号論で扱う記号というものは、その記号で表現された「意味を持つもの」です。
したがって、テストであるような、「(a)~(f)までの記号で答えなさい」という記号とは違います。
著者は、そのような記号は符号とよんだ方が、
この記号論をすすめていくのには妥当だとして区別しています。
本書では、記号の中から主に言語を代表させて扱っています。
言語が、記号の中でもとりわけその記号としての性質を説明するのに適しているというわけです。
そんな記号論の中から、その考え方が頭に残ったもの二つを紹介しましょう。
一つは、「表示義」と「共示義」という見方。
たとえば、「ピンク」という言葉には、表示義としては桃色という意味、
共示義としては、性的な感じという連想があります。
つまり、表示儀というのは、言葉そのものの意味であり、
共示義は表示義を踏まえたうえでのより高次の意味合いというものになります。
この表示義と共示義は一語だけでのものではなく、
一つの文章にもあてはめられます。
また例を出すと、「花の咲き誇る道」という表現をどうとらえるかでわかると思います。
文字通りの、植物の花が咲き誇る道ととらえれば、それは表示義であり、
花のようなう美しい女性たちが歩いている道ととらえれば、それは共示義です。
この件に関しては、以前、養老孟司さんが著書で、共示義のことを文学的表現としていましたが、
彼も記号論を読んでいたのだと思われます。
二つ目は、有契性と無契性というもの。
たとえば、赤く塗ったプラスチック板を見せると赤いボールを渡すという取り決めがあったとします。
この場合、赤いプラスチック板と赤いボールの間には、「赤い」という共通項があります。
こういう特別な関連性があるのを、有契性があるといいます。
逆に、白いプラスチック板に赤いボールという取り決めをすると、そこには特別な関連性は
ありませんから、無契性がある、という言い方をします。
この有契・無契は言葉にもあって、たとえば、「柿食えば、鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句の場合、
最初の「柿」の音韻のKと「鐘」の音韻のKが重なっているので、有契性があると考えます。
言葉の意味としても、有契性のあるものが溢れていますが、説明に苦慮するので、
今回は省略します、興味のある方は本書を読んでみてください。
それで、有契性のある言葉、それも意味の部分においては、それは病んだ表現であると
本書にちらと書かれていて、僕もそうだよなぁなんて思ったのですが、これは表示義と共示義の
共示義の方にも言えることだと思うんです。意味のスパイラルみたいになって、
記号表現(メッセージ)の受信する方の取りようによっては、いろいろな可能性がでてきて、
混乱しかねませんから。そこらあたり、きっとパワハラだとかセクハラだとかに使われたり、
受け取ったりするのは、共示義や有契性などなのだろうなぁと思えたりします。
長くなりました。
最後に、ちょっとこれはサッカーの男子日本代表にも言えることだぞと思った部分を書き抜きます。
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共通性を踏まえての差異という「対立」の構造は、意味作用を生み出す「母体」である。
なぜなら、もし共通性ばかりであったなら、それは完全に均質な場であり、
完全に均質な場は安定していて何も起こる余地がない。
一方、差異ばかりであれば、二つの完全に相互に独立して干渉のない場が存在するだけで、
そこにはやはり何も起る余地がない。
共通性を介して両者が同じ一つの場に入り、そこで両者の差異が衝突する時に何かが
起こるわけである。
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共示義で読んでみてください。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ記号は意味作用を持つ.この働きは一つには文節という働きによって特徴づけられる.これは事物間の共通点,相違点を区別する働きであり,記号の持つ本質的な働きである.実はその意味は固定されたものではなくむしろ創造的なものですらありえる.創造的な働きは読み手の,蓋然性に基づいた推論に基づくという主張がされている.言語は意味作用を持つという意味で記号の一例であるが.やはり創造的な活動が見られる.それは例えば詩や文学の形として現れるものだ.本の大半は言語,特に慣習的な意味作用と創造的な意味作用ということの対立・緊張関係にに関する話題で占められている.
おそらく筆者の興味なんだろうなと思いながら読んだ.後半部では記号の持つ美的作用ということに主題が移る.読み進んでいくとこれもまた言語におけるコードを超えた意味作用の創出であるということがはっきりしていく.
まあ,いろいろ考えながら読んでみた.
自分からすると興味深い点がいくつかあった.本文中では書かれていないが,上で「蓋然性に基づいた推論」と書いたもの,これはサイエンスの世界でアブダクションと呼ばれる推論とおそらく同一のものだと強く感じる.興味深い.また最後の方にあった詩歌と「祭り」の類似性に対する指摘も興味深いと思った.体系だってないので読みづらいけど結構面白い. -
Posted by ブクログ
ネタバレ記号論の入門書として紹介されていたので手に取った。
この分野は未体験なので眉間にしわを寄せながら読んだが、発見の多い本だった。
コミュニケーションというのは暗号解読をいつも自然にやっているようなものだし、詩というのは日常を越えた新世界への冒険だ。
占いの論理や比喩、コンテクストと主体の介入、祭りについての話も興味深い。
中盤~後半は統辞論も加わって記号のシステムについての話だが、言語ってよくできたシステムだなーと本当に感心してしまう。
ソシュールやエーコの記号についての本も読みたいところだが、用語や考え方が身につくまでこちらを反復して読んだほうがいいのかもしれないなあ。もっと難しいのだろうし…。
本の中で紹介されていた『シャーロック・ホームズの記号論』も読んでみたい。
記号性を持つのは言語に限ったことじゃないという例がいくつかあったので、日常生活で記号発見遊びをやってみると面白そうだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
いま広範な学問・芸術領域から熱い視線を浴びている「記号論」。
それは言語や文化の理解にどのような変革を迫っているのか―。
ことわざや広告、ナンセンス詩など身近な日本語の表現を引きながらコミュニケーションのしくみに新しい光をあて、記号論の基本的な考え方を述べる。
分かりやすくしかも知的興奮に満ちた、万人のための入門書。
[ 目次 ]
1 ことば再発見―言語から記号へ(記号とは、符号とは? 「言語創造」 ほか)
2 伝えるコミュニケーションと読みとるコミュニケーション―伝達をめぐって(コミュニケーション 伝達の仕組み ほか)
3 創る意味と創られる意味―意味作用をめぐって(記号と意味作用 分節と意味作用 ほか)
4 記号論の拡がり―文化の解読のために(記号の「美的機能」から芸術記号論・詩学へ 文化記号論へ向けて)
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共感度(空振り三振・一部・参った!)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]