溝口彰子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ
「BLをどうして自分が読みたいと思うのか」「BLって実際にいるゲイの方々を傷つけたりしていないんだろうか?」「日本で放映されてるBLをドラマにした映像作品はなかなかに繊細な立ち位置にあるんじゃない?」と思ったので、昔々に買っていまだに読んでいなかった本書を手に取った。積読って家の床を壊しそうだし買って放ってしまう罪悪感はあるのだけど、自分が読みたいと思ったものって高確率で数年後の自分を救うことがあるので、やっぱり積読はやめられない。
今回この本を手に取ろうと思った理由は、先日大ブレイクした「40までにしたい10のこと」を見ていた私が上記の疑問(昔から感じていた疑問ではあるが、今回改めて強く思った)を解消できるかもしれないと思ったからだ。
「40までにしたい10のこと」は深夜帯のBLドラマなのに、主演の風間さんとその恋人役である庄司さんの名演技によって瞬く間に東テレのドラマ人気のトップに躍り出た。原作も読んだことがあり、BL漫画としてとても好きだったので、ドラマも見てまんまとハマり、最後までリアタイで完走した。
完走した。
けれど、そこでずっと抱えていたモヤモヤがあった。
まず、BLの商業漫画はそもそも想定されている読者層がBLを好きな女性であるからして、BL漫画の中で繰り広げられるアレコレはほぼファンタジーであると割り切って読める。それでも実際に同性愛者が現実にいて、その性愛を我々は消費しているんだ、ってことは心に銘じて読まないといけないと、よく思いながら読んでいる。
一方で、今回のドラマは、主演の風間さんが、他のドラマにもでている(大河にも出ている)超有名人であり、ということは、あのドラマを見る視聴者層はBL漫画以上に広く定められている。例え深夜帯でも、彼をずっと応援し続けているBLというものを知らない若しくは好んで読まないあるいは好きではない、あるいはそもそも当事者の方々も見るわけだ。
そしてドラマは生身の人間が演じる分、受け取る側もかなりの質量を胸の落とし込まれるはずだし、有名な俳優を抜擢するのであれば、それはきちんと現実に落とし込まれたリアルなクローゼットゲイ同士の葛藤と恋愛が描かれるんじゃないか?と私は結構思っていた。
普段BLドラマを見ないから、もしかしたら多大な期待だったのかもしれない。
見た感想として、主演二人の演技もドラマの演出も最高に最高のもので、二人を含めた作りての方々がものすごい熱量で挑んだことは伝わってきた。主演二人は大好きになったし、若手の庄司さんの方はファンクラブに入ってしまったくらいだ。
でも、話の流れに納得がいかなかった。特に風間さん演じる十条雀さんが、原作よりもずっと仕事人間で仕事上では周りから上司として慕われている描写があり、彼がゲイとして一人で40まで過ごしてきた人間であることがきちんと描かれているにも関わらず、会社の中で年下ゲイに抱きつかれてしまう隙があるところとか、年下の彼を突き放す覚悟を持ったのに、結局それが年下彼との思い出で揺らいで走り出してしまったり、仕事の描写が若干雑だったり、なんというか、結局のところ異性愛にありがちな、手を引かれなきゃ新しいことができない女と、ずかずかとそこに入り込んでくる男、という描写に最終的に落とし込まれてしまった感が非常に残念で、かつ日本の大企業なんていまだにホモフォビアの巣窟のような場所だろうに、そういう描写が田中の偏見に満ちた言葉だけに集約(あれも結構雑なセリフだと思う)されてしまっているのもなんだかな、という感じだった。
つまりあまりリアリティがなかった。
そこで私は冒頭の疑問を強く抱いたのだ。ドラマというお茶の間の誰にでも届いてしまうもので、商業BLで女性が消費しているBLをそのままにお出ししてしまう、しかも最近のBLはもっとリアルに接続したものが多くあるのに、それを引き戻してしまうようなドラマを流してしまったのはどうしてなんだ?そもそもクローゼットゲイの二人の恋愛をこんなふうにきゃっきゃと消費することを現実にいる同性愛者はどう思うんだろうか?とか、BLって結局どんな立ち位置でどんな人に消費されてるものなんだろ、とか。
そしてこの本、この本を読んで上記の疑問になんとなく答えが見えたような気がした。BLがそもそもは異性愛規範や家父長制、もとい自分が性的対象から外れた場所で性愛を女性が主体性をもって楽しめるものとして存在しているということ。(これは本当に説得力がある)そしてさらに、最初のころのBLは、そうはいえど異性愛規範の範囲で止まっていたしホモフォビアが内面化されたものが多かった(女性が女性のおかれている状況を客観的に見ていた)が、そこから、現実の世界に接続され、内面化されたホモフォビア、ミソジニー、家父長制から解き放たれ、同性愛者への眼差しがかわり、今のBLは現代社会で抑圧されている女性も含めたマイノリティが、その先を望んで希望として描いているものが多く、だからこそ作者が「進化系BL」と呼んでいるのだということ、上記の内容が軽妙な語り口でとてもわかりやすく描かれていて、少なくとも私がドラマを見て抱いた疑問の半分くらいは解消された気がする。
男性同士の性愛を愛でること、これら異性愛規範や家父長制やミソジニーに抑圧された女性の駆け込み寺で、そこで癒されているのだということ、ここを肯定的に考えられるのはとても自分にとってもいいことだ。
ただ、そこで癒されたあとに行くべきところがどこなのか、駆け込み寺の尼となって駆け込んでくる人々を癒すのか、寺から外に出て現実に苦しむ人たちを救うために奔走するのか、選択肢は色々ある。そういうことを知ることができたのもとても人生にとって大きいと思う。
そしてドラマについては、残念だな、という気持ちを抱いていてもいいんだな、というのもわかってよかったし、BLドラマが日本の若手俳優の登竜門的な場所になっているのであれば、そこにもきちんと現実との接続性をもって、一歩先の何かを脚本によって描いてもらえたら嬉しい限りだなと思った。
この本は2015年に書かれたものだから、作者の方が今をどう見ているのか、他の本を読んでみたいと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ私はシスジェンダー女性で異性愛者である。
商業もののBL作品も好きだし、二次創作におけるBL作品も好きだ。
だから自分の好きなものがどう生まれ、どう変化して今日の私の手元に届いたのかが知りたかった。
正直、世の中に蔓延る家父長制、ミソジニー、ホモフォビア、女性蔑視に疲れ果てている。
それらがBLの世界にはあまり出てこない。
あまり、というだけでまったく出てこないわけではないが、世に出る前に編集などの作者と作品の間に他者が介入する商業BL作品は、先述した疲れ果てる要素から距離を置いていたり、実際に出てきたとしても現実よりもよっぽど優しい。
BLじゃない、登場人物が異性愛者前提の作品だとまだそれにぶち当たることがけっこう多い。楽しむための映画や読書なんかが一転して自分の心を曇らせるものになってしまうのだ。
商業BLはその確率が低い。だからこそ安心して手に取れる。楽しめるということがある。
それらのBL作品のことを「進化系BL」と本書では呼んでいる。
そのようにBL作品が進化するために何があったのかという点が私には非常に興味深い内容だった。
実際にゲイである人たちからの目線を気にするようになったからこそ、起こった進化だと本書で書いていて、かなり感動した。
自分たちが創作したもの、楽しんでいるものが誰かを傷つけているかもしれないと自覚したときに、「何が悪いの?」と開き直るのではなく、新しい方向性を考えてそれを作品に反映していくという姿勢は素敵だと思った。
よくTwitterでは広告などに使われる表現のあれこれを巡って論争が起きることがあるが、開き直っている人というか、なぜそう言われるのか何がどう当事者を傷つけているのかを突っぱねている人も見かける。
BL創作者、愛好家の先人たちの誠実な姿勢にはあっぱれとしか言いようがない。
BLが好きという人はBLで描かれる世界が好き、という人も多いと思う。
そういう人たちにはぜひ読んでほしい本だった。
また宙出版からも『BL進化論[対話篇] ボーイズラブが生まれる場所』が2017年に出ているので、こちらも読んでみたい。
BLの何がそんなに私を虜にするのかがわかったし、BL作品だけではなくゲイ映画等の話も取り上げられておりエンターテイメントにおける同性愛の描かれ方についてとても勉強になった。
これは2015年出版で、今から8年も前だ。出版当時とまたBLは変化している。
オメガバースがなぜここまで隆盛を極めているのかについてもぜひ溝口先生に分析していただきたい。 -
Posted by ブクログ
アインシュタインの有名な「常識とは18歳までに身につけた偏見のことをいう」という言葉を、何度も読書中に思い出しました。
ある時代では「普通」だったものが、数世紀経ってあるいは数十年だって「普通」ではなくなることがあると知っているはずなのに、いつのまにか、昔からあるものはすべてこれからもあるはずだと思っている感覚が怖いなと思いました。
家父長制度やミソジニー、ホモフォビアに男尊女卑。
そういうものに真っ向から勝負を挑むと、「だから女は」「女のくせに」なんてことになりがちです。
そういうことではないんだけどなあ、とニュースだったりを見て思っていたところ、ふと、BLの中には、私がこうだったらいいなと思う平和的で愛に溢れた世界があるし、恋愛観がある。それはなぜだろう?どうしてBLじゃないとダメなんだろう?と思ったのが、この本に出会うきっかけでした。
どこぞのレビューで「本の紹介がわかりづらい」とありましたが、これはBLの本を紹介する本ではなくて、BLという有機体(この言い方・考え方が好きです)を分析・評論したものです。
何度も、そうだったのか!と膝を打ち、何度も、そこまで考えていなかったけど、そうかもしれない!と目からウロコを落としました。
気持ち良い、好きだ、を原動力にして、好きなキャラたちがどうすればもっと素敵な人生を送れるかと考えた(つまり愛を注いだ)結果、BLという世界が現実世界の先取りをし始めた、という説はとても納得がいくものであり、同時に鳥肌が立つくらい感動するものでした。
ただ好きで読むだけでも、きっと問題はないのだと思います。でも、一度でも、「どうして私が好きな世界はBLに多くあるのだろう?」と疑問に思ったひとは、この本で視界が開けるのを感じると思います。
余談ですが、カバーの二人が、カバーを外すと老人?カップルになっていて、涙しました。これが愛でなくてなんだというのでしょう?と思って……。 -
Posted by ブクログ
長年BLを学術研究してきた著者による本。
当初は女性たちが安全な場所で性愛の物語を楽しむだけだったのが、ゲイの目線を意識し始めたことで、女性も含めてあらゆるマイノリティに優しい物語へと進化している!という話です(雑に要約すれば)。感動的。
自分たちのつくるものが誰かを傷つけているかもしれないと自覚したときに、開き直るのではなく新しい方向性を模索していくという姿勢が素晴らしいし、面白いです。
いまある痛みを叫ぶよりも、とにかく自分自身が楽しむことによって、ちょっとずつ自分や周りの価値観を変えていくという方法は、どんな問題にも有効だと思う。
BLの何が女性にとって楽しいのか。自覚していたこともあれば、していなかったこともあって、頷いたり、へぇと呟いたりの読書でした。
ぐだぐだと書いてますが、素直な感想は三浦しをんさんのおっしゃる通り「これからもBLを愛していこうと改めて決意しました!」の一言に尽きます。
最近はBL出身の作家さんが一般誌で、進化した価値観をもった作品を描いてくれることも多くてうれしい。「家父長制度と異性愛規範にはうんざりしてるけど、性愛も別にいらないんだよなぁ」っていう人に向けて、BLからはみ出したような作品が今後増えてくれたら有難いなぁ。 -
購入済み
強いヒロインがいい
モデルのヒロインとギリシャ人実業家のヒーロー
パリで活躍のモデルのヒロインはシッカリした女性。
ヒーローは結婚はギリシャ人と思っている、HQの典型的ギリシャ人。
ある日妊娠に気が付いたヒロインがヒーローに打ち明けるが、ヒーローは結婚が決まったと、別れる。この物語の最大の酷い山場。ヒーローのヒロインに対する扱いは本当に酷かった。
ヒロインを人を使ってまで追い払うヒーロー。
ヒロインは子供を産むため、人生をすべてリセットしてしまう。消えたヒロイン。
ザマーミロです。もう少しヒーローを懲らしめて欲しかった。 -
Posted by ブクログ
百合について、時に文学史的に、時にクィア理論的に、或いはもっと娯楽的に、と様々な観点から語られる。本文も数多のポップカルチャーを絡めて書かれており、百合入門(?)のためのメディアガイドもついていたため、気楽に読めた。百合とされるアニメについて理論的に分析した文も多いので、考察厨も楽しめると思う。
最も印象に残ったのは「百合は"出来事"」という考え方。あくまでも一瞬の出来事であるから、それ一つでセクシュアリティを決定するのは性急である、と。且つこの論は、百合に限らずBLやヘテロであっても適用されるものだという。これはLGBT界隈の常套句「セクシュアリティよりパーソナリティ」に通ずるものがある。
もう一つは「百合の可能性」について。『ゆるゆり』のようなライトな接触こそが百合であり、他の『百合姫』作品はガチレズ、そんなものは求めていない! と嘆く人々。『ゆるゆり』の描くものはあくまで百合の一形態でしかないのに、いつしか百合の定義となってしまった。しかし百合はもっと幅広い可能性を持っていてほしいという。ここからは持論になるが、昨今はカテゴライズ隆盛社会とでも言おうか、カテゴリーを定め、既存の事物をそのカテゴリーの中に押し込めていく。しかもそのカテゴリーは大変な勢いで細分化されていく。その概念はこのカテゴリーには入らない、別枠にしろ、とどんどん切り分けていくのだ。カテゴリーを創作(細分化)していく彼らにしてみれば世界を秩序立てようとしているのだろうが、結果は混沌とした単語の濁流である。不毛だ。もっと単語一つに込められた寛容性や可能性を尊重すべきではないか、などと思う。そういった意味で、百合とガチレズの線引きについて興味深く読んでいた。
最後に、孫引きになるかと思い引用欄には書かなかったが、印象に残った文をひとつ。
“たとえば、十三歳から十七歳までの美しい姉妹の連続自殺を「僕たち」という曖昧な一人称複数形で描くジェフリー・ユージェニデスの『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』のセシリアは、自殺未遂を咎める医師に「先生は十三歳の女の子だったことなんてないでしょう」と言い放ってこの世を去る。”(190頁)
書きそびれていたがこのように少女論もいくつか掲載されているので、サブカルチャー傾倒者は読むといい。 -
Posted by ブクログ
私自身は、小説や漫画を読んでも掛け算は起きないが、BLも読む位のレベル。
ずーっと疑問に思っていた「なぜ男同士じゃないといけないのか」ということの一つの答えがここにあるように思う。
性的ファンタジーとしてのBL。しかし、実際のゲイに対して女性は気遣いを持つという。女性らの夢物語でゲイの性を弄んでいるん じゃないかと。
それも確かになーって思いつつ、じゃあなんで男性用のポルノとかAVはあそこまで女性を卑下した上に気遣いもないんだろうか。ア レも相当気持ち悪いものなのかもしれないなーっと気づいたのが印象深い。
女性にとってのBLは(性的な意味で)まさしく想像の上でのファンタジーだけど、男性にとってのAVは、性的指向に基づいたファンタジーだと考えるとより一層気持ち悪い。いや。脳内で考える分には別に犯罪じゃないとは思うけど、コンピニなどで当たり前に視界に入りやすいという社会はちょっと怖い。
うーん。男性がセクハラを意識しないのも無理はないと思うとともに、女性性が抑圧されるわけだ。
……と、しかしながらここまで書いて、本当にそんな乱暴に断言していいのかな、と迷う。男性にとっての性的ファンタジーがフィクションなのか現実よりなのか、判断は保留にしておく。
進化系BLというのは、ほぼSFな訳で、SFってなんなのっていうと、私の中では「ある仮定のもとに今を超える物語」というイメージである。それが科学的なのが一般的なSFだけど、性的な意味合いでいうとBLもSFだなあぁと。
既存の概念の枠組みを超え、より軽やかに前に進む物語。
いつか、科学の進化により性差を超える事ができたら、文化としての性差になるのかもしれないね。それが生物として正しいあり方なのか、それは倫理の問題になるんだろうけれども。
話は変わるが、私がなぜ本を読むのかというと、自分の知らない知識を得るためでもあるが、「知らない観点」を得たいという方が大きい。
「なぜ」と思わない限り知ろうとも考えようともしないから。
そして考えることで見えてくるものもあるから。視点が増えると世界が豊かになる。
そういう意味で、いろいろなことに気づかされるきっかけになる良い本。面白かった。 -
Posted by ブクログ
''なぜ自分はBLが好きなのか。''
考察好きなBL愛好家たちはたぶん誰でも自分に対し問いかけるであろう、この命題。
私も折に触れ考えるので、その解を求めて手に取った。
本書の著者はレズビアンでBL愛好家。
どうやらレズビアンのBL愛好家は珍しくないらしい。BLはセクシュアリティの問題と不可分だと私も思うのだけど、やはり自分と切り離された異性同士の関係構築を愛好家たちは見たいと感じるのは共通のようだ。
著者はBLの歴史をひもときながら様々な考察をされてるんだけど、「究極のカップル神話」って概念が個人的にしっくりきた。
BL愛好家って、色んなタイプがいると思うんだけど、私自身の嗜好パターンに当てはめて考えると、BLにおいて必ずしも「セックスシーン」を必要としない人間である(むしろ邪魔と感じる場合も)。
それよりも「相手も自分と同じ男なのになぜ」とか「今は両想いだけど一緒にいるとあいつの将来が・・・」とか悩み葛藤しながら関係を探る登場人物たちが見たい。
これってセクシュアリティとかじゃなくて障害があるけどそれを乗り越えてただ一人を愛する「究極のカップル(=関係性)」が見たいんだよなあきっと。そういう意味では自分の中に「ホモフォビア」がなくはないのかも。と本書を読んで発見した。
あと「ヴァーチャル・セックス」って概念が面白かった。私はオンオフ含め他のBL愛好家たちとコミュニケーションはしてないけど、結局ネット上やSNSで関係に対する「萌え」を吐き出してはいるわけで、それってコミュニケーションに対する欲望であり、嗜好や妄想の交換(=ヴァーチャル・セックス)を求めてるってことよなあ、と。
あと、''男性キャラがBL愛好家女性にとって「他者」ではなく「自身」であることは限りなく自然化されている''(引用)にすごく納得できるものがあった(私はやはりBL愛好家なのだなあと改めて感じた)。
近年、BLがBL愛好家の枠にとどまらず普及し、市民権を得始めているのは(私自身はそう感じる)、著者が述べるようなジャンルが成熟し''進化形BL''(=現実よりもゲイ・フレンドリーな世界観や、女性性、男性性のあり方を問うようなBL作品)が数多く出てきてるからなのかもなあ。 -
Posted by ブクログ
いくつかのやおい論は読んだことがあります。しかし、どれも釈然としなかった。そこに論じられていることは、確かにただしいかもしれないが、私の実感からは遠く、もう一歩踏み込んで欲しいと思うことばかりであった。その点この本は、やおい論に一石を投じ、新たな理論を切り開いている感がある。特にジェンダー規範、家父長制と結びつけた議論ら、常々わたしが感じていることを明快にしてくれた。
BL進化論というだけあって、昨今の進化したBLの価値概念に非常に肯定的な議論が多い。特に、著者自身が同性愛者であるからか、同性愛の取り扱いそのものに関するセンシティブさが見て取れる。
しかし、わたしはこの本を読みながら、本当は、BLとはそういう家父長制やミソジニーから解放されたオアシスではないということに、思い至ってしまった。BLとは、女性が男性を性的に搾取するための最も有力な手段である。男性を性的に搾取するためには、世の男性がやるように、自分と同性が対象を搾取すれば最も効率的かつ合理的なのに、女性はそれをしない。BLでは、男性の性的搾取を、男性に任せている。それはなぜか。自分たちでは男性を搾取できないという劣等感、自己蔑視に苛まれているからである。ここにはとてつもないミソジニーの影があり、わたしは、BLとはミソジニーの解放とはむしろ逆で、ミソジニーにがんじがらめになった存在なのではないかと考える。ミソジニーにがんじがらめになった女たちの反射区として発展してきたのではないか?自己蔑視そのものなのではないか?
とまあ、こんなことを考えながら読んでいた。男女の非対称性については、あまりにも考えなければならないことが多い。