尾脇秀和のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
名付け、改名、イエ制度、夫婦別姓。
名前にまつわる話は是か非かで語られることが多い。
そしてそれはあたかも日本の伝統であるかのように語られる。
しかし、驚くべきことに、かつては名前など大した問題ではなかった。
下女になったらみんな「よし」となったり、「てい」という名前は「てい」でも「てゐ」でも「てへ」でもいい、とされていたり。(70頁)一体どういうことなんだ?
それは、江戸時代には唯一絶対の正しい表記がないからだ。
また、例えば「静子」という名の「子」の字は名前の一部ではなく敬称だった。
なんと!!!!
氏名とは不思議なもので、名前の文字はこの字が優位つ絶対なのだ、と言うのはつい最近の決まりごとらしい。
明治、第二次大戦後、時代が降るごとに名前は固定化されてきた。
江戸時代のように、しょっちゅう改名する、と言うのはもはや現実的ではない。
かねてより関心のある夫婦別姓(選択制)について。
「氏」が血縁関係を示す「姓」ではない、とか、「父系血統」ではなく「苗字」という「家名」だ、とか、明治期の女性の婚姻後の「苗字」は政府の中でも揺れ動いていた。
だから姓の固定は「日本の伝統」などというのは全くの歴史誤認である。
歴史上の問題を加味すると、本書に示された名前の在り方、変遷は一度で理解するには複雑すぎる。
けれど、「時代を超えた"正しい形"や"正しい文化"など存在しない」(353頁)という繰り返される筆者の主張は耳を傾けるべきである。今を簡単に過去に当てはめてはいけない、それは正しく知ることにとって必要最低条件なのだ。
それを踏まえた上で正しく論じていきたいし、そういう社会である事を切望する。 -
Posted by ブクログ
登録して気付いたけど、筆者の『氏名の誕生』もすでに読んでいたみたい(笑)
自分の中で、女性の名前って、古典の世界でははっきり書かれていないもの、という感じがあって。
貴族においては、役職が名前代わりに用いられている、というくらいの認識だった。
現代のように、姓と名が固定化されるまでに、どんな流れがあったのかなという興味で手にとった。
なるほど、古くは「子」が女性を表すワードとして入れられていて。
それが、江戸時代になって二字の名前(に「お」を付けて呼ぶ)に変化していき。
明治時代になって名前の定義が変わる中で、「お」の代わりに「子」が再度脚光を浴びることになる。
生まれた時についた名が、自分の意志とは関係なく付け直され、更新されていくこととか。
識字率の低い時代は、自分の名前をどう書くかなんて知りようがなかったから、音で名前を認識していた=書類上の表記が複数出てくる場合があったこととか。
いろいろと知れて面白かった。
ライフステージに合わせて名前が変わっていくということを知ってはいるが、自分の本当の名前を知られないようにした、ということとはどう繋がるんだろう。
何をもって、本当の名前、なのか。 -
Posted by ブクログ
情報量が多くて整理しきれてないですが、江戸時代まで名前とは何を示すものであったのか、それが明治時代の「御一新」によって、どのように変わったのか、かなり分かりやすく書かれていると思います(情報量多すぎては、個人の判断です、笑)
『平家物語』なんかを読んでいると、源九郎判官義経とか今井四郎兼平とか、どこが名前なんかなと思わないこともない。
例に上がっている大隈重信も、「大隈八太郎菅原朝臣重信」と「名前+姓名」で表される。
まぁ、実際には用いられ方が決まっていて、それで相手の立場や身分も分かるし、敬意も表せるし、不自由なかったのだろうけど。
一般人的には急にルールが変わって、苗字がない人は付けなさいとか言われて、慌てて付けたら今日にまで引き継がれている……なんて。
(忠臣蔵籤引で決めたという荒技もかくや)
苗字を変えたくないという主張や、名前を変えたいという主張を、筆者の「集団の中で求められる「普通」という社会性と、行き過ぎた「個」「多様性」の主張との相剋」という言葉を当てはめるには、(特に「行き過ぎ」の部分に)疑問符を付ける。
個人が社会のシステムに対して声をあげるのは、決して楽なことではない。
それほどまで、名前の存在や由来は、人にとって大きな意味合いを持っているのだと言える。