p054 2021/11 ベラルーシ ルカシェンコ大統領
難民そのものを、西欧各国が共有する道徳律である「人権」によってコーティングして他国に向けて打ち込む、いうなれば人間ミサイル兵器として活用する方法を考案し、実際にやってみせた
p66 力強く少子化対策にのりだし、そして成功を収めはじめている
...続きを読む国がある ハンガリー 年間予算はGDPの4.7% 首相 オルバン フェミニストでなく国粋主義者 自国民以上に出生率が高く、ますますその勢力を拡大する移民を追い出し、純血のハンガリー人をひとりでも多く増やしたいという宿願がある
オルバンがこうした政治的意思決定を断行できるのは、彼が民主主義的な手続きを簡略化または省略し、国民の権利を制限することに対してためらうことがないからであり、また移民を追い出したいという、多様性や寛容性のかけらもない国家主義的な野望を持ち合わせているからだ。リベラリストやフェミニストたちの理想を、その陣営とは対極に立つ独裁者が実現する。それもリベラリストやフェミニスト立ちがもっとも嫌悪する動機によって。
p094 キャンセルカルチャー 先進社会における人権感覚に著しく反する言動・表現を行った人を、マスメディア、ソーシャルメディア上でつるしあげで糾弾し、社会的名誉を失墜させ、なおかつ仕事や地位を剥奪し、世間の表舞台から半永久的に追放することを目的とした一連の社会運動
p097 キャンセルカルチャーのメソッドは、発言や作品が半永久的に記録され・保存されうるネット社会においては整合的で、論理的にも道義的にも一貫性が担保されていたとしても、その調和が恒久的に保持されるとはかぎらないからだ。インターネットやソーシャルネットワーク上に、個人の言動や作品の記録が、すべてのコピーやアーカイブを含めて完全に消去されない限り、保存される社会において、ある個人が「いついかなる時代・場合においても一貫して正しい無謬の人物であり続けることはほとんど不可能である
p102 NIMBY no in my backyard
p107 私は被害者という概念は、実に画期的な発明品だ
私は基本的に、すべての人の権利を尊重するが、しかし相手が私に対して被害をもたらしうるときは、その限りではない(なぜならそれは私の権利が尊重されないことになるからだ)」という留保をつけておくことで、自分の隣人になろうとするハイリスクな他人が現れたら、かれを寛大に迎え入れる道義的責任を否定することができる
p148 ある人の顔立ちやスタイルなどの外見的魅力によって、その人の価値や他者との優劣を決する概念ルッキズムが社会的に浸透して久しくなった
p193 この社会で暮らす誰もが、自分が本当に困っているときだけ、「望ましい関わり」「本当に有益な援助」を提供してくれる人が現れてくれたらいいのにと願う。だが、「面倒くさい他者」「煩わしい他者」「腹立たしい他者」との関わり合いが時折発生する状態を受け入れなければ「窮状に駆けつけてくれる親切な他者」は現れない。都合のよい他者のみを選択的に温存しておくような方法はない。自分にとって害や不快感のある人々を排除して、快適な暮らしを選ぶのであれば、自分にとって益や助けとなる人々の登場をも同時に諦めなければならない
p230 差別がいかに人間性に反する悪徳であり、受ける人の人生をことごとく破壊するのかを理解し深刻に語ることができる見識豊かな人は、差別のない世界で最後まで残される砦が能力による差別であることに気づいている
p252 ノルウェーでは、現地に滞在して清掃や保育などの仕事をしながら言語や文化を学ぶ文化交流事業の名目で設けられたオペア au pairという制度がある、だが実情としてはすでに文化交流ではなく裕福なノルウェー人の家庭における低賃金労働者の供給源として利用されてしまっている
p256 その基本理念が示すとおり、人権は本来平等であることが原則とされる。しかし今すべて人に最高品質のh人権をひとしく配布することは、そのコストがあまりに高まりすぎてしまったため、現実的に不可能である。人権思想の持続可能性を守るため、人権を傾斜配分することを正当化する論理として、能力主義はますます重用される。先進国のエリート女性が最高品質の人権を享受するためには、自国あるいは途上国に生きる自分よりの能力の低い女性たちに低品質な人権で我慢してもらわなければならない
p277 かれらが「こどおじ」になったのは、かれらを支えるつながりがなかったからではない。だれもかれらを支えるつながりになりたくなかったからだ
p289 人間は完全に孤立して生きていくことはできない。どうしたって、つながりや絆と無縁ではいられない。そこで人々は、他者との結びつきをより厳選するようになった。いうなれば、よりきれいなつながり、よりきれいな絆を求めるようになった。だれもかれもと、むやみにつながることをやめた
p291 これまでの世界であれば、なんでもないごく普通の隣人として、ゆるやかにつながりあえたかもしれない人々が、これからの世界では、物理的にも心理的にもずっと距離の遠い他人ままになる
他者から「きれいである」「有益である」「快適である」と認められる人でなければ、「つながり」や「絆」を結んでもらえなくなっていく
人間社会におてい「つながり」や「絆」は希少財になっていく
p322でも万が一、ヤクザが世の中からなくなったとしても、お前がいうようなスッキリした感じにはならんと思うぞ。さっきもいったけど、ヤクザはどうしようもないやつが最後の最後にそうなっただけのことやからな。最後の最後のその部分だけなくしたからって、どうしようもない奴が消えてなくなるわけじゃない。ヤクザでなくなったら、別のことをやる奴になるだけやろ。「ヤクザにならないだけのヤクザ者」は街にはたくさんおるんと違うか
現代社会に生きる私たちは、自分たちの快適な暮らしを守るために、なにやら厄介ごとを抱えていそうな人やその子供をほとんど無意識に不可視化・透明化して遠ざける