あらすじ
神社にお参りすると、清冽な空気を感じてほっとする。当たり前に捉えていたけど、よく考えてみたら実に不思議なこと。著者は参拝しながら、境内やその周辺に縄文遺跡がある神社が数多いことに気づく。“縄文の人々が心地好いと感じ、神聖視したとっておきの場所で自分も祈っているのではないか”。以来、「縄文神社」と名づけたその地を求めて関東、山梨、長野を文字通り駆け回る日々。前作「首都圏篇」以降、新たに出会った約190社のうち、60社余りを厳選して紹介。一万年、数千年続く祈りの地――あなたの身近にもきっとある!
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感情タグBEST3
Posted by ブクログ
神社仏閣めぐりをしていると、実際に縄文·弥生·古墳などの遺跡に建っているということが結構ある。なので、この本の縄文遺跡に建つ神社、縄文の祈りの場を引き継ぐ神社、という考えには納得できる。
縄文文化や信仰を色濃く残す諏訪をはじめ、土地の高低差や湧水の有無まで言及した現地レポートは面白い。
…とはいえ、全面肯定するわけではない。
関東地方は縄文遺跡が多いことは冒頭に述べられているが、だとすると遺跡密度の高い関東地方なら単に神社にかかる遺跡が多いだけなのでは?
あと、祈りの場といっても当然歴史的断絶がある。明治神宮を入れることを筆者はためらっていたが、結局採用している。聖地の感覚は縄文人と共通しているだろう、ということだが…。
神宮創建以前の土地の持ち主、加藤家や井伊家が「縄文の感性を受け継ぐ縄文大名」とは謂わないだろう。
また、城の鎮守として建てられた神社となると、縄文人と戦国時代人の土地への感覚は異なってくるし、そこに建立された神社の意味合いも違ってくる。
諏訪のような実際に文化や信仰を受け継ぐ純正?縄文神社、聖地にふさわしい土地というマインドが共通する(かもしれない)縄文神社、土地に関する考え方に断絶がある·別な理由などで単に遺跡の上にたっているだけの神社…。
そういう縄文神社の違いがどうしてもあるなぁ、それが気になるなぁ、と思ったところ。
「そういう考えもあるかもしれない」程度でとどめておく、神社別にして縄文遺跡の立地観察くらいでとらえておいたほうがいいかも。