【感想・ネタバレ】記号論への招待のレビュー

あらすじ

いま広範な学問・芸術領域から熱い視線を浴びている「記号論」。それは言語や文化の理解にどのような変革を迫っているのか――。ことわざや広告、ナンセンス詩など身近な日本語の表現を引きながらコミュニケーションのしくみに新しい光をあて、記号論の基本的な考え方を述べる。分かりやすくしかも知的興奮に満ちた、万人のための入門書。

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池上嘉彦
1934年京都生まれ。東京大学文学部人文科学研究科(英語英文学専攻)修了。フルブライト留学生として、イエール大学で言語学博士号取得。フンボルト財団研究員としてハンブルク大学、Longman Research Scholarとしてロンドン大学で研究。現在、昭和女子大学大学院文学研究科教授、東京大学名誉教授。ミュンヘン、インディアナ、ロンドン、チュービンゲンの各大学、北京日本学研究センターなどで教授経験。Longman英英辞典、英和辞典の編集に校閲者として参与。著書に『意味論』『「する」と「なる」の言語学』(大修館書店)、『記号論への招待』(岩波書店)など。


しかし、いずれにせよ、一つの言語を習得して身につけるということは、その言語圏の文化の価値体系を身につけ、何をどのように捉えるかに関して一つの枠組みを与えられるということである。(その意味で、一つの言語を習得するということは一つの「イデオロギー」を身につけることなのである。)そこで身につけられる価値体系やものの捉え方の枠組みは、決してそこから抜け出せないといった性格のものではない。しかし、われわれがとりわけ日常的なレベルでそれらを「自然」なものとして受け入れている限りにおいて、自らの身につけている言語によって、ある一つの方向づけをされているのではないか。しかも、われわれ自身はそれに必ずしも気づいていないのではないか。もしそうだとすると、この点における言語の働きは、人間という存在にとって「無意識」の働きにもある程度類比できるのではないか。いや、むしろ、「無意識」の方がいろいろな意味でその働きを言語に負っているのではないか。こういった反省にまで進んでいくことになるのである。

「中世の西欧を含め、過去の多くの文明においては、音楽は神の啓示の ことば として崇められた。」(オーラヴ「音楽の記号論へ向けて」一九八一)

「建築は何らかの意味の生産に関わる働きを持っていることから、言語のようなものとして捉えられ、 建築言語 の概念が用いられる。ここでは、多様な記号現象を生み出す建築を、記号体系として把握し、それを 建築言語 と呼ぶ。」(門内輝行「建築における表現行為」一九八二)

読み取られる意味は、別に未来に関係することに限られない。一人の女性の着ている明るい色のドレスに、その女性のはなやいだ気持を読みとったりするのもそうであるし、脱ぎすてられた一足の履物からも、起こったことについていろいろと思いをめぐらすことができる。もちろん、鳥のさえずりに昨晩の自分の成功に対する讃歌を聞きとることもできようし、また捨てられた一枚の下駄に自らの将来を読みとることも可能である。このような場合にはすべて、当事者である人間の判断に基づいて、何かが何かを意味するということ――つまり、「記号現象」――が生じているわけである。

 「迷信」と呼ばれるものも、すぐ分かる通り、ことわざと似た「コード」的な性格を持っている。「四つ葉のクローバーを見つけると幸福になる」とか、「ごはんを食べてすぐ寝ころがると牛になる」、「三人並んで写真を撮ると真ん中の人が死ぬ」などといったたぐいのものである。

 「桃色」は、本来は桃の花のような色合いを「表示義」とした語であるが、そのような色合いを踏まえて性的な連想が「共示義」として生じ、その意味での使用が多くなったために「表示義」で用いても「共示義」の連想が伴うという状況になっている。本来の「表示義」の地位が「共示義」によって脅かされているわけである。外来語の「ピンク」も同じような経過をたどっている。

写真や絵画の場合は、言語に見られたような「線条性」ということは妥当しなくなり、テクストとしての写真なり絵画が全体として一挙に提示されるという形をとる。しかし、実際には、見る人間の視線は写真なり絵画のいくつかの部分をつぎつぎに走査していくわけであり、その際も、例えば人間と木が写っている場合はまず人間の方に視線が向けられるとか、いろいろな色合いがある場合は例えば赤がまず注視されやすいとか、ある程度の傾向があることも知られている。しかし、写真や絵画の場合は、こういった部分の走査のあとで必ず(物理的に可能な大きさである限り)全体として見てみるということが欠かされることはないであろう。このように全体として提示するという写真や絵画に見られる性質は「現示性」と呼ばれ、言語に見られるような「線条性」と対比されることがある。

例えば〈黒猫〉に対して迷信的な畏敬の念が抱かれる文化圏があれば、そこでは〈黒猫〉にだけ適用されるようなことばが多くあっても不思議ではない。  しかし、これはあくまで特別な価値づけによって支えられて初めて成り立つことである。例えば〈黒猫〉ばかりでなく、〈白猫〉、〈虎猫〉、〈三毛猫〉等々について、同じ仕草がすべてそれぞれ別のことばで表わされるなどということは、普通の状況では人間の言語がとりそうもないコード化の方向である。

 「機能」を記号内容と見なすということによって、多くの文化的対象を「記号」として扱うことが可能になる。例えば「建築」が記号論の対象として取りあげられる時は、多くはそのような視点からである。「柱」は屋根や上の床を支えるという「機能」を記号内容とする記号であり、「ドア」は異なる建築内空間(部屋)どうし、または建築内空間と外空間の間の通行を許すという「機能」を記号内容として持つ記号である。まったく異質な文化圏の建築物に接すれば、われわれはそのような建築を構成する対象の「意味」を改めて認識させられる機会を持つであろう。

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2024年01月31日

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記号論はあらゆる学問の基本なので教養として知っておくべき.コミュニケーションやデザインとも関わりが深い.

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2021年07月16日

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Ⅰ ことば再発見ーー言語から記号ヘーー
Ⅱ 伝えるコミュニケーションと読みとるコミュニケーションーー伝達をめぐってーー
Ⅲ 創る意味と創られる意味ーー意味作用をめぐってーー
 1 記号と意味作用
 2 分節と意味作用
 3 記号と統辞
 4 「テクスト」と〈話す主体〉
Ⅳ 記号論の拡がりーー文化の解読のためにーー
 1 記号の「美的機能」から芸術記号論・詩学へ
 2 文化記号論へ向けて

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2014年04月30日

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ネタバレ

この本も論文を書き始めた頃に読んで参考にした本です。詩の言葉をどのように考えたらよいか、その基本原則を教えてくれます。

内容(「BOOK」データベースより)
いま広範な学問・芸術領域から熱い視線を浴びている「記号論」。それは言語や文化の理解にどのような変革を迫っているのか―。ことわざや広告、ナンセンス詩など身近な日本語の表現を引きながらコミュニケーションのしくみに新しい光をあて、記号論の基本的な考え方を述べる。分かりやすくしかも知的興奮に満ちた、万人のための入門書。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
池上 嘉彦
1934年京都市に生まれる。1961年東京大学大学院博士課程修了。専攻は言語学、英語学。現在、東京大学名誉教授、昭和女子大学教授

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2011年09月07日

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自明なことをクドクドしく書いているだけという印象であり理解は比較的容易で読んでいて意味がわからない部分はなかった。記号とそれが示す内容(記号内容)を取り巻くいろいろな抽象概念に名前をつけ分析していく。それらを組み合わせて記号の扱い範囲を広げて応用していく。この一連流れで最後に文化記号論につながっていく。このあたり面白い。

記号の本なのだが記号である括弧の使い方が統一されておらず、記号論の用語・強調したい語句・引用などが全部角括弧で表されている。山括弧〈も使われているが使いわけには足りない。せめて記号論特有の用語を表す際には違う記号を使ってほしかった。

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2025年05月06日

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ある本で紹介されていたこともあり、読んでみました。
「記号」とは何かを示すために、主に「言語」の「記号」性を明らかにしていくことで、説明が進んでいきます。
抽象的な部分が多く、理解が難しい部分も多いと感じましたが、具体例を交えることで、理解しやすくしてくれている部分もあります。

おそらく、著者が最も言いたいのは、最終章の「記号論の拡がり」の部分。
それまでの章は、最終章に向けてのおぜん立てのようにも見えます。
最終章は、若干「記号論」から離れているようにも思えましたが、読み応えがある内容でした。

「記号」については、当然のことながら、人間にとっての「記号」を中心に説明しているのですが、実は、動植物も「記号」を利用していることに、気づかされました。
もちろん、動植物が利用する「記号」は、人間が利用する記号とは異なり、もっとシンプルなものではありますが。

この本によれば、人間の営みは、ある意味、すべて「記号」である、と言えると思います。
また、そのような視点を持つことは、物事を捉える上での客観性の確保に、かなり役立つように思います。

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2024年02月25日

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記号論についての基礎的概念を紹介している本

記号論的なものの見方を久しぶりに確認したが、とてもよくわかるようになっていた。

先に読んだ「言語学講義」の方には、ソシュールが創始した重要概念が記載されている。
・ラング、ランガージュ、パロール
・(言語記号の)恣意性、線条性、能記と所記、範列関係と統辞関係、通時態と共時態

本書では、それを補っていくためのキーワードがさらに様々説明されている。
・記号表現(シニフィアン)=知覚可能と記号内容(シニフィエ)=知覚不能:相互依存と非対称性

・センス sense 感覚であり意味である

・分節と等質性と差異作用。これを規定するのがコード。コードがどのような視点から分節を行うかの動機付けがはっきりしているかどうか二次的。本来、分節は恣意的

・イーミック(コード想定あり)=構造相的=音韻論的 phonemic とエティック(コード想定なし)=非構造相的 音声学的phonetic
 -音素を中心に組み立てる音韻論:異なる音がその問題となる言語で「同じ」価値をもつかどうかという視点
 -言語音の調音的、音響的特徴そのものを考える音声学

・記号表現:
ー実現された段階では、受信者によってそれと感知されるようなものであることが必要
ー受信者が人間であれば、典型的には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、熱感覚、触覚、などといった感覚に訴えるもの
―受信者が機械であれば、可能な記号表現の様態は広くなる。知覚可能な範囲外の光線、音波、電流、ある種の化学物質から磁力まで
・二重分節:文と語、語と音。一般的には、記号と記号素

・記号内容:
ー指示物か意味か。例:金星と「明けの明星」「宵いの明星」
ー記号表現と指示物:有契・無契(動機付けがあるかないか)。有契の場合の、イコン(類像)、インデックス(指標)、無契の場合の、シンボル(象徴)

・示差的特徴、対立(共通性を踏まえての差異)と中和(予想されている対立が停止している状態)
・有徴・無徴(対立が中和された項と予想される対立を保持した項の2項):man woman のうち、man が無徴、woman が有徴
・表示義(デノテーション)rose ばら・共通義(コノテーション)rose 愛

・統辞論:記号がどのような形で配列されてよいか
・意味論:個々の記号において成立する意味作用

・基底部規則:基本的な文型を作り出す一連の統辞規則
・変形規則:さらにさまざまな文型を派生する一連の統辞規則

・記号体系が「固有」の統辞規則を持っているということは、それにしたがって記号が配列されることにより、「外界」とは自立した「嘘の世界」を作りだすことができる。
―〈モノ〉的レベル
―〈モノ〉的なものによって構成される〈コト〉的なもの、〈コト〉的なものによって構成されるもっと複合的な〈コト〉的なレベル
―〈モノ〉的レベル

・統辞は時間の流れに沿う(線条性):言語、音楽、
・空間的な配置による統辞:地図、写真、絵画

・コード:辞書と文法

・範列的(パラグマティック)JOHN SEE DOG と統辞的(シンタグマティック)JOHN BILL MARY、SEE HEAR TOUCH、 DOG CAT RAT
・文法と辞書の関係:意味的選択制限、イディオム

・統辞的単位とテクスト
・ミクロ的整合性
ー相前後する統辞的単位の間のつながりとは、「部分的に同一の情報の反復」:
ーテクスト統辞的役割:接続詞、時制(過去、現在、未来)、法(現実と非現実)、相(開始、進行中、終了)
・マクロ的整合性
ーテクスト生産者の主体的判断に任せる
ートピック+展開+結論
ー叙述+矛盾的叙
ー「悪事+計略+処罰
ー起承転結
ー序破急

・主体によるテクストの補完:コンテクスト

・フレームとスキーマ
ーフレーム:関係する人々が平均的に有していると思われる知識を総覧的に示したもの。スロットとフィラー
―スキーマ:時間的ないし因果的な関係に基づいて継起する出来事からなるまとまりを表すのに用いられる

ということで、記号論のとらえかただが、
もっとも重要なのは、コミュニケーションモデルを組み立てるための道具として記号論を活用することではないかと考える。

ある伝達内容があるとして、発信者は、コードを参照しながら伝達内容を「記号化」してメッセージをつくる。メッセージは何らかの「経路」を通って受信者に届く。受信者、受け取ったメッセージを、コードを参照しながら「解読」して、伝達内容をメッセージとして再構成する。コードは、伝達において用いられる記号とその意味(辞書)、および記号の結合の仕方いついての規定(文法)である。

これが記号論的コミュニケーションのモデルだが、これを起点に様々コミュニケーションモデルを考えるというのが、自分の関心事といってよいので、ここからモデルをいかに発展させていくかが、自分なりの理論および教育サービスを提供していくかにつながるなら、それが最も重要な成果といえるだろう。

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2021年02月23日

Posted by ブクログ

例えば「赤い」という状況 (性質?) を、本来の性質とは無関係な「アカイ」という音声なり文字列なりで表現することができるのは人間だけです。
また、記号表現は一対一対応ではなく、「赤」というのは共産主義を象徴するものであったり、別の記号を経由して連想されるものがまた記号化されます。

少々堅い内容ですが、コミュニケーションの本質に迫る学問を、知識ゼロから学ぶことができます。

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2018年09月30日

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内容は高度だけれども、具体例を交えて丁寧に説明されており、理解の助けになった。
コードによって規定された記号としての言語が、言語を使うの主体としての人間の関与によってコードを逸脱し、コードが変更されていく。記号論には、AIの進化の鍵となる要素が含まれているように感じた。

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2018年02月22日

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ネタバレ

日本語のリーズナブルな価格の本で記号論を学びたい場合にはこれ一択。やや古いこともあり、また記号論自体の難解さもあり、多少とっつきにくいかもしれないが、ゆっくり頭の中を整理しながら読めば理解できる。

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2016年11月27日

Posted by ブクログ

記号論とは何?といったところから、入門として読んでみた。
コミュニケーションしくみとして「記号」が生まれ、現在の「記号」の扱いや進化を巡って面白く読めた。

意味あり、と人が判断したものすべてが「記号」となり、命名することによって「意味づけ」して、ものに価値を与える。
で、この記号は伝達手段(コミュニケーション)として活用される。その記号をどう捉えるのか?背景を読み取る力がその言語を使っている人々の文化を象徴する(文化の象徴としての言語)

それ以外に、手段ではなくて表現。日常の世界を超えた新しい世界の創造として表現される。(美的機能への注目)
音として表現されたり、普段使っている言葉が全く新しいものに見えたりするような造形的な使われ方。
今の時代だったら、ラップ?現代詩?言葉遊びの文化がこれにあたる。

面白いなと思ったのは、「記号」としての言語が生まれたから「精神」も生まれたという考え。思考や思想は言葉がなければ進化しなかった。「記号」により、目に見えない感情やしきたりや文化が伝達可能になり、さらに精神を豊かにしていった

ーーー

「イコン」「インデックス」「シンボル」

「記号」ときいて、シンボルマークやアイコンを思い描いてしまうのはデザインという仕事柄なのかもしれない。
「イコン(類像)」
たとえば、赤いボールを表現するものとして 赤い丸はイコン。
「インデックス(指標)」
たとえば、出口を表す矢印、王様を表す王冠。直接何かを表現しているわけではないが、王冠そのもののイコンを表現したうえでその背景にある全体の意味を含む(王様がかぶる王冠=王を表す指標)
「シンボル(象徴)」
無契的な記号。イコンもインデックスもシンボル的な意味を含んでいる。

このあたりの解説が面白くて、普段使っているアイコンやシンボルという言葉を改めて捉え直せたなと思う。

デザインはコミュニケーションの手段であって
さらにグラフィックデザインなんかは「記号」の連続・集合。
どのように伝達できるだろう?どのように受けり側は判断するだろう?といった部分を、この本では細かく分解して伝えてくれている。

記号論を知ることは、文化的テクストを解釈し、文化のコードを理解し、それはつまり大きくは「人間の理解」ってゆう、ちてに大きな目的につながる。

人間の精神の働きの仕組みそのもの、を身近に感じることができるんだろうな

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2016年10月16日

Posted by ブクログ

もう一年ちょっと前くらいのことだったと記憶していますが、ツイッターで、
「言葉というのは頭の中で考えている言外のモヤモヤしたものを
整理したり伝達したりするために便宜的にそのモヤモヤを翻訳するツールなんじゃないか」
というようなことを書いたのです。
それで、「その言葉というものは不完全なもので、頭の中の言葉以前のモヤモヤした考え事や、
自然の風景でもそうですけれど、表現するときにはそのまんまの意味では、
つまり等価値ではできないで、言葉にすることで、その対象の考え事の本当のところから
こぼれおちるものがある」と、僕は考えていたんです。

だからこそ、表現のための語彙を増やし表現力を磨いて、本当の考え方にできるだけ近く、
言葉で表現・伝達できたらきっと今よりも面白くなるだろうとも単純に考えました。
さらに言えば、そうやって語彙や表現力が増したときには、今度はまた元に戻って、
頭の中のモヤモヤとした言外の考え事の濃度といいますか、
そういうものが逆に大事になってくると思えるのです。
言外の考え方の濃度を高めるには、感性を磨くことだと考えています。
いろいろと感じるセンサーが鋭ければ、それだけ、外の世界から拾ってくる
情報の量と言うものが増えますし、質も高まりますから。
ですが、感性だけを磨いても、語彙や表現力が拙かったら、表現ができなくて、きっと、
心の中に鬱積するものがあり、病んでしまうことも考えられます。
なので、結論として、感性を磨くのも、表現力を磨くのもどちらも、
ポジティブに生きていこうとするならば大切な要素なんじゃないかということになります。

…とまぁ、そこまで考えても、やっぱり完全に言葉で表現することは無理なんですが。

という僕の考えに対して、ツイッター上で某氏が「記号論」を薦めてくれたのです。
記号論というものを僕は知らなくて、その記号論という名前そして薦めて頂いた意図から推測するに、
どうやら言葉を記号として学問するものらしいという考えが頭に浮かびました。
それで、本書を購入したのです。

記号論で扱う記号というものは、その記号で表現された「意味を持つもの」です。
したがって、テストであるような、「(a)~(f)までの記号で答えなさい」という記号とは違います。
著者は、そのような記号は符号とよんだ方が、
この記号論をすすめていくのには妥当だとして区別しています。

本書では、記号の中から主に言語を代表させて扱っています。
言語が、記号の中でもとりわけその記号としての性質を説明するのに適しているというわけです。
そんな記号論の中から、その考え方が頭に残ったもの二つを紹介しましょう。

一つは、「表示義」と「共示義」という見方。
たとえば、「ピンク」という言葉には、表示義としては桃色という意味、
共示義としては、性的な感じという連想があります。
つまり、表示儀というのは、言葉そのものの意味であり、
共示義は表示義を踏まえたうえでのより高次の意味合いというものになります。
この表示義と共示義は一語だけでのものではなく、
一つの文章にもあてはめられます。
また例を出すと、「花の咲き誇る道」という表現をどうとらえるかでわかると思います。
文字通りの、植物の花が咲き誇る道ととらえれば、それは表示義であり、
花のようなう美しい女性たちが歩いている道ととらえれば、それは共示義です。
この件に関しては、以前、養老孟司さんが著書で、共示義のことを文学的表現としていましたが、
彼も記号論を読んでいたのだと思われます。

二つ目は、有契性と無契性というもの。
たとえば、赤く塗ったプラスチック板を見せると赤いボールを渡すという取り決めがあったとします。
この場合、赤いプラスチック板と赤いボールの間には、「赤い」という共通項があります。
こういう特別な関連性があるのを、有契性があるといいます。
逆に、白いプラスチック板に赤いボールという取り決めをすると、そこには特別な関連性は
ありませんから、無契性がある、という言い方をします。
この有契・無契は言葉にもあって、たとえば、「柿食えば、鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句の場合、
最初の「柿」の音韻のKと「鐘」の音韻のKが重なっているので、有契性があると考えます。
言葉の意味としても、有契性のあるものが溢れていますが、説明に苦慮するので、
今回は省略します、興味のある方は本書を読んでみてください。

それで、有契性のある言葉、それも意味の部分においては、それは病んだ表現であると
本書にちらと書かれていて、僕もそうだよなぁなんて思ったのですが、これは表示義と共示義の
共示義の方にも言えることだと思うんです。意味のスパイラルみたいになって、
記号表現(メッセージ)の受信する方の取りようによっては、いろいろな可能性がでてきて、
混乱しかねませんから。そこらあたり、きっとパワハラだとかセクハラだとかに使われたり、
受け取ったりするのは、共示義や有契性などなのだろうなぁと思えたりします。

長くなりました。
最後に、ちょっとこれはサッカーの男子日本代表にも言えることだぞと思った部分を書き抜きます。
___

共通性を踏まえての差異という「対立」の構造は、意味作用を生み出す「母体」である。
なぜなら、もし共通性ばかりであったなら、それは完全に均質な場であり、
完全に均質な場は安定していて何も起こる余地がない。
一方、差異ばかりであれば、二つの完全に相互に独立して干渉のない場が存在するだけで、
そこにはやはり何も起る余地がない。
共通性を介して両者が同じ一つの場に入り、そこで両者の差異が衝突する時に何かが
起こるわけである。
___

共示義で読んでみてください。

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2025年06月22日

Posted by ブクログ

ネタバレ

記号は意味作用を持つ.この働きは一つには文節という働きによって特徴づけられる.これは事物間の共通点,相違点を区別する働きであり,記号の持つ本質的な働きである.実はその意味は固定されたものではなくむしろ創造的なものですらありえる.創造的な働きは読み手の,蓋然性に基づいた推論に基づくという主張がされている.言語は意味作用を持つという意味で記号の一例であるが.やはり創造的な活動が見られる.それは例えば詩や文学の形として現れるものだ.本の大半は言語,特に慣習的な意味作用と創造的な意味作用ということの対立・緊張関係にに関する話題で占められている.
おそらく筆者の興味なんだろうなと思いながら読んだ.後半部では記号の持つ美的作用ということに主題が移る.読み進んでいくとこれもまた言語におけるコードを超えた意味作用の創出であるということがはっきりしていく.

まあ,いろいろ考えながら読んでみた.

自分からすると興味深い点がいくつかあった.本文中では書かれていないが,上で「蓋然性に基づいた推論」と書いたもの,これはサイエンスの世界でアブダクションと呼ばれる推論とおそらく同一のものだと強く感じる.興味深い.また最後の方にあった詩歌と「祭り」の類似性に対する指摘も興味深いと思った.体系だってないので読みづらいけど結構面白い.

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2012年01月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

記号論の入門書として紹介されていたので手に取った。
この分野は未体験なので眉間にしわを寄せながら読んだが、発見の多い本だった。

コミュニケーションというのは暗号解読をいつも自然にやっているようなものだし、詩というのは日常を越えた新世界への冒険だ。
占いの論理や比喩、コンテクストと主体の介入、祭りについての話も興味深い。

中盤~後半は統辞論も加わって記号のシステムについての話だが、言語ってよくできたシステムだなーと本当に感心してしまう。

ソシュールやエーコの記号についての本も読みたいところだが、用語や考え方が身につくまでこちらを反復して読んだほうがいいのかもしれないなあ。もっと難しいのだろうし…。
本の中で紹介されていた『シャーロック・ホームズの記号論』も読んでみたい。

記号性を持つのは言語に限ったことじゃないという例がいくつかあったので、日常生活で記号発見遊びをやってみると面白そうだ。

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2015年01月17日

Posted by ブクログ

ネタバレ

[ 内容 ]
いま広範な学問・芸術領域から熱い視線を浴びている「記号論」。
それは言語や文化の理解にどのような変革を迫っているのか―。
ことわざや広告、ナンセンス詩など身近な日本語の表現を引きながらコミュニケーションのしくみに新しい光をあて、記号論の基本的な考え方を述べる。
分かりやすくしかも知的興奮に満ちた、万人のための入門書。

[ 目次 ]
1 ことば再発見―言語から記号へ(記号とは、符号とは? 「言語創造」 ほか)
2 伝えるコミュニケーションと読みとるコミュニケーション―伝達をめぐって(コミュニケーション 伝達の仕組み ほか)
3 創る意味と創られる意味―意味作用をめぐって(記号と意味作用 分節と意味作用 ほか)
4 記号論の拡がり―文化の解読のために(記号の「美的機能」から芸術記号論・詩学へ 文化記号論へ向けて)

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
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[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2011年04月26日

Posted by ブクログ

記号と書いてあるが,どちらかと言えば「ことば」という記号についての話だと思う.
普段,何気なく使っている「ことば」だが,記号の観点から見ていくと感心する所や新たな発見がある.

一度読んだだけでは全て理解できていないので再読の必要あり.

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2010年09月29日

Posted by ブクログ

小難しいことが書いてあるのかと思ったらかなり理解しやすく書いてあった。普通に読み物として消化できるし手元においておきたい一冊

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2010年07月09日

Posted by ブクログ

*購入

正直わかりにくかった記号論が非常にわかりやすく説明されていたと思います。課題内で利用した新書だったのですが、自分でもどんどん読みすすめたくなるほど読むのが楽しく感じました。
たとえも多く、純粋に読み物としても面白かったです。
入門書として非常によいと思います。

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2010年06月01日

Posted by ブクログ

池上嘉彦ですね。
高校生のときに現代文の教材で使用して、
それから気にはなっていた作品。
記号論。好きです。

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2010年01月27日

Posted by ブクログ

 「解釈」といわれると、自由な妄想を勝手に貼り付けているニュアンスがあって、なんだか嫌なイメージを持っていた。が、その貼り付ける対象を勝手に作り上げてしまっていたのかもしれない。
 そもそも言葉や文字で何を理解したのかと振り返ったときの「何」など、先に決まっているものだけでなく、それを超えて理解するような働きが「解釈」なのだろう。

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2025年07月02日

Posted by ブクログ

エーコの薔薇の名前と並行して読む。初池上嘉彦。招待という割にはおもてなしの心がないが、挙げられてる事例はなるほどと思うものもあるのは確か。

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2018年10月07日

Posted by ブクログ

「ことば再発見」の章。人間が「意味あり」と認めるものはすべて「記号」になる。一つの言語を習得して身につけるということは、その言語圏の文化の価値体系を身につけ、何をどのように捉えるかに関して一つの枠組みを与えられるということ。その意味「イデオロギー」を身につけること。言語以外のさまざまに文化的対象や現象はいろいろな意味で言語にたとえられる。言葉は文化であり、文化は言語(のようなもの)。

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2022年12月22日

Posted by ブクログ

記号論についてのコンパクトな入門書です。

かつて「文化記号論」が、人類学や社会学など人文諸科学の全般を覆う方法論としての役割が期待された時代がありましたが、本書はそこまで議論を広げることなく、記号論の基礎に内容を絞って解説しています。

とりあえず記号論の概要を押さえておくのに役立つのではないかと思います。

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2015年06月14日

Posted by ブクログ

ずっと興味はあったんだけど、なんとなく大学のとき手を出しそびれていた記号論。
仕事として広告という分野に関わることになったことで改めて勉強し直します。

面白いのは広告を始めとして「メディア業界」と記号論など学術分野の関係性。
サービスとして行なっている事象が研究対象であり、批評されつつ、
その研究結果を一番に取り入れ利用していくのもまた同じ主体だったりするわけで。

言葉や表現というものの持つ意味には敏感でいたいなと思います。
すくなくとも態度として。
言葉や表現そのものだけじゃないか。
特にいまのトレンドからするとデバイスの変化やそれに伴うサービスの変化が持つ意味(とそれにともなって変化する言葉や表現)に視点を移してた方が良いのかな。

あと2、3冊読んで頭に視点を叩き込みたいです。

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2012年12月31日

Posted by ブクログ

ロゴとかサインとか扱う立場なのでそもそも学校で勉強しておけよ、という話である。(ゼミでS先生が取り上げてた記憶はある。)
言語学的なことよりも、商標として保護される対象が日本とアメリカ等では全然違う(アメリカでは色、音、におい、製品の見た目自体も対象)ことの要因は記号論の理解や法律への反映というのがあるんじゃないかとか思ったり。あと漢字とかなカナの存在も。
自分の、演劇見るコンピュータ妄想もここかな。批評理論のコードをDBにしてプログラムに詰めておけばいいんじゃないの?

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2012年09月23日

Posted by ブクログ

全部で240ページ程なので、ページの分量的には確かに「招待」レベル。
でも、中身はなかなか難しい…。
本の中に出てくる例は、身の回りを思い返すと「確かにそうだな」と思えるけれど、そこから本題に入っていくとなかなか理解するのに時間がかかります。
「招待」とはいうものの、事前に知識をもった人が読んだほうがいいような気がします。

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2012年06月16日

Posted by ブクログ

人間はさまざまな「記号」、とりわけ「言語」をあやつる。人間の文化的な秩序を確認し、維持し、機能させ、「記号」そのものを操作して、現実を超えた「虚の世界」を創造していくのである。「記号論」を具体例を交えてわかりやすく解説した一冊。

「人間は「構造化を行なう動物」であると言われる。自らを取りまく「外界」を主体的に意味づけ、価値づけ、自らの住む世界として秩序化していく。これは「自然」を「文化」に変える営みであり、そのような営みを主体的に行なうという点で、人間は本能に縛られ「自然」の域にとどまらざるをえない他の動物と異なるというわけである。」

私たちが当たり前に使っていた「言語」は「記号」なのであり、その「記号」は自然と人間の文化を規定していることになっていたとは!ちょっと難しいけれど、じっくり読むとすごくわかりやすく解説してあって、学問への道が開かれているように感じました!

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2010年02月01日

Posted by ブクログ

人間は、自分のまわりの事物に対して意味づけをしないではいられない存在である

コミュニケーションとは、自分が頭の中に抱いている抽象的な広義の思考内容のコピーを相手の頭の中にも創り出す行為

言語が有する固有の価値
実用的機能 すでに決まっている一定の意味内容を運ぶ手段
美的機能 言語そのものが新しい意味作用を生む ex. 詩的機能 既成の体制の枠を超え、新しいものを生み出す創造的な働き

コードとコンテクストの相補関係

ある人が本来慣習的に何らメッセージとして機能していないものに意味作用を認め(つまり、メッセージとして捉え)、自らの判断状況に基づいてそれに解釈を与える

主体的な判断(推論)のコード化→ことわざ、迷信
仮説の実際の妥当性はさまざまであるが、この仮説的推論という操作は人間が自分のまわりの出来事を自分との関連で捉え、それを自分を中心とする秩序の中で位置づけようとする主体的な営みの基礎にあるもの

主体的に判断する「人間」という要素が導入されることによって、「コード」に定められた意味と当事者の意図する意味との間に緊張関係の生じる可能性ができる。当事者の意図する意味は新しい「コード」の提案として、既成の「コード」を脅かし、時にはそれを改変してしまうこともある

当事者が自らの主体的な判断に基づいて、あるものが別のあるものを表していると認定すれば、その瞬間にそのものは「記号」になる。このやり方で、人間は事実上すべてのものを「記号」にすることができる

記号表現(シニフィアン)=指示物>記号内容(シニフィエ)
ex. 記号表現:OPENという言葉  記号内容:店は営業中である  
シンボル的な「記号表現」としての規定だけを確実にしておけば、「記号内容」は十分その存在が暗示される。 ex.ナチの鈎十字

記号の機能 「意味づけする」「価値づける」

意味が記号内容の場合、指示物が記号内容の場合
固有名詞は指示物が中心 ex.新加勢大周
広告は指示物が意味に合わされる。

一般化した捉え方を定着させるのが「記号」である。「指示物」でなく「意味」を通例その「記号内容」とすることによって、問題となる対象なり事例は特定の空間、時間の制約から解き放たれる。

記号はその意味を通じてのいわば「虚の指示物」を創り出す。

イコン(類似性)ーインデックス(近接性)ーシンボル(無契的)
アイコン=類似性に基づく有契的記号  赤いボール→赤い丸形のプラスチック板
インデックス=近接性に基づく有契的記号 空間的近接(出口を→で表す) 時間的近接・因果関係(雨を黒雲で表す) 全体に対する部分(王を王冠で表す) 
シンボル=無契的記号 Aで赤いボールを表す

表示義(デノテーション) 文字通りのバラ
共示義(コノテーション) バラで「愛」を意味する


記号→文→テクスト
テクスト 統辞的単位間に何らかのつながりがあるもの
ミクロ的レベルのテクストのコード  ex. 接続詞、時制、法、相
恣意的
言語という記号体系がどれくらい「実の世界」への依存から解き放たれて、自らの「虚の世界」を自由に創り出す可能性を持つようになる。操作、創造が自由になされうるようになる。
ex. 時間的に継起した出来事を回想風に逆の順序で再構成、現実の出来事を非現実であるかのように見立てる、実際には因果関係などなかったところにそのような関係の存在を想定する

主体の意図は情報の連続性というテクスト構成の基本的な要件をも無効にするくらい強い

何か(What)を伝えたり、表したりするためにメッセージを作るということではなくて、いかに(How)メッセージを作るかということがテクスト生産者の意識の焦点となる場
Ex. 恋人に書く手紙

言語の実用的機能と美的機能 
美的機能=コードからの逸脱、解釈を迫る力
美シイ瞳ノ咲ク道
既存のコードに基づく解釈とコードを超えたメッセージの提案するコードの修正、この2つの間の緊張した「対立」を通じて重層的な意味作用(文学批評で言う「曖昧さ」の状態)が作り出される。コードとメッセージの緊張関係
新しい意味作用を生み出すきっかけとなるのは新しい「対立」の関係を創り出すということである
「美しい花が咲く」ということと「美しい瞳(の女の子)が現れる」ということ、既存のコードでは別の次元に属するものとして分類されている事項が、実は「対立」するものとして捉えられうるとメッセージは主張し、それに合うようにコードの修正を提案している。

「チチ」という語は「ハハ」と対立させる時、「ムスコ」と対立させられる時などによってそれぞれ違った価値を呈する。そして、基本的にはそのコードの中で「チチ」が対立しているすべての項との関係で生じうる価値の全体が「チチ」の記号内容を構成している→松岡正剛
コードに基づく意味作用では、対立する二項にとって基本的に重要なのは共通性よりも「差異」。新しい意味作用が新しい対立関係の設定によって起こる場合は、逆に差異よりも「共通性」が問われる。

主体が解釈を試みるという意思決定をしなければ「異化」はただのナンセンスとしてとどまるだけ。異化作用の「ふさわしさ」
ex. 芸術的な作品と対する場合によく感じる「そうでしかありえない」という印象、虚の世界が虚であるにも関わらず必然的であるというあの印象

自らを取りまく外界の対象や現象に対して自らとの関連という視点から意味づけを行い、コードという形で秩序化する、あるいは、コードに従ってメッセージを作り出したり読みとることによって、その秩序を修正したり、新しい秩序を創造したりする

人間が自らの主体的な判断に基づいて意味を読みとることによって「記号」化する、こういう過程を含めることによって「記号」と見なしうるものの範囲は事実上無限に拡がる。

「記号」としての文化的対象の「記号内容」は、それがその文化内で与えられている「文化的な価値」

「言語」の記号内容とは、「思想・感情の表現・伝達を機能とすること」言いかえれば、「言語」とは「記号として機能すること」
「言語」は「物言う記号」、多くの文化的対象は「物言わぬ記号」
人間はもともと「物言わぬ記号」を「物言う記号」に変えてしまう。 Ex. しゃもじ → 主婦連、草刈り鎌→革命

文化的対象の「記号」としての性格がもっとも明確な形で現れるのは、それが本来の表示義のレベルよりも共示義のレベルで機能するようになった場合 ex.弾く訳でもないピアノ、百科事典→余裕のある生活

文の構成原理「範列的」と「統辞的」

民話の統辞的構成 構成を見れば、みな同じ

2つの世界の対立自分たち=良い、他者=悪い →3つの世界 自分たちより相対的に良い他者、自分たち、自分たちより相対的に悪い他者

それぞれの世界の中で事が起こっている限りは、それはその世界の文化的コードに従ってのことであるから、予想されるような、それ故、新しくはない出来事である。それに対し、別の世界に入り込むということは、それが属していた世界にとっても、予想されなかった出来事であり、秩序を破ったということになる。このような出来事こそ物語るに値する出来事であり、物語はたいていそういう種類の出来事をめぐって展開する。

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2019年01月16日

Posted by ブクログ

記号論は言語学の一分野らしい。本書は専門用語も多く出てきて、教科書のよう。それもひとまず、一般的な言語の性質、機能を体系付けるためであって、本書ではとくに真新しいことを述べているわけではない。が、言語記号論を基本として、言語以外の文化などを記号論的に見るという視点を与えてくれた点はよかった。

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2010年09月25日

Posted by ブクログ

いま広範な学問・芸術領域から熱い視線を浴びている「記号論」。それは言語や文化の理解にどのような変革を迫っているのか―。ことわざや広告、ナンセンス詩など身近な日本語の表現を引きながらコミュニケーションのしくみに新しい光をあて、記号論の基本的な考え方を述べる

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2011年07月16日

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