あらすじ
江戸時代の女性名は現代とどう違ったのか?「お」の付く女性名はどこに消えたのか? 近代女性名の「子」とは何か? 何が今日の「夫婦別姓」論争を生み出したのか? アイデンティティとして名前に執着する現代の常識は、どのように生まれたのか?――男性名とは別物だった江戸時代の女性名が、明治期に男女共通の「氏名」となって現代の諸問題を抱えるまで、近代国民国家の形成、文字の読み書きや捺印、戦後改革など様々な事象を通して、日本人名文化の歴史的変遷を明らかにする。
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Posted by ブクログ
何でこんな読みにくい名前増えたんだっけ?という素朴な疑問からスタートして、色んな角度から、現代の名前について考察されている。
面白い!
名前の概念や価値観までも、時代によって変わります、そしてこれからも変わるでしょう、というのが感想です笑
夫婦別姓議論への違和感も記載されていて、かつての日本は夫婦別姓だったのか、という疑問そのものがナンセンスだと感じました。
勉強になる本です!
Posted by ブクログ
本書は、女性の名前を主題とし、近代の「氏名」誕生以前の江戸時代の女性名とはどんなものだったのかを明らかにした上で、その後の明治時代から現代までの「氏名」の文化の歴史的変遷を女性名に焦点を当てて整理している。
氏名をめぐる現代の常識が近代以降の僅かな歴史から持たず、江戸時代には全然異なる常識があったことなどを理解した。かなり目から鱗が落ちる、読む価値のある内容だった。
Posted by ブクログ
女性の名前、21世紀現在には氏名として確立したものは、古代からの歴史上で男性の名前とは異なる変遷をたどったことを、おもに江戸時代に用いられた女性名の検討から表記に用いる文字や身分の変更に伴うその不同一性が存在し、後世とは全く異なる名前に対する意識の差異があることを論ずる。そして明治以降国家により国民管理上の都合でつくられた個人の氏名が男女問わず前近代の人名から変質をきたし、人々がそれに対する執着を持つようになったことを示す。その明治の氏名の改革において、夫婦別姓のほうが明治政府権力の標榜する復古とされていたことからも氏名への拘りは時代により移ろうものだと知られる。
Posted by ブクログ
古代からの女性の名前が男性とは全く異なる変遷を辿ってきたは初めて知ることばかりで、勉強になった。
だが明治時代から国家が国民を管理する目的で氏名制度を作ったり、戦後決められた漢字の範囲内で名前を付けるよう強要してきた歴史には憤りを感じた。
近頃夫婦別姓の議論が再燃しているようだが、これも氏が家の名から個人の名という認識に世の中が変われば容認派も増えて家族の在り方も変わっていくのかも知れませんね。
因みに、明治30年代生まれの祖母の名は『くま』で、昭和10年生まれの母は『タケ子』です。
Posted by ブクログ
<目次>
第1章 江戸時代の女性名
第2章 識字と文字の迷宮
第3章 名付け・改名・通り名
第4章 人名の構造と修飾
第5章 明治の「氏」をどう扱うか?
第6章 「お」と「子」の盛衰
第7章 字形への執着
第8章 氏名の現代史
<内容>
『壱人両名』や『氏名の誕生』など、地道ながら庶民の歴史、それの背景にある幕府や政府の施策を説いてきた著者。今回は女性名の変遷である。我々の「氏名」は一生固定のものであると信じ切っている現代人にとって、江戸時代の名前にこだわりのなさ、その背景(文字を読めるかどうか?何のために名前をつけるのか?どこの範囲までで使っていたのか?など)を実例を豊富に上げながら解いていく。その地道な作業は頭が下がる。そして女性名に限らず、現代の「キラキラネーム」まで言及。おそらく「氏名史」はここで一時終了なのだろう。その背景が理解されない限り、江戸時代や明治初期の人々の感覚は理解できないだろう。やや難解に感じるのは、もともと当時の人々が一貫した考え方で名づけをしたわけではないからだろう。
Posted by ブクログ
本書は女性の名付け(あるいは改名)の特徴や仕組み、ルールとその変遷を丁寧に解説しており、大変興味深く読みました。著者の前著『氏名の誕生』と合わせて読めば理解も一層深まります。
長年議論されている選択的夫婦別姓に関して、明治時代に近代氏名が成立してから百数十年、夫婦同姓の歴史はさほど長くないけど、夫婦別姓だった時代はほとんどない(明治以前は「姓」の意味が異なるので同一に考えるべきではない)。戦後、家制度が消滅したことで「氏」への意識が変化する。夫婦同姓を維持するのか、選択的夫婦別姓を導入するのか、昔がどうだったとかあれこれ言うよりも、今の人々、未来の人々にとっての「姓」のあり方をもっと議論すべきなんだろうなあ。
Posted by ブクログ
名付け、改名、イエ制度、夫婦別姓。
名前にまつわる話は是か非かで語られることが多い。
そしてそれはあたかも日本の伝統であるかのように語られる。
しかし、驚くべきことに、かつては名前など大した問題ではなかった。
下女になったらみんな「よし」となったり、「てい」という名前は「てい」でも「てゐ」でも「てへ」でもいい、とされていたり。(70頁)一体どういうことなんだ?
それは、江戸時代には唯一絶対の正しい表記がないからだ。
また、例えば「静子」という名の「子」の字は名前の一部ではなく敬称だった。
なんと!!!!
氏名とは不思議なもので、名前の文字はこの字が優位つ絶対なのだ、と言うのはつい最近の決まりごとらしい。
明治、第二次大戦後、時代が降るごとに名前は固定化されてきた。
江戸時代のように、しょっちゅう改名する、と言うのはもはや現実的ではない。
かねてより関心のある夫婦別姓(選択制)について。
「氏」が血縁関係を示す「姓」ではない、とか、「父系血統」ではなく「苗字」という「家名」だ、とか、明治期の女性の婚姻後の「苗字」は政府の中でも揺れ動いていた。
だから姓の固定は「日本の伝統」などというのは全くの歴史誤認である。
歴史上の問題を加味すると、本書に示された名前の在り方、変遷は一度で理解するには複雑すぎる。
けれど、「時代を超えた"正しい形"や"正しい文化"など存在しない」(353頁)という繰り返される筆者の主張は耳を傾けるべきである。今を簡単に過去に当てはめてはいけない、それは正しく知ることにとって必要最低条件なのだ。
それを踏まえた上で正しく論じていきたいし、そういう社会である事を切望する。