河野哲也のレビュー一覧
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[読書]4 問う方法・考える方法 河野哲也(2021)
第一章 「探究」とは何か
第二章 探究的な学びとは何か
第三章 探究方の授業と哲学対話
第四章 文献収集と読み解き方
第五章 プレゼンテーションの仕方
第六章 レポートの書き方
今週末の読書会の課題図書。来年度から高校で始まる「総合的な探究の時間」を見据えて学習者のために探究について概要と方法が書かれています。大学生の時に読んでたらレポートの取り組み方が違っただろうなぁ笑
学習者である自分としては、「よい教育とはどんなものであるか」「今の子どもたちとどうか変わっていくべきか」探究していきたいなぁと思ったときに、どのようなプロセス、ま -
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要は…
釈迦でいうところの縁起っすよね。
そいつを難しい言葉をあれやこれやと並べて超具体的に表現しています。
日常生活ではまず出てこないであろう用語のオンパレードで何度も読む気が失せたのもアフォーダンスですな。 -
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memo:高校生くらいの頃から漠然と思っていたことだが、日本人は身内にはとことん関心を持ち、何かあればその身内の人間を気持ち悪いほどに庇ったりするが、それ以外の他者には殊に無頓着であり、むしろ身内を守るための無意味な攻撃性をも有している気がしていた。
和辻が言う「公共心」を持った人間とは、単に自分の身の回りに配慮するだけの人物ではなく、万人を公平に道徳的配慮の対象として扱える社会を構築することを望む人間である。
私の中の日本人像は「公共心」を持っていない。
ドイツ留学を終えて帰国した和辻が1928年当時に日本人に対しそう感じていて、それから戦争まで経て現代に至るまで結局何ら変わってないとい -
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道徳教育に関して哲学的な議論を展開しているユニークな著書だ.前半は道徳に関するこれまでの弱点や様々な引用でややとっつきにくい感じだったが,第4章 「道徳には哲学が効く」でかなり具体論が出てきてほっとした.道徳性についての思考力と行動力を養うものとして,主権者に対する道徳教育を哲学として創設すべきだ という主張である.道徳教育を哲学という科目で実施するメリットととして,批判的思考力と生活統合を養うことができるからだと強調している.あとがきにあるように,道徳心を強調する人が,道徳的に素晴らしい人物であったためしがない という件は大いに納得できるものだ.著者が示した構想を教科書としてまとめている事例
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★内容はズシリとした重さがあるので、一読後気になった箇所を再度読み直しながらメモをとっていった。
良かった点、最初はよくわからなかったが序章が長く書かれている。『道徳を「問い直す」』の「問い直す」への序章であってこの部分が私には意味があった。
和辻哲郎がドイツから帰国した1928年に、「日本人には公共心がない」といわしめた言葉からはじまる。 著者も言っているが、道徳という言葉には何処か胡散臭さがあって近寄り難い分野であった。ここ数年日本社会で起きている様々な出来事が、「公共」を『社会のことは自分のことではない』という日本での概念を持ち出すことである程度理解できてくる。この本は本来 -
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[ 内容 ]
脳研究によって、心の動きがわかるようになるのか。
そもそも脳イコール心と言えるのか。
脳を調べることで心の状態を読むことは可能か。
人間の行動は脳によって決定され、自由などは幻想に過ぎないのか。
脳研究が医療や教育、犯罪捜査、裁判などに応用されることは、どのような社会的インパクトを持ち、どのような倫理的問題が生じるだろうか。-“脳の時代”を生きる我々誰しもが持つ疑問に、気鋭の哲学者が明快に答える。
現代人必読の“脳科学リテラシー”入門書。
[ 目次 ]
第1章 脳の時代と哲学
第2章 脳と拡張とした心
第3章 マインド・リーディングは可能か
第4章 社会的存在としての心
第5章 -
Posted by ブクログ
脳科学が進むにつれ、哲学や経済学、マーケティングや美術など、思いもよらなかった分野との融合が起こっている。本書の内容は、哲学者から見た脳科学で、題名にもあるように、脳科学を実社会に応用する際の倫理について述べることが一つの柱になっている。それとは別に、この人が考えているフレームワークともいうべき「拡張した心」の説明がよい。ギブソンのアフォーダンスについて、これまではどこが優れた理論なのかよく分からなかったが、本書ですっと腑に落ちたような。。。心身問題の歴史についての概説も分かりやすい。「心」は内面的なものではあるが、脳の内部に限局するものではない。環境や社会を含めたものであるという。例えば、5
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Posted by ブクログ
哲学という言葉が持つ難しさか。「とことん考える」くらいで捉える。子供は探究するエネルギーが豊かなので,探究の一手段として考える,対話するのスキルを持つと,一段と深い探究ができるだろう。学ぶことが覚えるだけに焦点化されやすいので,考えることや説明することも学ぶことの一つとする見方が大人側でいる。大人の方が「とことん考える」ことができない(めんどくさい)ことも多い。時間をかけて深く捉えることの価値が見えない世の中か。同じ程度のものなら早い安いが選ばれる。それは本当に同じ程度なのか。早い安いがダメと決めつけるのはおかしい。こういった問いと思考を楽しむ(面白がる)のは文化の影響が大きいのかなぁ。