ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
4pt
私たちが使う「氏名」の形は昔からの伝統だと思われがちだが、約150年前、明治新政府によって創出されたものだ。その背景には幕府と朝廷との人名をめぐる認識の齟齬があった。江戸時代、人名には身分を表示する役割があったが、王政復古を機に予期せぬ形で大混乱の末に破綻。さらに新政府による場当たり的対応の果てに「氏名」が生まれ、それは国民管理のための道具へと変貌していく。気鋭の歴史研究者が、「氏名」誕生の歴史から、近世・近代移行期の実像を活写する。
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
江戸時代、近世の日本の名前について。常識を破壊する内容だし、学術論文ベースなのにミステリーのようなつくりになっているからグイグイ読ませる。 名前のお尻の人名符号は本来の排行の意味を失っており、三男でなくても三郎がいたり。 各人の名前は原則としてその時名乗っている一つだけ。経時的に変化していく。名は体...続きを読むを表し、名前でなんとなく相手の身分などがわかり、社会的な地位を相手に知らせる役割を持っていた。従四位下の侍従以上の官名は苗字とは組み合わされず、その大名の領国の地名と接続して用いられ、だから尾張大納言や加賀宰相といった呼び方になる。信濃守のような官名も「名前」だった。当主が許されて「松平」などを名乗ったが、これは個人に対して個別になされるので、嫡子も個別に許可されない限りは、たとえば鍋島だった。これは羽柴の例も同じか?さらには疑似官名、東百官のように音だけそれっぽいものなども使われた。 名乗は実名、諱とも呼ばれるが、名前とは別で、青山下野守忠裕などと名乗ったり呼ばれることはなかった。丁寧な書状で、名前の後に名乗書判として花押の上に据えられた。機能が違い、別に名乗で呼ぶのが失礼といった意識によるものでもなかった。一字名乗の例外もあるが、基本的には父字と母字の2字で、一字は通字で、もう一字は江戸時代以降は反切・帰納といった韻学と呼ばれる専門知に基づいて決めた。 武家や一般では、「本姓」に「名乗」が接続して「姓名」を構成した。たとえば名前が松平大隅守、名乗が斉興、本姓が源なら、源斉興という姓名になる。これは人生で一度くらい必要になる「設定」。一方で姓や氏ともいう苗字は通称と接続して名前を構成する。庶民一般は苗字は自ら名乗るでなく宛名として使用されることが多かった。 朝廷では苗字は「称号」で、違う認識がもたれていた。五位に叙せられることを叙爵と呼び、それ以下とは明確に線が引かれていた。四位になると敬称(名乗朝臣)で呼ばれ、従三位以上は公卿となる。三位以上は名前として使用されることもあった。武家官位は員外の官で定員制限がなかったが、公家の官位は定員を厳守した。古代に氏と呼ばれたものが姓や本姓と呼ばれるもので、源や藤原など。これに付して氏族の社会的地位や序列を示すものが姓(かばね)で、江戸時代は尸と書かれた。武家でいう名乗が実名とされ、公家はこれも個人の識別のために日常で用いていた。なので朝廷においては姓名が名で、武家や一般の名前は名ではないという考えがあった。そして形骸化した官名と実際の職名の矛盾が、幕末に向けて「なぜ征夷大将軍が日本を統治しているのか、名実が一致していない」という潮流を生み出した。 幕末に朝廷の常識を押し通そうとした旧公家勢力による様々な混乱を経て、明治2年頃に実名を通称に用いる者が出始めた。これは官名が使えなくなり百官も廃止された中で、庶民よりも各が上であることを示すため、庶民が設定していない実名を用いたのであった。そして職員令で実体をともなっていない姓名を把握しようとする政府に対し、通称を実名としたり、姓尸がわからない人間が省略して回答することがあった。明治4年に旧公家勢力が退場してやっと姓氏実名から苗字実名へと変更された。明治5年の布告で実名と通称が統合され、名という新しい概念が生まれた。この名に苗字を接続したのが現在の氏名で、明治5年5月7日に創始された。この変化は庶民には関係ないものだったが、徴兵制が敷かれてから利便性のため明治8年に苗字が強制された。なお夫婦同姓が定められたのは明治31年。 歴史教科書などは名前がちゃんぽんで、それ自体は致し方ないことだが、本書で書かれた認識を持っていないと誤解してしまう。本書から学んだことを踏まえると、織田信長は若いころ、織田上総介が名前で、平朝臣信長が姓名だったわけだな。
一度読むだけでは全て理解するのは難しいけれど、近世から近代にかけての氏名の成り立ちを知る上ではコンパクトにまとまった書籍だと思う。 『氏名の誕生』を読む前に、『壱人両名』を読んでおくことをオススメする。
歴史が苦手なので読み切れるか、理解できるか心配だったが、読んでみると知らないことがいっぱいで面白く読めた。 手に取ったきっかけは多分、選択的夫婦別姓について考えるため、だったような気がするが、江戸時代も明治の初めも、人と言えば男性か、みたいな感じなのか女性については、ちょこっと最後の方で触れられてた...続きを読むだけだった。 同じ著者で『女の氏名誕生』というのがあるみたいなので、そちらの方が良かったか。 あと、本書でそこを知りたいと思った、江戸時代の人が複数の名前を使い分けをしていた事情はやはり同じ著者の『壱人両名』を読むように勧められているので、それも読みたくなった。
江戸時代の公家・武家・庶民の名前について理解するための好著。ある程度は知っていても細かいところはわかっていなかったのでこの本は大変参考になる。まだざっと読んだだけなので「名乗り」とか「姓名」等々現在の感覚とは違う用語をちゃんと理解した上でもう一度読む必要はありそうだ。 ただし、古代については著者の理...続きを読む解が行き届いていないようにも感じられる「位階は平安時代に定められた」とか「平安時代(大宝元年〔七〇一〕)制定」とかあきらかな誤りも見受けられる。本姓&名についても当初は現代に通じる氏名と同様だったはず。その辺についてももう少し触れてほしかった。
とても勉強になった。 本書に書かれた名前の前提を知らないと、明治維新は理解できないのではないか。 詳細は同じ著者の「壱人両名」に書かれているようだが、同一人物が複数の身分、職業、名前を使い分けることが許容されるとはと、江戸時代の社会の柔軟さに驚いた。 傍筋となるが、当時の既婚女性の姓は場面によ...続きを読むり実家と夫のものをこちらも柔軟に使い分けていたらしく、どちらかに統一することになるのは明治民法以降と知ると、夫婦別姓問題も見え方が変わる。 しかし現代というのはがんじがらめで生きづらい世の中だと思ってしまう。
久しぶりに「そういうことだったのか!」と目から鱗がポロポロ落ちる快感を得られた。江戸時代の人物の名前について、なんとなく「なぜコロコロと変わるんだろう」「やけに~兵衛や~衛門が多いな」と思ってた疑問がすべて解けた。 本書は「名前」にまつわるこの難解で複雑な状況を丁寧に説明してくれる。そのため新書にし...続きを読むてはややボリュームが大きめだが、その分具体例が多くて理解しやすいし、後ろの章で何度も前の章のサマリを繰り返してくれるのでいちいち戻って読み直す必要がなくてありがたかった。 当時の「名前」の考え方は現代とはまったく異なる。そこで「現代から見た当時の常識」といった目線だと退屈な教科書のようになりがちだが、本書は逆に当時の人々の目線を大事にして説明してくれているので、物語としての面白さを感じながら読むことができた。
江戸時代以降の人名の変遷をまとめたもの。 名前でも氏名でもなく、人名と書いたのにも理由があって、名前、氏名は本書内で定義づけされた言葉なので、混ざって使うと混乱をきたすから。 江戸時代と明治以降で人名の取扱いが変わる上、武士・庶民と朝廷でも扱いが違うおかげで、本書はとても読みにくい。節立ても論旨展...続きを読む開も掴みにくいが、内容は概ね理解できたと思う。 明治維新を経て、人名に対する考え方が大きく変わった。自分の氏名というものが、つい最近、国の事情で決められた制度で、それ以前は全く異なるものだった。 敷衍すれば、今議論されている夫婦別姓論だって、こういった歴史を勉強すれば、前に進めることになる気がする。
非常に興味深く読みました。江戸時代の名前の常識が現在と全く異なることや、明治初年の氏名をめぐるドタバタ劇、苗字公称の認可が国民国家の創設と関連していたことなど、知らなかったことがたくさんありました。 瑣末な点ですが、大宝律令制定(701年)はさすがに平安時代ではない…
自分の名前を自由に名乗っていた江戸時代から親に与えられた名前を変えることなく過ごす現代への名前の歴史を学ぶことが出来た。他人を呼ぶ時に気軽に呼ぶ名前がこの形になるまでに幾度となくもみくちゃにされてきたのだとしると自分の名前も深い歴史の元に生まれてきたのだなぁと感心した。
<目次> プロローグ 人名の常識をめぐって 第1章 「名前」の一般常識 第2章 「名前」にあらざる「姓名」 第3章 古代を夢見る常識 第4章 揺らぐ常識 第5章 王政復古のはじまり 第6章 名を正した結末 第7章 「氏名」と国民管理 エピローグ 人名のゆくえ <内容> ...続きを読む2年前に『壱人両名』(NHK生活新書)の著者が、幕末から明治初めの「氏名」をめぐる混乱を解きながら、われわれの知る「氏名」はたかだか明治初めに始まっただけであり、それ以前(江戸時代)は、武家と庶民と朝廷(貴族)では、この捉え方が全く違っていて、揃える気などさらさらなく、それで通っていたこと。そこには『壱人両名』の使い方があったこと(武士や庶民)。明治になり(正確には「王政復古の大号令」以降)、朝廷(貴族)の常識を日本全体に振りかざしたが、混乱が生じ、殊に軍隊は、その混乱のままでは困るところだったので、現在のシステムが生まれ、庶民に押し付け、そのままになっている状況がよく分かった。こういう生活史は研究も少なく、なかなか把握できない。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
氏名の誕生 ――江戸時代の名前はなぜ消えたのか
新刊情報をお知らせします。
尾脇秀和
フォロー機能について
「ちくま新書」の最新刊一覧へ
「学術・語学」無料一覧へ
「学術・語学」ランキングの一覧へ
壱人両名 江戸日本の知られざる二重身分
お白洲から見る江戸時代 「身分の上下」はどう可視化されたか
女の氏名誕生 ――人名へのこだわりはいかにして生まれたのか
「尾脇秀和」のこれもおすすめ一覧へ
一覧 >>
▲氏名の誕生 ――江戸時代の名前はなぜ消えたのか ページトップヘ