武藤郁子のレビュー一覧
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ネタバレこの本の初めに
:各地の神社の境内や周辺から縄文遺跡が出土している例が「かなりある」ことに気付いた著者の武藤郁子さんが、「縄文時代の遺跡と神社が重なっている場所」がたくさんあることには、偶然ではなく、この場所に神社があることに、意味があるのではないかと考えるようになり、それらの場所には共通する地形や雰囲気があり、縄文でも現代でも、人間は本質的に、喜びや悲しみの中で、「何かに祈り、願う」生き物であり、長い年月の中で「祈りの場所」として、ずっと大切にされてきた“縄文神社”という特別な場所なのではないかと考えるようになったのです。
その場所は縄文期から”聖地”であり、「祈りの場所として現在までつながってきた」世界的にもほとんど例がない奇跡の場所である。
と記されています。
縄文時代の遺跡が沢山発掘されている場所は、縄文時代の人たちにとっても特別な場所であったことは間違いがないことです。
太古の自分のご先祖様たちのことを少しでも知ることができるのは、いろいろな遺跡に頼るほかありません。
私は東京居住ですので、武藤さんが探してくださった首都圏の“縄文神社”をぜひ訪れてみたいと考えました。 -
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読む前から、薄薄、思っていましたが、
やはり、一度読んだだけでは「密教」と「空海」を
理解するには至りませんでした。
多分?10回読んでもダメかも?
ただし、密教は「己の中に」すでに仏があることを
気づくこと、 と云うのは印象的でした。
(当然私は、気づけていませんが。)
お大師さまが生きた時代や社会、人物の解説は
よく知れました。し、解説は優しかったです。
密教は、文字で書かれたものを読んだだけでは
ダメらしいです。
体現と、「師」からの伝授やその師との巡り合わせ
が、大切らしいです。
現代の最大宗教「天台宗」(比叡山延暦寺)の開祖の
最澄さんが、空海さんに、
密教の経典を見せてほしいと頼んだ時に
空海さんは最澄さんに、
見ても、文字で書かれたものを読んでも、
密教は理解できませんよ! と、
云ったとか?、云わなかったとか?
著者 いわく、
僧侶に実際に手ほどきを受けると、
(適切に指導してもらうと)、少しの指導でも、
大きな気づきがあるものです、と
述べていました。本当かしら?
また、「巡礼」をすることで、密教を体現したり
理解することにつながるそうです。
四国八十八のお遍路など。
四国のお遍路文化 にも大いに興味をそそられます。
四国の人びとは、お遍路さんに
心を配り、めちゃ優しいのだとか?
【空海と密教の秘宝】の特別展を、
先月、観覧しましたが、とても興味深いく、
良い体験でした。
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読み部分もありつつ、地図や図解が多くて
資料的な要素が強い本。
弘法大師空海とはどんな人だったか
について詳しく知らない人は、
物語性のある本と並行して読むと
知識が入ってきやすいと思う。
(私は司馬遼太郎の本と合わせて
読み進めた。)
著者の、空海さんへの愛が伝わる。
書類を読みあさって書いたものではなく
実地で歩いて、体験して、感じて
体感として学び取ったものを
本にした感じが伝わってきた。
私も空海さんだけでなく
密教についても知識を深めたかったので
巻末に、曼荼羅や菩薩についての
解説もついていて参考になった。
行ってみたいお寺や場所も見つかった。
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ネタバレ<目次>
はじめに
序章密教ってなんだろう?
1章天才少年・真魚、空海になる
2章密教の正統継承者・空海
3章密教の大成功者・弘法大師空海
4章空海の密教
5章密教のsデュ業と修法
6章実践!今日から始める密教
附章密教の仏尊と神々
おわりに
2024/6/4初版第1刷
2024/9/30第5刷
p82怨霊が悪さをする
仏教によって国土を護り、皇室の安泰や国民の平和・
興隆を祈念する、鎮護国家
(p94当時は仏教が最先端の学問?ならば、死後の世界が
あるなら、今の量子物理学の仮説ともつながる?)
(p98修行の場所、そこはあちらにつながる場所?
導く人はつながる人?) -
Posted by ブクログ
神社仏閣めぐりをしていると、実際に縄文·弥生·古墳などの遺跡に建っているということが結構ある。なので、この本の縄文遺跡に建つ神社、縄文の祈りの場を引き継ぐ神社、という考えには納得できる。
縄文文化や信仰を色濃く残す諏訪をはじめ、土地の高低差や湧水の有無まで言及した現地レポートは面白い。
…とはいえ、全面肯定するわけではない。
関東地方は縄文遺跡が多いことは冒頭に述べられているが、だとすると遺跡密度の高い関東地方なら単に神社にかかる遺跡が多いだけなのでは?
あと、祈りの場といっても当然歴史的断絶がある。明治神宮を入れることを筆者はためらっていたが、結局採用している。聖地の感覚は縄文人と共通しているだろう、ということだが…。
神宮創建以前の土地の持ち主、加藤家や井伊家が「縄文の感性を受け継ぐ縄文大名」とは謂わないだろう。
また、城の鎮守として建てられた神社となると、縄文人と戦国時代人の土地への感覚は異なってくるし、そこに建立された神社の意味合いも違ってくる。
諏訪のような実際に文化や信仰を受け継ぐ純正?縄文神社、聖地にふさわしい土地というマインドが共通する(かもしれない)縄文神社、土地に関する考え方に断絶がある·別な理由などで単に遺跡の上にたっているだけの神社…。
そういう縄文神社の違いがどうしてもあるなぁ、それが気になるなぁ、と思ったところ。
「そういう考えもあるかもしれない」程度でとどめておく、神社別にして縄文遺跡の立地観察くらいでとらえておいたほうがいいかも。