あらすじ
「拙いシナリオからは、どんな名監督の手にかかっても、良い作品は生まれない。徹底したディテールと構造の考察が、傑作をうむことを教えてくれる。」
――山田 洋次
「勉強になりました。クールに時に熱く書かれた脚本の名指南書。」
――犬童一心
世界中でベストセラーであり、ストーリー創作に携わる者ならば必読のハリウッド式脚本術のバイブルが邦訳。映画だけでなく小説、マンガ、ゲームなどすべてのストーリー創作の基礎となる三幕構成(状況設定、葛藤、解決)を習得する!
脚本は技術であり芸術である。では良い脚本が共通して持っている概念的な構成要素とは何だろうか。脚本の本質は、映像で語られるストーリーであり、すべてのストーリーとは共通して「発端」「中盤」「結末」をもって、部分と全体のよい関係をまとめられたものである。つまり、大切なのはストーリーそのものではなく、構造でありアクションである。脚本家はストーリーを進めるにあたりドラマの展開を決定していくが、そのひとつひとつのアクションの選択は決して行き当たりばったりで生半可に決断してはいけない。読者は、アクションのかたまりがシーンをつくり、シーンの集合体(シークエンス)が脚本の骨格となることがいかに重要か、本書によって常に意識することができるだろう。
本書はいわゆるHOW TO書ではない。つまりどうすれば書けるかを教えることはできない。
本書はWHAT TO書、つまり素晴らしい脚本を書くために何をしなければならないか、アイデアを持っているが脚本を書けないひとのために何をすれば書くことができるか示す、最良の指南書である。
脚本を書くことと、書こうとすることはまったく別のこと、書くか書かないかはあなた次第である。
感情タグBEST3
三幕構成の指南書
映画の脚本に関しての指南書です。
主に三幕構成についてを紹介しており、映画のみならず、小説等にも適用可能かと思います。
とにかく構成の基礎を知りたいという方におすすめでしょうか。多少くどいと言いますか、同じ話を何度も繰り返す部分もありますが、大事なことは学べるように感じます。
うまく書けない場合に対する励ましのようなメッセージもあり、創作への心構えも一部載せられています。それらも参考になるでしょう。
Posted by ブクログ
とても明解で、ユーモアと読者への励ましがあって、これは名著と思う。「ハリウッド3幕方式」について分かった。重要なことが率直に、いくつも書かれている。
脚本を書く前に考えるべきこと。
1.エンディング
2.オープニング
3プロットポイント1
4.プロットポイント2
しかも、この順番で。
Posted by ブクログ
脚本術、と銘打っているけれども、小説の創作にも使えますね。新人賞の講評なんかでもさらっと「三幕構成」とか当たり前の用語みたいに出てくるときがあるんですけど、その三幕構成を理論化した名著です。
豊富な実例を挙げつつ、丁寧に物語の構成を組み上げていく方法を示してくれます。具体的な目安を教えてくれつつも、「でも規則にがんじがらめにするんじゃなくていいんだよ」ということも伝えてくれるあたり、柔軟性があります。「こういうケースもある」というのを具体的に挙げてくれたり、「こういうことでパニックになる人もいるけれど、大丈夫」ということを教えてくれるので、がちがちに型にはめられずに学んでいけるのがすごくいいなあ、と思いました。
Posted by ブクログ
とにかく有名なので読んでみた。
前から持っていた「別冊宝島 シナリオ入門」の元になった本だけあって、書いてある内容は大体知っていたもの。
ただ、実際の映画を例に説明してくれるのは、わかりやすくて良かった。
名著と言われるだけあって実用性抜群だと思う。
Posted by ブクログ
知っていることもあったが、繰り返し読むと本質(に近い部分)を掴める、というのがわかった。
あとは実践だけ……
主題、登場人物、展開とどうしてそうするのか「選択」をし、それには「責任」が伴う、というのがよかった。
また、小説とシナリオの違いも興味深かった。
良質な映画も多く紹介されているので、それもいいかも。
Posted by ブクログ
脚本の書き方のクラシックらしいです。一人で文章を書くむずかしさとか、すごい。あとパートナーと合作の時に気を付けること。とか。大変勉強になりました。
Posted by ブクログ
アイデアを具体化し、ドラマにするためには、主題(テーマ)が必要である。主題とは、アクション(行動)とキャラクターを意味する
アクションとは、どんな行動に関するストーリーであるのか
キャラクターとは、誰に関するストーリーなのか
主題
アクション 身体/感情
キャラクター 必要性の決定/アクションこそキャラクター
アクションとキャラクターに関して、一、二行にまとめて書いてみる
人生とは、アクション(行動)からなり、その終わりもまたアクション(行動)の一形態であり、質の変化ではない(アリストテレス「詩学」)
全ての主要登場人物は、強烈なドラマ上の欲求も持っている
ドラマ上の欲求とは、脚本の中で、その人物が手に入れたい、成し遂げたいと思っていることである
よい登場人物を作るための、4つの絶対不可欠な要素
①登場人物は強力ではっきりした"ドラマ上の欲求”を持っていること
②その人個人独自の考え方、ものの見方を持っていること
③あるものに対する態度を体現していること
④何かしらの変化や変身を遂げること
会話の目的
①会話によってストーリーが前に進む
②主要登場人物の情報を明らかにしていく
この順番で考える
①エンディング
②オープニング
③プロットポイントⅠ
④プロットポイントⅡ
オープニングに関する大切な6つのルール
①動きの中でストーリーを運んでいるか?
②登場人物が明確に紹介されているか?
③ドラマ上の前提が設定されているか?
④状況を作り上げているか?
⑤登場人物が直面し、乗り越える障害を作っているか?
⑥登場人物の「ドラマ上の欲求」が何かを述べているか?
インサイティング・インシデント(誘引する事件)
1ページ目の最初の言葉から、ストーリーを進めていく道具として使われている
「事件」によってストーリーが動かされる
観客と読み手の注意を掴む
キー・インシデント(鍵となる事件)
インサイティング・インシデントによって生み出される
プロット・ポイントⅠで起こる
インサイティング・インシデントは、この事件が起こることで登場人物が初めて投げ込まれ、ストーリーが動き出すのであるが、それはあくまでもきっかけの出来事に過ぎない。キー・インシデントこそが本質であり、本当のストーリーが始まる
プロットポイントでは、人物の感情面と身体面のアクションによって引き起こされる。外面の出来事が、人物の内面に影響を与え、その人物の感情の動きによって、脚本が一つ上のレベルに移行する
正反合
正しい行いによって、ヒーローになる
シーンの目的
①ストーリーを前に転がすこと
②人物についての情報を明らかにしていくこと
一つのシーンでは、ストーリーに関する情報を一つ明らかにするのが原則
シーンの2つの種類
①視覚的に何かが起こる
②会話シーン
シーンの目的を設定し、その上で場所と時を設定していく。次にシーンの文脈を設定し、内容を決めていく。シーン内で使える構成要素を見つけ、効果的に使っていく
コメディでは、おもしろおかしく演技するのは最悪なこと。コメディでも、ドラマと同様に、リアルな状況の中での、リアルな登場人物たちを必要とする
シーンの場所
シーンは、文脈を作り、その中で内容を組み立てていくことで作っていく
シーンの目的、意義を考え、その上で「時」と「場所」を設定する
ドラマを動かす、内的・外的葛藤を作り出すための、シーン内にある構成要素を見つける
ドラマとは葛藤である。それを見つけるのだ
ストーリーは常に前に進んでいく
少しずつ、シーン毎に解決に向かって、転がっていく
そのシーンの目的は何か?
その存在意義は?
ストーリーを展開させているか?
シーン内で何が起きているか?
そのシーンに人物が登場するまで、彼らはどこにいたのか?
そのシーンの間、どのような感情の動きが人物たちにあるのか?
その感情の動きは、シーンの意味にどれだけ関係してくるのか?
なぜ、その人物がシーンに必要なのか?
シーンの目的が何か?
人物のアクション、会話がどのようにストーリー全体と関係してくるのか?
シークエンスとは、一つの共通な目的に向かっていく、"発端""中盤""結末"という明確な形を持ったシーンの集合体
シークエンスを、葛藤・矛盾によって組み立てる
脚本を組み立てる作業と、実際に脚本を書いていくということが全く別のものであるということを理解する
カードを使って、脚本を組み立てる
リアクションだけでは駄目。人物の本質はアクション。受け身な主人公がアクションを決意する=プロットポイント1
よい脚本は、1ページ目の一文字目から状況設定ができている
会話の意義
①ストーリーを前に転がす
②人物についての情報を明らかにしていく
③観客と、必要な知識や情報を共有する
④人物同士の関係を組み立てる。関係がリアルで、自然で、現実味を帯びているようにする
⑤人物に深みと心、そして存在意義を与える
⑥ストーリーと人物の葛藤を明らかにする
⑦人物の心情を明らかにする
⑧人物のアクションを説明する
シーンのアクションを、"発端""中盤""結末"に分ける
・シーンの意義は何か?
・人物はどこから登場するのか?
・その人物の、このシーンでの目的は何か?
Posted by ブクログ
かつて別冊宝島で出たものしか翻訳ものがないといわれていたシド・フィールドの著作。自分としては外国人が書いたものとしては「クリエイティブ脚本術」「ハリウッド・リライティング・バイブル」に次ぐシナリオ指南書。個人的にはペキンパーとの交流が話しとして興味深かった。
Posted by ブクログ
■第1章 映画脚本とはなにか
形や、構成をよく知るためには、できるだけ多くの脚本を読むべきである。出版されている脚本も多く、書店にいけば置いてあるだろうし、ネットでも注文できる。今ならウェブ上に無料で置いてあることもあるだろうし、中にはお金を払わなければならないものもあるだろう。
私は、生徒には『チャイナタウン』『ネットワーク』(バディ・チャイフスキー)『アメリカン・ビューティー』『ショーシャンクの空に』(フランク・ダラボン)『サイドウェイ』(アレキサンダー・ペイン、ジム・テイラー)『マトリックス』『アニー・ホール』『ロード・オブ・ザ・リング』を読み、勉強させている。
これらの脚本はすぐれた教材である。もし、これらが手に入らなければ、どの脚本もいい、すぐに読み始めるべきである。多ければ多いほどいい。
パラダイム(※モデル、枠組み)とは、よい脚本の土台であり、ドラマ構成の基礎である。
■第2章 主題(テーマ)を作る
私は最近『アニー・ホール』(ウデイ・アレン)を分析していて、「キャラクターが欲することがドラマ構成を決める」という結論に達した。キャラクターが求めることが、脚本上での動きを選択し、そうした欲求の高まりによって、キャラクターをより複雑に、奥行きのある人物にすることができる。
よい脚本にするためのカギは、事前の準備として、たくさんの素材を集めておくことが重要である。
会話は生ものである。役者はよりよい台詞を考えだしたりするからだ。しかし、そのキャラクターが何を求めているかは聖域であり、絶対変えてはならない。なぜなら、それによって一つのストーリーを成立させているからである。
まずはキャラクターの目的を明確にせよ!
キャラクターはなにを求めているのか?
彼には何が必要なのか?
何が登場人物たちを突き動かしているのか?
『チャイナタウン』のジェイク・ギテスは、自分を陥れたのは何者か、そしてそれは何故なのかを知ろうとする。
『ボーン・スプレマシー』(トニー・ギルロイ)のジェイソン・ボーンは、誰が自分を狙っていて、それは何故なのかということを知る必要がある。
キャラクターの欲求を明確にしなければならない。登場人物たちは何をしたいのか?
『狼たちの事』において、サニー(アル・パチーノ)は、愛人の性転換手術のための資金を得るために銀行に押し入った。これが彼にとっての動機である。
ラスベガスで儲けるためのシステムを開発したとしよう。システムが上手く行くかどうかを知る前に、どれだけ勝つ必要があるのだろうか? キャラクターの欲求は、ゴールを設定する。「どのようにしてそれを達成するのか」ということが、ストーリーのアクション(観客に働きかける力=ページをめくらせる原動力・推進力)になるのである。
繰り返すが、すべてのドラマは、葛藤、衝突である。キャラクターの目的をはっきりさせることができたなら、その達成を阻止しようとする障害物を設定することができる。キャラクターがその障害物をどのように乗り越えるのかが、ストーリーである。心情であれ、外的なものであれ、葛藤、困難、障害物を乗り越えることはドラマにとって必要不可欠な材料である。コメディにおいてでもだ。観客に興味を抱かせ続けるだけの葛藤を創造するのは、脚本家の責任だ。脚本家の仕事は、読み手にページをめくり続けさせることである。ストーリーは、その解決に向かって、常に前に転がらなければならない。
こうすることで、自分の書こうとする主題を知ることができる。アクションとキャラクターについて掴むことができたなら、キャラクターの目的を明確にし、その妨げとなる障害物を作り出せる。『キル・ビル』のブライドのドラマ上の目的は、単純に復讐である。それは、ストーリーのためのエネルギーになる。
『真夜中のカーボーイ』では、ジョー・バック(ジョン・ボイド)は、ニューヨークに来て、女を引っ掛けようとする。これが、彼の〝ドラマ上の欲求〟である。そして、これが彼の夢でもある。多くの女たちを満足させて金を儲けたい、と考えている。
すぐさま直面する障害物は何か?
彼は、ラッツォ(ダスティン・ホフマン)に引っ掛けられて、金を失う。友達も、仕事もなく、ニューヨークの女たちは、彼の存在すら知らない。
夢だったのに!彼の甘い夢は、ニューヨークの厳しい現実社会と衝突する。これが、葛藤である。
葛藤なしには、アクションは生まれない。アクションなしには、キャラクターは存在し得ない。アクションは、そのままキャラクターである。その人が言うことではなく、その人のすることが、その人物を現す。
■第3章 登場人物(キャラクター)を創造する
■第4章 登場人物(キャラクター)を構築する
どのようにして登場人物に命を吹き込み、どうやって人間性を構築していくのか?
そのような問いかけを口にしたとたん、はっきりした答えがないことに気づいた。登場人物構築は、創造プロセスの謎と秘密の部分だった。
登場人物に関する問題を解決するために、その人物に入り込み、土台と攻勢を組み立てなければならなかった。その上で、人格造形を深めていく要素を足していくのだ。
そうして私は自らに問い続けた。
何によって登場人物は深みを持つのか?
そもそも人物像とは?
答えを見つけるためには、私たちが共通して持っている性質を知る必要があった。
皮膚の下は皆同じである。いくつかのものによって私たちは結びつけられている。同じ欲求を持ち、同じ恐怖心を持ち、不安を抱えている。私たちは、愛された石、自分と同じような人と友達になりたいだろうし、成功したいだろうし、幸せになりたいだろうし、健康的でいつづけたいだろう。
このようなことを心に留めて『ダンディー少佐』を読み直し、個々の欲求という視点から登場人物(キャラクター)を分析することにした。
この視点から読むと、四つのことが明らかになってきた。それは、よい登場人物を作るための、四つの絶対不可欠な要素であった。
1 登場人物は強力ではっきりした〝ドラマ上の欲求〟をもっていること。
2 その人独自の考え方、ものの見方をもっていること。
3 あるものに対する態度を体現していること。
4 何かしらの変化や変身を遂げること。
この四つである。これらの四つの要素によって、魅力的なよい登場人物(キャラクター)を作ることができるのである。
〝ドラマ上の欲求〟は一、二行で書くことができるようなものである。
こうして見てみると、すべての主要登場人物は強烈な〝ドラマ上の欲求〟を持っている。〝ドラマ上の欲求〟とは、脚本の中で、その登場人物が手に入れたい、成し遂げたいと思っていることである。〝ドラマ上の欲求〟によって登場人物はストーリーを通して突き動かされる。それが目的であり、使命であり、動機であり、モチベーションの元となる。これによってその人物は、物語上のアクション(行動)として、動かされてゆくのである。
ヘンリー・ジェームズの理論の一つは、照明理論と呼ばれる。主役の登場人物が円の中心にいて、その人物と相互に影響し合うほかのすべての登場人物たちが、その周辺にいる。その主役とほかの人物たちが交じり合うたびに、その周辺人物たちによって、主役にいわば照明が当てられるように、主役の持ついろいろな側面が明らかになっていく。例えて言うならば、暗い部屋に入っていき、ランプをその四隅に置く。そのランプはその部屋のいろいろな面を明るくする。それと同じで、いろいろな人が、主役の登場人物について語る。それによって、主役の人物像が明らかにされていくのである。
『ロスト・イン・トランスレーション』でボブ(ビル・マーレイ)の人物像が明らかにされていくのは、この手法を使っている。ホテルのバーに座っているビルに向かって、ふたりの男が、ビルの出演作がいかに好きかとか、スタントを自分でこなしたのかどうか質問したりする。こうして、彼がアクションスターで、キャリアは下降線を描いているということが分るのである。
会話は二つの大きな目的を持っている。会話によってストーリーが前に進むということ、主要登場人物の情報を明らかにしていくということである。この二つのうち、一つでも達成していなければ、その会話部分は不要である。
■第5章 ストーリーと人物設定
■第6章 エンディングとオープニングを作る
そして、できるだけ多くの映画を見て、それを分析することだ。最低でも週に二本の映画は見た方がよい。劇場に行ってもいいし、DVDやビデオでもよい。今や、映画は誰でも見ることができるようになったのだから、どんな種類のものでも見た方がよい。出来のよい映画、悪い映画、外国の映画、古典、新しい映画、これらすべてを見なければならない。映画を見ること自体が、学ぶプロセスになる。注意深く映画を見れば、脚本に関する見識を増やしていくことになる。映画について友人や恋人と語り、議論しよう。そしてその映画の構成を考え、パラダイムに合っているのかどうかを考えよう。
■第7章 ストーリーの設定
私ははじめて『チャイナタウン』を見た後、ロバート・タウンにインタビューする機会を得た。このインタビューでの中で、どのようにして人物たちを作っていくのかということを中心に聞いた。特に、ジャック・ニコルソンの役柄であるジェイク・ギテスについて尋ねた。彼は、「キャラクターを作っていく時にはじめに考えることは、『その人物が何を恐れているのか?(守りたいと思っているものは何か?=価値観)』ということである」と答えた。
言い換えるならば、その人物にとって、もっとも怖いことは何かということである。秘密厳守の調査を専門に行う私立探偵のギテスは、守るべき評判を持っている。従って、ギテスは、常に自分が他人によく見えるように振る舞う。彼は、よい印象を他人に与えるためには何でもするだろう。服装はきちんと着こなすであろう。靴はいつもピカピカに磨いてあるだろうし、独自の倫理観を持っている。ギテスの最も恐れることは、真面目に受け止めてもらえず、自分が馬鹿に見られてしまうことである。
■第8章 二つの事件(incident)は関連する
(『氷の微笑』は)殺人という事件によって、ニックがキャサリンに夢中になって行く状態へと、一気にストーリーが進められる。そして、キャサリンが容疑者として尋問されるシーンにおいて、ニックはますますキャサリンに惚れてしまうのだ。これら二つの事件には関連性がる。
オープニングのセックスと殺人という、一つ目の事件は、インサイティング・インシデント(誘因する事件)である。つまり「ツカミ」となる事件、その後の動きを誘引する事件である。
オープニングシークエンスによって、主要登場人物をストーリーラインに放り込むというやり方は、オーソドックスな映画の手法である。ストーリーの設定がなされ、ドラマ上の前提が説明され、ストーリーラインがあり、従うべき方向性がある。これらは、二つの事件の関連性によって組み立てられるのである。このことを新たに発見したことによって、脚本技術の新たな武器を得た。
私はさらにエスターハスの脚本分析を続けた。どのようにしてオープニングシークエンスを書き、構成しているのかという二点に注目した。ほとんどの脚本で、インサイティング・インシデント(誘引する事件)が、一ページ目の最初の言葉から、ストーリーを進めていく道具として使われていることが分かった。
こんどは実際に、さまざまな種類の映画を見ることにした。アクション映画、アクションスリラーもの、ミステリーや、ドラマまでも見た。どの脚本家も、インサイティング・インシデントが二つの重要な役割を担うようにストーリーを構成していることが分かった。
<中略>
このように、例を次々に挙げていくことができるが、最も大切なことは、この〝事件〟が脚本技術において、二つの重要で欠かすことのできない役割を果たしているということである。
一つ目は〝事件〟によってストーリーが動かされるということ。
二つ目は観客と読み手の注意を掴むということである。
この最初の〝事件〟とストーリーラインとの間の関連性を理解するということは、脚本を書くのに不可欠なことである。
これから映画を見る時には、インサイティング・インシデントによってストーリーに動きが生まれ、物事が進んでいくということに注目してみるとよいだろう。
ストーリーの種類によって、インサイティング・インシデントはアクション主体にもなり、人物主体にもなる。必ずしも、切迫したアクションシーンや、劇的なシークエンスである必要はない。状況説明的なシーンであってもよい。
『チャイナタウン』におけるインサイティング・インシデントは、ジェイク・ギテスが偽のモーレイ夫人に雇われることである。
本物のモーレイ夫人が、ギテスの前に現れるプロッとポイントⅠは、キイ・インシデント(key incident)である。キイ・インシデントは、カギとなる事件という意味である。
インサイティング・インシデントによってキイ・インシデントは生み出される。キイ・インシデントは、ストーリーラインの中心となる。それによって、ストーリーが前へと転がるのである。キイ・インシデントによって本当のストーリーが表に登場する。
『ロード・オブ・ザ・リング』では、指輪の歴史が最初の数ページで紹介される。指輪は死の山の炎の中から生まれた。「二十の指輪が作られた。三つの指輪がエルフに、七つの指輪がドワーフの王に、九つの指輪が人間にそれぞれ贈られた。しかし、じつは、もう一つ違う指輪が作られていた。その一つの指輪は全てを支配できた」
映画的な短いシーンで、その指輪の力と邪悪さを見る。その指輪はどこかへ消えてしまうが、ビルボ・バギンズが霧でかすんだ池で発見し、それをホビット庄へ持ち帰る。そして、物語が始まる。
このプロローグのインサイティング・インシデントによって観客は物語の中に引き込まれ、ナレーションといくつもの映像によって知りたいことが分かり、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作のストーリー全体が設定されるのである。
インサイティング・インシデントを組み立てたら、ストーリーが始まる。
魔法使いのガンダルフがホビット庄にやってきてフロド・サムの紹介とともに、ガンダルフの紹介が行われ、ビルボが自身の誕生日パーティーのどさくさに紛れて、旅に出るということも紹介される。ビルボは、行動しなければならない時が来たと、ガンダルフに真実を語る。ガンダルフは、ビルボの出発を聞き、指輪を渡すように言う。すると、ビルボ突然乱暴になり、邪悪な一面を見せる。こうして観客は、指輪の恐ろしさを知ることになる。
そして、ビルボは旅に出た後、彼の甥のフロドがその指輪を受け継ぐことになる。これがキイ・インシデントである。指輪を受け継ぐことで、フロドの〝ドラマ上の欲求〟が明らかになる。
その指輪を死の山へ戻し、指輪が生まれた山の中へ葬り去らなければならないのだ。これがストーリーの全貌である。
ガンダルフが指輪の由来と歴史を知り、サウロンが復活し、その指輪を取り戻すために、黒の死者たちに指輪の在処を探させていることが分かった今、ホビット庄にとどまっていることが危険であると警告する。フロドは、運命の導きによって指輪の所有者になり、邪悪な力によって、彼の身体、そして心が病んでいくことになる。
これが脚本上のキイ・インシデントである。これによって、フロドの旅が始まる。この旅が始まったことで、旅の仲間が結成されるのである。
インサイティング・インシデントとキイ・インシデント、つまりビルボが指輪を見つけたことと、フロドがそれを受け継いだことは、それぞれが関係性を持っている。
これら二つの事件は、ストーリー全体の核となる部分であり、脚本の設定を行う際に必ず説明しておかなければならないことである。
多くの脚本で、キイ・インシデントとプロッとポイントⅠは同じである。
■第9章 プロッとポイントを見つける
プロッとポイントの定義をここで述べておくと、
「ストーリーのアクションを加速させ、別の方向へと行き先を変えるような事件、エピソード、出来事」
のことである。
脚本全体を通してみると、プロッとポイントというのは、あちこちに散見される。しかし、一二〇ページの脚本を書く時には、次の四つのことに留意してストーリーを構成すべきである。
1エンディング
2オープニング
3プロットポイントⅠ
4プロットポイントⅡ
プロットポイントの機能は分かりやすい。ストーリーを前に転がす役目である。プロットポイントⅠとⅡはストーリーのポイントであり、脚本のパラダイムの形を保つものである。プロットポイントは、いわばストーリーラインの錨である。
→プロットポイントⅠ・Ⅱとは、三幕構成「①発端、②中盤、③結末」で考えたときの、「①→②の切り替え」が「プロットポイントⅠ」、「②→③の切り替え」が「プロットポイントⅡ」になる。「起承転結」という言葉は、「起=発端」「承=中盤」「転=プロットポイントⅡ」「結=結末」ということなので、プロットポイントⅠが抜けている。正確には「起転承転結」となるのかと。『高デ』1話だと、「発端=起」は物語冒頭からヨウと出会うまで。ヨウとの出会いが「プロットポイントⅠ」。そこから「中盤=承」が始まり、ヨウが中学時代の晴菜のビデオを観るシーンが「プロットポイントⅡ」、そのあとが「結末=結」になる。
プロットポイントが、なにか劇的なシーンやシークエンスである必要はまったくない、ということは覚えてほしい。プロットポイントは、『テルマ&ルイーズ』のプロットポイントⅡのような静かなシーンでもあるし、『コラテラル』のプロットポイントⅠのような、息詰まるアクションシーンでもある。『マトリックス』のように台詞という場合もある。『チャイナタウン』では、ストーリーラインを決定づける決断である。
プロットポイントは、書き手の選択次第でどのようなものにでもなる。長いシーンかもしれないし、アクションシーンかもしれない。書いている脚本によるのだ。脚本家に選択権は与えられている。しかし、ストーリーに必要な事件、事故、エピソード、出来事であることに変わりないのだ。
プロットポイントをよく知り、それを使いこなせることが、一二〇ページの脚本を書くことの必須条件である。一二〇ページの白紙に向かって書いていく時に、それぞれの幕の終わりにあるプロットポイントによって、ドラマ上のアクションは、一つにつなぎとめられるのだ。プロットポイントが、すべてを一つにまとめるのである。
■第10章 シーンを作る
『カサブランカ』はとてつもない映画体験である。意識の深層に、夢のような体験を呼び起こさせてくれる映画だ。数多くある映画体験の中で、なぜ『カサブランカ』はこのように突出して偉大な映画になったのか? しかもなぜ、今でも新鮮さを保ったままでいられるのだろうか? 多くの理由があるだろう。
私の考えでは、リックというキャラクターによるところが大きいと思う。リックは、言葉と行動を通して、自らの人生をより大きな何かに捧げる(これが自己犠牲・変節)人物なのである。『千の顔を持つ英雄』の中でジョセフ・キャンベルは、英雄(ヒーロー)は「生まれ変わるために一度死ななければならない」と書いている。『カサブランカ』の始まりでは、リックは過去の思い出の中に生きている。イルザとの愛の終わりの痛みを心に抱えたまま生きている。イルザが再び、リックの前に現れたとき、リックはつぶやく。「こんな世界の町のこんな安酒場で、彼女は私のもとに現れた」そして、いまこそ、リックが自らの過去と直面し、対決し、そしてすべてを受け入れなければならないときが来る。
この映画の中で、ボガードが忘れられない印象的な人物であることの理由は何だろうか?
それには二つのことが組合さっている。
ボガードの映画俳優という仮面と、リックという役柄そのものの二つである。リックは、ボガードの神話的イメージがそのまま当てはまる役柄なのである。
ジュリアス&フィリップ・エプスタインとハワード・コッホは、脚本でリックを、タフで恐れを知らず、高い倫理観を持つ、心優しい人物に作り上げている。リックは「善い奴」なのだ。映画の最後で、ヴィクター・ラズロ(ポール・ヘンリード)とイルザ(イングリッド・バーグマン)をドイツとの戦いを続けさせるために、リスボンへと逃がす。この行動は、リックとイルザの個人的な愛情問題よりも、より大きな目的を果たすためである。
「俺はこんな男だが、ちっぽけな人間三人の問題なんか、この狂った世界じゃ取るに足りないことぐらい、すぐに理解できるよ」とリックは言う。
リックは自らの行動によって、変身することができる。彼はナチスを打ち破るために、イルザへの愛情を犠牲にしたのだ。
「英雄(ヒーロー)は、個人的問題よりもより大きな何かに自らを捧げた人である」とジョセフ・キャンベルは述べている。古典的な「英雄(ヒーロー)像」を神話や文学で探してみると、リックとその行動がまさに古典的な英雄像にぴったりと符合する。「生きるとは行動の中にある。その終わりは行動の一つの形態であり、質の変化ではない」とアリストテレスは述べている。ハムレットやバガヴァット・ギータ―のアルジュナ、『マトリックス』のネオも、同じく疑念や恐れを乗り越え、それを脇へ押しやって行動するキャラクターなのである。そしてこの行動こそが、その人物達を「英雄(ヒーロー)」に至らしめている。
シーンの目的は二つある。〝ストーリーを前に転がすこと〟と、〝人物についての情報を明らかにしていくこと〟である。これらの二つのうちのどちらか、もしくは両方ともがシーンの中になければ、そのシーンは必要ない。
長い間脚本術を教えていて分かったことがある。
その一つは、ルールを設定したくなる人が少なくない、ということだ。手本にした脚本や映画が、第一幕に十八シーンあったとしよう。そうすると、ルール派は、第一幕は十八シーンで構成しなければならないというように考えてしまう。何度も夜中に電話がかかってきて、「自分の脚本が長すぎる」とか「第一幕が三十五ページになってしまった」とか「プロットポイントⅠが十九ページに起こってしまった。どうしたらいいか分からない」と鳴き声で訴えてくる。
私はいつも同じように答えている。「だからどうしたのだ?」第一幕が長過ぎるからどうだというのだ? プロットポイントⅠが十九ページになってしまったからどうだというのだ? 数に従うことにこだわっていては脚本は書けない。重要なことは、脚本の構成、形である。〝発端〟〝中盤〟〝結末〟という形であって、ページ数ではないのだ。パラダイムは、ガイドであって絶対的真理ではない。脚本をページ数に従って書く方法は、まったく意味をなさない。伝えるべきストーリーを信じていれば、必要なことは自然とわかってくる。書かなければいけないシーンと、書く必要のないシーンは、ストーリーが教えてくれるのだ。
一つのシーンでは、ストーリーを進め、人物像を明らかにしていくことである。一つのシーンが二つ以上の情報を明らかにすることはほとんどない。二つ以上の情報が含まれると、複雑すぎて、ストーリーの流れが悪くなり、混乱を招きやすくなる。
役者は、よくシーンの木目に逆らった演じ方をする。つまり、そのシーンの流れに沿って演じるのではなく、その反対をすることで効果をあげようとするわけだ。例えば、「怒り」のシーンで、柔らかく笑顔を作りながら演じるということである。怒りを、優しい笑顔の下に隠しながら、演じるのである。マーロン・ブランドはこのアプローチの達人であった。
シーンを作っていく時に、このように木目に逆らうことで印象を強くする方法や、視覚的に面白さを増すようなロケーションを使うことを意識しておくとよいだろう。
第11章 シークエンスを考える
シークエンスは、〝発端〟〝中盤〟〝結末〟を備えたシーンの集合体である。
生徒の一人が、アクション映画の脚本を書いてきたことがあった。
〝海兵隊のパイロットが、人質として捕われている科学者を救出するためにその国に潜入する〟というストーリーだった。まずまずのドラマ上の設定である。ストーリーをうまく転がしていけるすばらしいアクションシークエンスができるかもしれないと思った。
その生徒は、まさにその通りに書いてきた。つまり、アクションシークエンスに次ぐアクションシークエンスの連続で脚本を書いてきた。高速のようにストーリーを展開していた。しかし、まったくおもしろくなかった。
なぜだろうか?
簡単である。興味の湧くような、おもしろい主要人物が存在しなかったからである。その生徒が、主要登場人物をきちんと作り込んでいなかったので、台詞のほとんどが、ストーリーを進めるだけの説明台詞になってしまっていたのだ。それでは脚本としての形をなさない。救出に向かった人物について、まったくわからない。どんな人物で、どこからきたのかということもわからない。彼の考え方や感じ方もわからなければ、彼を突き動かしている力についてもわからないのだ。
実はこれは、アクション映画に限らず、どんな脚本を書く時にも共通することなのだが、特に『ボーン・スプレマシー』や『コラテラル』のようなアクション映画を書いていく時には、アクションと同様に、人物描写にも力を注がなければいけない。これを怠ると、アクションがストーリーに先行してしまい、人物描写が脆弱化してしまう。これでは、脚本がどれだけ上手に書かれていても、平坦でおもしろくないものになる。山と谷のバランスが必要なのだ。つまり、読み手や観客が、落ち着いて息を整える瞬間が必要なのである。
■第12章 ストーリーラインを構築する
「試してうまくいかなかった方法は、実はうまくいく方法を教えてくれる」
これは、映画で昔からあるルールでもある。「うまくいかなかったシーンは、実はうまくいくシーンを教えてくれる」
間違いを犯すことを恐れてはいけない。
■第13章 脚本の形式を知る
■第14章 さあ、脚本を書こう!
書き始めると、まずあなたに何が起きるか?
一言でいえば、妨害反応だ。
フェイドインと書いた瞬間に、突然鉛筆を削りたくなったり仕事場の掃除を始めたくなったりする。つまり、書かなくてもいいという言い訳を考え始める。これが妨害衝動だ。
書くということは、書きながら学んでいくという特異なプロセスだ。自転車の乗り方を憶えたり、泳げるようになったり、ダンスをすることと同じように、書きながら技術を学んでいく。
いきなり水の中に投げ入れられて、泳ぎをマスターするわけではない。まずは泳ぎ方を憶えてから、水に入る。実際に泳いでみることで、泳げるようになっていく。練習すればするほど、上手になっていく。
これは脚本でも同じことだ。妨害衝動にも慣れるしかない。本当にいろいろな方法で妨害してくる。しかもほとんどそれに気づきさえしない。
よい脚本を書くとは何だろうか?
たくさんのことを挙げることができるが、最も大切なことは、よいドラマの根本が葛藤であることを理解することだ。
もう一度言おう。ドラマは葛藤である。葛藤なしには、アクション(観客に働きかける力=ページをめくらせる原動力・推進力)は生まれない。アクションなしにはキャラクターが生まれない。キャラクターなしには、ストーリーは存在しない。ストーリーがなければ、脚本を書くことはできない。
葛藤は、内的なものであったり、外的なものであったりする。
『めぐり合う時間たち』、『チャイナタウン』、『クライシス・オブ・アメリカ』、『日のあたる場所』(マイケル・ウィルソン、ハリー・ブラウン)、『コールド・マウンテン』、『アメリカン・ビューティー』などのストーリーには、両方の葛藤が存在している。
外的葛藤とは、登場人物たちの外の要因によって生まれる身体的(心理的にも)障壁のことである。例えば『コールド・マウンテン』や『コラテラル』、『アポロ13』、『ジュラシック・パーク』などで見ることができる。ストーリーの中に葛藤を生み出すことは、書くということに関する基本的な真理である。書く対象が小説や戯曲、脚本であっても違いはない。
では葛藤とは何か?
辞書で引いてみれば、「反対」という意味も含めているということを発見できるだろう。つまり、すべてのドラマ上のシーンは、あることに対して考え方などが正反対同士の人物を創り出すところから始まるのだ。葛藤はどんなものでもよい。例をあげれば、苦闘や公論、戦い、追跡、人生への不安、失敗することへの恐怖心などがあるだろう。あらゆる種類の対決、壁、障害などが葛藤になる。それが心情的もしくは身体的、精神的な者であるかは問題ではない。
葛藤からストーリーが生まれていくのだ。葛藤があるからこそ、強力なアクションと、強烈な人物が生まれるのだ。葛藤がじゅうぶんに強くなければ、退屈な脚本を書く泥沼にはまってしまう。
脚本を書く時には、無情にならなければいけない。効果的でないシーンは、うまくはまっていないのだ。シーンそれ自体が際立ってしまい、そこに注意が集まって、アクションの流れが悪くなってしまうことが多い。
ただし、際立ちつつも効果的なシーンというものは、観客の記憶に残る。よい映画には、こういった記憶に残るシーンというものが、一つか二つはあるものだ。これらのシーンは、ドラマ上の文脈の中で輝いている。印象に残るシーンとして、その映画のトレードマークになる。
自身が選択したシーンが効果的かどうかわからないときは、だいたいそのシーンはいらない場合が多い。必要かどうか考えなければいけないシーンは、必要ないことが多いのだ。必要なシーンは自然とわかってくる。自分を信じることだ。
■第15章 脚色をする
著名なジャーナリストが、自身が有名な雑誌に書いた記事をもとにして脚本を書いていた。すべての事実が自分の引き出しに入っていた。しかし、その事実の山を一度忘れてドラマとして脚本を書くことは、彼にとって非常に難しいことだった。正しい事実とし正しい詳細を選ぶことに一生懸命になり過ぎて、最初の三〇ページ以上書くことができなかった。泥沼にはまり、パニックに陥ってしまった。
結果、よい脚本になる可能性を持っていた題材はお蔵入りとなってしまった。
失敗の原因は、記事と脚本を分けて考えることができなかったからだった。素材に完全に正確であろうとして、うまくいかなかったのだ。
雑誌や新聞記事をもとにした映画脚本やテレビドラマ脚本を書こうとしている人も多いだろう。記事を脚本化するときには、脚本家の視点を持たなければならない。つまり、ストーリーは何かということを第一に考えるということである。
主人公は誰か?
どんなエンディングか?
殺人罪で無罪の判決を受けた男が、実は犯人だったというストーリーなのか?
レーシングカーを設計し、組み立て、チャンピオンになる男のストーリーなのか?
糖尿病の治癒方法を発見する医者のストーリーなのか?
何についてのストーリーなのか。これらの質問に対する答えを見つけたときに、ストーリーをドラマの構成に直すことができるのだ。
今までに書かれた素晴らしい脚本の数々をすべて読もう。
『チャイナタウン』を手始めに読んでみよう。
それをよく研究しよう。そして、決して諦めてはいけない。
Posted by ブクログ
ハリウッドの脚本家が描かれた、作劇術の本です
有名な3幕構成についてよく書かれています
状況設定、葛藤、エピローグみたいに脚本は3分割できて、計120ページくらいでまとめれるそうです
人物の練り方は、ドラマ上の欲求というものが大切だそうです
とにかく出だしを面白くしないといけないらしく、最初の10ページで絵的に映えて心を掴まないといけないポイントがあるそうです
インサイディングポイントだったか何かだったと思います
そして中盤で話の転換点、ターニングポイントが来るそうです
例に挙げられるベストセラー映画があまり分からなかったので、著者の意見が伝わりにくいところもありましたが、何となく重要なことは伝わってきました
3幕構成の仕組みの解像度が上がりました
言われてみればな説明が多く、映画もそうですがソシャゲのシナリオを読んでいても3幕構成でいうところインサイディングインシデントや、オブジェクションインシデント?のようなものがある気がしました
話の構成に関わる知識が入ってきたおかげか、以前より物語を観察しながら見れるようになりました
特に会話、シーンごとの目的を解説されていたのが面白かったです
シナリオを前に進めること、キャラとかの詳細設定を掘り下げる、解像度をあげることが目的なのは確かにそうでした
優れたシナリオは1ページ、ワンシーンごとに話が前に進むし、キャラの解像度があがっている気がします
また、キャラがリアクションするだけで終わっていないかという注意もよかったです
反応だけでなく、行動、アクションを起こさないと何も始まらないのはそうでした
それらを理解すると、シークエンスの説明がより伝わってきました
具体的な創作術では、カードを12枚ずつ用いて、3幕構成ごとにシーンを起こしていくのはおもしろそうでした
英語が横書きなので、脚本例も横書きで挙げられていて新鮮でした
Posted by ブクログ
映画の脚本術について書かれた本です。おそらくこの業界ではバイブル的な本ではないかと思います。物語を3つに分ける三幕構成を骨子に第一幕から第二幕へ以降するタイミングをプロットポイントⅠ、第二幕から第三幕へのそれをプロットポイントⅡと呼んでいます。それぞれの幕でも発端、中盤、結末の3つに分けて考えて物語を構築しています。こうしたフレームワークを本書ではパラダイムと呼び、数々の名作を例に出して説明しています。脚本を作るうえで優れたフレームワークだと思います。勉強になりました。
Posted by ブクログ
映画の楽しみ方に新しい視点を持てた。
さほど小難しくもなく、目からウロコなハウツーでもないので、理論が純粋に鑑賞して楽しむことを邪魔することもない。
Posted by ブクログ
check the scenarios:'China Town','the Shawshank Redemption' and 'matrix' then wright, check and rewright. i can't stand!
Posted by ブクログ
システム化・マニュアル化、アメリカのお家芸が存分に発揮される。ただし本書は巻末にもある通り、How-toではなく、構造を分析・解説するWhat-toと称している。日本は「見て覚えろ」「自分で盗め」から脱却できているのだろうか。そして山ほどのネタバレ。
Posted by ブクログ
よい映画の脚本には決まったパターンがある。
この本では、著名な作品を例示しながら、脚本のパターンを一般化。
2時間という決められた時間で、映像によってストーリーを伝えるには、
描かれている構造、手順は確かに効果的だろう。
もちろん、本書にも書いているとおり、
このとおりにやっても決してよいストーリーが作れるようになるわけでなく、
結局は地道に考えて、書き続けるしかない。
脚本を書くことは、学びであり、人として成長する道である。
選んで読んでいるわけではないが、最近こういう
「日々是修業」っぽい本によく出会う。
Posted by ブクログ
映画好きならたまらないんじゃないだろうか。
あまり映画を見ないけれど、著者の映画への愛情と脚本を書き続けた経験から述べられるいくつかのことを興味深く読むことが出来た。
映画は尺が決まっているから、エンディングに向けて物語を進めて行かねばならないこと。小説や戯曲とは異なること。
今後映画見るときには構成まで気にしつつ見よう、と思わせる。
チャイナタウン、テルマ&ルイーズ、アメリカンビューティを見たくなった。
映画好きならばオススメ。
再読のテスト
映画好きならたまらないんじゃないだろうか。
あまり映画を見ないけれど、著者の映画への愛情と脚本を書き続けた経験から述べられるいくつかのことを興味深く読むことが出来た。
映画は尺が決まっているから、エンディングに向けて物語を進めて行かねばならないこと。小説や戯曲とは異なること。
今後映画見るときには構成まで気にしつつ見よう、と思わせる。
チャイナタウン、テルマ&ルイーズ、アメリカンビューティを見たくなった。
映画好きならばオススメ。
Posted by ブクログ
2009
脚本術についての書かれていて、そんな体裁はとってないが、所謂「ハウツー本」と言える。参考になる部分は多く、普段映画を観ているときに、たしかにそのシークエンスが重要なのだが、なぜ重要かと問われると困ることが多々あるが、それを「プロットポイント」と名付けられると、ああそうか、と頷いてしまう。映画のパラダイム(構造)についての記述が最も勉強になった。あとは実際の映画(たとえば『チャイナタウン』)を元に分析される。著者がアリストテレスだのニュートンだのジョイスだの、偉い人たちの偉そうな台詞をいちいち引用してインテリぶっているのが若干気に食わない。