小林美也子のレビュー一覧
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三幕構成の指南書
映画の脚本に関しての指南書です。
主に三幕構成についてを紹介しており、映画のみならず、小説等にも適用可能かと思います。
とにかく構成の基礎を知りたいという方におすすめでしょうか。多少くどいと言いますか、同じ話を何度も繰り返す部分もありますが、大事なことは学べるように感じます。
うまく書けない場合に対する励ましのようなメッセージもあり、創作への心構えも一部載せられています。それらも参考になるでしょう。 -
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脚本術、と銘打っているけれども、小説の創作にも使えますね。新人賞の講評なんかでもさらっと「三幕構成」とか当たり前の用語みたいに出てくるときがあるんですけど、その三幕構成を理論化した名著です。
豊富な実例を挙げつつ、丁寧に物語の構成を組み上げていく方法を示してくれます。具体的な目安を教えてくれつつも、「でも規則にがんじがらめにするんじゃなくていいんだよ」ということも伝えてくれるあたり、柔軟性があります。「こういうケースもある」というのを具体的に挙げてくれたり、「こういうことでパニックになる人もいるけれど、大丈夫」ということを教えてくれるので、がちがちに型にはめられずに学んでいけるのがすごくいいなあ、と思いました。 -
Posted by ブクログ
アイデアを具体化し、ドラマにするためには、主題(テーマ)が必要である。主題とは、アクション(行動)とキャラクターを意味する
アクションとは、どんな行動に関するストーリーであるのか
キャラクターとは、誰に関するストーリーなのか
主題
アクション 身体/感情
キャラクター 必要性の決定/アクションこそキャラクター
アクションとキャラクターに関して、一、二行にまとめて書いてみる
人生とは、アクション(行動)からなり、その終わりもまたアクション(行動)の一形態であり、質の変化ではない(アリストテレス「詩学」)
全ての主要登場人物は、強烈なドラマ上の欲求も持っている
ドラマ上の欲求とは、脚本の中で、その人物が手に入れたい、成し遂げたいと思っていることである
よい登場人物を作るための、4つの絶対不可欠な要素
①登場人物は強力ではっきりした"ドラマ上の欲求”を持っていること
②その人個人独自の考え方、ものの見方を持っていること
③あるものに対する態度を体現していること
④何かしらの変化や変身を遂げること
会話の目的
①会話によってストーリーが前に進む
②主要登場人物の情報を明らかにしていく
この順番で考える
①エンディング
②オープニング
③プロットポイントⅠ
④プロットポイントⅡ
オープニングに関する大切な6つのルール
①動きの中でストーリーを運んでいるか?
②登場人物が明確に紹介されているか?
③ドラマ上の前提が設定されているか?
④状況を作り上げているか?
⑤登場人物が直面し、乗り越える障害を作っているか?
⑥登場人物の「ドラマ上の欲求」が何かを述べているか?
インサイティング・インシデント(誘引する事件)
1ページ目の最初の言葉から、ストーリーを進めていく道具として使われている
「事件」によってストーリーが動かされる
観客と読み手の注意を掴む
キー・インシデント(鍵となる事件)
インサイティング・インシデントによって生み出される
プロット・ポイントⅠで起こる
インサイティング・インシデントは、この事件が起こることで登場人物が初めて投げ込まれ、ストーリーが動き出すのであるが、それはあくまでもきっかけの出来事に過ぎない。キー・インシデントこそが本質であり、本当のストーリーが始まる
プロットポイントでは、人物の感情面と身体面のアクションによって引き起こされる。外面の出来事が、人物の内面に影響を与え、その人物の感情の動きによって、脚本が一つ上のレベルに移行する
正反合
正しい行いによって、ヒーローになる
シーンの目的
①ストーリーを前に転がすこと
②人物についての情報を明らかにしていくこと
一つのシーンでは、ストーリーに関する情報を一つ明らかにするのが原則
シーンの2つの種類
①視覚的に何かが起こる
②会話シーン
シーンの目的を設定し、その上で場所と時を設定していく。次にシーンの文脈を設定し、内容を決めていく。シーン内で使える構成要素を見つけ、効果的に使っていく
コメディでは、おもしろおかしく演技するのは最悪なこと。コメディでも、ドラマと同様に、リアルな状況の中での、リアルな登場人物たちを必要とする
シーンの場所
シーンは、文脈を作り、その中で内容を組み立てていくことで作っていく
シーンの目的、意義を考え、その上で「時」と「場所」を設定する
ドラマを動かす、内的・外的葛藤を作り出すための、シーン内にある構成要素を見つける
ドラマとは葛藤である。それを見つけるのだ
ストーリーは常に前に進んでいく
少しずつ、シーン毎に解決に向かって、転がっていく
そのシーンの目的は何か?
その存在意義は?
ストーリーを展開させているか?
シーン内で何が起きているか?
そのシーンに人物が登場するまで、彼らはどこにいたのか?
そのシーンの間、どのような感情の動きが人物たちにあるのか?
その感情の動きは、シーンの意味にどれだけ関係してくるのか?
なぜ、その人物がシーンに必要なのか?
シーンの目的が何か?
人物のアクション、会話がどのようにストーリー全体と関係してくるのか?
シークエンスとは、一つの共通な目的に向かっていく、"発端""中盤""結末"という明確な形を持ったシーンの集合体
シークエンスを、葛藤・矛盾によって組み立てる
脚本を組み立てる作業と、実際に脚本を書いていくということが全く別のものであるということを理解する
カードを使って、脚本を組み立てる
リアクションだけでは駄目。人物の本質はアクション。受け身な主人公がアクションを決意する=プロットポイント1
よい脚本は、1ページ目の一文字目から状況設定ができている
会話の意義
①ストーリーを前に転がす
②人物についての情報を明らかにしていく
③観客と、必要な知識や情報を共有する
④人物同士の関係を組み立てる。関係がリアルで、自然で、現実味を帯びているようにする
⑤人物に深みと心、そして存在意義を与える
⑥ストーリーと人物の葛藤を明らかにする
⑦人物の心情を明らかにする
⑧人物のアクションを説明する
シーンのアクションを、"発端""中盤""結末"に分ける
・シーンの意義は何か?
・人物はどこから登場するのか?
・その人物の、このシーンでの目的は何か? -
Posted by ブクログ
ネタバレ■第1章 すべては白紙から始まる
第一稿を読んで、この脚本には二つのストーリーが存在していると私は思った。一つは、大けがを克服して人生を取り戻す母親の話。もう一つは、重大な決断を迫られるが、自らの決断で困難を乗り越え、男性への恐怖心も克服し、母親とのぎくしゃくした関係も修復する娘の話だ。
つまりこの脚本は、一つのストーリーから始まり、別のストーリーで終わっているわけだ。よくあることだが疑問が残る。いったいこれは母親の話なのか? それとも二人の話なのか?
彼女自身にもそれがわかっていなかった。長年の経験から、私にはこんなモットーがあった。どうしていいかわからなくなったら、しばらく引いてみる。〝迷ったら何もするな〟である。はっきりと視点が定まるまで、数週間脚本から離れてみたらいい、と私は助言した。ここで問題なのは、脚本の質でも、せりふでも、登場人物の深みや厚みでもなかった。ただ、脚本家がどんなストーリーを書きたいかなのだ。この脚本の場合、ストーリーの中心を母親から娘に変えたために、ドラマの意図もテーマも変わってしまった。作品の良し悪しや、何が正しく何が間違っているかではなく、何のストーリーを書きたいかをはっきりさせることが重要なのだ、と私は彼女に説明した。
脚本術のワークショップで、私はいつも受講生に同じ質問をする。「何についてのストーリーを書いているのか?」。すると、「いとこ同士のラブストーリーです」とか、「二〇世紀初頭、ボストンに住むアイルランド人一家の話です」とか、「近所の学校が閉鎖になって自ら学校を建てる親たちの話です」といった答えが返ってくる。
こんなふうに答えが漠然としている場合には、こんな助言をする。アイデアをもっと深く掘り下げ、書きたいストーリーを自分らしく表現するにはどうしたらいいか考えなさい。これは実際に家やってみると、そんなに容易なことではない。もっと具体的にしなさいと繰り返し要求すると、受講生は苦しむ。だがそうしてくうちに、誰の、何についてのストーリーなのかが明確になってくる。それがテーマであり、脚本家の出発点である。
■第2章 脚本の構成とは何か?
■第3章 パラダイムを知る
映画の脚本は特殊だ。映像で語るストーリーが会話とト書きで表現され、そのストーリーはドラマの構成――発端・中盤・結末――という文脈(コンテクスト)の中で一本の線として進展していく。文脈とは、中身――シーン・シークエンス・アクション・会話・登場人物などストーリーを構成するもの――を収めておく「空間」のようなものであり、中身は変化しても文脈は変化しない。
構成とは形である。
「脚本とは、一に構成、二に構成、三四はなくて、五に構成」とウィリアム・ゴールドマンは言っている。建物の構造を具体的に見るために建築家が模型を作るように、脚本家は構成を見るためにパラダイム(脚本の見取り図)を作る。パラダイムとは、「アイデアを具体的に見るための枠組み/モデル」であり、ストーリーを書き、脚本を書くプロセスの指針となるロードマップなのである。
■第4章 四ページであらすじを書く
どんなストーリーなのか、〝何〟についての、〝誰〟のストーリーなのか? 数行で言えるだろうか。これは私がワークショップやセミナーで口をすっぱくして言うことだ。
「自分で自分のストーリーを把握していなければ、他人にわかるわけがない」
■第5章 魅力的なキャラクターを作る
魅力的な登場人物をつくるには何が必要なのだろうか?
登場人物の目的や動機だろうか。登場人物の話す言葉なのか、鋭い洞察力や知性、もしくは誠実さや真実味だろうか。それとも、目的を達成するためにどんな行動をするかなのか。どういう特徴があると、観客は興味を抱き続けるのだろう?
人間の人生は行動によって測られるという。アリストテレスは言っている。「人生とは行動でできている。人生の終わりも一つの行動であり、状態の変化ではない」と。
キャラクター(人物像)とは何か。
キャラクターを形成するのはアクション(行動)だ。何を言ったかではなく、何をしたかである。
脚本では、キャラクターがアクションを決めるか、もしくはアクションによってキャラクターが決まる。
イギリスの劇作家ハロルド・ピンターは述べている。「登場人物を創造する時、登場人物は作り主であるあなたを注意深く観察しているものだ。何をバカなことを! と思うかもしれない。けれど、私は登場人物から二種類の苦痛を被ってきた。一つは登場人物をゆがめたり、裏切ったりする時に感じる苦痛だ。そしてもう一つは、登場人物の核心部に近づけず、彼らが私を避けて陰に引っ込んでしまう時に感じる苦痛である」。
「作家と登場人物の間には必ず衝突が起こる。その場合、たいてい勝利を収めるのは登場人物であり、またそうあるべきだと思う。もし作家が登場人物を自分の思い通りの型にはめようとし、完全に彼らを支配してしまったら、登場人物は精彩を欠き、生き生きとしなくなるだろう」
では、魅力的な登場人物を作るのに不可欠な要素は何か。それはこの四つである。
1.明確で強い〝ドラマ上の欲求〟があること
2.独自の〝考え方、ものの見方〟を持っていること
3.〝態度や意見〟を表していること
4.〝変化すること〟
この四つがそろえば、魅力的な登場人物を生み出すことができる。最初の〝ドラマ上の欲求〟とは、〝脚本の中で、主人公が手に入れたい、成し遂げたいと思っていること〟である。つまり主人公を動かす力、目的、動機だ。
ドラマ上の欲求は、シンプルに数行で表現できる。ちょっとした会話や行動でも表すことができる。どう表現するかは自分次第だが、まずは主人公のドラマ上の欲求をはっきりと把握しなさい。あなたにわからなければ、ほかの誰にもわかるわけがない。
<中略>
ドラマ上の欲求は、時にはストーリーの途中で変化することもある。変化するのはたいていプロットポイントⅠだ。プロットポイントⅠはストーリーの本当の始まりだからである。『アメリカン・ビューティー』(アラン・ボール)のレスター(ケヴィン・スペイシー)は死んだような生活を送っているが、娘の友人アンジェラに恋をして目を覚まし、もう一度自分の人生を取り戻したいと思うようになる。これが、プロットポイントⅠ以降の、ドラマ上の欲求となる。
ドラマ上の欲求は、登場人物をストーリーの中で動かすエンジンのようなものだ。だから、ドラマ上の欲求をはっきりと把握していることは、とても重要である。あなたの登場人物のドラマ上の欲求は何か、数行で簡潔に言い表せるか。『帰郷』でアカデミー脚本賞を受賞したウォルド・ソルトは言っていた。登場人物をつくるには、まずドラマ上の欲求を考える。この欲求こそがストーリーの構成を生み出す力になるのだ、と。
さらにはこんなことも言っていた。登場人物のドラマ上の欲求さえわかっていれば、せりふなどは「どうにでもなる」と。なぜなら欲求さえ明確になっていれば、せりふは俳優がアドリブで言うことだってできるのだから。けれどドラマ上の欲求だけは、絶対に変えることはできない。それはドラマ上の欲求が、ストーリー全体を支える重要な要素だからだ。脚本というのは、実際に書く段階はさほど大変ではない。本当に大変なのは、コンセプトを考える段階である。ソルトはピカソの言葉を引用してこうも言った。「芸術とは、必要のないものを削ぎ落とすことだ」と。
魅力的な登場人物を作るのに不可欠な二つ目の要素は、〝考え方、ものの見方〟である。ものの見方とは、「世の中をどう見るか」(=世界観)である。人間は誰でも独自の世界観を持つ。何を信じているのかは人それぞれだが、自分が真実だと思うことが、その人にとっての真実となる。実際、頭の中にあること――考え・感情・記憶――が、日々の経験に大きな影響を与えるし、どういうものの見方をするかによって、毎日の経験は左右されている。
三番目の要素は、〝態度〟である。態度とは、意見の表れでありふるまいだ。態度はものの見方と違って、知的に下した個人的な判断である。たとえば、正しいか間違っているか、よいか悪いか。どちらが優れ、どちらが劣っているか。リベラル化保守的か。
態度は行動に表れる。たとえば「常に自分が正しい」と思っている人間特有の態度もあるし、男らしさを誇示する「マッチョ」も一つの態度である。政治に対する意見をはっきりと口にするのも態度であるし、ラップやスポーツでの挑発的な態度も一例だ。
<中略>
態度とものの見方が区別しにくいと感じる時もあるかもしれない。私のセミナーでもそこで悩む受講生がいる。だが、それはあまり気にしなくてよい。どちらが態度で、どちらがものの見方かを明確に分けられなくても心配はいらない。四つの要素を抽出していれば、登場人物の核心部を創造していることになる。部分と全体は、同じものだ。意識の中で分けてさえいれば、それで構わない。
四番目の要素は、登場人物の〝変化〟だ。登場人物は脚本の中で変化しただろうか? 変化したとすれば、どんな変化か。はっきりと言い表せるか。登場人物の感情の変化をたどれるか。『好きと言えなくて』(オードリー・ウェルズ)の登場人物は、二人とも変化し、自分の新たな面に気づいていく。あるがままの自分を愛してくれる人を受け入れ、アビーは変化を遂げるのだ。
■第6章 人物に奥行きを与える
■第7章 葛藤とCircle of Being(トラウマを引き起こす事件)
脚本を書いている最中にかならず心に留めておくべきこと、それは「ドラマはすべて葛藤だ」ということだ。だがそれを忘れてしまう脚本家は多い。ストーリーを語るには、単にチェスの駒のように登場人物を動かせばいいと思い、葛藤に注目するのを忘れてしまう。
それではいけない。葛藤はとても重要なのだ。では、なぜ重要なのか?
なぜなら、葛藤はストーリーにリズムや緊張感を生み出し、読み手や観客をハラハラドキドキさせるからだ。映画は現実の人生よりもずっとスケールが大きいので、読み手や観客の関心をしっかりと引き付けておくことが肝心となる。それには葛藤が必要なのだ。
〝葛藤〟とは「対立」という意味であり、葛藤があるために「登場人物やアクションの間で対立が起き、それがプロットを動かす」。では、葛藤を生み出すには何が必要か? それにはまず、登場人物にはっきりしたドラマ上の欲求がなくてはならない。その欲求や目的の達成を邪魔する障害を作ると葛藤が生まれ、登場人物は何とか目的を達成しようと努力し、障害を乗り越えていく。登場人物が強烈な価値観を持つ人間である場合には、相反する価値観を持つ登場人物を作ると、両者の間に葛藤が生まれる。葛藤には物理的な葛藤と精神的な葛藤があり、どちらも重要である。
登場人物を、パイのような円形(circle)だと仮定しよう。その一切れ一切れ(piece)は、人格形成に影響を与える出来事であり、そういった事件や出来事が集まって一つの円(一人の人格)が形成される。これを私はCircle of Being(CB)と呼んでいる。どんな出来事が、精神的・社会的・政治的・神秘的・知的トラウマを起こし、登場人物の人格にどんな影響を与えたのかを考えてみると、人物像に深みや陰影が出る。
■第8章 時間と記憶
■第9章 第一幕を構成する
■第10章 最初の一〇ページ
■第11章 次の一〇ページ、その次の一〇ページ
さあ、これで最初の二〇ページが完成した。次は三番目の一〇ページだ。つまりプロットポイントⅠである。第一幕終わりのプロットポイントⅠはどんなものになるか? 例を挙げてみよう。『テルマ&ルイーズ』では、駐車場でレイプしようとしているハーランをルイーズが射殺するというドラマチックなシーンになっている。『ショーシャンクの空に』では、アンディがレッドにロックハンマーを調達して欲しいと頼む会話のシーンだ。『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』では、フロドとサムが指輪を滅びの山まで運ぶために村を出る、というシンプルなシーンになっている。もちろんあなたは、自分のプロットポイントⅠがどんなシーンになっているかわかっているはずだ。すでに結末・発端・プロットポイントⅠ・プロットポイントⅡは、パラダイム(見取り図)を書く際に明確にし、構成されているはずだから。
けれども現実には、プロットポイントは書くうちに変わることもある。パラダイムの構成は、ガチガチに固定するものではなく、風に吹かれても折れずにしなり木のように柔軟性のあるものだ。プロットポイントが前後に移動することはよくある。だから、最初に決めたプロットポイントを、何が何でも守ろうなどと考えなくてよい。プロとポイントを変更したほうが、ストーリーがうまく機能すると思えば、変えてよいのだ。
■第12章 ミッドポイントを探す
■第13章 前半と後半
第二幕で試行錯誤しながらシーンを並べていると、新しいシーンを思いついたり、突然新たな登場人物が浮ぶことがある。そんな時は、脚本はプロセスだと信じて試してみることだ。自分の直感を信じて、書いてみること。ずっと昔に決めたことなどにこだわる必要はない。
事件が起きれば、登場人物は変わり、事態は変わる。
考えるべきことは一つ。それでうまくいくかどうか? うまくいけば使えばいいし、いかなければやめればいい。面白いアイデアや方向が浮かんだら、とにかく書いてみなさい。うまくいくかどうか、試してみるのだ。
■第14章 第二幕を書く
それでは最初に、第二幕のオープニングシーンを考えてみよう。あなたはすでに、登場人物の明確なドラマ上の欲求を把握しているね。
では、どこからシーンに入ったらいいか。鉄則は「遅く入って、早く出ること」。要するにそのシーン中最大の「新情報の提示」こそシーンの核心部である。この新情報によって、ストーリーは前進し、主人公についての情報がさらに明らかになる。要するに、どのシーンにも、一つの「特ダネ」が必要なのだ。あなたは各シーンの特ダネと目的、主人公はどこから来てどこへ行こうとしているか、はっきりと把握しているだろうか。各シーンの葛藤は何か。精神的葛藤か。物理的葛藤か。どんな障害が主人公の行く手を阻むのか。
さあ、坐って描き始める時が来た。
題材の準備は万端のはずだ。
プロットポイントⅠから始めて、ミッドポイントに進みなさい。ピンチⅠを念頭に置きながら、一〇ページ単位で書きなさい。葛藤に焦点を当てなさい。主人公のドラマ上の欲求がわかれば、ストーリーに必要な障害を作り出すことができる。またストーリーも、障害を克服して目的を達成しようとする主人公に合ったものになる。シーンを書いていて行き詰まったら、逆の視点から考えてみるといい。たとえば、同じシーンを別の登場人物の視点から書き、そのあとで、もう一度主人公の立場から書いてみる。主人公が、主役を射止めたいと狙って本読みをしている女優志望だとすれば、彼女は主役にふさわしくないと思っている監督を登場させることだ。その役とはタイプが違うだとか、力不足だとか、あれこれ理屈をこねて彼女を相応しくないと考える監督を登場させるとよい。そうすれば、この役は自分にふさわしいと彼女が監督を説得するシーンが生まれるはずだ。
ストーリーに必要な葛藤は、こんなふうに作ることができるのである。
■第15章 「解決」を書く
■第16章 推敲を重ねる
書き直しで最初にすべきことは、自分が何を書いたかをはっきりと理解することだ。ここまで時間が経っていると、第一幕で自分が何を書いたかはっきり思い出せなくなっている可能性もある。パラダイムの中にいる時は、パラダイムが見えないものだ。自分が書いたものに対して、客観的な視点もないし、全体像も見えていないから。
つまり、この時点で全体を客観的に見ることが重要なのだ。主観的な好き嫌いはさておき、客観的な目で自分の脚本を読んでみなさい。
それにはまず、最初から最後まで一気に読んでみる。鉛筆やメモ用紙はしまい、パソコンは切っておく。読みながらメモは取ってはいけない。とにかく一気に読むことによって、客観性が生まれる。
一気に読み終えたら、次なるプロセスは三つのレポートを書くことだ。思うがままに自由に、この三つのレポートを書くことで、客観的に全体像を眺めることができるはずだ。各レポートに必要なのは数ページ。重要なのは、自分が感じるままに自然に書くこと。期待することに合わせようと思って書いたりしてはいけない。
最初のレポートは、次の質問について書く。〝もともと自分が魅力を感じたアイデアは何だったか?〟そもそもこの脚本を書こうと思った魅力的なアイデアとは、何だったか。面白いと感じた主人公のおかれた状況、ドラマの前提は何だったか、をもう一度考えてみなさい。必要なら目を閉じて、最初にこのストーリーを書きたいと思った時のことを、思い出してみなさい。はじめてインスピレーションを感じた時を、思い出すのだ。
第二のレポートは、次の質問について別紙に書く。最終的にどんなストーリーを書いたのか? こんなストーリーを書こうと思って始めたが、いろいろ変えていくうちに、仕上がったストーリーは別物になっていたということはよくある。<中略>執筆の途中でだんだんと別物になっていくことは、よくあることなのだ。だから〝最初は何を書こうと思っていたか、そして結局何を書いたか〟についてよく考えてみなさい。
そして、第二のレポートとして、何について書いたかについて一、二ページで自由に書いて見なさい。
最後は第三のレポートである。新しい紙に次の質問について書きなさい。〝最終的に書いたものを、元々書きたかったものに変えるにはどこを変えたらいいか?〟たとえばアクションアドベンチャーをテーマにしたラブストーリーを書くつもりが、最終的にはラブストーリー仕立てのアクションアドベンチャーになっていたとする。もとに戻すには、いくつか変更しなければいけない要素があるはずだ。
時には、最初に考えていたものより、仕上がったもののほうがよくできていることもあるだろう。それならそれでいい。けれどどちらにしても、もう一度第一幕に戻って、ストーリーが自然に流れるよう、書き直さなければならないことに変わりはない。
〝書こうとしたものと、書いたものは同じにならなければならない〟
第三のレポートも、自由に書きなさい。ここであなたがすべきことは、ストーリーに劇的な効果を与え、書いたものを書きたかったことに変えていくには何が必要か、を考えることだ。新しいシーンを加えたり、逆に機能していない不必要なシーンを削除しなければいけないかもしれない。もしくは、もっと早めに設定を行うとか、登場人物を膨らます必要があるかもしれない。脇役のサブプロットを作った方がいいかもしれない。どんな変更が必要かを考えるのは、今である。
■第17章 読むに値する脚本とは? -
Posted by ブクログ
ネタバレ■第1章 映画脚本とはなにか
形や、構成をよく知るためには、できるだけ多くの脚本を読むべきである。出版されている脚本も多く、書店にいけば置いてあるだろうし、ネットでも注文できる。今ならウェブ上に無料で置いてあることもあるだろうし、中にはお金を払わなければならないものもあるだろう。
私は、生徒には『チャイナタウン』『ネットワーク』(バディ・チャイフスキー)『アメリカン・ビューティー』『ショーシャンクの空に』(フランク・ダラボン)『サイドウェイ』(アレキサンダー・ペイン、ジム・テイラー)『マトリックス』『アニー・ホール』『ロード・オブ・ザ・リング』を読み、勉強させている。
これらの脚本はすぐれた教材である。もし、これらが手に入らなければ、どの脚本もいい、すぐに読み始めるべきである。多ければ多いほどいい。
パラダイム(※モデル、枠組み)とは、よい脚本の土台であり、ドラマ構成の基礎である。
■第2章 主題(テーマ)を作る
私は最近『アニー・ホール』(ウデイ・アレン)を分析していて、「キャラクターが欲することがドラマ構成を決める」という結論に達した。キャラクターが求めることが、脚本上での動きを選択し、そうした欲求の高まりによって、キャラクターをより複雑に、奥行きのある人物にすることができる。
よい脚本にするためのカギは、事前の準備として、たくさんの素材を集めておくことが重要である。
会話は生ものである。役者はよりよい台詞を考えだしたりするからだ。しかし、そのキャラクターが何を求めているかは聖域であり、絶対変えてはならない。なぜなら、それによって一つのストーリーを成立させているからである。
まずはキャラクターの目的を明確にせよ!
キャラクターはなにを求めているのか?
彼には何が必要なのか?
何が登場人物たちを突き動かしているのか?
『チャイナタウン』のジェイク・ギテスは、自分を陥れたのは何者か、そしてそれは何故なのかを知ろうとする。
『ボーン・スプレマシー』(トニー・ギルロイ)のジェイソン・ボーンは、誰が自分を狙っていて、それは何故なのかということを知る必要がある。
キャラクターの欲求を明確にしなければならない。登場人物たちは何をしたいのか?
『狼たちの事』において、サニー(アル・パチーノ)は、愛人の性転換手術のための資金を得るために銀行に押し入った。これが彼にとっての動機である。
ラスベガスで儲けるためのシステムを開発したとしよう。システムが上手く行くかどうかを知る前に、どれだけ勝つ必要があるのだろうか? キャラクターの欲求は、ゴールを設定する。「どのようにしてそれを達成するのか」ということが、ストーリーのアクション(観客に働きかける力=ページをめくらせる原動力・推進力)になるのである。
繰り返すが、すべてのドラマは、葛藤、衝突である。キャラクターの目的をはっきりさせることができたなら、その達成を阻止しようとする障害物を設定することができる。キャラクターがその障害物をどのように乗り越えるのかが、ストーリーである。心情であれ、外的なものであれ、葛藤、困難、障害物を乗り越えることはドラマにとって必要不可欠な材料である。コメディにおいてでもだ。観客に興味を抱かせ続けるだけの葛藤を創造するのは、脚本家の責任だ。脚本家の仕事は、読み手にページをめくり続けさせることである。ストーリーは、その解決に向かって、常に前に転がらなければならない。
こうすることで、自分の書こうとする主題を知ることができる。アクションとキャラクターについて掴むことができたなら、キャラクターの目的を明確にし、その妨げとなる障害物を作り出せる。『キル・ビル』のブライドのドラマ上の目的は、単純に復讐である。それは、ストーリーのためのエネルギーになる。
『真夜中のカーボーイ』では、ジョー・バック(ジョン・ボイド)は、ニューヨークに来て、女を引っ掛けようとする。これが、彼の〝ドラマ上の欲求〟である。そして、これが彼の夢でもある。多くの女たちを満足させて金を儲けたい、と考えている。
すぐさま直面する障害物は何か?
彼は、ラッツォ(ダスティン・ホフマン)に引っ掛けられて、金を失う。友達も、仕事もなく、ニューヨークの女たちは、彼の存在すら知らない。
夢だったのに!彼の甘い夢は、ニューヨークの厳しい現実社会と衝突する。これが、葛藤である。
葛藤なしには、アクションは生まれない。アクションなしには、キャラクターは存在し得ない。アクションは、そのままキャラクターである。その人が言うことではなく、その人のすることが、その人物を現す。
■第3章 登場人物(キャラクター)を創造する
■第4章 登場人物(キャラクター)を構築する
どのようにして登場人物に命を吹き込み、どうやって人間性を構築していくのか?
そのような問いかけを口にしたとたん、はっきりした答えがないことに気づいた。登場人物構築は、創造プロセスの謎と秘密の部分だった。
登場人物に関する問題を解決するために、その人物に入り込み、土台と攻勢を組み立てなければならなかった。その上で、人格造形を深めていく要素を足していくのだ。
そうして私は自らに問い続けた。
何によって登場人物は深みを持つのか?
そもそも人物像とは?
答えを見つけるためには、私たちが共通して持っている性質を知る必要があった。
皮膚の下は皆同じである。いくつかのものによって私たちは結びつけられている。同じ欲求を持ち、同じ恐怖心を持ち、不安を抱えている。私たちは、愛された石、自分と同じような人と友達になりたいだろうし、成功したいだろうし、幸せになりたいだろうし、健康的でいつづけたいだろう。
このようなことを心に留めて『ダンディー少佐』を読み直し、個々の欲求という視点から登場人物(キャラクター)を分析することにした。
この視点から読むと、四つのことが明らかになってきた。それは、よい登場人物を作るための、四つの絶対不可欠な要素であった。
1 登場人物は強力ではっきりした〝ドラマ上の欲求〟をもっていること。
2 その人独自の考え方、ものの見方をもっていること。
3 あるものに対する態度を体現していること。
4 何かしらの変化や変身を遂げること。
この四つである。これらの四つの要素によって、魅力的なよい登場人物(キャラクター)を作ることができるのである。
〝ドラマ上の欲求〟は一、二行で書くことができるようなものである。
こうして見てみると、すべての主要登場人物は強烈な〝ドラマ上の欲求〟を持っている。〝ドラマ上の欲求〟とは、脚本の中で、その登場人物が手に入れたい、成し遂げたいと思っていることである。〝ドラマ上の欲求〟によって登場人物はストーリーを通して突き動かされる。それが目的であり、使命であり、動機であり、モチベーションの元となる。これによってその人物は、物語上のアクション(行動)として、動かされてゆくのである。
ヘンリー・ジェームズの理論の一つは、照明理論と呼ばれる。主役の登場人物が円の中心にいて、その人物と相互に影響し合うほかのすべての登場人物たちが、その周辺にいる。その主役とほかの人物たちが交じり合うたびに、その周辺人物たちによって、主役にいわば照明が当てられるように、主役の持ついろいろな側面が明らかになっていく。例えて言うならば、暗い部屋に入っていき、ランプをその四隅に置く。そのランプはその部屋のいろいろな面を明るくする。それと同じで、いろいろな人が、主役の登場人物について語る。それによって、主役の人物像が明らかにされていくのである。
『ロスト・イン・トランスレーション』でボブ(ビル・マーレイ)の人物像が明らかにされていくのは、この手法を使っている。ホテルのバーに座っているビルに向かって、ふたりの男が、ビルの出演作がいかに好きかとか、スタントを自分でこなしたのかどうか質問したりする。こうして、彼がアクションスターで、キャリアは下降線を描いているということが分るのである。
会話は二つの大きな目的を持っている。会話によってストーリーが前に進むということ、主要登場人物の情報を明らかにしていくということである。この二つのうち、一つでも達成していなければ、その会話部分は不要である。
■第5章 ストーリーと人物設定
■第6章 エンディングとオープニングを作る
そして、できるだけ多くの映画を見て、それを分析することだ。最低でも週に二本の映画は見た方がよい。劇場に行ってもいいし、DVDやビデオでもよい。今や、映画は誰でも見ることができるようになったのだから、どんな種類のものでも見た方がよい。出来のよい映画、悪い映画、外国の映画、古典、新しい映画、これらすべてを見なければならない。映画を見ること自体が、学ぶプロセスになる。注意深く映画を見れば、脚本に関する見識を増やしていくことになる。映画について友人や恋人と語り、議論しよう。そしてその映画の構成を考え、パラダイムに合っているのかどうかを考えよう。
■第7章 ストーリーの設定
私ははじめて『チャイナタウン』を見た後、ロバート・タウンにインタビューする機会を得た。このインタビューでの中で、どのようにして人物たちを作っていくのかということを中心に聞いた。特に、ジャック・ニコルソンの役柄であるジェイク・ギテスについて尋ねた。彼は、「キャラクターを作っていく時にはじめに考えることは、『その人物が何を恐れているのか?(守りたいと思っているものは何か?=価値観)』ということである」と答えた。
言い換えるならば、その人物にとって、もっとも怖いことは何かということである。秘密厳守の調査を専門に行う私立探偵のギテスは、守るべき評判を持っている。従って、ギテスは、常に自分が他人によく見えるように振る舞う。彼は、よい印象を他人に与えるためには何でもするだろう。服装はきちんと着こなすであろう。靴はいつもピカピカに磨いてあるだろうし、独自の倫理観を持っている。ギテスの最も恐れることは、真面目に受け止めてもらえず、自分が馬鹿に見られてしまうことである。
■第8章 二つの事件(incident)は関連する
(『氷の微笑』は)殺人という事件によって、ニックがキャサリンに夢中になって行く状態へと、一気にストーリーが進められる。そして、キャサリンが容疑者として尋問されるシーンにおいて、ニックはますますキャサリンに惚れてしまうのだ。これら二つの事件には関連性がる。
オープニングのセックスと殺人という、一つ目の事件は、インサイティング・インシデント(誘因する事件)である。つまり「ツカミ」となる事件、その後の動きを誘引する事件である。
オープニングシークエンスによって、主要登場人物をストーリーラインに放り込むというやり方は、オーソドックスな映画の手法である。ストーリーの設定がなされ、ドラマ上の前提が説明され、ストーリーラインがあり、従うべき方向性がある。これらは、二つの事件の関連性によって組み立てられるのである。このことを新たに発見したことによって、脚本技術の新たな武器を得た。
私はさらにエスターハスの脚本分析を続けた。どのようにしてオープニングシークエンスを書き、構成しているのかという二点に注目した。ほとんどの脚本で、インサイティング・インシデント(誘引する事件)が、一ページ目の最初の言葉から、ストーリーを進めていく道具として使われていることが分かった。
こんどは実際に、さまざまな種類の映画を見ることにした。アクション映画、アクションスリラーもの、ミステリーや、ドラマまでも見た。どの脚本家も、インサイティング・インシデントが二つの重要な役割を担うようにストーリーを構成していることが分かった。
<中略>
このように、例を次々に挙げていくことができるが、最も大切なことは、この〝事件〟が脚本技術において、二つの重要で欠かすことのできない役割を果たしているということである。
一つ目は〝事件〟によってストーリーが動かされるということ。
二つ目は観客と読み手の注意を掴むということである。
この最初の〝事件〟とストーリーラインとの間の関連性を理解するということは、脚本を書くのに不可欠なことである。
これから映画を見る時には、インサイティング・インシデントによってストーリーに動きが生まれ、物事が進んでいくということに注目してみるとよいだろう。
ストーリーの種類によって、インサイティング・インシデントはアクション主体にもなり、人物主体にもなる。必ずしも、切迫したアクションシーンや、劇的なシークエンスである必要はない。状況説明的なシーンであってもよい。
『チャイナタウン』におけるインサイティング・インシデントは、ジェイク・ギテスが偽のモーレイ夫人に雇われることである。
本物のモーレイ夫人が、ギテスの前に現れるプロッとポイントⅠは、キイ・インシデント(key incident)である。キイ・インシデントは、カギとなる事件という意味である。
インサイティング・インシデントによってキイ・インシデントは生み出される。キイ・インシデントは、ストーリーラインの中心となる。それによって、ストーリーが前へと転がるのである。キイ・インシデントによって本当のストーリーが表に登場する。
『ロード・オブ・ザ・リング』では、指輪の歴史が最初の数ページで紹介される。指輪は死の山の炎の中から生まれた。「二十の指輪が作られた。三つの指輪がエルフに、七つの指輪がドワーフの王に、九つの指輪が人間にそれぞれ贈られた。しかし、じつは、もう一つ違う指輪が作られていた。その一つの指輪は全てを支配できた」
映画的な短いシーンで、その指輪の力と邪悪さを見る。その指輪はどこかへ消えてしまうが、ビルボ・バギンズが霧でかすんだ池で発見し、それをホビット庄へ持ち帰る。そして、物語が始まる。
このプロローグのインサイティング・インシデントによって観客は物語の中に引き込まれ、ナレーションといくつもの映像によって知りたいことが分かり、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作のストーリー全体が設定されるのである。
インサイティング・インシデントを組み立てたら、ストーリーが始まる。
魔法使いのガンダルフがホビット庄にやってきてフロド・サムの紹介とともに、ガンダルフの紹介が行われ、ビルボが自身の誕生日パーティーのどさくさに紛れて、旅に出るということも紹介される。ビルボは、行動しなければならない時が来たと、ガンダルフに真実を語る。ガンダルフは、ビルボの出発を聞き、指輪を渡すように言う。すると、ビルボ突然乱暴になり、邪悪な一面を見せる。こうして観客は、指輪の恐ろしさを知ることになる。
そして、ビルボは旅に出た後、彼の甥のフロドがその指輪を受け継ぐことになる。これがキイ・インシデントである。指輪を受け継ぐことで、フロドの〝ドラマ上の欲求〟が明らかになる。
その指輪を死の山へ戻し、指輪が生まれた山の中へ葬り去らなければならないのだ。これがストーリーの全貌である。
ガンダルフが指輪の由来と歴史を知り、サウロンが復活し、その指輪を取り戻すために、黒の死者たちに指輪の在処を探させていることが分かった今、ホビット庄にとどまっていることが危険であると警告する。フロドは、運命の導きによって指輪の所有者になり、邪悪な力によって、彼の身体、そして心が病んでいくことになる。
これが脚本上のキイ・インシデントである。これによって、フロドの旅が始まる。この旅が始まったことで、旅の仲間が結成されるのである。
インサイティング・インシデントとキイ・インシデント、つまりビルボが指輪を見つけたことと、フロドがそれを受け継いだことは、それぞれが関係性を持っている。
これら二つの事件は、ストーリー全体の核となる部分であり、脚本の設定を行う際に必ず説明しておかなければならないことである。
多くの脚本で、キイ・インシデントとプロッとポイントⅠは同じである。
■第9章 プロッとポイントを見つける
プロッとポイントの定義をここで述べておくと、
「ストーリーのアクションを加速させ、別の方向へと行き先を変えるような事件、エピソード、出来事」
のことである。
脚本全体を通してみると、プロッとポイントというのは、あちこちに散見される。しかし、一二〇ページの脚本を書く時には、次の四つのことに留意してストーリーを構成すべきである。
1エンディング
2オープニング
3プロットポイントⅠ
4プロットポイントⅡ
プロットポイントの機能は分かりやすい。ストーリーを前に転がす役目である。プロットポイントⅠとⅡはストーリーのポイントであり、脚本のパラダイムの形を保つものである。プロットポイントは、いわばストーリーラインの錨である。
→プロットポイントⅠ・Ⅱとは、三幕構成「①発端、②中盤、③結末」で考えたときの、「①→②の切り替え」が「プロットポイントⅠ」、「②→③の切り替え」が「プロットポイントⅡ」になる。「起承転結」という言葉は、「起=発端」「承=中盤」「転=プロットポイントⅡ」「結=結末」ということなので、プロットポイントⅠが抜けている。正確には「起転承転結」となるのかと。『高デ』1話だと、「発端=起」は物語冒頭からヨウと出会うまで。ヨウとの出会いが「プロットポイントⅠ」。そこから「中盤=承」が始まり、ヨウが中学時代の晴菜のビデオを観るシーンが「プロットポイントⅡ」、そのあとが「結末=結」になる。
プロットポイントが、なにか劇的なシーンやシークエンスである必要はまったくない、ということは覚えてほしい。プロットポイントは、『テルマ&ルイーズ』のプロットポイントⅡのような静かなシーンでもあるし、『コラテラル』のプロットポイントⅠのような、息詰まるアクションシーンでもある。『マトリックス』のように台詞という場合もある。『チャイナタウン』では、ストーリーラインを決定づける決断である。
プロットポイントは、書き手の選択次第でどのようなものにでもなる。長いシーンかもしれないし、アクションシーンかもしれない。書いている脚本によるのだ。脚本家に選択権は与えられている。しかし、ストーリーに必要な事件、事故、エピソード、出来事であることに変わりないのだ。
プロットポイントをよく知り、それを使いこなせることが、一二〇ページの脚本を書くことの必須条件である。一二〇ページの白紙に向かって書いていく時に、それぞれの幕の終わりにあるプロットポイントによって、ドラマ上のアクションは、一つにつなぎとめられるのだ。プロットポイントが、すべてを一つにまとめるのである。
■第10章 シーンを作る
『カサブランカ』はとてつもない映画体験である。意識の深層に、夢のような体験を呼び起こさせてくれる映画だ。数多くある映画体験の中で、なぜ『カサブランカ』はこのように突出して偉大な映画になったのか? しかもなぜ、今でも新鮮さを保ったままでいられるのだろうか? 多くの理由があるだろう。
私の考えでは、リックというキャラクターによるところが大きいと思う。リックは、言葉と行動を通して、自らの人生をより大きな何かに捧げる(これが自己犠牲・変節)人物なのである。『千の顔を持つ英雄』の中でジョセフ・キャンベルは、英雄(ヒーロー)は「生まれ変わるために一度死ななければならない」と書いている。『カサブランカ』の始まりでは、リックは過去の思い出の中に生きている。イルザとの愛の終わりの痛みを心に抱えたまま生きている。イルザが再び、リックの前に現れたとき、リックはつぶやく。「こんな世界の町のこんな安酒場で、彼女は私のもとに現れた」そして、いまこそ、リックが自らの過去と直面し、対決し、そしてすべてを受け入れなければならないときが来る。
この映画の中で、ボガードが忘れられない印象的な人物であることの理由は何だろうか?
それには二つのことが組合さっている。
ボガードの映画俳優という仮面と、リックという役柄そのものの二つである。リックは、ボガードの神話的イメージがそのまま当てはまる役柄なのである。
ジュリアス&フィリップ・エプスタインとハワード・コッホは、脚本でリックを、タフで恐れを知らず、高い倫理観を持つ、心優しい人物に作り上げている。リックは「善い奴」なのだ。映画の最後で、ヴィクター・ラズロ(ポール・ヘンリード)とイルザ(イングリッド・バーグマン)をドイツとの戦いを続けさせるために、リスボンへと逃がす。この行動は、リックとイルザの個人的な愛情問題よりも、より大きな目的を果たすためである。
「俺はこんな男だが、ちっぽけな人間三人の問題なんか、この狂った世界じゃ取るに足りないことぐらい、すぐに理解できるよ」とリックは言う。
リックは自らの行動によって、変身することができる。彼はナチスを打ち破るために、イルザへの愛情を犠牲にしたのだ。
「英雄(ヒーロー)は、個人的問題よりもより大きな何かに自らを捧げた人である」とジョセフ・キャンベルは述べている。古典的な「英雄(ヒーロー)像」を神話や文学で探してみると、リックとその行動がまさに古典的な英雄像にぴったりと符合する。「生きるとは行動の中にある。その終わりは行動の一つの形態であり、質の変化ではない」とアリストテレスは述べている。ハムレットやバガヴァット・ギータ―のアルジュナ、『マトリックス』のネオも、同じく疑念や恐れを乗り越え、それを脇へ押しやって行動するキャラクターなのである。そしてこの行動こそが、その人物達を「英雄(ヒーロー)」に至らしめている。
シーンの目的は二つある。〝ストーリーを前に転がすこと〟と、〝人物についての情報を明らかにしていくこと〟である。これらの二つのうちのどちらか、もしくは両方ともがシーンの中になければ、そのシーンは必要ない。
長い間脚本術を教えていて分かったことがある。
その一つは、ルールを設定したくなる人が少なくない、ということだ。手本にした脚本や映画が、第一幕に十八シーンあったとしよう。そうすると、ルール派は、第一幕は十八シーンで構成しなければならないというように考えてしまう。何度も夜中に電話がかかってきて、「自分の脚本が長すぎる」とか「第一幕が三十五ページになってしまった」とか「プロットポイントⅠが十九ページに起こってしまった。どうしたらいいか分からない」と鳴き声で訴えてくる。
私はいつも同じように答えている。「だからどうしたのだ?」第一幕が長過ぎるからどうだというのだ? プロットポイントⅠが十九ページになってしまったからどうだというのだ? 数に従うことにこだわっていては脚本は書けない。重要なことは、脚本の構成、形である。〝発端〟〝中盤〟〝結末〟という形であって、ページ数ではないのだ。パラダイムは、ガイドであって絶対的真理ではない。脚本をページ数に従って書く方法は、まったく意味をなさない。伝えるべきストーリーを信じていれば、必要なことは自然とわかってくる。書かなければいけないシーンと、書く必要のないシーンは、ストーリーが教えてくれるのだ。
一つのシーンでは、ストーリーを進め、人物像を明らかにしていくことである。一つのシーンが二つ以上の情報を明らかにすることはほとんどない。二つ以上の情報が含まれると、複雑すぎて、ストーリーの流れが悪くなり、混乱を招きやすくなる。
役者は、よくシーンの木目に逆らった演じ方をする。つまり、そのシーンの流れに沿って演じるのではなく、その反対をすることで効果をあげようとするわけだ。例えば、「怒り」のシーンで、柔らかく笑顔を作りながら演じるということである。怒りを、優しい笑顔の下に隠しながら、演じるのである。マーロン・ブランドはこのアプローチの達人であった。
シーンを作っていく時に、このように木目に逆らうことで印象を強くする方法や、視覚的に面白さを増すようなロケーションを使うことを意識しておくとよいだろう。
第11章 シークエンスを考える
シークエンスは、〝発端〟〝中盤〟〝結末〟を備えたシーンの集合体である。
生徒の一人が、アクション映画の脚本を書いてきたことがあった。
〝海兵隊のパイロットが、人質として捕われている科学者を救出するためにその国に潜入する〟というストーリーだった。まずまずのドラマ上の設定である。ストーリーをうまく転がしていけるすばらしいアクションシークエンスができるかもしれないと思った。
その生徒は、まさにその通りに書いてきた。つまり、アクションシークエンスに次ぐアクションシークエンスの連続で脚本を書いてきた。高速のようにストーリーを展開していた。しかし、まったくおもしろくなかった。
なぜだろうか?
簡単である。興味の湧くような、おもしろい主要人物が存在しなかったからである。その生徒が、主要登場人物をきちんと作り込んでいなかったので、台詞のほとんどが、ストーリーを進めるだけの説明台詞になってしまっていたのだ。それでは脚本としての形をなさない。救出に向かった人物について、まったくわからない。どんな人物で、どこからきたのかということもわからない。彼の考え方や感じ方もわからなければ、彼を突き動かしている力についてもわからないのだ。
実はこれは、アクション映画に限らず、どんな脚本を書く時にも共通することなのだが、特に『ボーン・スプレマシー』や『コラテラル』のようなアクション映画を書いていく時には、アクションと同様に、人物描写にも力を注がなければいけない。これを怠ると、アクションがストーリーに先行してしまい、人物描写が脆弱化してしまう。これでは、脚本がどれだけ上手に書かれていても、平坦でおもしろくないものになる。山と谷のバランスが必要なのだ。つまり、読み手や観客が、落ち着いて息を整える瞬間が必要なのである。
■第12章 ストーリーラインを構築する
「試してうまくいかなかった方法は、実はうまくいく方法を教えてくれる」
これは、映画で昔からあるルールでもある。「うまくいかなかったシーンは、実はうまくいくシーンを教えてくれる」
間違いを犯すことを恐れてはいけない。
■第13章 脚本の形式を知る
■第14章 さあ、脚本を書こう!
書き始めると、まずあなたに何が起きるか?
一言でいえば、妨害反応だ。
フェイドインと書いた瞬間に、突然鉛筆を削りたくなったり仕事場の掃除を始めたくなったりする。つまり、書かなくてもいいという言い訳を考え始める。これが妨害衝動だ。
書くということは、書きながら学んでいくという特異なプロセスだ。自転車の乗り方を憶えたり、泳げるようになったり、ダンスをすることと同じように、書きながら技術を学んでいく。
いきなり水の中に投げ入れられて、泳ぎをマスターするわけではない。まずは泳ぎ方を憶えてから、水に入る。実際に泳いでみることで、泳げるようになっていく。練習すればするほど、上手になっていく。
これは脚本でも同じことだ。妨害衝動にも慣れるしかない。本当にいろいろな方法で妨害してくる。しかもほとんどそれに気づきさえしない。
よい脚本を書くとは何だろうか?
たくさんのことを挙げることができるが、最も大切なことは、よいドラマの根本が葛藤であることを理解することだ。
もう一度言おう。ドラマは葛藤である。葛藤なしには、アクション(観客に働きかける力=ページをめくらせる原動力・推進力)は生まれない。アクションなしにはキャラクターが生まれない。キャラクターなしには、ストーリーは存在しない。ストーリーがなければ、脚本を書くことはできない。
葛藤は、内的なものであったり、外的なものであったりする。
『めぐり合う時間たち』、『チャイナタウン』、『クライシス・オブ・アメリカ』、『日のあたる場所』(マイケル・ウィルソン、ハリー・ブラウン)、『コールド・マウンテン』、『アメリカン・ビューティー』などのストーリーには、両方の葛藤が存在している。
外的葛藤とは、登場人物たちの外の要因によって生まれる身体的(心理的にも)障壁のことである。例えば『コールド・マウンテン』や『コラテラル』、『アポロ13』、『ジュラシック・パーク』などで見ることができる。ストーリーの中に葛藤を生み出すことは、書くということに関する基本的な真理である。書く対象が小説や戯曲、脚本であっても違いはない。
では葛藤とは何か?
辞書で引いてみれば、「反対」という意味も含めているということを発見できるだろう。つまり、すべてのドラマ上のシーンは、あることに対して考え方などが正反対同士の人物を創り出すところから始まるのだ。葛藤はどんなものでもよい。例をあげれば、苦闘や公論、戦い、追跡、人生への不安、失敗することへの恐怖心などがあるだろう。あらゆる種類の対決、壁、障害などが葛藤になる。それが心情的もしくは身体的、精神的な者であるかは問題ではない。
葛藤からストーリーが生まれていくのだ。葛藤があるからこそ、強力なアクションと、強烈な人物が生まれるのだ。葛藤がじゅうぶんに強くなければ、退屈な脚本を書く泥沼にはまってしまう。
脚本を書く時には、無情にならなければいけない。効果的でないシーンは、うまくはまっていないのだ。シーンそれ自体が際立ってしまい、そこに注意が集まって、アクションの流れが悪くなってしまうことが多い。
ただし、際立ちつつも効果的なシーンというものは、観客の記憶に残る。よい映画には、こういった記憶に残るシーンというものが、一つか二つはあるものだ。これらのシーンは、ドラマ上の文脈の中で輝いている。印象に残るシーンとして、その映画のトレードマークになる。
自身が選択したシーンが効果的かどうかわからないときは、だいたいそのシーンはいらない場合が多い。必要かどうか考えなければいけないシーンは、必要ないことが多いのだ。必要なシーンは自然とわかってくる。自分を信じることだ。
■第15章 脚色をする
著名なジャーナリストが、自身が有名な雑誌に書いた記事をもとにして脚本を書いていた。すべての事実が自分の引き出しに入っていた。しかし、その事実の山を一度忘れてドラマとして脚本を書くことは、彼にとって非常に難しいことだった。正しい事実とし正しい詳細を選ぶことに一生懸命になり過ぎて、最初の三〇ページ以上書くことができなかった。泥沼にはまり、パニックに陥ってしまった。
結果、よい脚本になる可能性を持っていた題材はお蔵入りとなってしまった。
失敗の原因は、記事と脚本を分けて考えることができなかったからだった。素材に完全に正確であろうとして、うまくいかなかったのだ。
雑誌や新聞記事をもとにした映画脚本やテレビドラマ脚本を書こうとしている人も多いだろう。記事を脚本化するときには、脚本家の視点を持たなければならない。つまり、ストーリーは何かということを第一に考えるということである。
主人公は誰か?
どんなエンディングか?
殺人罪で無罪の判決を受けた男が、実は犯人だったというストーリーなのか?
レーシングカーを設計し、組み立て、チャンピオンになる男のストーリーなのか?
糖尿病の治癒方法を発見する医者のストーリーなのか?
何についてのストーリーなのか。これらの質問に対する答えを見つけたときに、ストーリーをドラマの構成に直すことができるのだ。
今までに書かれた素晴らしい脚本の数々をすべて読もう。
『チャイナタウン』を手始めに読んでみよう。
それをよく研究しよう。そして、決して諦めてはいけない。 -
Posted by ブクログ
ハリウッドの脚本家が描かれた、作劇術の本です
有名な3幕構成についてよく書かれています
状況設定、葛藤、エピローグみたいに脚本は3分割できて、計120ページくらいでまとめれるそうです
人物の練り方は、ドラマ上の欲求というものが大切だそうです
とにかく出だしを面白くしないといけないらしく、最初の10ページで絵的に映えて心を掴まないといけないポイントがあるそうです
インサイディングポイントだったか何かだったと思います
そして中盤で話の転換点、ターニングポイントが来るそうです
例に挙げられるベストセラー映画があまり分からなかったので、著者の意見が伝わりにくいところもありましたが、何となく重要なことは伝わってきました
3幕構成の仕組みの解像度が上がりました
言われてみればな説明が多く、映画もそうですがソシャゲのシナリオを読んでいても3幕構成でいうところインサイディングインシデントや、オブジェクションインシデント?のようなものがある気がしました
話の構成に関わる知識が入ってきたおかげか、以前より物語を観察しながら見れるようになりました
特に会話、シーンごとの目的を解説されていたのが面白かったです
シナリオを前に進めること、キャラとかの詳細設定を掘り下げる、解像度をあげることが目的なのは確かにそうでした
優れたシナリオは1ページ、ワンシーンごとに話が前に進むし、キャラの解像度があがっている気がします
また、キャラがリアクションするだけで終わっていないかという注意もよかったです
反応だけでなく、行動、アクションを起こさないと何も始まらないのはそうでした
それらを理解すると、シークエンスの説明がより伝わってきました
具体的な創作術では、カードを12枚ずつ用いて、3幕構成ごとにシーンを起こしていくのはおもしろそうでした
英語が横書きなので、脚本例も横書きで挙げられていて新鮮でした -
Posted by ブクログ
ネタバレ脚本に問題があると単純に思ってしまうと、パニックになることがある。それは非常に恐ろしい経験だ。私は世界中で脚本セミナーやワークショップを行ってきたが、どこに行っても同じことを耳にする。脚本家たちは、「構成が機能していない」「キャラクターが弱い」「、または「台詞がフラット」と言う。
でも、私は彼らに言う。「大丈夫。必ず解決する」
彼らは私がからかっていると思って笑う。でも私は冗談を言っているのではない。
ほとんどの脚本家にとって恐ろしいのは、脚本に問題があるかないかではなく、問題点の本質が何であるかを知らないことだと思う。彼らはそれを明確にすることも説明することもできない。それは、曖昧な違和感、不明な不満、わだかまり、のどの棘としてのみ存在する。
受講生は、そこに問題があることを感じた。ただ、それが何であるか分からなかった。問題解決の技術は、そういうはっきりしない感情を認識して、問題の原因解明に導くガイドにすることを意味する。問題解決の技術は、〝認識の芸術〟だ。
脚本を書くことは、非常に特殊で要求の厳しい芸術であり、シーン、シークエンス、またはキャラクターのいずれかが機能しない場合、ページ全体に長い影を落とす。それは後になって本格的な問題に発展する種になる。そのため、これらの症状が発生したときには、それをキャッチしてメモすることが重要だ。
問題があると感じるのに、それを説明したりできない場合、それを修正するすべはない。それは自然の法則だ。何が問題かわからないままでは、修正はできない。
だから問題は何か? 機能していないと思われるページを読み、問題を取り出したり、明確にできるかどうかを確認しなさい。たぶん、あなたの物語は一定方向のアクションに沿うのではなく、一度にあちらこちらの方向に行ってしまう。あるいはあまりにも多くのことが主人公に起こっている。主人公のパートナーについてもっと説明した方がいいと思い、パートナーに関するいくつかのシーンを書きすぎると、ストーリーの邪魔になるサブプロットを作成してしまう。また、悪い男が〝悪者〟であることを示したくて、彼がどれほど悪いかを示すシーンを追加し続けてしまう。
それは『ダイ・ハード3』で起きたことだ。ストーリーを〝埋める〟には簡単な方法だが、邪魔になるだけだ。他の登場人物に多くの時間を費やすことで、最終的に主人公を失うことになり、あなたのストーリーはおそらく同時にいくつかの方向に行ってしまう。致命的な問題は、主人公にフォーカスできなくなることだ。すると、あなたの物語が誰についての話なのかまったく分からなくなる。
問題点を探すことができるものは、プロット(筋立て)、キャラクター(登場人物)、構成の三つだけだ。
これら三つの中にだけ、問題は存在する。ストーリー全体はこれら三つに分解でき、問題解決プロセスの中心つまり手段になる。脚本の問題(脚本が長すぎて語り過ぎ、アクションが多すぎて十分なキャラクターが足りない、キャラクターが多すぎてアクションが足りないなど)を見ると、問題が何であれ、すべてがプロット、キャラクター、あるいは構成に起因する。
原則として、問題の原因を見つけるには、1ページ目、最初の一文字目から検索し始める必要がある。これを行い、素材を分析すると、いくつかのことに気づく。たとえば、登場人物が多すぎたり、主人公が誰なのか、誰の物語かがわからない。脚本が語り過ぎで、視覚的なイメージよりも台詞や説明でアクションを進めているように感じる。あるいは、これまたよくあることだが、物語の焦点が途切れ途切れで、ずさんで、支離滅裂なので、何の話かわからない。
もう一度見てみると、情報が多すぎて、物語が非常に速く動き、何が起きているのか意味不明になっていることに気づくだろう。
以上のすべての要素は、物語の相当早い段階で情報過多になっている兆候だ。多すぎると早すぎてしまう。その結果、キャラクターへの十分な掘り下げや洞察がなく、物語の中で十分な葛藤やドラマが生まれない。そしてこれは間違いなく問題だ。
ある問題の原因や源を探したい場合は、ほとんどの場合、第一幕、より具体的には、脚本の最初の10ページに見つけることができる。
良い脚本は、1ページ目、一文字目から設定されている。第一幕は、オープニングシーンから始まり、プロットポイントⅠまで続く劇的なアクションのユニットだ。これは、状況設定と呼ばれる劇的な文脈と一緒に示される。なぜなら、物語のすべての要素、登場人物、劇的な前提と状況、これらの間の関係は、この特定の劇的なアクションのユニット内で確立されなければならないからだ。
第一幕は、物語のすべての要素を慎重に統合し、設定しなければならないアクションのユニットだ。一連のアクションにおけるすべてのすべての事件や出来事は、第一幕の終わりにある、物語の真の始まりとなるプロットポイントⅠへと直接導かれなければならない。
脚本が正しく設定されていないと、ストーリーラインにキャラクターや出来事を追加し続けて、より速く動くようにする傾向がある。すると、物語は、本質と奥行の層を突き抜けることなく、アクションの表面を上滑りし、陳腐で、嘘っぽくありきたりな感じになってしまう。
なぜこれが起こるのか? 多くの作家が十分な準備なしで脚本にアプローチしているようだ。彼らは、脚本を書き始めたくてたまらないので、アクションとキャラクターの関係を探求し、開発する時間を取らない。だから、彼らは実に小さな情報の核から、第一幕の道筋を決めてしまう。彼らの時間の大部分は、ストーリーが何であり、次に何が起こるかを理解しようとするのに費やされる。だから、彼らは第一幕でできる限り多くのストーリーポイントを捨てて、ストーリーが現れてくれることを願う。
それでは上手くいかない。種子は植えられても、必要な栽培、水分補給、栄養が与えられていない。作家は最初の10ページで自分の物語を語るが、その後見失い、次に何をすべきか分からなくなる。
脚本作成プロセスには準備とリサーチが不可欠だ。誰が主人公なのか、何がドラマ上の前提か――何の話なのか――そして何がドラマ上の状況か――アクションを取り巻く状況、これらを理解し、しっかりと明確にするのは脚本家の仕事なのだ。物語を十分に理解していなかったり、必要なリサーチを行うのに十分な時間をかけていなかったりすると、ストーリーをうまく機能させたいがために、多くの出来事や事件を挿入するリスクを犯す。そうすると、脈絡のない物語になる。ことはまったくうまく運ばないものだ。
ストーリーラインが薄すぎて、もっと多くの〝プロット〟を見つける必要があるため、時に問題が発生することがある。しかし、解決しようとして、より興味深い事件や登場人物を作成して脚本に挿入するのは違う。さらに多くの〝出来事〟を起こしたり、さらに多くの障害に直面させることは、問題を拡大させる以外の何ものでもない。
この問題は、多くの場合、テンポが良く挑発的なスタートで脚本を始めたいとする作家の衝動に起因することが多い。読み手や観客の関心を引くためのページが10ページしかない場合、ストーリーは読み手の興味をより集めようとする傾向がある。そして、多くの場合、それは劇的なアクションのたった10ページのユニットに、登場人物たち、彼らの障害、および他の人物との関係をすべて盛り込んでしまう。
それは多すぎるし早すぎる。過ぎたるは及ばざるが如しだ。
視点は葛藤を引き起こす。
『クリムゾン・タイド』の脚本全体は、2人の世界観を中心に構成されている。物語の中で、ロシアの反乱軍がミサイル基地を占拠し、核弾頭を搭載したアメリカの潜水艦アラバマが送られる。〝先制攻撃〟で戦争を開始するか、または発射される可能性のあるロシアのミサイルに対する報復か。
ジーン・ハックマン演ずる艦長は、「戦争は政治の延長である」と信じており、たとえそれが核による大虐殺を意味するとしても、指令に従うのが彼の義務なのだ。一方、デンゼル・ワシントン演ずる副艦長は、核兵器のせいで、戦争は時代遅れで古臭い考えだと信じている。戦争の目的は勝つことであり、双方が核兵器を発射すれば、敗者だけであり、〝勝者〟は存在しない。戦争はもはや実行可能な選択肢ではない。
アラバマがロシアの反乱軍に対する先制攻撃を開始する緊急指令を受けた、まさにその時だ。武器を発射する準備をしていると、新たな緊急指令が受信中に中断してしまう。指令は何と言っているのか? 彼らは最初の指令に従い続け、最初の攻撃を開始する必要があるのか? それとも、最初の指令を確認または拒否するために発射を遅らせるか?
これら二つの異なる視点、信念は、脚本を転がす葛藤を生む。古典的なヘンリー・ジェームズによれば、どちらの視点も登場人物の枠組みの中にある。正解・不正解も、善・悪もない。偉大なドイツの哲学者ヘーゲルは、悲劇の本質は、〝正解〟対〝不正解〟、または〝悪〟対〝善〟の対立ではなく、双方が正解であることから生じるものだと主張した。そしてこの物語は、〝正解〟対〝正解〟の対立になるという論理的な結論に達する。
『クリムゾン・タイド』の登場人物2人ともが、内なる真実を知覚する感覚から行動する。艦長は、最初の指令に従うべきだと主張する。副艦長は、完全に受信されていなくても二番目の指令は最初の指令を覆すものだから、先生ミサイルを発射する前に確認すべきだと主張する。彼らの行動は、彼らの視点、彼らの世界観によって決定されるので、いずれが正解でも不正解でもない。
登場人物が語りすぎだと感じたり、会話が具体的すぎたり、直接的すぎたり、登場人物にメリハリがなく単調で、素材にキレがなく退屈な場合にアプローチする方法がいくつかある。
一つずつ確認して行こう。脚本にキレがないと思われる場合は何ができるか? 台本が過度の台詞でちまちまとしていないか? 事件や出来事の展開に時間がかかりすぎていないか? 説明がくどすぎて物語の流れをたどるのが難しくないか? これらはすべてキレのない書き方をしている徴候だ。あなたは何ができるか?
まず、書き方を変更する。完璧で文学的な文章を書こうとしていないことだ。短く記述的な一節、多分一単語の文章に焦点を当てることだ。そこで単語は、読み手に彩とユーモアを強調するために使われる。シェーン・ブラック(とりわけ『リーサル・ウェポン』、『ロング・キス・グッドナイト』)は、彼の作品にダイナミックで想像力豊かな文章を使用している。例えば、車が、他の車の間をすり抜け、歩行者を蹴散らして歩道を走り抜けるカーチェイス・シークエンスでは、車どうしが擦れ合う。そして、彼がそれを記述する方法は、短く、視覚的で、簡潔だ。「車のペンキを塗りなおせ」。それは追跡のスリルを伝える素晴らしい方法だ。
脚本を読んだり、映画を見たりするとき、私は、今では構成にはさして注意を払わない。素材をサッと流す程度だ。脚本や映画が正しくないと感じる場合や、何らかの問題があると思われるような場合には、素材を調べて構造的に分析する。私は、ストーリーラインの特定のリズムで構造を認識できる。
私は常々、脚本家の仕事は、読み手にページをめくり続けさせることだと思っている。なので、行き詰って読み続けられなくなった場合、それは構造的に何か間違っている可能性がある。ストーリーラインをたどることができない場合、彷徨っていたり、何かが欠落しているように見えたり、あまりにも多くのことが起こっているか、あまりにも多くの登場人物がいる場合、ヤマ場が何もない場合、それは何かが間違っている徴候だ。それはまさに構成パーツに分解すべきときだ。
緊張感を保ち、読み手にページをめくり続けさせるために、ゆっくり入って早く切り上げる。それが脚本だ。
シーンに入るポイントに注意を払わないと、脚本がたるんだり、長すぎたりして、緊張感やサスペンス感が失われる可能性がある。その場合、機能しない脚本に打ちのめされるだろう。これは、さして珍しいことではない。私は非常に長い脚本を何度も受け取ったが、優に150ページを超え、素材を調べてまず気になるのは、通常、脚本家があまりにも早くシーンを始めたため、「元気? また会えて嬉しいよ。座らない? どうしたの?」といったような、無駄な会話で埋めなければならなかったことだ。
いつ、どこで、シーンに入るかは、脚本の特定の瞬間を構造化するために設定する際の中心的な問題だ。そのためには、一定の質問を自問すべきだ。シーンの目的は? なぜそこか? それは物語を前に転がすのか? それは登場人物に関する情報を明らかにするのか? それは説明やトランジション(推移)の必然性によって動くのか? これらの質問に対する回答をあなたができずして、誰ができるのか?
皆の提案に従えば、提案に従うだけ、それはもはやあなたの脚本ではない。その時点で、それは誰の脚本でもない。
変更後の脚本は、あなたの最初の意図からずっと遠いところに行ってしまい、それはあなたの脚本でも彼らのものでもない。彼らの提案が正しいと感じ、間違いないと思う場合は、それらを使用しなさい。しかし、彼らが間違っていると思い、彼らの提案があなたの物語に機能しないと思った場合は、使用してはいけない。機能するかしないか、いずれであれそれは本当に単純だ。少なくとも理論的には。